月銀の温室 ーー触れない距離で、戻らない手を学ぶ。甘くて切ないじれじれ溺愛(年上寡黙×健気)

星乃和花

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第九話 霞草の手土産(カスミソウ)

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 朝の星庭は、雲の白さを少し分けてもらったみたいに明るい。
 カスミソウの小枝が風にふるふると震え、露の鈴は控えめに鳴る。
ルフは胸をふくらませ、小さな包みをくわえてベンチの背に着地した。包みの口はレースで、首には細い生成りのリボン。

 扉の陰で、リディアは襟元のレースを押さえ、包みを両手にのせて“伺う”。
 黒の外套、整った線。コンラッドは今日は少しだけ目の下に影を落としている——けれど、足取りは迷わない。
 近づく気配に、彼は立ち上がるまでの一拍を、いつもより短くした。

「おはようございます、コンラッド様」

「ああ。……晴れた」

 リディアは“とことこ”と近づき、ベンチの端にちょこん。袖口をきゅっと握る小動物の姿勢で、包みを膝へ。
 視線だけで“伺う”と、彼は目で「いい」と言う。言葉はあとから来る、いつもの順番。

「小さな……手土産を。派手ではないけれど、そばにいる花です」

 包みのレースをほどくと、カスミソウの束が現れた。ごく細い茎に、小さな白のつぶが星の粉みたいに群れている。
 ルフが嬉しげに一声。くちばしで生成りのリボンをつついて“ここに”と示す。

「支える花、だな」

 彼は片手で束を受け取り、もう片方の手で白い小瓶を出した。——ベンチの下、彼が置いておいた小さな備え。
 水を注ぎ、茎の長さを目で測り、刃の当たりを慎重に“伺う”みたいに角度を決める。切り口は斜め、束ねはゆるく。
 小瓶の首に、リディアが持ってきたレースの端を沿わせる。結び目を作る前に、彼の表情を“伺う”。
 視線は、やさしい許可の形をしている。

「——この結びは、ほどけにくい」

「はい。ほどけたい時は、いっしょにほどけます」

 結び目が、かすかに鳴った気がした。
 カスミソウの白が、ベンチの木目の上で静かにひかる。

「昨夜、二つ目のカップに初めて茶を注いだ」
 彼はふと、空を見上げずに言った。「君のいない方の席に、湯気だけを置いた。——空席が、空席のまま温かかった」

 胸の奥がきゅっとなって、リディアは首をこてん。
「嬉しいです。……支度の音が、きっとお部屋を短くしましたね」

「短く、なった」
 彼は素直に肯定する。「音が進む先を、想像できた」

 ルフがベンチの背で羽づくろいしながら、板目を“とん”と二度。合図。
 リディアは半歩、真ん中へ。届きそうで、届かない最短の“そば”。袖口のレースが彼の視界に入るところで止まる。
 視線で“伺う”。瞳で「いい?」を問う。息で「だめなら戻る」を伝える。

 コンラッドは空中で止めていた手を——止めない。
 小瓶の置き場所を整えるふりで、ひざ掛けの上、彼女の手袋の甲へ、そっと指先を載せた。
 重さは羽より軽い。けれど、確かな“いる”を運ぶ。

「重くないか」

「好きです。……カスミソウみたいに、そばにいる重さ」

 彼の睫毛が、かすかに震えた。
 言葉が遅れる人の、間にあるやさしさ。
 リディアは小瓶の位置をほんの少し中央へ寄せ、ベンチの上の“二人分”を見える形に整える。

「コンラッド様」
 呼びかける声は、露の音より少しだけ大きく。
「よろしければ、今日——コンラッド様のお部屋に、カスミソウを一枝。……置かせていただいても?」

 彼はすぐに頷かない。言葉を探す癖のぶんだけ、風がひと筋通る。
 やがて、低く確かな言葉が置かれた。

「——許す」

 ルフが胸をふくらませ、一声。
 許しは、歓迎と同じ重さで胸に灯る。
 リディアは袖口をきゅっと握り、勇気をひとつすくって続けた。

「それから……よければ、カップに、わたしの“音”を置かせてください。洗う音でも、拭く音でも。あの、ほんの少しで」

「来るなら、盆は音の小さいものに替える」
 彼は即座に整えの言葉を落とし、それからわずかに照れたように続ける。
「だが、少しは、残す。——君が来たと分かる音を」

 胸の真ん中がふうっと温かくなる。
 派手ではない約束。けれど、生活の芯に灯る約束。

 ルフがカスミソウの茎を一本くわえ、ベンチの背で器用に小さな輪を作る。白い輪は、今日の“半分こ”の印。
 リディアはその輪を受け取り、コンラッドの胸ポケットのすみれのそばへそっと添えた。
 指先が近く、触れない距離で止まる。止めどころは、昨日より近い。

 彼の呼吸が、一拍だけ遅れて整う。
「——ありがとう」

「こちらこそ。……支える白、似合います」

 別れ際、扉の前で、彼が短く言う。

「今日の午後、部屋に置く場所を作る。窓と机のあいだに」
 それから、ほんの少しだけ笑った。
「二つ目のカップの隣だ」

「はい。わたし、その隣に、音を置きます」

 晴れた空の下、カスミソウの白がひときわ明るい。
 触れない距離で、でもたしかに寄り添って、支える白を半分こにする。
 小鳥だけが、ふたりの生活に増えた“二つ目”の意味を知っている。

 その夜——

 広い書斎。窓と机のあいだに、布を敷いた小さな台。小瓶が一つ。
 二つ目のカップは、湯気をやさしく掲げるだけの仕事を覚えた。
 盆は音の小さいものに替え、拭う布は柔らかいレースの端切れを一枚。
 コンラッドは灯りの高さを一段落とし、椅子を“並ぶ角度”に少しだけずらしてから、紙片に一行だけ残した。



——机と窓の間に、君の白を置いた。二つ目のカップが、空席のまま温かい。
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