執事はお嬢様の午後三時のティータイムだけは死守したい (告白は未着手ですが、隣の席だけは確定です)

星乃和花

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第3話『乙女の夢見ノートが発見され、執事が“実現可能性”を赤ペン添削してくる(ロマン、工事計画書になる)』

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 屋敷には、立派な書庫がある。
 けれどエマ(お嬢様)が本当に大切にしているのは、そこに並ぶ分厚い歴史書でも、金箔の背表紙でもなく――

 鍵付きの引き出しに隠した、一冊の小さなノートだった。

 表紙は淡いクリーム色。
 角は少し丸まっている。
 中身は、だれにも見せない。

(だって……恥ずかしいもの)

 ノートの名は、エマの中で勝手に「夢見ノート」。
 書いてあるのは、立派なお嬢様が“言えない”まま抱えている、ささやかな乙女の願いの集まりだ。

 たとえば――

・雨の日は、窓辺であたたかいミルクティー
・「よく頑張りました」と、低い声で言われる
・カップを持つ手に、そっと手を添えられる
・笑ったら「かわいい」と言われる(※一回でいい)
・ティータイムの椅子が、隣になる(重要)

(……書いてる自分が、かわいそうで可愛い)

 エマはノートを開いて、ひとりでにやけそうになる頬を押さえた。
 上品に。優雅に。
 ――誰もいないので、内心は踊っている。

 そこへ、足音のない足音。

「失礼いたします、お嬢様」

 執事レオンの声。
 エマは反射でノートを閉じ、引き出しにしまおうとして――

 その瞬間だった。

 ぬるり。

 机の端にいた屋敷猫が、気まぐれに尻尾を振った。
 尻尾が、引き出しの取っ手に引っかかった。
 引き出しが、半分開いた。
 ノートの角が、見えた。

(やめて! 今はだめ!)

 エマが止めるより早く、猫は「なにそれ?」という顔で前足を出し、ノートをちょん、と押した。

 ――落ちた。

 床に、ぱさり。

 ページが、開いた。

 よりによって、開いたページが、よりによって。

・「ここにおります」と言われる(何度でも可)
・そのまま、黙って隣にいてほしい(※何も言わなくていい)
・でも、ほんとはひとことだけ欲しい(欲張り)

(死んだ)

 エマは全身が熱くなり、魂が体から一歩出た。

 そこへ、レオンが近づいてきた。

「……お嬢様。落とし物です」

 拾う手が、速い。
 執事の手は、いつだって正確で、躊躇がない。
 つまり今――躊躇なく、夢見ノートを拾い上げた。

「待って! それは……!」

 エマが駆け寄る。

 だが、執事は執事である。
 拾った物は、内容を確認して持ち主に返す。
 “業務”として。

 レオンの視線が、ページをなぞった。

 ほんの一瞬。
 エマの心臓が、止まる。

「……」

 レオンは無言だった。
 驚いたのか。困ったのか。
 いや、たぶん――“解析中”。

 次の瞬間、彼は静かに言った。

「承知しました」

「な、なにを……?」

「実現可能性の確認を行います」

(やめて!)

 ・♢ー♢ー♢・

 それから一時間後。

 エマはティールームの隣室にある小さなサロンで、椅子に座っていた。
 目の前には、マリア(メイド長)。
 そして、真顔のレオン。

 レオンの前には、夢見ノート。
 ――開かれている。
 しかも横に、赤ペンが置かれている。

 エマの魂はまだ帰ってこない。

「レオン、あなた……それ、勝手に開いてるの?」

「落下時に開いていましたので」

「それを閉じて返す、という選択は?」

「内容の確認が先です」

「何の確認よ!」

 マリアが横で肩を震わせている。笑いをこらえている顔だ。

「お嬢様、落ち着いて。レオンは今、“乙女心を業務化”してるだけよ」

「それが一番こわいのよ!」

 レオンは真剣だった。
 真剣に、赤ペンのキャップを外した。

「まず、項目を分類します。
 A:環境整備で実現可能。
 B:発言が必要。
 C:身体接触を伴うため、適切性と安全性の検討が必要。
 優先度は、頻度と精神衛生への寄与度に基づき――」

「寄与度とか言わないで!」

 レオンは止まらない。

「『雨の日は窓辺であたたかいミルクティー』――実現可能。厨房へ共有。抽出温度は――」

 赤ペンで丸。
 その横に小さく「可」と書かれる。

 エマは顔を覆った。

「『よく頑張りました』と低い声で言われる――発言項目。テンプレート化可能」

 赤ペンで「B-1」。
 そして、まさかの添削。

『よく頑張りました』
 →状況に応じて「本日の成果を確認しました」も可
 →頻度:週2(過剰だと信憑性低下)

「信憑性低下ってなに! 乙女心の信憑性ってなに!?」

 マリアがついに吹き出した。

「だめ……お嬢様、ごめんなさい……レオン、あなたほんとに人の心を統計にするのね……!」

 レオンはまったく悪びれない。

「管理可能なものは管理します」

 赤ペンが走る。

「『カップを持つ手に、そっと手を添えられる』――身体接触。C-2。
 条件:お嬢様が拒否しない、周囲に第三者がいない、カップが熱すぎない」

「カップが熱すぎないって何! そこ!?」

 レオンは次の項目へ。

 そして――来た。

・椅子が隣になる(重要)

 レオンは赤ペンで二重丸をつけた。
 さらにその横に、こう書いた。

優先度:S
実施頻度:毎日可
ただし、ティータイムの動線再設計が必要

 エマは、呼吸を忘れた。

(……二重丸……?)

 恥ずかしい。
 死にそうに恥ずかしい。
 でも――胸の奥が、少しだけきゅっと温かい。

 レオンは淡々とページをめくり、最後の項目を見つけた。

・でも、ほんとはひとことだけ欲しい(欲張り)

 赤ペンが止まった。

 レオンの眉が、ほんのわずかに寄った。
 彼にとっての“難問”の顔だ。

「……“ひとこと”の定義が曖昧です。具体化が必要です」

 エマは、机を叩きたい衝動を優雅に抑えた。
 そして、口を開く。

「……定義できたら、ここに書いてないわよ」

 マリアがニヤニヤする。

「いいわねお嬢様。今の、素だった」

 エマは赤くなって俯いた。
 レオンは――困ったように赤ペンを置いた。

「承知しました。では、聞きます」

 エマが顔を上げる。

「……え?」

 レオンは真顔のまま、でも少しだけ慎重に言った。

「お嬢様が欲しい“ひとこと”は、どれですか」

(真顔で聞かないで……!)

 エマの心の中の乙女が、布団に潜った。
 でも、ここで逃げたら一生、隣の椅子に座れない気がした。

 エマは、息を吸う。

「……『ここにいる』」

「どの表現ですか」

「……『ここにおります』でいいわ」

「承知しました」

 レオンは赤ペンで書き足した。

・『ここにおります』:毎日可
 ※必要時、回数制限なし

「回数制限なし、って……」

 エマは笑ってしまった。
 悔しいのに、嬉しい。

 ・♢ー♢ー♢・

 そして十五時。

 ティールーム。
 紅茶の香り。
 スコーンの湯気。
 今日も世界は静かで、屋敷は上品に整っている。

 レオンが、カップを置く。

「本日のティータイム、開始します」

 エマは小さくうなずいた。
 そして、恐る恐る言う。

「……ねえ、レオン。さっきの添削、燃やしていい?」

「不可です。改善履歴として保管します」

「私の乙女心を“履歴”にしないで」

 レオンは真顔で答える。

「再現性が重要です」

(再現性……乙女心に……)

 エマは紅茶を一口飲んだ。
 温かい。
 落ち着く。

 ふと視線を落とすと、椅子が――

 今日も、隣に引かれていた。
 昨日より自然に。
 当たり前みたいに。

 胸が、ふわっと軽くなる。

「……レオン」

「はい」

 エマは、強がりの猫を少しだけ外に出して、言った。

「私、恥ずかしいのよ。そういうの……見られるの」

「把握しました」

「把握しないで、忘れて」

「不可能です」

 即答。
 だけど、レオンは続けた。

「しかし――お嬢様が不快なら、今後は許可なく閲覧しません」

 エマは目を瞬いた。
 それは、今までのレオンには珍しい“配慮”だった。

「……ほんと?」

「はい。業務上必要な場合は、事前に申請します」

「申請って何……」

 エマは笑った。
 笑ってしまった自分に、少し驚いた。
 こんなに恥ずかしい日なのに、胸がそんなに痛くない。

 そして、勇気を出して、お願いを一つだけする。

「じゃあ……今日だけ。さっき決めた“ひとこと”、言って」

 レオンの動きが止まった。
 また、あの一拍。
 彼の中の手順書が開く音がしそうだった。

 でも――今日は、赤ペンの線よりも、目の前のエマを見た。

 レオンは椅子を、ほんの半歩、さらに寄せた。
 そして真顔のまま、ゆっくり言った。

「……ここにおります」

 エマの胸の穴が、音もなく塞がった気がした。
 泣きたいほどじゃない。
 でも、目の奥が熱い。

「……うん」

 それだけで、十分だった。
 乙女心は、工事計画書じゃない。
 でも今日だけは、計画でもいい。

 だって、計画通りに――

 レオンは、ここに。
 紅茶は冷めない。
 十五時は、今日も守られる。

 エマはスコーンを小さく割って、皿に置いた。

「……ねえ、レオン」

「はい」

「回数制限なし、って書いたの……消さないでね」

 レオンは真顔で頷いた。

「承知しました。重要項目ですので」

 エマは、こっそり笑った。
 屋敷猫が窓辺で丸くなり、日だまりがふたりの足元に落ちる。

 今日も、ティータイムは通常運転。
 乙女心だけが、少しずつ進行中だった。
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