『階段対策会議(※恋愛)――年上騎士団長の健康管理が過剰です』

星乃和花

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第8話『深くなるのは悪いことか:団長の質問が正面すぎて、私の隠蔽が崩れる(※副団長、胃薬追加)』

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 「……深くなるのは、悪いことか」

 グラントの声は淡々としているのに、問いだけがやけにまっすぐだった。
 机の上の紙、インク、整った筆記具――いつもの団長室の風景が、今夜だけ少し眩しく見える。

 クラリスは、答えを飲み込んだ。

 (悪いわけ、ない……)
 (でも、怖い……)

 “乙女心を隠す”というより、もうこれは“乙女心を抱えて生き延びる”に近い。

 沈黙が落ちた。

 その沈黙に耐えられなくなったのは、副団長ローレンの胃だったらしい。
 ローレンが咳払い一つ、机に肘をつき、極力“業務”の声を装って言う。

 「団長。クラリスは今、返答を整理しているだけです。追い詰めないでください」

 「追い詰めていない。確認している」

 「それが追い詰めてるんです」

 グラントが瞬きを一つして、クラリスを見る。

 「……答えに時間が必要か」

 (優しい……のに、怖い……)

 クラリスは小さく息を吸って、吐いた。
 そして、乙女心を隠すために“仕事の言葉”を選ぶ。

 「……団長。深くなること自体は、悪いことではありません」

 グラントの目が、少しだけ真剣になる。

 「では、何が問題だ」

 正面。正面すぎる。

 クラリスは視線を落とし、手袋の中で指を握った。
 言えない。言ったら終わる。
 でも、終わっている。隠蔽はもう、崩れている。

 「……私が、耐えられないんです」

 声が、思っていたより弱く出た。

 ローレンが息を呑む。
 グラントが、微かに眉を寄せる。

 「耐えられない、とは」

 クラリスは、喉の奥が熱くなるのを感じた。
 ここで“乙女心”なんて単語を出したら、それこそ爆発する。

 だから、クラリスは一番ずるい言い方をした。

 「……団長の言葉が、強いからです」

 静かに空気が止まる。

 グラントは数秒沈黙し、そして淡々と――だが確かに困った声で聞き返した。

 「私は、強い言葉を言ったか」

 ローレンが即座に口を挟む。

 「言いました!!昨日の『可愛い』とか!!『大事にしたい』とか!!」

 「それは強いのか」

 「強いです!!一撃必殺です!!」

 グラントはその表現を理解できない顔で、しかし真面目に紙に書き足した。

 ――【強い言葉:可愛い/大事にしたい】

 ローレンが頭を抱えた。

 「記録しないで……!」

 クラリスは、半分笑いそうになって、半分泣きそうになった。

 (この二人……)

 そして、笑いそうになった自分に、少し救われた。
 泣きそうなほど苦しいのに、笑える。
 その事実が、グラントの優しさの形に思えてしまう。

 ◻︎ ◻︎ ◻︎

 グラントはペンを置いた。

 「……私は、君を苦しませた」

 「……いえ」

 「苦しいと言った」

 「……苦しい、というより……」

 クラリスは言い直した。
 言い直すほどに、隠蔽が剥がれていく。

 「……嬉しすぎて、苦しいんです」

 言ってしまった。

 ローレンが、両手で口を押さえて天井を見上げた。
 “祈り”というより、“覚悟”の顔だ。

 グラントは一拍置いて、ゆっくり頷いた。

 「嬉しい。……なら良い」

 「良くないです!!」

 クラリスが思わず声を上げた。
 上げてから、自分でびっくりして口を押さえる。

 (私が反論した……団長に……!)

 グラントは驚かない。怒らない。
 ただ、まっすぐ聞く。

 「何が良くない」

 (その聞き方が、良くないんです……!)

 クラリスは、言葉を選びながら、必死に“境界線”を作ろうとした。

 「……団長。今のままだと、私は……」

 喉が詰まる。
 続けるしかない。

 「……もっと、好きになります」

 完全に言ってしまった。

 ローレンが机に突っ伏した。
 胃薬の瓶が転がりそうになって、ローレンが反射で押さえる。職人技だった。

 グラントは、しばらく動かなかった。
 その静止が、怖い。

 (怒った……?困った……?)

 でもグラントの表情は、怒りではなかった。
 困っているような、考えているような、初めて見る“迷い”の顔。

 そして、静かに言う。

 「……もっと、好きになるのは、危険か」

 ローレンが顔を上げ、かすれた声で言った。

 「団長……恋を危険物扱いするのやめて……」

 グラントは真面目に頷く。

 「危険ではないのだろう」

 「はい」

 ローレンが即答した。

 グラントの視線が、クラリスへ戻る。

 「クラリス。君は、もっと好きになりたくないのか」

 ここで「はい」と言ったら、嘘になる。
 「いいえ」と言ったら、終わる。

 クラリスは、目を伏せたまま、小さく言った。

 「……なりたいです」

 ローレンが呻いた。

 「……ああ……」

 グラントは、そこで初めて“結論”を急がなかった。
 しばらく沈黙し、言葉を探している。

 そして、やっと出てきたのは――いかにもグラントらしい、少し不器用な提案だった。

 「……なら、段階を設定する」

 ローレンが即座に叫ぶ。

 「段階やめて!!!!」

 「必要だ」

 「必要じゃない!!恋愛は工程表じゃない!!」

 グラントはローレンを一度見て、次にクラリスを見た。

 「クラリスが耐えられないと言った。なら、負荷を下げる」

 ローレンが、胃を押さえたまま静かに頷いた。

 「……それは正しい方向です。珍しく」

 「珍しく、とは」

 「今は突っ込みません」

 ローレンが諦めた顔で言い切った。

 ◻︎ ◻︎ ◻︎

 グラントは紙を一枚引き寄せ、新しく書き始めた。

 ――【運用修正案】

 (運用って言った……恋愛なのに……)

 クラリスがこっそり思っていると、グラントが淡々と言う。

 「会議は毎晩ではなく、週に二回にする」

 ローレンが顔を上げた。
 胃が少し助かった顔。

 「……週二回。いいですね。それならまだ生きられる」

 「誰が」

 「私が」

 グラントは真顔で頷く。

 「副団長の生存は重要だ」

 ローレンが遠い目をした。

 「……ありがとうございます」

 グラントは続ける。

 「ただし、体調確認は継続する。朝と昼」

 ローレンが即座に言う。

 「多い!」

 「健康管理だ」

 「恋愛が混ざってる!!」

 グラントは無視した(正確には“受理せず保留”した顔だ)。

 「次。接触は――」

 ローレンが身構える。

 「団長、接触は――」

 「必要時のみ。転倒防止、混雑時、寒冷時」

 ローレンが頷く。

 「よし。そこは合理的」

 クラリスの胸が、少しだけ軽くなる。
 ……軽くなるのに、寂しい気もしてしまって、自己嫌悪。

 グラントが紙に書き込む。

 ――【接触:必要時のみ】

 そして、クラリスを見た。

 「褒め言葉は、減らす」

 クラリスの胸が、ひゅっと痛む。

 (減らさないで……)

 言えない。
 でも顔に出たらしい。

 グラントが、ほんの少しだけ目を細めた。

 「……嫌か」

 クラリスは、口を開く前に負けを悟った。
 もう、隠蔽は無理だ。

 「……嫌です」

 グラントが淡々と受理する。

 そして、驚くほど静かに、優しい方向へ折れた。

 「……なら、数を管理する」

 ローレンが机に突っ伏した。

 「管理しないで!!褒め言葉を回数制にしないで!!」

 グラントは真顔で言う。

 「過剰摂取は危険だ」

 「恋を栄養剤扱いするな!!」

 クラリスは、笑ってしまった。
 小さく、こぼれるように。

 その笑いを見て、グラントが言った。

 「……今の顔は、良い」

 ローレンが叫びそうになる。

 「団長!!数!!数!!」

 グラントがペンを止め、少しだけ困った顔をする。

 「……今のは褒め言葉か」

 クラリスは、もう逃げないことにした。
 小さく頷く。

 「……はい」

 グラントが、珍しく“反省”の顔で頷いた。

 「……回数、一回使用」

 ローレンが机に額を打ちつけた。

 ◻︎ ◻︎ ◻︎

 会議の終わり際、ローレンが胃薬をしまいながら、疲れた声で言った。

 「団長。最後に一つだけ」

 「言え」

 ローレンはクラリスを見てから、グラントを見る。

 「……クラリスは、“大事にされる”のが怖いんです」

 クラリスは息を止めた。

 (ローレンさん……それを言うの……)

 グラントは黙った。
 黙ってから、静かに聞く。

 「なぜ」

 ローレンが答える前に、クラリスが先に答えてしまった。

 「……慣れてないからです」

 声が震えた。
 言ってから、胸の奥が少し痛んだ。

 グラントは、驚くほどゆっくり頷いた。

 「……なら、慣れればいい」

 ローレンが即座に言う。

 「そこで慣れに戻るな!!」

 クラリスは、泣きそうになりながら笑った。
 その二つが同時に出るのが、恋だと気づいてしまう。

 グラントはクラリスを見て、珍しく“結論”ではなく、“約束”みたいな言い方をした。

 「クラリス。無理はさせない」

 クラリスの喉がきゅっとなる。

 「……はい」

 「逃げ道は残す」

 それは、クラリスが一番ほしかったものだった。
 逃げ道。
 逃げられると思えるだけで、逃げなくて済む。

 クラリスは小さく頷いた。

 「……ありがとうございます」

 グラントは一拍置いて、言った。

 「……感謝は、嬉しい」

 ローレンが即座に指を立てる。

 「団長!!今、褒め言葉じゃないけど危険!!」

 グラントは真顔で頷き、紙に書いた。

 ――【嬉しい:危険(要注意)】

 ローレンが叫んだ。

 「だから記録するな!!」

 クラリスはとうとう声を上げて笑ってしまった。
 声を上げた分、乙女心の隠蔽がさらに剥がれた気がした。

 でも、もういい。

 怖いけれど、逃げ道があるなら。
 この人が不器用でも、ちゃんとこちらを見てくれるなら。

 クラリスは扉の前で立ち止まり、振り返って言った。

 「……団長。週二回の会議、忘れないでください」

 グラントが頷く。

 「忘れない」

 「……毎朝の体調確認も、忘れないでください」

 「当然だ」

 「……褒め言葉の回数も」

 ローレンが「やめろ!」と叫んだが、クラリスはもう止まらない。

 グラントが真顔で言う。

 「管理する」

 ローレンが崩れ落ちた。

 クラリスはストールの端を握りしめた。
 その布の柔らかさが、今日は少しだけ“安心”に近い。

 (深くなるのは、悪いことじゃない)

 ただ、怖いだけ。
 怖いから、ゆっくりでいい。

 その“ゆっくり”を、グラントはきっと、真面目に守る。
 真面目すぎるくらいに。

(つづく)
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