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2章
37話 ルーカスの部屋
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「な、このあとルーカスの部屋、行っていい?」
脱衣所の冷たい石の上で、タオルで髪を拭きながら、リュクスはごく自然に言った。
湯気の余韻がまだ肩にふわりと残っている。
「……何で」
「消灯まで暇だろ? ルーカスいつも何してんの?」
「本とか……」
「おれ、行っちゃだめ?」
リュクスは首を傾げて、湯上がりの赤みを帯びた頬のまま可愛らしい仕草で誘う。
水滴がこぼれて、足元に小さな円を作った。
ルーカスは数秒だけ沈黙した。
湿った髪を無造作にかき上げ、ふー……と、ため息なのか覚悟なのかわからない息を吐き出した。
「……わかった」
「やった!」
嬉しそうに笑って浴場の灯りの下を軽い足取りで去るリュクスの後ろ姿が、
なぜだかルーカスの胸をざわつかせた。
*
ルーカスの部屋は、リュクスの部屋より明らかに広かった。
廊下の明かりが斜めに差し込み、磨かれた床の木目が柔らかく光っている。
机は二倍ほどの大きさで、椅子も背が高く、棚が壁一面を占め、整然と資料が並べられていた。
「何で広いの?」
「少将に上がったから」
「へー」
リュクスは音もなくベッドへ飛び乗り、勝手に置かれていた本を開いた。
紙の擦れる音が静かな部屋に小さく響く。
文字よりも図が多く、銃器、戦闘装備、馬具や車両……軍向けの斡旋カタログだ。
「これほしー」
リュクスが指さしたのは、美しい銀色のリボルバー《アルトリウス・モデル07》──。
ランプに照らされた挿絵は、実物さながらに輝いて見えた。
「最新の銃だ。俺も欲しい。
……でも高いし、実戦じゃ使いづらい」
「どんくらい高いの?」
「家くらい」
「…………」
リュクスは冊子を壁に投げつけ、ばさ、と布の音を立てて頭を寝台に伏せた。
その横で、ルーカスは明日の装備とスケジュールを淡々と確認していた。
報告書、訓練計画、演習指示──整然と積まれた書類の束に、ランプの灯が静かに揺れる。
軍人の日常が机の上に積み重なっていく。
その間、リュクスは寝台の上でコロコロと転がり続け、
やがて大きな枕を抱えたまま、す、と静かな寝息へ変わった。
「……」
ルーカスは棚から薄い毛布を取り出し、
寝息の乱れないようにそっとリュクスにかけてやった。
湯気で赤らんだ頬はまだ熱を残し、
長いまつげが影を落とす。
静かな寝息が、規則正しく胸を上下させている。
その寝顔は、初対面の警戒した表情も、
さっきみたいに甘えるときの子犬のような無防備さもなく──
「……天使みたい」
ぽつりとつぶやく声は、本人ですら気づかぬほど優しかった。
ランプの灯りが揺れ、
二人の静かな夜は、ゆっくりと深まっていった。
*
翌朝リュクスが目覚めると、そこは見慣れない部屋だった。
昨夜の湯気が抜けたような、すっきりした空気が漂っている。
寝台から身を起こすと──すぐ隣、寝台の下の床にルーカスが眠っていた。
薄い簡易マットレス。
薄いブランケット。
その簡素さに、リュクスは胸がきゅっと痛んだ。
(……俺、ルーカスのベッド奪っちゃった)
反省して寝台を降り、そっと覗き込む。
よく見ると、その寝顔は驚くほど端正だった。
無駄な肉のない真っ直ぐな顎のライン、整った骨格、まつげの落とす影──どこか貴族的な雰囲気があった。
(……寝てたら可愛いかも?)
ぽつりと胸の奥で思った。
まだ眠気が残っていたこともあり、ほとんど無意識のままルーカスのブランケットの端をめくる。
狭いスペースに、そっと身体を滑り込ませる。
気づいたからには、自分だけ寝台で寝るのは申し訳なくなってしまったのだ。
肩と肩が、触れた。
ルーカスはほんのわずかに眉を動かしたが、起きる気配はない。
(昨日ハグしてきたんだし……これくらい、怒らないよな?)
自分に言い訳するように小さく思う。
くっついてさえいれば、ルーカスがいつも通り朝に起きて、それに巻き込まれて自分も起きられるから──今日は朝食を逃さないで済む。そんな算段を立てながら。
(……完璧な、作戦……)
ぬくもりに吸い寄せられるように目を閉じる。
数秒もしないうちに、リュクスの呼吸はゆるやかになり、
ルーカスの肩に触れたまま、静かに眠りへ落ちていった。
脱衣所の冷たい石の上で、タオルで髪を拭きながら、リュクスはごく自然に言った。
湯気の余韻がまだ肩にふわりと残っている。
「……何で」
「消灯まで暇だろ? ルーカスいつも何してんの?」
「本とか……」
「おれ、行っちゃだめ?」
リュクスは首を傾げて、湯上がりの赤みを帯びた頬のまま可愛らしい仕草で誘う。
水滴がこぼれて、足元に小さな円を作った。
ルーカスは数秒だけ沈黙した。
湿った髪を無造作にかき上げ、ふー……と、ため息なのか覚悟なのかわからない息を吐き出した。
「……わかった」
「やった!」
嬉しそうに笑って浴場の灯りの下を軽い足取りで去るリュクスの後ろ姿が、
なぜだかルーカスの胸をざわつかせた。
*
ルーカスの部屋は、リュクスの部屋より明らかに広かった。
廊下の明かりが斜めに差し込み、磨かれた床の木目が柔らかく光っている。
机は二倍ほどの大きさで、椅子も背が高く、棚が壁一面を占め、整然と資料が並べられていた。
「何で広いの?」
「少将に上がったから」
「へー」
リュクスは音もなくベッドへ飛び乗り、勝手に置かれていた本を開いた。
紙の擦れる音が静かな部屋に小さく響く。
文字よりも図が多く、銃器、戦闘装備、馬具や車両……軍向けの斡旋カタログだ。
「これほしー」
リュクスが指さしたのは、美しい銀色のリボルバー《アルトリウス・モデル07》──。
ランプに照らされた挿絵は、実物さながらに輝いて見えた。
「最新の銃だ。俺も欲しい。
……でも高いし、実戦じゃ使いづらい」
「どんくらい高いの?」
「家くらい」
「…………」
リュクスは冊子を壁に投げつけ、ばさ、と布の音を立てて頭を寝台に伏せた。
その横で、ルーカスは明日の装備とスケジュールを淡々と確認していた。
報告書、訓練計画、演習指示──整然と積まれた書類の束に、ランプの灯が静かに揺れる。
軍人の日常が机の上に積み重なっていく。
その間、リュクスは寝台の上でコロコロと転がり続け、
やがて大きな枕を抱えたまま、す、と静かな寝息へ変わった。
「……」
ルーカスは棚から薄い毛布を取り出し、
寝息の乱れないようにそっとリュクスにかけてやった。
湯気で赤らんだ頬はまだ熱を残し、
長いまつげが影を落とす。
静かな寝息が、規則正しく胸を上下させている。
その寝顔は、初対面の警戒した表情も、
さっきみたいに甘えるときの子犬のような無防備さもなく──
「……天使みたい」
ぽつりとつぶやく声は、本人ですら気づかぬほど優しかった。
ランプの灯りが揺れ、
二人の静かな夜は、ゆっくりと深まっていった。
*
翌朝リュクスが目覚めると、そこは見慣れない部屋だった。
昨夜の湯気が抜けたような、すっきりした空気が漂っている。
寝台から身を起こすと──すぐ隣、寝台の下の床にルーカスが眠っていた。
薄い簡易マットレス。
薄いブランケット。
その簡素さに、リュクスは胸がきゅっと痛んだ。
(……俺、ルーカスのベッド奪っちゃった)
反省して寝台を降り、そっと覗き込む。
よく見ると、その寝顔は驚くほど端正だった。
無駄な肉のない真っ直ぐな顎のライン、整った骨格、まつげの落とす影──どこか貴族的な雰囲気があった。
(……寝てたら可愛いかも?)
ぽつりと胸の奥で思った。
まだ眠気が残っていたこともあり、ほとんど無意識のままルーカスのブランケットの端をめくる。
狭いスペースに、そっと身体を滑り込ませる。
気づいたからには、自分だけ寝台で寝るのは申し訳なくなってしまったのだ。
肩と肩が、触れた。
ルーカスはほんのわずかに眉を動かしたが、起きる気配はない。
(昨日ハグしてきたんだし……これくらい、怒らないよな?)
自分に言い訳するように小さく思う。
くっついてさえいれば、ルーカスがいつも通り朝に起きて、それに巻き込まれて自分も起きられるから──今日は朝食を逃さないで済む。そんな算段を立てながら。
(……完璧な、作戦……)
ぬくもりに吸い寄せられるように目を閉じる。
数秒もしないうちに、リュクスの呼吸はゆるやかになり、
ルーカスの肩に触れたまま、静かに眠りへ落ちていった。
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