『階段対策会議(※恋愛)――年上騎士団長の健康管理が過剰です』

星乃和花

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第6話『乙女心の隠蔽失敗:団長の前でうっかり「可愛い」と言いそうになる』

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 その夜、クラリスは団長室の前で、手袋の中の指をぎゅっと握った。

 (会議。会議……買い出しの報告、備品の精算、動線の確認……)

 ――そして、あの言葉。

 「排除しない」

 あれは業務の言い方をしているのに、心だけが勝手に解釈してしまう。
 “ここにいる”。“離れない”。そう言われたみたいに。

 ノックをすると、いつも通りの声が返った。

 「入れ」

 扉を開けると、団長室は相変わらず無駄がない。
 机の上も、書類の角度も、椅子の位置も――。

 ……増えているものを除けば。

 ソファの端に、毛布。
 そして、机の脇に、見覚えのある布袋。

 (あれは……)

 グラントは外套を脱ぎながら、淡々と言った。

 「会議を始める」

 「……はい」

 机の上に置かれた紙には、今日も見出しがあった。

 ――【慣れ促進計画:本日の実施記録】
 ――【市場任務:反応の整理】

 (記録……本当に記録してる……)

 クラリスが椅子に座ると、グラントは向かいに座り、ペンを持つ。

 「まず、買い出し任務の報告」

 「布と金物、焼き菓子の支出は――」

 クラリスが帳簿の数字を読み上げると、グラントは一度も口を挟まずに聞き、最後にだけ頷いた。

 「問題ない」

 褒め言葉が、いつも通り“検収”である。

 「次。市場での“乱れ”」

 (来た……そこ掘るんですか……)

 グラントは紙に線を引きながら言う。

 「人混みで呼吸が止まった。原因は接触事故」

 「はい。あれは、本当に人が――」

 「その後、焼き菓子屋の前で足が止まった」

 「……好きな匂いだっただけです」

 「“好き”」

 グラントが、その単語を反復した。

 クラリスの背筋がぴんと伸びる。

 (やめて……!拾わないで……!)

 グラントは淡々と続ける。

 「“好き”は、健康に関係する。嗜好は行動に影響するからだ」

 (合理……!でも恥ずかしい……!)

 「よって、今後も疲労時に糖分を――」

 「団長」

 クラリスは、勇気を絞って割り込んだ。

 「……私、団長の“健康管理”が、少し過剰ではないかと……」

 言った瞬間、胸が痛くなる。
 本当は過剰でいてほしいくせに、言ってしまう自分が嫌だ。

 グラントは一拍置いた。

 「過剰の定義は」

 (またそれ!)

 クラリスは言葉に詰まる。
 過剰の定義――“ときめきが許容量を超える”とか、そんなもの、定義できない。

 その沈黙を、グラントは“検討の余地あり”として処理したらしい。ペン先が止まり、視線が机の脇の布袋へ向いた。

 「……対策を一つ追加する」

 追加。
 嫌な予感しかしない。

 グラントが布袋を持ち上げ、クラリスの前に置いた。

 「支給品」

 布袋から出てきたのは、昼間に選ばれたストールだった。
 柔らかい色。軽いのに温かい、あの布。

 クラリスの心臓が跳ねる。

 「……団長、これ、本当に……」

 「頬が赤くなる。必要だ」

 「……それは寒さではなく――」

 言いかけて、クラリスは口を閉じた。

 寒さじゃない。
 あなたが近いから。あなたの声が。あなたの手が。

 言えない。

 グラントはストールを広げ、当たり前のようにクラリスの肩へかけようとした。

 「……っ」

 クラリスは反射で息を呑む。

 布が肩に触れる。
 次に、指先が髪に触れそうになる。

 (だめ……近い……)

 「動くな」

 グラントの声が低い。

 クラリスは固まった。
 止まってしまう。止まらざるを得ない。

 グラントは無駄なくストールを整える。
 しわを伸ばし、首元を少しだけ詰めて――。

 その仕草が、あまりに丁寧で。

 (……かわ……)

 口の形が「か」に動いた瞬間、クラリスは自分で自分の喉を塞いだ。

 「……咳?」

 グラントが顔を上げる。

 「だ、大丈夫です!」

 「根拠」

 (やめて……!今のは乙女心の事故です……!)

 クラリスは必死に“業務の顔”を作った。

 「……ストールが、思ったより柔らかくて、驚いただけです」

 「柔らかいのは良い。摩擦が減る」

 (摩擦……)

 グラントの口から出る単語が、どこまでも“対策会議”で、逆に苦しい。

 だがその次の一言で、クラリスは息を止めた。

 「今、何と言いかけた」

 「え?」

 「最初の音が『か』だった」

 (……終わった)

 クラリスの脳内で、赤い警報が鳴る。

 「……か、風邪、かも、しれません!」

 「医務室だ」

 「違います!!」

 クラリスが即座に叫ぶと、グラントは一瞬だけ目を細めた。

 「……では、何だ」

 詰む。

 クラリスは紙一重で嘘を選んだ。

 「……感想です。『か……感じが良い』と言おうとしました」

 我ながら苦しい。

 グラントは真顔で頷いた。

 「感じが良い。――良い評価だ」

 (評価にしないで……!)

 そしてグラントは、なぜかその言葉を紙に書いた。

 【ストール:感じが良い(クラリス評価)】

 クラリスはもう何も言えなかった。

 ◻︎ ◻︎ ◻︎

 そのとき、扉がノックされた。

 「団長。失礼します」

 入ってきたのは、副団長ローレンだった。
 今日も顔が薄い。手に持っているのは書類と、胃薬(安定)。

 ローレンは室内を見て、まずストールに目を留め、次にクラリスの顔を見て、最後にグラントを見た。

 「……団長、あの。会議は」

 「実施中だ」

 「議題は」

 「慣れ促進と、防寒対策」

 ローレンが小さく頷く。
 その頷きは“受理”ではなく“諦め”だった。

 「……団長。市場での件、噂が広がっています」

 「噂は危険ではない」

 「危険です。主にクラリスの精神衛生に」

 ローレンが珍しく強めに言うと、グラントは一拍置いて頷いた。

 「精神衛生は健康に関係する。――対策が必要だ」

 (対策……また増える……)

 ローレンが先回りするように言った。

 「団長。対策は“距離を取る”のが――」

 「無理だ」

 即答。

 ローレンの胃が鳴る音が、クラリスには聞こえた気がした。

 「……では、噂の燃料を減らしましょう。例えば、手をつながない、とか」

 グラントは真顔で返す。

 「手は必要だ。転倒防止」

 ローレンが目を閉じる。

 「……転倒、もうしてませんよね?」

 「可能性はゼロではない」

 「……ゼロじゃないですけど」

 ローレンは胃薬を握りしめたまま、話題を変えた。

 「団長、もう一つ。クラリスに関して――」

 「言え」

 ローレンは一度だけ深呼吸し、クラリスをチラッと見てから言った。

 「……クラリスは、“褒め言葉”に弱いです」

 クラリスが死んだ。

 (ローレンさん!?なぜそれを今言うの!?)

 グラントは瞬きを一つ。

 「褒め言葉」

 「はい。なので団長が、何気なく――『良い』とか言うと、クラリスは……」

 ローレンが言葉を選び損ねた。
 選び損ねて、変な間が空く。

 グラントが、容赦なく結論を拾う。

 「……乱れるのか」

 「乱れます」

 ローレンが即答した。

 クラリスは机に突っ伏したくなった。

 グラントは真顔で頷き、紙に書いた。

 【褒め言葉 → 乱れ(要注意)】

 ローレンが叫びそうになった。

 「団長!それは“注意”じゃなくて、“嬉しい”のほうです!」

 「嬉しい」

 グラントがその単語を反復した。

 「嬉しいと、乱れるのか」

 「乱れます!」

 ローレンが言い切る。

 クラリスは顔が熱くて、もう何も考えられなかった。

 グラントが静かに言った。

 「……なら、褒め言葉を減らすべきか」

 クラリスの胸が、ひゅっと痛んだ。

 (減らさないで……)

 言えない。
 言えないけれど、減らされたら、たぶん寂しい。

 その沈黙を、グラントは“異常”として捉えたらしい。
 クラリスの顔をじっと見て、言った。

 「……今、苦しいか」

 「だ、大丈夫です!」

 「根拠」

 (やめて……!)

 グラントはしばらく黙り、やがて静かに――まるで実験の手順を確認するみたいに尋ねた。

 「では、別の褒め言葉を試す」

 「え?」

 ローレンが即座に割り込む。

 「団長、試さないで!!」

 「必要だ」

 「必要じゃない!!」

 グラントは、ローレンの叫びを“胃の保護”として処理したのか、少しだけ声を落とした。

 「……クラリス」

 呼ばれるだけで心拍が上がる。

 「ストールは、君に合っている」

 クラリスの胸が熱くなる。

 (だめ、嬉しい……)

 グラントは一拍置き、次を言う。

 「……可愛い」

 クラリスの世界が、静かに爆発した。

 ローレンが頭を抱えた。

 「団長……!!」

 グラントは真顔で続ける。

 「今のは褒め言葉か」

 クラリスは声が出ない。

 ローレンが代わりに言った。

 「褒め言葉です!!最上級です!!だから言わないで!!」

 「言わないほうが良いのか」

 「良いです!!噂が!!」

 グラントは“噂”の単語に反応し、少し考える顔になった。

 「……噂を減らすなら、室内で言うのは合理的だ」

 (合理じゃない……!)

 ローレンが絶望した声で呟く。

 「……団長、あなたは、わざとじゃないのが一番厄介です」

 グラントは首を傾げた。

 「厄介?」

 「ええ。恋愛的に」

 ローレンが、ついに禁句を言った。

 室内の空気が止まる。

 クラリスの心臓も止まりそうになる。

 グラントは、沈黙のあと、静かに聞き返した。

 「……恋愛、とは」

 ローレンが口を閉じた。
 クラリスも口を閉じた。
 世界が、クラリスの乙女心の上に座った。

 グラントは淡々と続ける。

 「定義を説明しろ」

 ローレンは胃薬を握りしめ、クラリスに目を向ける。

 ――助けて。

 クラリスは目で返す。

 ――私に振らないでください……!

 グラントの視線が、まっすぐクラリスに落ちた。

 「クラリス。君は、“恋愛”を知っているか」

 クラリスは息を吸った。

 (終わった)

 終わるのは社会的生命か、隠蔽か、それとも――。

 クラリスは、乙女心を必死に押し込めたまま、震える声で答えた。

 「……し、知っています。一般的な意味では」

 グラントは頷いた。

 「では、明日から“恋愛”も議題に追加する」

 ローレンが叫んだ。

 「やめて!!!!」

 クラリスは、机の下で手袋の中の指をぎゅっと握った。

 (……私、明日、生きていられるかな)

 そして同時に、胸の奥で小さく思ってしまう。

 (……でも、知ってほしい)

 グラントが、“恋愛”を。
 自分の言葉が、どれだけ人の心を揺らすかを。

 知ってほしいのに、知られたら終わる。

 甘くて苦しい矛盾を抱えたまま、クラリスの“会議”は、次の段階へ進もうとしていた。

(つづく)
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