花の王都の策士は、言い訳が多い(わたしの、いちばん好きなローラン様です)

星乃和花

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第2話 最適化デート、初回は失敗する仕様です

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 花祭まで、あと数日。

 花の王都リリシアは、朝から晩まで浮き足立っていた。
 けれど、フロレアル家の執務室だけは、ある意味いつも通り――いや、いつも以上に張りつめていた。

「参事官、それはもう、戦時中の行軍表では」

 机に肘をつきながら、カミーユが呆れた声を漏らす。

 ローランの前には、一枚の紙が広げられていた。
 横軸には時間、縦軸には場所とイベント。びっしりと書き込まれた文字列の上に、赤と青の線が緻密な軌道を描いている。

 ページ上部には、やはり太字でこう記されていた。

 《本日行程:花通り散策デート・最適化案》

「行軍表ではない。デートだ」

「デートに『移動時間は平均歩幅×歩数で算出』『人混み率予測』『休憩ポイント候補A~C』は必要でしょうか」

「必要だ。彼女を不要に疲れさせるわけにはいかん」

 ローランは真顔だった。

 デートで重要なのは、雰囲気と感情の流れ――らしい。
 それは本を読んで知っている。実際、彼は恋愛指南書をこっそり数冊、読み込んでいる。

 だが、どれも「自然体で」「ありのままの自分で」という、彼にとってもっとも頼りにならない助言を推奨してくるのだ。

 策士の「自然体」とは、すなわち「過度な観察と分析と調整」である。
 それを丸出しにするわけにはいかない。
 ゆえに――一度、紙の上で全部出しておく必要があるのだ。

「……何度でも言いますが、参事官」

 カミーユは、紙の一部を指でトントンと叩いた。

「この『手をつなぐ/つながない』の分岐表は、完全にやりすぎです」

「リスク管理だ」

「“つなぐ→彼女が驚く→手を離す→気まずい”“つながない→後悔する→今夜眠れない”って、参事官のメンタルの分岐ですよね」

 図の端には、“最悪ケース:雨天+人混み+親族出現”という文字が見える。
 その下には、小さく「※本日はそこまで悪い乱数は出ない、と信じたい」と書き足されていた。

「……俺だって、何もかも計画で縛りたいわけではない」

「でしたら、せめて“びっしりの計画書を持っている”ことがバレないようにしてください」

 カミーユの正論に、ローランは小さく咳払いをした。

「今日は『自然体ふう』だ。昨日、彼女にもそう宣言してしまったからな」

「自然体“ふう”って言っている時点で、もう自然ではない気がしますが……まあ、いいです。
 とにかく、その紙は内ポケットの奥にしまっておいてください。途中で落とさないように」

「昨日は、手帳は落としていない」

「スケジュール表を落としていました」

「……それは、忘れていい」

 ローランは、紙を丁寧に三つ折りにすると、ジャケットの内側に滑り込ませた。

 自然体、という概念は、彼にとって理解しづらい。
 だが、リリアンヌが「自然体のローラン様も、きっと素敵です」と微笑んだあの場面を思い出すと――試してみようという気持ちにも、少しだけなるのだった。

 ***

 花通りは、今日も花で溢れていた。

 花屋の店先には、色とりどりの花束が山積みになり、道の両側には仮設の屋台が並んでいる。
 花冠、押し花の栞、花の香水、花を模した菓子。視界のどこを向いても「花」だらけだ。

「ローラン様!」

 花通りの入口で、リリアンヌが手を振っていた。

 今日は淡い空色のドレスに、白いリボンの帽子。
 胸元には、小さな花形のブローチが揺れている。

「……似合っている」

 思わず本音がこぼれた。
 自分でも驚いて、少しだけ目を瞬く。

「え?」

「……空と、道の色と、よく合っている」

 慌てて補足を付け足す。
 彼には珍しく「可愛い」などという言葉が出てこなかったが、リリアンヌは嬉しそうに頬を染めた。

「ありがとうございます。
 花通りを歩くと聞いて、空色ならどんなお花とも喧嘩しないかなと思って。……最適化、してみました」

 最後の一言に、ローランの口元がわずかに緩む。

「君が使うと、その言葉も柔らかく聞こえるな」

「そうでしょうか?」

「ああ。……行こうか」

 並んで歩き出す。
 人の流れをさりげなく観察しながら、ローランは紙に書いた行程を頭の片隅でなぞった。

 ――花市場のミニ屋台を冷やかす。
 ――中ほどの広場で、休憩を兼ねて軽食。
 ――最後に、花カフェで甘いもの。

 その間に、「さりげない歩幅合わせ」「荷物を持つ」「日陰側への誘導」など、細かい気遣いポイントが散りばめられている。

「わぁ、見てください。あの花瓶、小さな家みたいです」

 リリアンヌが、屋台のひとつに駆け寄る。
 花瓶の口が家の屋根の形になっていて、煙突からは、細い蔓植物がひょろりと伸びていた。

「家から花が咲いているみたいで、かわいい……」

「君の部屋に置くのも悪くないな。窓辺に」

「いいのでしょうか?」

「花祭の記念くらい、構わない」

 屋台の親父が、にやりと笑う。

「お二人さん、仲睦まじいことで」

「ち、違――」

「仲睦まじい、ですか?」

 ローランが否定しきる前に、リリアンヌが純粋な顔で首をかしげる。

「そう見えますか? でしたら、善き最適化ができているのかもしれません」

「……善き最適化」

「はい。ローラン様の“段取り”のおかげで、わたし、あまり困らないでいられますから」

 屋台の親父が「ほらな」と言いたげな目でローランを見た。

「お嬢さんも幸せそうだし、いい男捕まえたな」

「いえ、捕まえていただいたのは、わたしのほうで……」

 どちらも完全に真面目なので、ローランだけが内心で盛大に狼狽えている。

 ――まずい。デート序盤から、精神的負荷が予定値を超えている。

 買い物を済ませると、ローランはさりげなく花瓶の包みを持った。

「それは俺が持つ。重さの配分を考えれば――」

「ありがとうございます。
 ローラン様は、本当に何でも最適化なさるのですね。重さまで」

「……職業病だ」

 言うと、リリアンヌはふんわりと笑った。

「わたし、自分ではあまり考えられないので、助かっています。
 でも、ローラン様が疲れてしまわないか、すこし心配です」

 心配されてしまった。

 “彼女に余計な心配をかけない”は、本日の目標のひとつだった。
 それなのに、どうも彼のやることなすことが、全部「過剰に気を遣っている人」に見えているらしい。

 ――落ち着け。ここから挽回すればいい。

「疲れてはいない。計画を立てるのは、むしろ楽だ」

「楽なのですか?」

「ああ。何も決まっていないほうが、苦手だ」

「……そういうものなのですね。
 わたしは、逆かもしれません。何も決まっていないほうが、気が楽で」

「それは、なぜだ?」

「決めてしまったら、間違えてはいけない気がして。
 でも、何も決まっていないなら、間違えても、ただの寄り道かなって思えるので」

 ローランは、一瞬だけ言葉を失った。

 間違えてはいけない、という感覚は、彼にもよくわかる。
 むしろ、その恐怖心があるからこそ、計画を何重にも重ねてきた。

「……君は、間違えたいのか?」

「いえ、できれば……間違えたくないです。
 でも、どうしても、間違えてしまう気がして。おっとりしていますから」

 自嘲気味に笑うその横顔に、ローランは少しだけ眉をひそめた。

「君のおっとりは、間違いではない」

「え?」

「むしろ、周囲の速度を落として、全体の安全を確保している」

「安全……?」

「速すぎる流れは、事故のもとだ。
 君がいることで、歩幅を合わせようとする人間が増える。……統計を取れば、きっとそうだ」

 完全に職務目線だったが、ローランなりの最大級の賛辞でもあった。

 リリアンヌは一瞬ぽかんとしてから、ふわっと笑った。

「ローラン様の仰ることは、難しいのに、やさしいです」

「難しいのか、やさしいのか、どちらだ」

「両方です。
 おっとりしているわたしのことを、『遅い』とか『邪魔』とか言う人もいるので……。
 安全って言っていただけると、少し胸が楽になります」

 その言葉に、ローランの胸がじん、と熱くなった。

 ――やはり、間違いなく守らねばならない。

 彼は、紙に書いていた「歩幅合わせ」の項目に、自分の中でチェックマークをつけた。
 予定していた以上に、今日は彼女の歩幅に意識を合わせよう、と。

 ***

 花通りの中ほどにある小さな広場で、一休みすることにした。

 ベンチに腰掛けると、すぐそばの屋台から、甘い香りが漂ってくる。
 花型の焼き菓子と、花蜜を薄めたジュース。
 露店の少年が、声を張り上げていた。

「ローラン様、あれ……!」

 リリアンヌの視線は、完全に菓子にロックオンされていた。

「行くか?」

「よろしいのでしょうか?」

「糖分の補給は、疲労回復に有効だ」

 ローランの返答は、どうあっても色気よりも実利寄りになる。

 屋台で菓子を二つ選び、ジュースもふたつ。
 ローランは手際よく支払いをすませ、リリアンヌに一つずつ手渡した。

「ありがとうございます。
 このお花、形はバラなのに、味はレモンなのですね。ちょっと不思議」

「見た目と中身が違うのは、よくあることだ」

「ローラン様も、そうですか?」

「……どういう意味だ」

「見た目はとてもきちんとしていらっしゃるのに、内側は、作戦や保険でいっぱいなんでしょう?」

 図星を刺されて、ローランはジュースをむせかけた。

「なぜそう思う」

「なんとなく、です。
 この前も、花時計のときも、きっとたくさん考えて、言葉を選んでくださったんだろうなって感じたので」

 彼女の直感は、たまに鋭すぎる。

 ローランは、手にした菓子を見つめた。
 バラの形をしているのに、レモンの香りがする。
 自分も、外側からは「冷静な策士」としてしか見られていないが、中身は想像以上に小心者である。

「……考えすぎるのは、悪い癖だ」

「わたしは、好きです」

 リリアンヌは、迷いなく言った。

「考えすぎてしまう人は、きっと、誰かを傷つけたくないのだろうなって。
 ローラン様の計画は、いつも、誰かが楽に息ができるようになっている気がします」

 胸の奥が、じわりと温かくなる。

 彼の計画は、しばしば「やりすぎ」と言われる。
 けれど、彼にとっては、それが「安心を売る仕事」でもあった。
 自分の安心も、相手の安心も、できるだけ確保しておきたい。

「……君は、よく見ているな」

「そうでしょうか? ぼんやりしているってよく言われます」

「ぼんやりしている人間は、そんなふうには言えない」

「では、ふんわり、でしょうか」

「……そうだな。ふんわり、は合っている」

 お互いに笑い合ったところで、広場に時計の鐘が鳴り響いた。
 そろそろ、最後の目的地――花カフェへ向かう時間だ。

 ***

 花通りのはずれに、小さなカフェがある。

 店内には、天井から下げられたドライフラワーと、壁一面の蔦。
 窓際の席からは、通りを行き交う人と花がよく見える。

「わぁ……。ここ、秘密基地みたいです」

 リリアンヌが目を輝かせる。

「ここの花蜜ティーは、評判がいい」

「ローラン様、よくご存じなのですね」

「花祭の協賛店だ。資料で見ただけだ」

 本当は、過去に視察兼ねて一度来たことがある。
 だが、「ひとりで下見しておいた」と告げるのは、さすがに恥ずかしかった。

 窓際の席に腰を下ろすと、店員が花型のメニューを持ってきた。

「おすすめは、季節の花蜜ティーと、花びらクッキーの盛り合わせになります」

「花びらクッキー……!」

 リリアンヌが食いつくのを横目に見ながら、ローランはメニューを一瞥した。

「では、それを二人分」

「はい、かしこまりました」

 注文を終え、ふと窓の外を見ると、通りの花飾りが風に揺れている。
 リリアンヌは、それを嬉しそうに眺めていた。

「……こうして、ゆっくり座るのは、久しぶりです」

「忙しかったか」

「はい。花祭前は、家のほうも、お客様が増えますから。
 でも、忙しいのは嫌いではありません。たくさんの方が、楽しみにしてくださっている証拠ですから」

 彼女の言葉には、少しだけ誇らしさが滲んでいた。

「だからこそ、今日みたいな時間が、とても贅沢に感じます。
 ローラン様は、こういう時間も、お好きですか?」

 唐突に向けられた問いに、ローランは一瞬答えに詰まった。

 好きか、と聞かれて、即座に「好きだ」と言うのは、彼の性格上難しい。
 けれど。

「……嫌いではない」

 それは、彼にしてはかなり素直なほうの言葉だった。

「嫌いではない、ですか?」

「ああ。……いや、その。
 君が、嬉しそうだから、悪くないと思う」

 正面から出てきた本音に、リリアンヌの頬がぱあっと明るくなる。

「わたしが嬉しそうだから、ですか?」

「……あまり、繰り返すな」

「ふふ。なんだか、胸のあたりが、あたたかくなりました」

 彼女が胸に手を当てて微笑むのを見て、ローランの胸も同じように温かくなる。

 その瞬間だけは、彼の頭の中の行程表は、完全に真っ白になっていた。

 花蜜ティーとクッキーが運ばれてきて、柔らかな甘い香りが漂う。
 窓辺の席に差し込む午後の光の中で、二人はしばらく、ほんのささやかな他愛ない話を続けた。

 家族のこと。好きな花のこと。
 リリアンヌが、レースとリボンに目がないこと。
 ローランが、意外と辛いものが苦手なこと。

 笑い合ううちに、時間はあっという間に過ぎていった。

 ***

 カフェを出る頃には、空は少しだけ茜色に染まり始めていた。

「今日は、本当に楽しかったです。
 ローラン様が、こんなふうにご一緒してくださるなんて、思っていなかったので」

「……それは、どういう意味だ」

「いつもお仕事でお忙しそうでしたから。
 わたし、お役に立てるように頑張らなきゃと思っていて、その……“お邪魔”にならないようにと」

 お邪魔。
 その言葉に、ローランは眉を寄せた。

「君が邪魔だったことなど、一度もない」

「そう、でしょうか?」

「ああ。むしろ――」

 ……むしろ、君がいることで、自分の仕事の意味が、少しだけ違って見える。
 そう言えたら、どれほど簡単だろう。

 喉まで出かかった言葉は、やはり「プライド」と「照れ」と「慣れていない」の三重結界に阻まれて、別の形に変わる。

「むしろ、君が楽しそうにしているのを見ると、計画を立てた甲斐があったと思う」

「計画を……」

「今日は、その……自然体、を目指したつもりだが」

 最後のあたりは、半分以上小声だった。

「自然体、でしたか?」

「……不満か」

「いえ、とても素敵でした。
 でも、少しだけ、いつもより、『よく考えていらっしゃるのだろうな』という感じはしました」

「それは自然体とは言わないな」

「ふふ。ローラン様の自然体は、『よく考えていらっしゃる』状態なのだと思います」

 リリアンヌは、ふわりと笑った。

「わたし、今日、ひとつだけわかったことがあるんです」

「何だ?」

「ローラン様は、誰かのために考えるのが、お好きなのですね」

 ローランは一瞬、言葉を失った。

 それは、彼が自分自身に対してさえ、なかなか認められなかったことだ。
 「好きだからやっている」と言ってしまうと、途端に照れくさくなる。
 だからいつも、「職務だから」「必要だから」と言い換えてきた。

「……そう、かもしれない」

 それでも、今日はなぜか、否定する気になれなかった。

「君がそう言うなら、そういうことにしておこう」

「はい。
 では、これからも、わたしのことも、たくさん考えていただけますか?」

 無邪気なお願いに、ローランの心臓が派手に跳ねた。

「……それは、もう、すでに」

「すでに?」

「いや。なんでもない」

 どうしても、あと一歩が出てこない。
 その“あと一歩”を出せない自分を、内心で少しだけ情けなく思いながらも――どこかで、ぎりぎりに立っているこの感覚を、嫌いになりきれない自分もいる。

 別れ際、リリアンヌがふと振り返った。

「ローラン様」

「何だ」

「もし、また……今日みたいな最適化デートがありましたら」

「……最適化デート」

「はい。
 そのときは、わたしも、少しだけ、ローラン様の“自然体”をお手伝いしてもいいですか?」

「どうやってだ」

「たとえば――」

 リリアンヌは、少しだけ距離を詰めて、そっと彼の歩幅に自分の歩幅を合わせた。

「こうして、一緒に歩いてみるとか」

 ローランは、数秒遅れてから、その意味を理解した。

 心臓が大きく跳ねる。
 うまく息ができない。

「……それは、かなり、有効な手法だ」

「ふふ。では、また今度も、試してみましょうね」

 そう言って微笑む彼女を見ていると、「自然体」がなんであるか、ほんの少しだけわかったような気がした。

 ***

 その夜。

 ローランは、机の上に広げた紙を見つめていた。

 《本日行程:花通り散策デート・最適化案》

 びっしりと書き込まれた行程表の端には、新たなメモが書き足されている。

 ――結果:
  計画通りに進行した部分もあるが、予定外の会話・行動が多発。
  しかし、予期せぬ瞬間に、彼女の笑顔と本音を引き出せた。
 ――評価:
  成功率70%。
  「自然体ふう」の導入としては、及第点。
 ――今後の課題:
  言葉の選択において、「職務的説明」と「感情的本音」のバランス調整が必要。

 さらに、ひとつの項目が追加される。

 ――新規作戦候補:
  ・人混み時の庇い動作を用いた距離調整。
   台詞案:「覚悟しておけ」。
   ※ただし、命の話に誤解されるリスクあり。言い換えパターン要検討。

 ローランは、その一文に印をつけると、ペンを置いた。

「……覚悟しておけ、か」

 窓の外では、花祭を待つ花々が、静かに夜風に揺れている。

 次に彼がその言葉を口にするとき、
 それが「命」の話ではなく、もっと別の何かの覚悟を促すものになるとは――

 この時点の彼は、まだ知らない。

 ただひとつだけ確かなのは。
 すでに彼の心の中では、「リリアンヌのとなりを考える時間」が、日々のどんな案件よりも大きな割合を占め始めている――という事実だった。
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