看病しに行ったら、当主の“眠り”になってしまった

星乃和花

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33:名のない告白(言わないことで守る)

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翌日の屋敷は、静かに“戻って”いた。

庭の夜風の余韻は、朝の光に溶けていく。
噂の温度も上がらない。
当主の足音も、昨日より少し軽い。

——外に出た枠は、効いたのだ。

リィナは台所で鍋をかき回しながら、胸の奥の名残を押し込めた。

(名残)

名前をつける。

(終わり)

終わり、と唱えるたびに思う。
終わりにするのは、消すことじゃない。
抱えたまま、生活へ戻すことだ。

侍女長が隣で淡々と言った。

「昨夜、当主のほうから合図を落とした」

リィナは手を止めずに頷く。

「……はい」

「いい兆候。終わりを“奪わずに”作れるようになってきた」

奪わずに。
その言葉が胸に落ちる。

侍女長は続けた。

「でも、次は別の危険が来る」

リィナの胸が鳴った。

「……何ですか」

侍女長が火を見ながら言った。

「言葉よ。——外に出た分、言葉が出たくなる」

庭の夜。
「寂しかった」
「抱きしめたい」
言葉が少し柔らかくなっていた。

侍女長は、容赦なく言う。

「あなたが一番揺れるのは、“告白”」

リィナは息を呑んだ。

告白。
あの人が、言ってしまう未来。
言われてしまう未来。

侍女長は淡々と続ける。

「告白は、枠を壊しやすい。“枠の外の永遠”を持ち込むから」

永遠。
“いなくならないか”の言葉が刺さる。

リィナは小さく頷いた。

「……なら、どう守れば」

侍女長は即答した。

「“言わせない”じゃない。“言わないを選ばせる”」

選ばせる。
奪わない。
同じ仕組みだ。

「当主が言葉を落としそうになったら、あなたは“枠”を示す。——そして、“生活”へ戻す」

生活へ戻す。
戻れ、という言い方。
庭の夜の終わり。

リィナは心の中で繰り返した。

(枠。生活)



その夜は、枠の日だった。

リィナは見られないように廊下を使い、当主の部屋へ向かった。
噂用の枠も守る。
自分の鍵を守る。

ノック二回。

「……入れ」

部屋に入ると、当主は窓辺の椅子にいた。
庭の夜のあとだからか、窓が少し開いている。
外の匂いがほんの少しだけ入っている。

当主はリィナを見ると、短く言った。

「庭は、よかった」

リィナは胸が鳴るのを抑えて、淡々と返した。

「……冷えましたけど」

当主が低く笑う。

「冷えた。……だが、眠れた」

眠れた。
それが何よりの目的だった。

リィナはお茶を淹れ、香りを少し軽くした。
庭の夜の続きを室内に持ち込まないために。
お茶は“部屋の時間”に戻す道具。

カップを差し出す。

当主は受け取り、一口飲んだ。

「……落ちる」

いつもと同じ言葉。
でも今日は、少しだけ柔らかい。

リィナはソファの端に座った。
距離は枠の距離。

当主がぽつりと言った。

「……お前は、昨日、寂しいと言った」

リィナの胸が鳴った。
拾われた。
言葉が拾われると、意味が膨らむ。

リィナは温度を下げるように言った。

「……一言だけです。枠の中の」

当主は頷いた。

「分かっている」

一拍。

当主の指先が、カップの縁をなぞる。
掴まない癖。
でも今日は、その癖が“言葉を止めるため”に見えた。

当主が低く言った。

「……俺は」

来る。

リィナは息を止めた。

当主は続けた。

「……俺は、お前の」

そこで止まった。
言葉が、喉の手前で引っかかっている。

“理由”。
“必要”。
“眠れない”。
——それらではない、別の言葉。

リィナの胸が熱くなる。
灯りが点きそうなほど。

(怖い)

名前をつける。

(終わり)

でも、終わらない。

当主が息を吐き、目を伏せた。

「……言えば、お前は鍵を落とすか」

その問いが、痛いほど優しい。

リィナは喉が震えた。
正直を言えば、揺れる。
嘘をつけば、もっと壊れる。

リィナは枠の中の正直を選ぶ。

「……揺れます」

当主の指先が、微かに止まる。

リィナは続けた。

「でも、落としません。……落とさないための枠を、作ります」

当主は一拍置き、低く言った。

「……枠を作れば、言っていいのか」

危ない。
それは“告白を枠に入れる”設計になってしまう。
枠が、恋の容器になる。
それは檻になる。

リィナは首を振った。

「……違います」

当主の視線が上がる。

リィナは静かに言った。

「言わないことが、今の枠です」

当主の目が揺れた。
痛み。
欲。
でも、理解しようとする揺れ。

リィナは続けた。

「言葉にしたら、私が理由を背負います。……理由は、怖い」

当主が低く息を吐く。

「……俺もだ」

ぽつりと落ちた正直。
当主も、理由が怖い。

沈黙が落ちる。
室内の静けさが、庭の静けさとは違う形で二人を包む。

当主が、掌を差し出した。

「……手」

リィナはそっと重ねた。
熱が伝わる。
庭の夜の熱と同じ。
でも、部屋の枠の熱。

当主の指先が震える。
掴みたい震え。
掴まない震え。

当主は低く言った。

「……言葉の代わりに、これでいいか」

リィナの胸が痛む。

「……はい」

その答えでいいのか分からない。
でも、今夜の枠の中では、それが最善だ。

当主は目を閉じ、深く息を吐いた。

「……俺は、お前の」

また言いかけた。

リィナの胸が鳴る。

当主は、握り返しそうになって——止めた。
指が、掌の上で力を抜く。

そして、低く言った。

「……俺は、言わない」

言わない。
選んだ。
自分で選んだ。

リィナは胸が熱くなるのを必死に押し込めた。

「……ありがとうございます」

当主は短く返す。

「礼はいらない。……奪わないためだ」

時計の針が、一時間の終わりに近づく。

リィナは立ち上がり、合図の儀式をしようとした。
だが、当主が先にランプに手を伸ばした。

一段、落とす。

合図が落ちる。

当主は低く言った。

「……戻れ」

リィナは頷いた。

「……おやすみなさい、アレクシス様」

当主は一拍置いて、低く返した。

「……おやすみ」

扉を閉める。

廊下は冷たい。
でも、心は静かに熱い。

告白は、なかった。
でも、名のない告白は残った。

“言わない”という選択。
“掴まない”という選択。
“終わりを作る”という選択。

——その夜、机の灯りは点かなかった。

点かないことに安堵し、点かないことに少しだけ寂しくなって、
リィナは心に名前をつけた。

(満ちてる)

終わり。

言葉がないのに満ちる夜がある。
それを知ってしまったのは、恋の始まりだった。
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