執事はお嬢様の午後三時のティータイムだけは死守したい (告白は未着手ですが、隣の席だけは確定です)

星乃和花

文字の大きさ
5 / 25

第4話『ライバル令嬢の優雅な嫌味に、執事が真顔で法令・慣例・過去事例を提示して場を冷凍する(空気は死守されない)』

しおりを挟む
 社交界の茶会は、だいたい“香り”でできている。
 紅茶の香り。花の香り。香水の香り。
 そして――言葉にしない棘の香り。

 エマ(お嬢様)は、淡い色のドレスの裾を整えながら、笑顔という名の仮面を完璧な角度で被っていた。

(今日は平気。今日は勝てる。だって昨日の十五時、レオンが“ここにおります”って言ったんだもの)

 乙女心は、たった一言で動く。
 それが“業務的な一言”だったとしても、動く。

 会場は貴族の邸宅。高い天井、光沢のある床、銀のティーポットが並ぶ長いテーブル。
 エマが席に着くと、周囲の令嬢たちが、花のように笑った。

「エマ様、ごきげんよう。お屋敷、最近ずいぶん“厳重”なんですって?」

「ええ。噂になっているわ。まるで城塞みたいって」

「まぁ、素敵。閉ざされた薔薇の館、ですってね」

(薔薇の館は、庭にあるって言ったらレオンに怒られるかしら)

 エマは微笑み、素直にうなずく“優雅なお嬢様”を演じる。
 内心は、ちょっとだけ胃がキュッとなっていた。

 そこへ、遅れて入室する足音。
 香水の香りが先に来て、笑い声が後からついてくる。

 ――セレスティーヌ令嬢。

 優雅の皮を被った、優雅な牙。
 笑顔が美しいほど、言葉が冷たい人。

「ごきげんよう、皆さま。あら……エマ様」

 セレスティーヌが、エマを見つけて目を細める。
 その目は“心配しているふり”で、じょうずに人を刺す。

「お屋敷、面会不可が続いていると伺いましたの。お加減でも?」

「ご心配なく。いつも通りですわ」

 エマは微笑み、背筋を伸ばした。
 猫被りは得意。今日も完璧。

 ――ただ、背後にいる“真顔の守護神”が問題だった。

 エマの斜め後ろ、半歩下がった位置。
 執事レオンが立っている。

 なぜここにいるのか。
 なぜ茶会に同行しているのか。

 答えは簡単だ。
 社交界が“刺激”で、エマが“精神衛生”で、そしてレオンが“必要”だと判断したからである。

(レオン……今日は、空気を守ってね……?)

 願いは届かない。
 彼の情緒は十八度。空気は測定対象ではない。

 茶会が始まる。
 紅茶が注がれ、菓子が運ばれ、令嬢たちの会話がふわりと回る。

 そして――狙いすましたように、セレスティーヌが言った。

「でも、少しだけ心配ですの。……だって、執事の方が随分と過保護だと伺いましたから」

 周囲が“まぁ”と笑う。
 その笑いは、柔らかいようで硬い。
 エマの胸がちくりとする。

(来た……!)

 セレスティーヌはさらに続ける。
 優しく見せかける声で。

「お嬢様に自由がないなんて、可哀想ですわ。閉じ込められているみたいで」

 エマの指先がカップの取っ手をぎゅっと握った。
 笑顔を崩すな。
 ここは社交界。
 “可哀想”という言葉は、最も上品な刃だ。

「そんなことは――」

 エマが返そうとした、その瞬間。

「事実誤認です」

 真顔の声が割り込んだ。

 ――レオンである。

 会場の空気が、ぴしりと止まった。

(やめて! 今それ言うの!?)

 エマの内心が叫ぶ。
 だが、レオンは止まらない。
 止まらないのが執事であり、止まらないのがこの男だ。

「お嬢様の自由は、当家の規範に基づき完全に保証されています。過保護という評価は不適切です」

 セレスティーヌは一瞬だけ瞬きをした。
 しかしすぐに、優雅な笑みを強化する。

「あら。執事の方が口を挟むの? お嬢様の代弁?」

「代弁ではありません。訂正です」

 レオンの声は平坦だった。
 平坦すぎて、余計に怖い。

 そして彼は――懐から何かを取り出した。

 紙。

 書類の束。

(持ってきたの!? 社交界に!? 資料を!?)

 エマはもう、胃がひゅっと縮んだ。
 マリアがここにいたら絶対に止めただろう。

 レオンは堂々と資料を一枚、二枚と広げ始めた。

「第一に、当家の“お嬢様の生活に関する内規”。
 第二に、過去五年の事故記録。
 第三に、外部からの侵入未遂件数と警備強化による減少率――」

 令嬢たちが息を呑む。
 息を呑みすぎて、香水の匂いが濃くなる気がする。

 セレスティーヌは口元だけ笑っている。

「まぁ……。あなた、まるで裁判ですわね」

「裁判ではありません。説明です」

 レオンは真顔で続けた。

「また、“閉じ込められている”との表現ですが――お嬢様の外出は、本人の意向により制限されている部分があり、強制ではありません。
 具体的には――」

 そして彼は、さらりと言った。

「お嬢様は“誰かに会いたいわけではない”と表明されています」

 ――ぐさっ。

 エマの心が刺された。
 自分が言った強がりの言葉。
 それを、こんな場で“公式発言”として使われるとは。

(やめて……それ、私の……恥ずかしい……)

 セレスティーヌの笑顔が、より薄くなる。

「へえ……。つまり、エマ様は社交界を拒んでいらっしゃるのね?」

 会場が“ざわ”と揺れる。
 令嬢たちの視線がエマに集まる。
 猫被りの猫が、全力で固まった。

(違うの! 拒んでるんじゃない、怖いだけなの! 疲れるだけなの!
 ……でも、そんな本音、言えない)

 エマが口を開こうとした時――

「拒否ではありません」

 レオンが先に言った。

「精神衛生を優先した結果です。社交は刺激であり、お嬢様の心身に負担が生じる可能性があるため、現在は調整期間です」

 ……調整期間。
 エマは内心で頭を抱えた。

(私、なんか大病みたいになってる……!)

 セレスティーヌが、優雅に首を傾げる。

「でも、お嬢様の心身のことは、お嬢様自身が決めるべきでは?」

「その通りです」

 レオンは頷き、そして――最悪の追撃を放った。

「ゆえに、セレスティーヌ様の“可哀想”という表現は不適切です。お嬢様が不快になる可能性がありますので、撤回を推奨します」

 会場の温度が、二度下がった。
 紅茶の湯気が、目に見えて凍りそうだった。

 セレスティーヌは、完璧に微笑んだまま――目だけが細くなる。

「推奨……。あなた、面白い方ね」

「必要なことしか申しません」

「そう。……では、必要なことを一つ。エマ様」

 セレスティーヌが、エマへ視線を向ける。
 その視線は“逃げ道のない優しさ”の形をしていた。

「あなた、幸せ?」

 ――痛い。

 優雅な棘は、時々こういう形で刺してくる。
 エマは笑顔を保ったまま、胸の奥がきゅっとなるのを感じた。

(幸せ? ……わからない。
 “お嬢様”としては幸せ。
 でも、私としては……)

 答えを探している間に――

「はい」

 レオンが即答した。

 エマは目を見開いた。
 会場も、同じように息を呑む。

「お嬢様は幸せです。十五時のティータイムが、毎日死守されているため」

(そこ!?)

 エマは内心で叫び、同時に――なぜか胸が少し温かくなるのを感じてしまった。

 セレスティーヌが、ゆっくり瞬きをする。

「……あなた、本気で仰ってるの?」

「本気です」

 レオンは真顔で、さらに追撃する。

「ティータイムは生活の安定と精神衛生に寄与します。お嬢様の笑顔の発生率は、十五時の実施有無で明確に変動します」

 ――統計を出すな。

 エマは心の中で土下座した。
 そして、ふと気づいた。

 レオンは空気を壊している。
 盛大に壊している。
 でも――“エマが刺される”ことだけは、許していない。

(……私のこと、守ってるつもりなんだ)

 それが、彼なりの愛し方。
 情緒じゃなく、排除と訂正と死守。

 セレスティーヌは、ついに口元の笑みを変えた。
 薄い笑みから、冷たい笑みに。

「なるほど。では、今後もどうぞ“死守”なさって。
 エマ様――あなたの世界が、それで狭くならないといいわね」

 優雅な刺し方だった。
 エマの胸が、また痛む。

 しかし、その瞬間。

「狭くなりません」

 レオンが言った。

「お嬢様の世界は、必要なものだけで十分です。不要な刺突は排除します」

(刺突って言うな)

 会場の令嬢たちが、なぜか神妙な顔で頷き始めた。
 “刺突”という単語は、確かに刺さる。別の意味で。

 セレスティーヌは、しばらく沈黙し――やがて優雅に立ち上がった。

「……本日は勉強になりましたわ。
 では失礼。エマ様、どうかお大事に」

 言葉の最後まで棘を残し、彼女は会場を去った。

 残された空気は、冷蔵庫の中みたいに静かだった。

 ・♢ー♢ー♢・

 帰りの馬車の中。
 エマは窓の外を見つめていた。
 猫被りの仮面はまだ外せない。外したら泣いてしまいそうだから。

 レオンは向かいに座り、いつものように背筋を伸ばしている。
 彼は勝ったつもりだ。
 刺突を排除した。お嬢様を守った。
 なのに――

(……空気、死んだわよ)

 エマはため息をひとつ。
 上品に。優雅に。
 そして、少しだけ本音を混ぜて言った。

「……レオン」

「はい、お嬢様」

「あなた、さっきの……やりすぎよ」

「不適切でしたか」

「不適切というか……」

 言葉を選ぶ。
 彼を責めたいわけじゃない。
 ただ、知ってほしい。

「……私が傷つくのを、止めたかったのはわかるの。でもね」

 レオンの視線が、ほんの少しだけ鋭くなる。
 ――聞いている。珍しく。

「私、空気も守りたいの。場も、相手も、私も」

「理解しました」

 即答。
 理解したのかは不明。
 でも、レオンは続けた。

「次回から、資料の提示は控えます」

「資料の提示じゃなくて……あなたの言葉の出し方を……」

「言葉の出し方。承知しました。
 “刺突”は不適切表現でした。次回より“嫌味”に修正します」

「修正しないで、学んで」

 エマは思わず笑ってしまった。
 笑ってしまうと、少しだけ胸が軽くなる。

 レオンは真顔のまま、静かに言う。

「お嬢様が笑いました。
 よって、本日の対応は一定の成果がありました」

(ほんとにもう……)

 でも、エマは否定できなかった。
 だって、彼は本当に、必死なのだ。
 必死の方向が、いつも少しズレているだけで。

 ・♢ー♢ー♢・

 十五時。
 屋敷に戻ると、ティールームはいつも通りの香りに包まれていた。

 紅茶の湯気は、冷えた空気をやわらかく溶かす。
 スコーンは温かい。
 椅子は――

 隣に引かれていた。
 当たり前のように。

 エマは胸の奥がほどけるのを感じて、そっと座った。

 レオンがカップを置く。
 そして、珍しく言った。

「本日の社交は、刺激が強かったと判断します。
 お嬢様の精神衛生のため、追加の甘味を用意しました」

 そう言って出されたのは――小さなタルト。
 苺が一粒、丁寧に乗っている。

「……追加の甘味」

「はい。慰めではありません。栄養補給です」

「そう言いながら、慰めてるつもりでしょ」

 レオンは一拍止まり――答えた。

「つもり、という概念は曖昧です」

 エマは小さく笑った。
 そして、今日のことを思い出す。
 セレスティーヌの言葉。
 “あなた、幸せ?”
 “世界が狭くならないといいわね”

 エマは紅茶をひと口飲み、静かに言った。

「……ねえ、レオン」

「はい」

「私の世界が狭いのは、あなたのせいじゃないわ。たぶん、私のせい」

 猫被りの仮面の隙間から、ほんの少しだけ本音が漏れた。
 漏れた途端、胸が痛む。
 でも、隣にいる執事は真剣だ。

 レオンはしばらく考え――真顔で言った。

「お嬢様の世界が狭いなら、広げます」

「どうやって?」

「ティータイムを、外でも実施します」

(外でも!? え、まさか社交界の真ん中で!?)

 エマは目を見開き、慌てて首を振った。

「それはやめて。世界じゃなくて噂が広がる」

「理解しました。
 では、屋敷内で広げます。……窓を開けますか」

「世界が物理に……」

 エマは吹き出しそうになって、口元を押さえた。
 でもその笑いは、今日いちばん柔らかかった。

「レオン」

「はい」

「さっき……“幸せ”って言ってくれたの、変だったけど……」

 エマは言葉を探す。
 そして、勇気を出して一滴だけ落とす。

「……嬉しかった」

 レオンのまばたきが、少しだけゆっくりになった。
 彼はカップの取っ手に触れ、確かめるように置き直す。

「承知しました。
 では、明日も“幸せ”を継続します」

「継続って……」

 エマは笑って、苺のタルトを小さく切った。
 甘い。
 温かい。
 胸の穴の周りが、少しだけ柔らかくなる。

 空気は守れなかった。
 場も冷凍した。
 でも――

 この部屋の十五時だけは、今日もちゃんと生きていた。

 エマはタルトの苺を口に運び、そっと言った。

「……明日は、空気も少しだけ守ってね」

「承知しました」

 真顔のまま頷く執事。
 たぶん、守り方はまだズレる。
 でも、彼は隣にいる。

 十五時。
 ティータイムは、今日も死守された。
 そしてエマの乙女心は、冷凍された空気の代わりに――少しだけ解凍されていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

虚弱姫はコワモテ将軍の筋肉に触りたい

隙間ちほ
恋愛
◼︎無骨な英雄×病弱な筋肉フェチ姫 ◼︎辺境伯の末娘エルナは、領軍の英雄マテウスとの結婚が決まった。政略結婚――のはずが、実は姫は将軍の熱烈なファン。姫がノリノリで嫁ぐ一方、当のマテウスは「か弱い姫君に嫌われている」と思い込み、距離を取ってしまう……。 ◼︎筋肉と鼻血とすれ違いラブコメ。 ◼︎超高速展開、サクッと読めます。

過去の名君は仮初の王に暴かれる

沖果南
恋愛
とある騎士の長い長い片思いのお話です。しょっぱなからせっせしてるので注意してください。

醜女の私と政略結婚した旦那様の様子がおかしい

サトウミ
恋愛
この国一番の醜女である私と結婚したイバン様。眉目秀麗で数多の女性と浮き名を流した彼は、不祥事を起こしたせいで私なんかと結婚することになってしまった。それでも真面目な彼は、必死に私を愛そうと努力してくださる。 ──無駄な努力だ。 こんな色白で目と胸の大きい女を、愛せるはずがない。

悪役令嬢と誤解され冷遇されていたのに、目覚めたら夫が豹変して求愛してくるのですが?

いりん
恋愛
初恋の人と結婚できたーー これから幸せに2人で暮らしていける…そう思ったのに。 「私は夫としての務めを果たすつもりはない。」 「君を好きになることはない。必要以上に話し掛けないでくれ」 冷たく拒絶され、離婚届けを取り寄せた。 あと2週間で届くーーそうしたら、解放してあげよう。 ショックで熱をだし寝込むこと1週間。 目覚めると夫がなぜか豹変していて…!? 「君から話し掛けてくれないのか?」 「もう君が隣にいないのは考えられない」 無口不器用夫×優しい鈍感妻 すれ違いから始まる両片思いストーリー

強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!

ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」 それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。 挙げ句の果てに、 「用が済んだなら早く帰れっ!」 と追い返されてしまいました。 そして夜、屋敷に戻って来た夫は─── ✻ゆるふわ設定です。 気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

【完結】旦那様!単身赴任だけは勘弁して下さい!

たまこ
恋愛
 エミリーの大好きな夫、アランは王宮騎士団の副団長。ある日、栄転の為に辺境へ異動することになり、エミリーはてっきり夫婦で引っ越すものだと思い込み、いそいそと荷造りを始める。  だが、アランの部下に「副団長は単身赴任すると言っていた」と聞き、エミリーは呆然としてしまう。アランが大好きで離れたくないエミリーが取った行動とは。

月の後宮~孤高の皇帝の寵姫~

真木
恋愛
新皇帝セルヴィウスが即位の日に閨に引きずり込んだのは、まだ十三歳の皇妹セシルだった。大好きだった兄皇帝の突然の行為に混乱し、心を閉ざすセシル。それから十年後、セシルの心が見えないまま、セルヴィウスはある決断をすることになるのだが……。

処理中です...