10 / 14
第九話 霞草の手土産(カスミソウ)
しおりを挟む
朝の星庭は、雲の白さを少し分けてもらったみたいに明るい。
カスミソウの小枝が風にふるふると震え、露の鈴は控えめに鳴る。
ルフは胸をふくらませ、小さな包みをくわえてベンチの背に着地した。包みの口はレースで、首には細い生成りのリボン。
扉の陰で、リディアは襟元のレースを押さえ、包みを両手にのせて“伺う”。
黒の外套、整った線。コンラッドは今日は少しだけ目の下に影を落としている——けれど、足取りは迷わない。
近づく気配に、彼は立ち上がるまでの一拍を、いつもより短くした。
「おはようございます、コンラッド様」
「ああ。……晴れた」
リディアは“とことこ”と近づき、ベンチの端にちょこん。袖口をきゅっと握る小動物の姿勢で、包みを膝へ。
視線だけで“伺う”と、彼は目で「いい」と言う。言葉はあとから来る、いつもの順番。
「小さな……手土産を。派手ではないけれど、そばにいる花です」
包みのレースをほどくと、カスミソウの束が現れた。ごく細い茎に、小さな白のつぶが星の粉みたいに群れている。
ルフが嬉しげに一声。くちばしで生成りのリボンをつついて“ここに”と示す。
「支える花、だな」
彼は片手で束を受け取り、もう片方の手で白い小瓶を出した。——ベンチの下、彼が置いておいた小さな備え。
水を注ぎ、茎の長さを目で測り、刃の当たりを慎重に“伺う”みたいに角度を決める。切り口は斜め、束ねはゆるく。
小瓶の首に、リディアが持ってきたレースの端を沿わせる。結び目を作る前に、彼の表情を“伺う”。
視線は、やさしい許可の形をしている。
「——この結びは、ほどけにくい」
「はい。ほどけたい時は、いっしょにほどけます」
結び目が、かすかに鳴った気がした。
カスミソウの白が、ベンチの木目の上で静かにひかる。
「昨夜、二つ目のカップに初めて茶を注いだ」
彼はふと、空を見上げずに言った。「君のいない方の席に、湯気だけを置いた。——空席が、空席のまま温かかった」
胸の奥がきゅっとなって、リディアは首をこてん。
「嬉しいです。……支度の音が、きっとお部屋を短くしましたね」
「短く、なった」
彼は素直に肯定する。「音が進む先を、想像できた」
ルフがベンチの背で羽づくろいしながら、板目を“とん”と二度。合図。
リディアは半歩、真ん中へ。届きそうで、届かない最短の“そば”。袖口のレースが彼の視界に入るところで止まる。
視線で“伺う”。瞳で「いい?」を問う。息で「だめなら戻る」を伝える。
コンラッドは空中で止めていた手を——止めない。
小瓶の置き場所を整えるふりで、ひざ掛けの上、彼女の手袋の甲へ、そっと指先を載せた。
重さは羽より軽い。けれど、確かな“いる”を運ぶ。
「重くないか」
「好きです。……カスミソウみたいに、そばにいる重さ」
彼の睫毛が、かすかに震えた。
言葉が遅れる人の、間にあるやさしさ。
リディアは小瓶の位置をほんの少し中央へ寄せ、ベンチの上の“二人分”を見える形に整える。
「コンラッド様」
呼びかける声は、露の音より少しだけ大きく。
「よろしければ、今日——コンラッド様のお部屋に、カスミソウを一枝。……置かせていただいても?」
彼はすぐに頷かない。言葉を探す癖のぶんだけ、風がひと筋通る。
やがて、低く確かな言葉が置かれた。
「——許す」
ルフが胸をふくらませ、一声。
許しは、歓迎と同じ重さで胸に灯る。
リディアは袖口をきゅっと握り、勇気をひとつすくって続けた。
「それから……よければ、カップに、わたしの“音”を置かせてください。洗う音でも、拭く音でも。あの、ほんの少しで」
「来るなら、盆は音の小さいものに替える」
彼は即座に整えの言葉を落とし、それからわずかに照れたように続ける。
「だが、少しは、残す。——君が来たと分かる音を」
胸の真ん中がふうっと温かくなる。
派手ではない約束。けれど、生活の芯に灯る約束。
ルフがカスミソウの茎を一本くわえ、ベンチの背で器用に小さな輪を作る。白い輪は、今日の“半分こ”の印。
リディアはその輪を受け取り、コンラッドの胸ポケットのすみれのそばへそっと添えた。
指先が近く、触れない距離で止まる。止めどころは、昨日より近い。
彼の呼吸が、一拍だけ遅れて整う。
「——ありがとう」
「こちらこそ。……支える白、似合います」
別れ際、扉の前で、彼が短く言う。
「今日の午後、部屋に置く場所を作る。窓と机のあいだに」
それから、ほんの少しだけ笑った。
「二つ目のカップの隣だ」
「はい。わたし、その隣に、音を置きます」
晴れた空の下、カスミソウの白がひときわ明るい。
触れない距離で、でもたしかに寄り添って、支える白を半分こにする。
小鳥だけが、ふたりの生活に増えた“二つ目”の意味を知っている。
その夜——
広い書斎。窓と机のあいだに、布を敷いた小さな台。小瓶が一つ。
二つ目のカップは、湯気をやさしく掲げるだけの仕事を覚えた。
盆は音の小さいものに替え、拭う布は柔らかいレースの端切れを一枚。
コンラッドは灯りの高さを一段落とし、椅子を“並ぶ角度”に少しだけずらしてから、紙片に一行だけ残した。
——机と窓の間に、君の白を置いた。二つ目のカップが、空席のまま温かい。
カスミソウの小枝が風にふるふると震え、露の鈴は控えめに鳴る。
ルフは胸をふくらませ、小さな包みをくわえてベンチの背に着地した。包みの口はレースで、首には細い生成りのリボン。
扉の陰で、リディアは襟元のレースを押さえ、包みを両手にのせて“伺う”。
黒の外套、整った線。コンラッドは今日は少しだけ目の下に影を落としている——けれど、足取りは迷わない。
近づく気配に、彼は立ち上がるまでの一拍を、いつもより短くした。
「おはようございます、コンラッド様」
「ああ。……晴れた」
リディアは“とことこ”と近づき、ベンチの端にちょこん。袖口をきゅっと握る小動物の姿勢で、包みを膝へ。
視線だけで“伺う”と、彼は目で「いい」と言う。言葉はあとから来る、いつもの順番。
「小さな……手土産を。派手ではないけれど、そばにいる花です」
包みのレースをほどくと、カスミソウの束が現れた。ごく細い茎に、小さな白のつぶが星の粉みたいに群れている。
ルフが嬉しげに一声。くちばしで生成りのリボンをつついて“ここに”と示す。
「支える花、だな」
彼は片手で束を受け取り、もう片方の手で白い小瓶を出した。——ベンチの下、彼が置いておいた小さな備え。
水を注ぎ、茎の長さを目で測り、刃の当たりを慎重に“伺う”みたいに角度を決める。切り口は斜め、束ねはゆるく。
小瓶の首に、リディアが持ってきたレースの端を沿わせる。結び目を作る前に、彼の表情を“伺う”。
視線は、やさしい許可の形をしている。
「——この結びは、ほどけにくい」
「はい。ほどけたい時は、いっしょにほどけます」
結び目が、かすかに鳴った気がした。
カスミソウの白が、ベンチの木目の上で静かにひかる。
「昨夜、二つ目のカップに初めて茶を注いだ」
彼はふと、空を見上げずに言った。「君のいない方の席に、湯気だけを置いた。——空席が、空席のまま温かかった」
胸の奥がきゅっとなって、リディアは首をこてん。
「嬉しいです。……支度の音が、きっとお部屋を短くしましたね」
「短く、なった」
彼は素直に肯定する。「音が進む先を、想像できた」
ルフがベンチの背で羽づくろいしながら、板目を“とん”と二度。合図。
リディアは半歩、真ん中へ。届きそうで、届かない最短の“そば”。袖口のレースが彼の視界に入るところで止まる。
視線で“伺う”。瞳で「いい?」を問う。息で「だめなら戻る」を伝える。
コンラッドは空中で止めていた手を——止めない。
小瓶の置き場所を整えるふりで、ひざ掛けの上、彼女の手袋の甲へ、そっと指先を載せた。
重さは羽より軽い。けれど、確かな“いる”を運ぶ。
「重くないか」
「好きです。……カスミソウみたいに、そばにいる重さ」
彼の睫毛が、かすかに震えた。
言葉が遅れる人の、間にあるやさしさ。
リディアは小瓶の位置をほんの少し中央へ寄せ、ベンチの上の“二人分”を見える形に整える。
「コンラッド様」
呼びかける声は、露の音より少しだけ大きく。
「よろしければ、今日——コンラッド様のお部屋に、カスミソウを一枝。……置かせていただいても?」
彼はすぐに頷かない。言葉を探す癖のぶんだけ、風がひと筋通る。
やがて、低く確かな言葉が置かれた。
「——許す」
ルフが胸をふくらませ、一声。
許しは、歓迎と同じ重さで胸に灯る。
リディアは袖口をきゅっと握り、勇気をひとつすくって続けた。
「それから……よければ、カップに、わたしの“音”を置かせてください。洗う音でも、拭く音でも。あの、ほんの少しで」
「来るなら、盆は音の小さいものに替える」
彼は即座に整えの言葉を落とし、それからわずかに照れたように続ける。
「だが、少しは、残す。——君が来たと分かる音を」
胸の真ん中がふうっと温かくなる。
派手ではない約束。けれど、生活の芯に灯る約束。
ルフがカスミソウの茎を一本くわえ、ベンチの背で器用に小さな輪を作る。白い輪は、今日の“半分こ”の印。
リディアはその輪を受け取り、コンラッドの胸ポケットのすみれのそばへそっと添えた。
指先が近く、触れない距離で止まる。止めどころは、昨日より近い。
彼の呼吸が、一拍だけ遅れて整う。
「——ありがとう」
「こちらこそ。……支える白、似合います」
別れ際、扉の前で、彼が短く言う。
「今日の午後、部屋に置く場所を作る。窓と机のあいだに」
それから、ほんの少しだけ笑った。
「二つ目のカップの隣だ」
「はい。わたし、その隣に、音を置きます」
晴れた空の下、カスミソウの白がひときわ明るい。
触れない距離で、でもたしかに寄り添って、支える白を半分こにする。
小鳥だけが、ふたりの生活に増えた“二つ目”の意味を知っている。
その夜——
広い書斎。窓と机のあいだに、布を敷いた小さな台。小瓶が一つ。
二つ目のカップは、湯気をやさしく掲げるだけの仕事を覚えた。
盆は音の小さいものに替え、拭う布は柔らかいレースの端切れを一枚。
コンラッドは灯りの高さを一段落とし、椅子を“並ぶ角度”に少しだけずらしてから、紙片に一行だけ残した。
——机と窓の間に、君の白を置いた。二つ目のカップが、空席のまま温かい。
0
あなたにおすすめの小説
ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように
柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」
笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。
夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。
幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。
王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。
元恋人が届けた、断りたい縁談
待鳥園子
恋愛
シュトルム辺境伯の末娘ソフィに隣国の帝国第二皇子から届けられた『縁談』の使者は、なんと元恋人のジョサイアだった。
手紙ひとつで別れることになったソフィは、素直になれずジョサイアから逃げ回る。
「私に届けなければ、彼は帝国に帰ることが出来ない」
そう思いようやく書状を受け取ろうと決意したソフィに、ジョサイアは何かを言い掛けて!?
【完結】無口な旦那様は妻が可愛くて仕方ない
ベル
恋愛
旦那様とは政略結婚。
公爵家の次期当主であった旦那様と、領地の経営が悪化し、没落寸前の伯爵令嬢だった私。
旦那様と結婚したおかげで私の家は安定し、今では昔よりも裕福な暮らしができるようになりました。
そんな私は旦那様に感謝しています。
無口で何を考えているか分かりにくい方ですが、とてもお優しい方なのです。
そんな二人の日常を書いてみました。
お読みいただき本当にありがとうございますm(_ _)m
無事完結しました!
地味令嬢、婚約者(偽)をレンタルする
志熊みゅう
恋愛
伯爵令嬢ルチアには、最悪な婚約者がいる。親同士の都合で決められたその相手は、幼なじみのファウスト。子どもの頃は仲良しだったのに、今では顔を合わせれば喧嘩ばかり。しかも初顔合わせで「学園では話しかけるな」と言い放たれる始末。
貴族令嬢として意地とプライドを守るため、ルチアは“婚約者”をレンタルすることに。白羽の矢を立てたのは、真面目で優秀なはとこのバルド。すると喧嘩ばっかりだったファウストの様子がおかしい!?
すれ違いから始まる逆転ラブコメ。
完結·婚約破棄された氷の令嬢は、嫁がされた枯れおじのもとで花開く
禅
恋愛
ティリアは辺境にある伯爵の娘であり、第三王子ガフタの婚約者であった。
だが、この婚約が気に入らないガフタは学園生活でティリアを冷遇し、卒業パーティーで婚約破棄をする。
しかも、このまま実家に帰ろうとするティリアにガフタは一回り以上年上の冴えないおっさん男爵のところへ嫁ぐように命令する。
こうしてティリアは男爵の屋敷へと向かうのだが、そこにいたのは……
※完結まで毎日投稿します
※小説家になろう、Nolaノベルにも投稿中
物置部屋に追いやられた伯爵令嬢ですが、公爵様に見初められて人生逆転しました〜妹の引き立て役だったのに、今では社交界の花と呼ばれています〜
丸顔ちゃん。
恋愛
伯爵家の令嬢セレナは、実母の死後、継母と義妹に虐げられて育った。
与えられた部屋は使用人以下の物置、食事は残飯、服はボロ。
専属侍女も与えられず、家の運営や帳簿管理まで押し付けられ、
失敗すれば鞭打ち――それが彼女の日常だった。
そんなある日、世間体のためだけに同行させられた夜会で、
セレナは公爵家の跡取りレオンと出会う。
「あなたの瞳は、こんな場所に閉じ込めていいものではない」
彼はセレナの知性と静かな強さに一瞬で心を奪われ、
彼女の境遇を知ると激怒し、家族の前で堂々と求婚する。
嫁ぎ先の公爵家で、セレナは初めて“人として扱われ”、
広い部屋、美味しい食事、優しい侍女たちに囲まれ、
独学で身につけた知識を活かして家の運営でも大活躍。
栄養と愛情を取り戻したセレナは、
誰もが振り返るほどの美しさを開花させ、
社交界で注目される存在となる。
一方、セレナを失った伯爵家は、
彼女の能力なしでは立ち行かず、
ゆっくりと没落していくのだった――。
虐げられた令嬢が、公爵の愛と自分の才能で幸せを掴む逆転物語。
今宵、薔薇の園で
天海月
恋愛
早世した母の代わりに妹たちの世話に励み、婚期を逃しかけていた伯爵家の長女・シャーロットは、これが最後のチャンスだと思い、唐突に持ち込まれた気の進まない婚約話を承諾する。
しかし、一か月も経たないうちに、その話は先方からの一方的な申し出によって破談になってしまう。
彼女は藁にもすがる思いで、幼馴染の公爵アルバート・グレアムに相談を持ち掛けるが、新たな婚約者候補として紹介されたのは彼の弟のキースだった。
キースは長年、シャーロットに思いを寄せていたが、遠慮して距離を縮めることが出来ないでいた。
そんな弟を見かねた兄が一計を図ったのだった。
彼女はキースのことを弟のようにしか思っていなかったが、次第に彼の情熱に絆されていく・・・。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる