帝は傾国の元帥を寵愛する

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2章

28話 執務室

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 それから、である。

 何をお考えなのか、ユリウス陛下は――あの男を探し、まるで当然のことのように執務室へ来るよう促された。

(……理解に苦しみます、陛下)



 帝位に就かれたとはいえ、ユリウス陛下はまだ若い。
 だが同時に、帝の全権代理として十年以上、政務の最前線に立ってこられた方でもある。
 即位したからといって、その責務を急に他者へ預ける――そんな真似ができるはずもない。

 帝都の行政は巨大な生物の血管に似ている。
 一ヶ所でも滞れば、たちまち全体が痙攣する。

 ゆえに、即位後もユリウス陛下の執務室は解体されず、しばらくは現状のまま運用されることとなった。

 重厚な扉。深青の絨毯。
 壁面には帝国暦と軍事地図、宰相府からの報告書が並ぶ。
 昼前だというのに燭台にはすでに火が入り、
 紙とインクの匂いが静かに部屋を満たしている。

 陛下は、その空気の中心でいつも通り淡々と政務を片付けられていた。
 筆の運びは淀みなく、しかしどこか――寂しげなほど静謐だった。

 後継を担う人材を育てねばならず、わたし自身もまた、中堅どころを鍛えよとの任を受けている。
 帝都の中心は圧倒的に有能な人材が不足しているが、育成に手を取られすぎて循環を止めてもならない――実に難題である。

 ……だが。

 だからといって、
 よりにもよって――“あの男”を中枢に入れる必要がどこにあるというのか。



「陛下……リュクス殿を、執務室で何をさせるおつもりなのですか?」

 控えめに問いながらも、声の奥に抑えきれない困惑が滲んだ。

 ユリウスは机上の書簡を整えつつ、あっさりと言われる。

「何か書類の整理くらいはあるだろう? レオン、おまえも手が足りていないはずだ」

「それは……そうですが……」

(しかし、帝国政務の最終確認を担うこの私に、
 “素性不明の男”を補佐につけるなど――前代未聞だ)

 胸中の憂慮が一瞬表情に現れたのだろう。
 ユリウスは軽く目を伏せ、机の端を小さく指先で叩かれた。

「――何でもいい。しばらく、奴に出来そうなことをやらせてくれ」

 静かだが、譲らぬ意志の響き。
 それは確かに“帝”の声であった。

「……前の元帥に依頼していた案件は、どのようなものだった?」

 唐突な問い。
 陛下は“ヴァルター”という名を口にされない。
 あの日以来ずっと、“元帥”“名誉元帥”と――肩書きで呼ばれている。

 ほんの刹那、室内の空気が揺れた気がした。

「それは……軍事予算の監査、部隊再編の妥当性の精査、
 軍内部の派閥調整、儀礼の席順整理……
 ――その他、戦略上の助言などを……」

 言いながら、自ら頭を振る。

「いずれも、爵位も軍籍も持たぬ方にお任せできる性質のものでは……」

 ユリウスは短く「ふむ」とだけ呟いた。
 肯定でも否定でもない。
 ただ未知の駒の扱いを静かに見極めようとしている声音。

「……まずは本人が来てみなければ。何ができるかなど分からないだろう」

 淡々とした一言。
 期待でも拒絶でもない。
 ただ、不思議なほど落ち着いた、穏やかな声音。

 レオンは息をひそめ、その横顔を見つめた。

(……陛下が、あれほどお話しになるのは……本当に久しぶりだ)

 それだけが、唯一の“良い兆し”に思えた。

(……リュクス殿。
 あなたがどれほど怪しくとも――
 どうか、どうか陛下のご期待だけは裏切らないでいただきたい……)

 胸中で静かに呟き、
 束ねた書類を抱き直しながら、そっと深く息をついた。



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