『階段対策会議(※恋愛)――年上騎士団長の健康管理が過剰です』

星乃和花

文字の大きさ
7 / 9

第7話『団長、恋は危険物ではありません:定義づけ会議(※胃薬が足りない)』

しおりを挟む
 翌朝、クラリスは鏡の前で三回つぶやいた。

 「恋愛は議題ではない」
 「恋愛は議題ではない」
 「恋愛は議題ではない」

 言えば言うほど現実味が増して、胃のあたりがひゅっとなる。

 (昨日、“可愛い”って言われたんだよね……)
 (しかも真顔で……)
 (しかも“褒め言葉の実験”として……)

 心臓が勝手に動き出しそうになるのを、クラリスは手袋の中で押さえつけた。

 ◻︎ ◻︎ ◻︎

 騎士団本部に着くなり、いつもの低い声が落ちてくる。

 「クラリス」

 毎朝の“運用”が始まる。

 振り向くと、グラントがいた。
 相変わらず整った外套、相変わらず無駄のない姿勢、相変わらずの無表情――なのに、昨日の「可愛い」だけが脳内で再生されてしまう。

 (だめ……思い出すな……!)

 「体調は」

 「だ、大丈夫です」

 「根拠」

 (きた……!)

 クラリスは早口で言う。

 「睡眠七時間、朝食は卵とスープ、階段は使ってません、心拍も――」

 「心拍も」

 「……正常です!」

 言い切った瞬間、自分の声が少し裏返ったのが分かった。
 そしてグラントは逃さない。

 「声が乱れている」

 「……寒いだけです」

 「ストールを使え」

 クラリスは反射で首元を押さえた。
 ストールはもう常備品になっている。社会的にも精神的にも。

 そこへ、助けでも救いでもない胃薬の気配が滑り込んだ。

 「団長。……朝から何を」

 ローレンだ。顔がもう“昨日の続き”である。
 胃薬の瓶が光っている。

 グラントは即答した。

 「会議の準備だ」

 ローレンが嫌な予感に目を細める。

 「……何の」

 「恋愛」

 ローレンがその場で魂を落としそうになった。

 「団長……!それは議題にしないって……!」

 「必要だ」

 「必要じゃない!!」

 「定義が不明だ。対策が立てられない」

 「対策を立てなくていい!!!」

 クラリスは、ふたりの応酬の間に挟まれたまま、心の中で手を合わせた。

 (神様、今日だけは静かに……)

 無理だった。

 ◻︎ ◻︎ ◻︎

 その夜。

 団長室の机の上に置かれていた紙の見出しを見て、クラリスは目を閉じた。

 ――【恋愛:定義づけ会議】
 ――【目的:健康管理における誤認の排除】

 (誤認って……恋を病気みたいに……)

 向かいのグラントはペンを持っている。
 ローレンは椅子に座りながら胃薬を握っている。
 クラリスは“乙女心を隠す顔”を貼り付けながら、魂を薄くして座っている。

 「会議を始める」

 グラントの声はいつも通り淡々としていた。

 「まず確認。恋愛は“危険”か」

 ローレンが即答した。

 「違います」

 クラリスも即答したい。
 でも声が出ない。出したら負ける気がする。

 グラントは頷いた。

 「危険ではない。――では“症状”はあるか」

 ローレンが天井を見上げた。

 「団長、恋愛を医学に寄せないでください」

 「寄せていない。分類している」

 「分類しないでください!」

 グラントは紙に線を引く。

 「分類しないと混乱する」

 (あなたが混乱してるのは、恋愛じゃなくて情緒の言語化です……!)

 クラリスは言えないので、まばたきで耐えた。

 グラントが続ける。

 「恋愛に近い状態として、クラリスは――」

 やめて。

 「私の近くで、呼吸が止まる」

 やめて。

「頬が赤くなる」

 やめて。

「心拍が上がる」

 もうやめて。

 グラントは真顔でローレンを見る。

 「これは恋愛か」

 ローレンは胃薬を握りしめたまま、苦しそうに言った。

 「……その可能性は、高いです」

 クラリスは机の下で手袋の中の指をぎゅっと握った。

 グラントは頷く。
 頷き方が“検収”ではなく、珍しく“確認”に見えた。

 「ならば、私の対策は誤っていた」

 ローレンが言った。

 「やっと気づいた……!」

 クラリスの胸がひゅっと軽くなる。
 (対策、減る……?距離、取る……?)

 グラントは次の瞬間、淡々と言った。

 「修正する」

 (修正って……減る方向とは限らない……!)

 グラントは紙に新しい項目を書き始めた。

 ――【恋愛:対策案】

 ローレンが叫んだ。

 「対策しないで!!!」

 「対策は必要だ」

 「なぜ!!」

 「クラリスが苦しそうになる。――それが不快だ」

 言葉は相変わらず不器用で、相変わらずグラントらしい。
 でも、その“不快”は、ひどく優しい。

 クラリスは視線を落とした。
 見上げたら、終わる気がした。

 グラントが続ける。

 「恋愛が原因なら、“慣れ”で改善するのか」

 ローレンが即答した。

 「しません」

 「なぜ」

 「むしろ悪化します」

 「悪化?」

 ローレンは言葉を選び損ねて、強引に業務の形に戻した。

 「……団長。恋愛は、慣れれば慣れるほど、深くなります」

 グラントのペンが止まる。

 「深く」

 「はい。だから、“接触訓練”とか“距離測定”は……」

 ローレンはクラリスを見た。

 「……クラリスを殺します」

 クラリスは小さく頷いた。
 (殺されます)

 グラントは沈黙した。
 沈黙の時間が長くて、クラリスの心臓だけがうるさい。

 やがて、グラントが静かに言う。

 「では、正しい対応は何だ」

 ローレンが息を吸い、胃薬を置いて、人生を賭ける顔になった。

 「団長。恋愛の正しい対応は――」

 クラリスは耳まで熱くなった。
 聞きたくない、でも聞きたい。

 ローレンが言った。

 「……告白です」

 室内が凍った。

 クラリスの心臓が止まりかける。

 グラントは真顔で聞き返す。

 「告白とは」

 「好意を、相手に伝える行為です」

 「好意」

 グラントがその単語を反復した。
 まるで未知の概念を舌で確かめるみたいに。

 そして、ゆっくりクラリスを見た。

 「クラリス」

 名前を呼ばれるだけで、もう無理だ。

 「……はい」

 グラントは少しだけ眉を寄せた。

 「私は、君に好意があるのか」

 ローレンが即座に割り込んだ。

 「本人に聞かないでください!!!」

 「なぜ」

 「本人が一番困るからです!!」

 クラリスは、机の上の紙の角を見つめて、必死に息を整えた。
 “乙女心を隠す”というより、“生存”のための呼吸だった。

 グラントは、ローレンの叫びを受理したらしい。
 視線を戻し、紙に何かを書いた。

 ――【告白:要検討(他者立会い不可)】

 ローレンが頭を抱えた。

 「検討しないで……!!今すぐやめて……!!」

 グラントは淡々と続ける。

 「では、観察から進める」

 (観察はやめてください!!)

 「私がクラリスに対して、“特別な行動”をしているか確認する」

 ローレンが白目になりかける。

 「もう十分特別です!!」

 「具体例を挙げろ」

 ローレンは指を折り始めた。

 「手をつなぐ、ストールを選ぶ、毛布を用意する、焼き菓子を買う、動線を変える、毎晩会議をする、本人の顔色を観察する、褒め言葉を実験する――」

 「整理されている」

 グラントが真顔で頷いた。

 ローレンが呻いた。

 「整理したくて整理したんじゃない!!」

 グラントは紙に大きく丸をつけた。

 ――【特別行動:多数】

 そして、静かに結論を出した。

 「私は、クラリスに好意がある可能性が高い」

 クラリスは息を止めた。

 (言った……今……可能性が高いって……)

 ローレンが机に突っ伏した。

 「……団長、そこ、断言して……」

 グラントは首を傾げた。

 「断言の根拠が不足している」

 「根拠なら今あげた!!」

 「足りない」

 (足りないんだ……それでも……)

 クラリスの胸が、甘く痛んだ。
 グラントの不器用さが、優しさに見えてしまうのが、いちばん危険だ。

 会議の終わり際、グラントが珍しく、少しだけ声を落とした。

 「クラリス」

 「……はい」

 「私は君を苦しませたいわけではない」

 クラリスは視線を上げられなかった。
 上げたら、隠蔽が崩れる。

 グラントは続ける。

 「だから――」

 その先を、言いかけて止めた。
 言葉が見つからない顔をしている。

 ローレンがかすれ声で補助する。

 「団長。“好きなら大事にしたい”って言えばいいんです」

 グラントは一拍置き、クラリスを見た。

 「……君を、大事にしたい」

 クラリスの世界が、静かにほどけた。

 (……だめだ、隠せない)

 泣きそうになって、笑いそうになって、息が詰まる。

 グラントが言う。

 「……今のは、告白か」

 ローレンが即答した。

 「告白です!!!」

 クラリスは、やっと小さく息を吐いた。

 そして、乙女心を隠す顔のまま――でも声だけは、少しだけ本音を混ぜて言った。

 「……団長。会議は、毎晩じゃなくていいです」

 グラントが眉を寄せる。

 「なぜ」

 クラリスは、勇気を絞った。

 「……慣れたら、深くなるって、さっき言われました」

 ローレンが静かに頷く。

 グラントは、しばらく黙った。

 そして、淡々と――でも少しだけ、困った声で言った。

 「……深くなるのは、悪いことか」

 クラリスは答えられなかった。
 答えたら終わる。
 でも答えなくても、もう終わっている。

 “隠蔽”が。

(つづく)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎ 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

『噂が先に婚約しましたが、私はまだ“練習相手”のつもりです(堅実護衛が半歩前から離れません)』

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全8話+後日談1話⭐︎ 舞踏会が苦手な伯爵令嬢ルシアは、社交の“空気圧”に飲まれて流されがち。 ――そして致命的に、エスコートされると弱い。 そんな彼女の“練習相手”に選ばれたのは、寡黙で堅実、おおらかな護衛隊出身の男ロアン。 半歩前を歩き、呼吸の乱れを見抜き、必要なときだけ手を差し出す彼の優しさは、甘い言葉ではなく「確認」と「対策」でできていた。 「怖くない速度にします」 「あなたが望めば、私はいます」 噂が先に婚約しても、社交界が勝手に翻訳しても――守られるのは、ルシアの意思。 なのに最後の一曲で、ルシアは言ってしまう。 「……ロアンさんと踊りたい」 堅実すぎる護衛の甘さに、流され注意。 噂より先に“帰る場所”ができてしまう、異世界ほの甘ラブコメです。

守護契約のはずが、精霊騎士の距離が近すぎて心拍がもちません―― 距離ゼロで溺愛でした。

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済:全8話⭐︎ ーー条項:心拍が乱れたら抱擁せよ(やめて) 村育ちの鈍感かわいい癒し系ヒロイン・リリィは、王都を目指して旅に出たはずが――森で迷子になった瞬間、精霊騎士エヴァンに“守護契約”されてしまう! 問題は、この騎士さまの守護距離が近すぎること。 半歩どころか背後ぴったり、手を繋ぐのも「当然」、心拍が乱れたら“抱擁条項”発動!? 周囲は「恋人だろ!」と総ツッコミなのに、本人たちは「相棒です!」で通常運転。 守護(と言い張る)密着が止まらない、じわ甘コメディ異世界ファンタジー!

ゆるふわな可愛い系男子の旦那様は怒らせてはいけません

下菊みこと
恋愛
年下のゆるふわ可愛い系男子な旦那様と、そんな旦那様に愛されて心を癒した奥様のイチャイチャのお話。 旦那様はちょっとだけ裏表が激しいけど愛情は本物です。 ご都合主義の短いSSで、ちょっとだけざまぁもあるかも? 小説家になろう様でも投稿しています。

完結·異世界転生したらアザラシ? でした〜白いモフモフでイケメン騎士たちに拾われましたが、前世の知識で医療チートしています〜

恋愛
ネットでアザラシを見ることが癒しだった主人公。 だが、気が付くと知らない場所で、自分がアザラシになっていた。 自分が誰か分からず、記憶が曖昧な中、個性的なイケメン騎士たちに拾われる。 しかし、騎士たちは冬の女神の愛おし子を探している最中で…… ※小説家になろう、Nolaノベルにも投稿しています ※完結まで毎日投稿します

山賊な騎士団長は子にゃんこを溺愛する

紅子
恋愛
この世界には魔女がいる。魔女は、この世界の監視者だ。私も魔女のひとり。まだ“見習い”がつくけど。私は見習いから正式な魔女になるための修行を厭い、師匠に子にゃんこに変えれた。放り出された森で出会ったのは山賊の騎士団長。ついていった先には兄弟子がいい笑顔で待っていた。子にゃんこな私と山賊団長の織り成すほっこりできる日常・・・・とは無縁な。どう頑張ってもコメディだ。面倒事しかないじゃない!だから、人は嫌いよ~!!! 完結済み。 毎週金曜日更新予定 00:00に更新します。 R15は、念のため。 自己満足の世界に付き、合わないと感じた方は読むのをお止めください。設定ゆるゆるの思い付き、ご都合主義で書いているため、深い内容ではありません。さらっと読みたい方向けです。矛盾点などあったらごめんなさい(>_<)

拾った年上侯爵が甘え上手すぎて、よしよししてたら婚約することになりました

星乃和花
恋愛
⭐︎火木土21:00更新ー本編8話・後日談8話⭐︎ 王都の市場で花屋をしているリナは、ある朝―― 路地裏で倒れている“美形の年上男性”を拾ってしまう。 熱で弱っているだけ……のはずが、彼はなぜか距離が近い。 「行かないで」「撫でて」「君がいると回復する」 甘えが上手すぎるうえに、褒め方までずるい。 よしよし看病してあげていたら、いつの間にか毎日市場に現れるようになり、 気づけば花屋は貴族の面会所(?)になっていて―― しかも彼の正体は、王都を支える侯爵家の当主だった!? 「君は国のために必要だ(※僕が倒れるから)」 年上当主の“甘え策略”に、花屋の心臓は今日ももたない。 ほのぼの王都日常コメディ×甘やかし捕獲ラブ、開幕です。

処理中です...