月銀の温室 ーー触れない距離で、戻らない手を学ぶ。甘くて切ないじれじれ溺愛(年上寡黙×健気)

星乃和花

文字の大きさ
2 / 14

第一話 雨鈴の道(スズラン)

しおりを挟む
 雨脚は細く、星庭へ続く小径の石畳を、しとしとと撫でていく。傘の縁のレースが雨粒をはじき、かすかな音をこぼすたび、リディアの足取りは“とことこ”と小さく跳ねる。袖口のリボンが、歩幅に合わせて揺れた。

 温室の扉の前、ルフが待っていた。青い小鳥は、白い細リボンをくわえてリディアの足元にぽとり。靴先で結び目をほどく動きを、ちいさな首で“伺う”仕草をしながら見守る。

「ありがとう、ルフ。——あの、似合うかしら」

 小鳥は胸をふくらませて一声。彼なりの「似合う」なのだと思う。リディアは小さく笑って、扉の隙間から温室の中を“伺う”——星木のベンチ、雪割草、透明な空気。そして、黒の外套。

 彼は今日も、きちんと整っていた。髪は濡れても乱れず、手袋は外して片手に。ベンチの背に軽く肘を置き、静かに雨の音を聞いている。近づくリディアの足音に気づくと、立ち上がるまでの、ほんの一拍だけ早い。

「お待たせいたしました、コンラッド様」

「待った。……が、君が来るほうが、雨がよく降る」

「それは——星庭の良いところ、です」

 口数の少ない人の、少し照れた言い回し。リディアはベンチの端にちょこん——彼の手の届かない距離に座って、横目で表情を“伺う”。目が合えばすぐに逸らす、その往復運動が胸の温度を上げていく。

 ルフが、ふたりの中間にスズランを一枝落とした。雨粒を鈴の音に変える花。リディアはハンカチを広げ、ベンチにそっと敷いてから、花を置く。レースが水気を吸って、模様がくっきりと浮かぶ。

「……君は、いつも敷くのだな」

「冷えないように、と思って。ベンチも、花も」

 コンラッドは小さく頷く。頷き方まで、整っている。けれど、その整い方は、防寒のようでもあった。寒さに耐えるための、静かな鎧。

「先日、書状をいただきました。『風が冷える。手袋を』って。嬉しかったです」

「長く書くと……うまくいかない」
 彼は言葉を探してから、ぽつりと付け足す。「短い方が、君に届く」

 短い言葉は、かえって長く胸に残る。リディアは袖口のリボンをいじり、視線を上げたり下げたり“伺い”ながら、思い切って。

「あの、コンラッド様は……寒いのは、お好きでは?」

「嫌いではない。慣れている」
 彼は真っ直ぐ雨を見て、少しだけ視線を落とした。「……独りでいると、温度に気づかない」

 独りでいると、温度に気づかない。
 その言葉は、温室の硝子を静かに曇らせた。ルフがベンチの背で羽づくろいをしながら、わざと鈴を鳴らすようにスズランをつつく。合図だ。近づいて、と。

 リディアはベンチの真ん中へ、すり、と半歩分だけ移動した。彼の手の届く距離の手前。届きそうで、まだ届かない。袖口のレースが彼の視界に入るところで止まる。目を上げた彼の反応を、そっと“伺う”。

 コンラッドの睫毛が、ほんの少し震えた。
 彼は指先を持ち上げ、しかし空中で止める。触れるか、触れないか——その狭間に長けた人だ。触れた先を知らないから、止め方だけ覚えている。

 彼の孤独が見えた気がして、胸がじんわり温かくなる。リディアはハンカチの角をつまみ、スズランを自分の方へ引き寄せて、微笑む。

「わたし、鈴の音がすきです。——人の気配の音、みたいで」

「……気配」

「はい。コンラッド様の、足音とか。カップを置く音とか。息の音とか」

 言ってから、慌てて首をふるふる。言い過ぎた気がして、袖口を握った小さな手が小動物みたいにぷるりと震える。彼の横顔を“伺う”。

 彼は、少しだけ、笑った。気配の少ない人の笑み。輪郭がやわらかくなる。

「家では、音がない」

 短く、それだけ。足りない言葉は、そのまま足りないまま、胸に来る。リディアは息を飲み、ルフが落としていった白リボンを取り上げると、ベンチの肘掛けに小さな蝶結びを作る。

「ここには、音があります。雨も、花も、ルフも。……わたしも、います」

 彼が、そこでやっとこちらを見る。それは“伺う”の反対——まっすぐに、受け止める視線。低い声が、雨鈴の音をやさしく切り分けた。

「君がいると、長い部屋が短くなる」

 長い部屋が短くなる。
 不器用な比喩が、温室の硝子にふわりと映る。リディアは嬉しくて、でもやっぱり少しだけ切なくて、袖口をきゅっと握りなおす。近づきたい。けれど、近づいた先を、彼に怖がらせたくない。

 雨脚が一段強くなり、温室の天蓋が鈍い鈴のように鳴った。ルフがベンチの背から跳び、ふたりの間にストンと降りる。小鳥の黒い瞳が、順番にふたりの顔を“伺う”。

 リディアは小さく頷き、ハンカチをそっと彼の掌に敷いて、その上からスズランを渡した。直接触れない工夫。彼の「止め方」を尊重する距離のままで、温度だけを渡す。

 彼の指が、ゆっくりと花を包む。
 それは、触れないための触れ方。孤独の鎧を、内側から温める温度。

 別れ際、レースの傘の内側で、彼が短く囁く。

「……手袋を」

「はい。白にします」

「私も、同じにする」

 そう言って、彼は少し困ったような顔で微笑み、雨の向こうに去っていった。

 その夜——

 広い書斎。未使用のティーカップが二つ。真鍮のランプの火が、音もなく揺れる。コンラッドは机の上にスズランの小瓶を置き、窓に耳を傾けた。雨の音に、自分の呼吸が混ざるのをはじめて意識する。

(音がある)

 独りでいると、温度に気づかない。音にも、気づかない。
 紙片に一行だけ書き残した。



 ——石畳を張り替えさせた。滑らない。……君が転ばないように。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように

柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」 笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。 夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。 幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。 王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。

元恋人が届けた、断りたい縁談

待鳥園子
恋愛
シュトルム辺境伯の末娘ソフィに隣国の帝国第二皇子から届けられた『縁談』の使者は、なんと元恋人のジョサイアだった。 手紙ひとつで別れることになったソフィは、素直になれずジョサイアから逃げ回る。 「私に届けなければ、彼は帝国に帰ることが出来ない」 そう思いようやく書状を受け取ろうと決意したソフィに、ジョサイアは何かを言い掛けて!?

【完結】どうか私を思い出さないで

miniko
恋愛
コーデリアとアルバートは相思相愛の婚約者同士だった。 一年後には学園を卒業し、正式に婚姻を結ぶはずだったのだが……。 ある事件が原因で、二人を取り巻く状況が大きく変化してしまう。 コーデリアはアルバートの足手まといになりたくなくて、身を切る思いで別れを決意した。 「貴方に触れるのは、きっとこれが最後になるのね」 それなのに、運命は二人を再び引き寄せる。 「たとえ記憶を失ったとしても、きっと僕は、何度でも君に恋をする」

【完結】無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない

ベル
恋愛
旦那様とは政略結婚。 公爵家の次期当主であった旦那様と、領地の経営が悪化し、没落寸前の伯爵令嬢だった私。 旦那様と結婚したおかげで私の家は安定し、今では昔よりも裕福な暮らしができるようになりました。 そんな私は旦那様に感謝しています。 無口で何を考えているか分かりにくい方ですが、とてもお優しい方なのです。 そんな二人の日常を書いてみました。 お読みいただき本当にありがとうございますm(_ _)m 無事完結しました!

ストーカーはもうしません!

エヌ
恋愛
ス、トー...カー? 自分の行為がストーカーかもしれないと気づき自重する令嬢と無表情無反応されるがままとみせかけたヤンデレ令息のお話。

地味令嬢、婚約者(偽)をレンタルする

志熊みゅう
恋愛
 伯爵令嬢ルチアには、最悪な婚約者がいる。親同士の都合で決められたその相手は、幼なじみのファウスト。子どもの頃は仲良しだったのに、今では顔を合わせれば喧嘩ばかり。しかも初顔合わせで「学園では話しかけるな」と言い放たれる始末。  貴族令嬢として意地とプライドを守るため、ルチアは“婚約者”をレンタルすることに。白羽の矢を立てたのは、真面目で優秀なはとこのバルド。すると喧嘩ばっかりだったファウストの様子がおかしい!?  すれ違いから始まる逆転ラブコメ。

完結·婚約破棄された氷の令嬢は、嫁がされた枯れおじのもとで花開く

恋愛
ティリアは辺境にある伯爵の娘であり、第三王子ガフタの婚約者であった。 だが、この婚約が気に入らないガフタは学園生活でティリアを冷遇し、卒業パーティーで婚約破棄をする。 しかも、このまま実家に帰ろうとするティリアにガフタは一回り以上年上の冴えないおっさん男爵のところへ嫁ぐように命令する。 こうしてティリアは男爵の屋敷へと向かうのだが、そこにいたのは…… ※完結まで毎日投稿します ※小説家になろう、Nolaノベルにも投稿中

頭頂部に薔薇の棘が刺さりまして

犬野きらり
恋愛
第二王子のお茶会に参加して、どうにかアピールをしようと、王子の近くの場所を確保しようとして、転倒。 王家の薔薇に突っ込んで転んでしまった。髪の毛に引っ掛かる薔薇の枝に棘。 失態の恥ずかしさと熱と痛みで、私が寝込めば、初めましての小さき者の姿が見えるようになり… この薔薇を育てた人は!?

処理中です...