執事はお嬢様の午後三時のティータイムだけは死守したい (告白は未着手ですが、隣の席だけは確定です)

星乃和花

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第5話 『「今日は放っておいて」=健康管理の最優先指示と解釈され、執事が“完全休養プラン”を実行する(放置じゃないって言いたい)』

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 翌日。
 エマ(お嬢様)は、朝から“優雅”がうまく貼り付かなかった。

 鏡の前で微笑んでも、目が追いついてこない。
 髪を整えても、胸の奥がほどけない。
 昨日の茶会の冷凍空気が、まだ自分の中に残っているみたいだった。

(……平気よ。私は、平気)

 そう思うほど、平気じゃないのが分かってしまう。
 強がりって便利だけど、便利すぎて時々、自分の本音を押し潰す。

 朝食の席では、家族は不在。
 当主は出張中、奥様は別宅。
 屋敷は広くて、静かで、整いすぎている。

 エマは銀のスプーンを置き、そっと息を吐いた。

(……寂しい、って言うのはもう、恥ずかしいし)

 だって前回言ったら、屋敷が要塞化した。
 今回は何が起きるかわからない。
 廊下が一方通行になっても困る。

 ――だから、違う言い方をする。

 ちょっとだけ、冷たく。
 ちょっとだけ、強く。
 ちょっとだけ、上手に。

 朝食の片付けが終わるタイミングで、執事レオンが現れた。
 真顔、完璧、温度一定。

「お嬢様。本日の予定をご共有します。午前は刺繍のレッスン、午後は書状の確認、そして十五時のティータイム――」

「レオン」

 エマは手袋を外しながら、さらりと言った。

「今日は、放っておいて」

 言った瞬間、胸がきゅっと痛んだ。

(違う。ほんとは、放っておいてほしくない。
 でも、構ってほしいって言えない。
 だから……“放っておいて”って言うの)

 乙女の矛盾。
 そして、レオンの最大の弱点――言葉の裏を読まない。

 レオンは一拍も置かず、頷いた。

「承知しました」

(……あ、意外とあっさり)

 エマの心が少しだけ沈む。
 沈んだのに、表情は優雅なまま。

「……ええ」

 レオンはすでに手帳を開いていた。

「“放っておく”=刺激の遮断、安静の確保、対人接触の最小化。
 お嬢様の精神衛生に寄与すると判断します。
 コード07を適用、対応レベル三」

(レベル三!?)

「待って、レオン。それは――」

「完全休養プランを実行します」

 彼は真顔で言い切り、ベルを一度鳴らした。
 可愛いベルの音が、宣戦布告みたいに響く。

 ・♢ー♢ー♢・

 十分後。

 エマの部屋は、別世界になっていた。

 カーテンは遮光。
 室内は最適温度。
 加湿器が静かに稼働。
 枕は二種類(頸椎用・通常用)。
 毛布は三枚(薄・中・厚)。
 テーブルには“栄養補給セット”と書かれたトレイ。

 そして扉の外――

「お嬢様の完全休養を妨げる者は通しません」

 護衛隊長の声。

(……私は囚われの姫じゃないのよ!?)

 エマはベッドに座ったまま、目の前の光景を理解できずにいた。
 マリア(メイド長)が部屋の隅で腕を組み、呆れた顔で眺めている。

「ねえお嬢様。あなた、レオンに何て言ったの?」

「……放っておいて、って」

「やっぱりね。レオンの辞書に“かまって”の類語が存在しないのよ」

「助けて……」

「助けたいけど、今の彼、“正しいこと”をしてるつもりだから」

 マリアは肩をすくめた。

「で、どうする? 撤回する? “放っておいて”の撤回には、正式な取り消し手続きが――」

「そんな手続きないでしょう」

「あるのよ。レオンの中には」

 その時、扉がノックされた。

「失礼いたします。お嬢様、栄養補給のお時間です」

 入ってきたレオンは、穏やかな顔……ではない。
 いつもの真顔だ。
 ただ、今日の真顔は“医療従事者”に寄っている。

 トレイの上には、胃に優しいスープ、温かいハーブティー、ゼリー、そして――体温計。

「……レオン。私、病人じゃないわ」

「症状が顕在化する前の予防が重要です」

「症状って何」

「“放っておいて”発言です」

(発言が症状扱い……!)

 エマは拳を握りしめる。
 優雅に。優雅に耐えるのよ、私。

「私が欲しいのは……そういう“完全”じゃなくて」

「完全でない休養は休養ではありません」

 レオンは断言した。

 マリアが横から口を挟む。

「レオン、あなた。お嬢様の“放っておいて”には、解釈の余地が――」

「ありません。言葉は正確であるべきです」

「言葉が正確じゃないから乙女なのよ!」

 マリアのツッコミが冴える。
 レオンは首を傾げた。

「乙女は、正確ではないのですか」

「違うわよ。正確だけど言えないの。だから遠回しになるの!」

 エマは顔を覆いたくなった。
 代わりに、優雅に視線を逸らす。

(私の乙女心が、講義されている……)

 ・♢ー♢ー♢・

 そして昼。

 完全休養プランは続く。

 刺繍レッスンは中止。
 書状確認は延期。
 来客は門前払い。
 廊下は静音化(なぜか絨毯が追加された)。
 庭師の剪定音まで止められた。

 エマは窓辺に近づきたかったが、レオンが静かに言った。

「窓辺は冷えます。今日は避けましょう」

「……私は、窓辺が好きなの」

「把握しました。代替案を提示します」

 レオンは窓辺の椅子を、部屋の中央に移動させた。

「こちらで」

(景色がない)

 エマは小さく息を吸って、吐いた。
 怒っていい。
 でも怒れない。
 だって、レオンは本気で“良かれ”なのだ。

(……私、何がしたいの?)

 本当は、レオンに隣にいてほしい。
 ただそれだけ。
 ティータイムだけじゃなくて、もう少しだけ。

 でもそれを言うのは恥ずかしい。
 だから「放っておいて」なんて言った。
 そしたら、ほんとに放っておかれそうになった。

 ……違う。
 放っておかれたくない。

 エマはベッドに座り、膝の上で手を組んだ。
 指先が少しだけ震えている。

 その時、扉の外から足音がして――
 ぴたり、と止まった。

 ノック。

「失礼いたします。十五時です」

 レオンの声だった。

 ・♢ー♢ー♢・

 ティータイムだけは、例外だったらしい。

 レオンが入ってくる。
 いつものトレイ。
 いつもの香り。
 いつもの温度。

 彼はベッド脇の小さなテーブルにティーセットを整え始めた。
 ここまで来ると、執念だ。
 というか信仰。

「本日は安静が必要ですので、ティータイムはお部屋で実施します」

「私、安静が必要って言った?」

「“放っておいて”と」

「……それ、まだ続いてるのね」

「はい。撤回がありませんので」

 レオンは紅茶を注ぐ。
 湯気が上がる。
 それを見るだけで、胸が少しだけ落ち着くのが悔しい。

 エマはカップを持ち上げ、口をつけた。
 温かい。

(……言わなきゃ)

 今日は。
 今日は、逃げない。

 エマはカップを置き、レオンを見た。
 真顔。
 でも、いつもより少しだけ――慎重な目をしている。
 彼も、何かおかしいと感じているのかもしれない。

「レオン」

「はい」

 エマは、胸の奥の穴に触れるように、小さく言った。

「……放っておいて、って言ったのはね」

 言葉が詰まる。
 恥ずかしい。
 でも、ここでやめたら、永遠に“完全休養プラン”が続く。

「本当は……ひとりになりたくない時の、言い方だったの」

 沈黙。

 レオンが止まった。
 初めて見る停止の仕方だった。
 “解析中”じゃない。
 “受け止め中”。

「……お嬢様」

 レオンは珍しく、声の速度を落とした。

「“放っておいて”は、“ひとりになりたくない”の意味だったのですか」

「……そう」

「矛盾しています」

「乙女は矛盾でできてるのよ」

 エマは思わず言ってしまい、すぐに口元を押さえた。
 しまった。猫被りが落ちた。
 でもレオンは、責める顔をしない。

 彼は、手帳を取り出した。

 ――やめて。

「学習します。
 “放っておいて”=“近くにいてほしいが、言えない”」

「書かないで」

 エマは即答した。
 レオンのペン先が止まる。

「……では、記憶します」

「……それなら、いい」

 その一言で、エマの胸が少しだけ軽くなった。
 強がりを、理解しようとしてくれた。
 それだけで救われる部分がある。

 レオンは静かに椅子を引いた。
 いつもティータイムで引く“隣の椅子”ではなく、今日はベッドの近く。

「では――今は、放っておきません」

 エマの心臓が跳ねた。

「……命令みたい」

「命令ではありません。確認です」

「確認でいい」

 エマは小さく笑い、また紅茶を飲んだ。
 温かい。
 目の奥も、少しだけ熱い。

 レオンはしばらく黙っていたが、ふと、短く言った。

「……ここにおります」

 エマは息を止めた。
 それは、夢見ノートの“回数制限なし”の項目。
 今日の彼は、そこを使うことを選んだ。

「……うん」

 エマは頷いて、そっと毛布の端を指先で摘まんだ。
 そして、ほんの一歩だけ進める。

「ねえ、レオン。今日は……」

 声が小さくなる。

「……手。貸して」

 レオンが固まる。
 
 適切性。安全性。手順書――

 いろいろ頭をよぎった気配がした。
 でも、今日は手順書を開かない。

 彼は無言で手袋を外し、エマの手の近くに、そっと置いた。

 指先が彼の袖に触れる。
 熱くはない。
 怖くもない。
 ただ、嬉しい。

 エマは目を伏せて、強がりの形で言った。

「……完全休養プラン、明日からはやめて」

「承知しました。明日からは――“不完全休養プラン”にします」

「やめて」

 エマが笑う。
 レオンは真顔のまま、でも少しだけ安心したように息を吐いた。

 十五時。
 今日は要塞も、資料も、社交もない。

 ただ、部屋の中で。
 紅茶の香りの中で。
 ひとりになりたくない乙女が、ひとりにならない方法を、少しだけ覚えた。

 そして執事は、ひとつだけ学習した。

 ――言葉は、正確じゃないことがある。
 でも、その不正確さを、守るのも仕事なのだと。
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