看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった

星乃和花

文字の大きさ
13 / 36

13:看病は終了

しおりを挟む
翌朝。

リィナは自室のベッドで目を覚ました。
ちゃんと帰って、ちゃんと眠った。——はずなのに、胸の奥が落ち着かない。

昨夜の「おやすみ」が、耳に残っている。
当主の声で返ってきた「おやすみ」。それは礼だと言われても、礼にしては、温度があった。

(起きている時間まで……)

自分でそう考えて、頬が少し熱くなる。
捕獲は進んでいる。
でも、昨日は檻ではなく扉のある部屋だった。

——扉があるなら、自分で出入りを決められる。
そう思いたい。

リィナは身支度を整え、台所へ向かった。
いつもの朝。いつもの鍋。いつもの手順。

……なのに。

鍋の火の揺れを見ても、心が落ち着かない。
視界の端に、あの部屋の弱い灯りがちらつく。

「リィナ」

侍女長が現れて、リィナは背筋を伸ばした。

「はい」

侍女長はリィナの顔を見て、少しだけ眉を上げた。

「……浮ついてる」

一言で刺される。

「う、浮ついてません」

即座に否定した声が、あまりにも早くて、自分で自分が恥ずかしい。

侍女長はため息をつき、声を落とした。

「当主がね。今朝、執事に言ったの」

リィナの胸が跳ねる。

「……何と」

侍女長は短く言った。

「“リィナの休みは、俺の休みになった”って」

リィナは固まった。

休みが、当主の休み。
つまり、彼は——彼女がそこにいるだけで、心が休むと言ったのだ。

「……それは」

言葉が出ない。

侍女長は視線を鋭くして続ける。

「しかも、こうも言った。——“休ませるなら、毎日でもいい”って」

リィナの背中が冷たくなる。

毎日。
またその言葉。

侍女長はリィナの肩に手を置いた。

「リィナ。あなたは優しい。……だから、引き込まれる」

優しい、は便利な鎖だ。
自分でも分かっている。

「当主が悪いと言いたいわけじゃない。でも、当主は“持っている人”なの。権力も、時間も、言葉も。……あなたが同じ土俵で戦うのは難しい」

リィナは唇を噛む。

「……私、戦いたいわけじゃありません」

侍女長は頷いた。

「分かってる。だからこそ、余計に危ないの」

戦わない人は、守ると言われて取り込まれる。
リィナはその意味が痛いほど分かる。

侍女長は低く言った。

「あなたの“枠”を忘れないで。あなたの条件。あなたの休み。あなたの生活」

リィナは小さく頷いた。

「はい」



昼。

当主から呼び出しが来た。

執事の案内で廊下を歩く。
今日は、心臓が昨日よりうるさい。

扉が開く。

当主は机に座っていた。
書類がある。だが山ではない。執事の管理が効いているのだろう。

当主は顔を上げるなり、淡々と告げた。

「昨日、よく休めたか」

胸が跳ねる。

「……はい。休めました」

当主は頷く。

「なら、今日の提案だ」

提案。
また相談の形。

リィナは身構えた。
提案は、優しい檻にもなる。

当主は紙を一枚差し出した。
そこには短い箇条書き。

・看病は終了(医師の許可)
・しかし“休養係”として、週に二回、当主の部屋で茶を淹れる
・時間は夕方一時間
・仕事として正式に割り当てる(侍女長承認)

リィナは目を見開いた。

「……休養係」

当主は淡々と頷く。

「お前が整えると、俺が休む。昨日分かった」

正直。
だから怖い。

リィナは紙を握りしめた。

「……それは、私の仕事ではありません」

「今から仕事にする」

当主は平然と言った。

「侍女長が承認すれば、職務になる。お前は堂々と来られる」

——また、言い訳の設計。

リィナは息を吸った。

「……私が堂々と来られるように、ではなく」

言葉を選びながら、続ける。

「アレクシス様が、私を堂々と囲えるように、ですよね」

言ってしまった。
言った瞬間、心臓が痛いほど鳴る。

当主の目が、一瞬だけ揺れた。
否定しない。
否定できない。

「そうだ」

静かな肯定。

リィナは唇を噛み、続けた。

「……私は、枠を守りたいです。看病が終わったなら、終わりにしたい」

言葉にした瞬間、胸がぎゅっと痛む。
終わりにしたい。
本当に?
“終わりにするのが怖い”の間違いじゃない?

当主はしばらく黙っていた。
その沈黙が、昨日までと違って怖い。

やがて当主は低く言った。

「終わりにしたい理由は、俺が怖いからか」

「……はい」

「それだけか」

リィナは言葉に詰まる。

当主の視線が、逃さない。

「……それだけです」

嘘。

当主は嘘をつかないと言った。
だから、嘘を見抜くのが上手い。

当主は立ち上がった。
ベッドではない。椅子から。回復した人の動き。

リィナの前まで歩いてくる。
距離が近い。

「リィナ」

名前を呼ばれる。
その音で、胸が揺れる。

当主は低く言った。

「俺は、お前を“囲いたい”」

リィナは息を呑む。

「眠るためじゃない。……起きている時間もだ」

言ってしまった。
彼は、言ってしまった。

リィナは震える声で返す。

「……それは、許されません」

当主の目が細くなる。

「許される」

「当主だから、ですか」

「俺だからだ」

ひどい。
強い。

リィナは一歩下がろうとして、椅子に膝が当たった。
逃げ道が、ない。

当主は手を伸ばしかけて——止めた。
条件だ。掴まない。言葉で言う。

当主は低く言った。

「触れたい」

リィナの頬が熱くなる。

「……触れるのは、手だけ、でした」

「手だけでいい」

当主は淡々と言う。

「手をくれ」

リィナは息を詰めた。
拒否したいのに、拒否したくない。

——お世話=情を育てて捕まえる。
今は、お世話ではなく“手”だ。
情が育ったから、次へ進む。

リィナは震える指を差し出した。
当主の指が重なる。握らない。触れるだけ。

それだけで、当主の呼吸が落ち着く。
胸が痛い。

当主は目を伏せ、静かに言った。

「終わりにしたいなら、終わりにしていい」

リィナは驚いて顔を上げた。

当主は続ける。

「だが、その代わり——俺は“迎えに行く”」

リィナの背中が冷たくなる。

「迎えに……?」

「お前の生活を整える。……お前が嫌がっても」

言い方が、静かすぎて怖い。

リィナは喉を鳴らし、必死に言う。

「……脅しですか」

当主は否定しない。

「提案だ」

提案。
でも、脅し。

リィナは唇を噛んだ。
自分の枠を守りたい。
でも、守ろうとすると彼が強硬になる。

(どうしたら……)

当主の指が、そっとリィナの指先を撫でた。
掴まない。優しい。
でも、逃げられない。

「リィナ。選べ」

また選択。

「俺の部屋で休養係になるか。……俺が、お前の生活に入るか」

二択に見せかけた囲い込み。
でも、どちらも同じ檻ではない。

リィナは、震える息で答えを探した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

天然だと思ったギルド仲間が、実は策士で独占欲強めでした

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー本編8話+後日談7話⭐︎ ギルドで働くおっとり回復役リィナは、 自分と似た雰囲気の“天然仲間”カイと出会い、ほっとする。 ……が、彼は実は 天然を演じる策士だった!? 「転ばないで」 「可愛いって言うのは僕の役目」 「固定回復役だから。僕の」 優しいのに過保護。 仲間のはずなのに距離が近い。 しかも噂はいつの間にか——「軍師(彼)が恋してる説」に。 鈍感で頑張り屋なリィナと、 策を捨てるほど恋に負けていくカイの、 コメディ強めの甘々ギルド恋愛、開幕! 「遅いままでいい――置いていかないから。」

冷徹団長の「ここにいろ」は、騎士団公認の“抱きしめ命令”です

星乃和花
恋愛
⭐︎完結済ー全16話+後日談5話⭐︎ 王都最硬派、規律と責任の塊――騎士団長ヴァルド・アークライトは、夜の見回り中に路地で“落とし物”を拾った。 ……いや、拾ったのは魔物の卵ではなく、道端で寝ていた少女だった。しかも目覚めた彼女は満面の笑みで「落とし物です!拾ってくださってありがとうございます!」と言い張り、団長の屋敷を“保護施設”だと勘違いして、掃除・料理・当番表作りに騎士の悩み相談まで勝手に開始。 追い出せば泣く、士気は落ちる、そして何より――ヴァルド自身の休息が、彼女の存在に依存し始めていく。 無表情のまま「危ないから、ここにいろ」と命令し続ける団長に、周囲はざわつく。「それ、溺愛ですよ」 騎士団内ではついに“団長語翻訳係”まで誕生し、命令が全部“愛の保護”に変換されていく甘々溺愛コメディ!

短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜

美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?

【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件

三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。 ※アルファポリスのみの公開です。

私を簡単に捨てられるとでも?―君が望んでも、離さない―

喜雨と悲雨
恋愛
私の名前はミラン。街でしがない薬師をしている。 そして恋人は、王宮騎士団長のルイスだった。 二年前、彼は魔物討伐に向けて遠征に出発。 最初は手紙も返ってきていたのに、 いつからか音信不通に。 あんなにうっとうしいほど構ってきた男が―― なぜ突然、私を無視するの? 不安を抱えながらも待ち続けた私の前に、 突然ルイスが帰還した。 ボロボロの身体。 そして隣には――見知らぬ女。 勝ち誇ったように彼の隣に立つその女を見て、 私の中で何かが壊れた。 混乱、絶望、そして……再起。 すがりつく女は、みっともないだけ。 私は、潔く身を引くと決めた――つもりだったのに。 「私を簡単に捨てられるとでも? ――君が望んでも、離さない」 呪いを自ら解き放ち、 彼は再び、執着の目で私を見つめてきた。 すれ違い、誤解、呪い、執着、 そして狂おしいほどの愛―― 二人の恋のゆくえは、誰にもわからない。 過去に書いた作品を修正しました。再投稿です。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

冷遇妃ライフを満喫するはずが、皇帝陛下の溺愛ルートに捕まりました!?

由香
恋愛
冷遇妃として後宮の片隅で静かに暮らすはずだった翠鈴。 皇帝に呼ばれない日々は、むしろ自由で快適——そう思っていたのに。 ある夜、突然現れた皇帝に顎を掴まれ、深く口づけられる。 「誰が、お前を愛していないと言った」 守るための“冷遇”だったと明かされ、逃げ道を塞がれ、甘く囲われ、何度も唇を奪われて——。 これは冷遇妃のはずだった少女が、気づけば皇帝の唯一へと捕獲されてしまう甘く濃密な溺愛物語。

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

処理中です...