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幕間B(外出カフェ回)『隣に座れないので執事が配置換えを始め、店員さんが困惑し、お嬢様が小声で「向かいでも…見ててくれればいい」と言う回』
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外出は、予定表の上では“ただの用事”だった。
――エマの指輪のサイズ直し。
――紅茶の器具を扱う店の視察。
――帰りに、軽く休憩。
レオンはそれを「効率的な導線」と呼び、メイド長マリアは「デートよ」と呼んだ。
当のエマは、呼び方を決められずにいた。
(デートって言葉は、まだ……早い気がする)
でも、胸の奥が少し浮つくのは否定できない。
街は賑やかで、屋敷より音が多い。
人の声、車輪の音、風が運ぶパンの匂い。
エマは上品に歩きながらも、時々、きゅっと手袋の指先を握りしめてしまう。
隣ではなく、半歩後ろ。
レオンは“外の距離”を守っている。
(……外だものね)
そう納得しようとしても、胸が少しだけ寂しい。
用事を終え、二人は小さなカフェへ入った。
上品で、静かで、木の香りがする。
けれど――席が、思った以上に小さい。
案内されたテーブルは二人掛け。
椅子と椅子の間隔が近い。
そして“隣”に座ると、通路を塞いでしまうタイプだ。
エマは、いつも通りに微笑んだ。
「素敵なお店ね」
「はい。採光と騒音レベルが適切です」
(採光と騒音レベル……)
エマが内心で笑いそうになった、その瞬間。
レオンが椅子を見て、真顔で止まった。
「……お嬢様」
「なに?」
「この席では、隣席が成立しません」
成立しません。
その言い方が、なぜか可笑しくて、胸がちくりとする。
(成立しなくても、いいのに)
(でも、成立してほしい……)
エマが何も言えないでいると、レオンは淡々と動いた。
椅子を、少し引く。
テーブルを、ほんの数センチずらす。
通路の幅を確認し――
「配置換えを行います」
「え?」
エマが声を上げるより早く、店員が慌てて近づいてきた。
「す、すみません! お席の移動でしょうか?」
レオンは真顔で丁寧に言った。
「移動ではありません。最適化です」
店員の表情が「なにを言っているのかわからない」に変わる。
「……最適化、ですか」
「はい。隣席の確保が必要です」
エマは、顔が熱くなった。
“隣席”って、店内で言わないで……!
「レオン……っ」
小声で止めようとするが、レオンは既に“作業モード”だ。
「通路確保には最低幅が必要です。椅子を三度――」
「お客様、あの……」
店員が困惑している。
周囲のお客さんも、ちらっと見ている。
エマは上品に微笑みながら、心の中で頭を抱えた。
(どうしてこうなるの。どうしてこうなるの)
レオンはさらに真顔で言った。
「こちらの椅子を壁側へ、テーブルを十五度回転し――」
「回転……?」
店員の声が小さくなる。
エマは、もう限界だった。
勇気を出すしかない。
エマは、レオンの袖をほんの少しだけ引いた。
触れていないようで触れている、ギリギリの動き。
「……レオン」
「はい」
レオンが止まる。
視線がエマへ。
エマは、上品に微笑む“猫被り”を一瞬だけ緩めて、囁いた。
「今日は……向かいでも、いいの」
レオンの眉が、ほんのわずかに動く。
エマは、言い切るのが怖くて、でも言わないと止まらないから、続けた。
「向かいでも……あなたが見ててくれれば」
言った瞬間、胸がきゅっと縮んだ。
恥ずかしくて、逃げたくて、でも――言えた自分に少しだけ安心する。
レオンが固まった。
手が止まる。
計算が止まる。
“最適化”が止まる。
店員が、その沈黙を勘違いしたらしく、ふっと笑った。
「……仲良しですね」
エマの顔が一気に熱くなる。
「ち、違……っ」
言いかけて、飲み込んだ。
違わない。
少なくとも、昔よりずっと。
レオンは真顔のまま、ゆっくり頷いた。
「……承知しました。向かい席を採用します」
採用って言い方が、また可笑しい。
エマは急いでカップのメニューを見て、顔を隠した。
「……紅茶にするわ」
「はい。私も同様に」
店員がオーダーを取りに行く。
静かになったテーブルで、エマはようやく息をついた。
向かい席でも、レオンの目は自分を見ている。
数えないで、ただ見ている。
それだけで、少しだけ胸が温かい。
(……外でも、こうやって“見てる”って言ってくれるんだ)
紅茶が運ばれてくる。
香りが立ち上る。
レオンがふいに言った。
「お嬢様」
「なに?」
「“見ててくれればいい”は、代替案ではありません」
エマの心臓が跳ねた。
「……じゃあ、なに?」
レオンは一拍置いて、真顔で言う。
「……指示です」
エマは、咳き込みそうになった。
「し、指示……!」
「はい。受領しました」
真面目な声が、余計にずるい。
エマは紅茶を一口飲んだ。
熱い。
頬が熱い。
心も熱い。
向かい席。
でも、目は繋がっている。
それが今日は、十分だった。
・♢ー♢ー♢・
帰宅後。
時計は、きっちり15:00を指していた。
外出の予定は“効率的な導線”だったはずなのに、レオンは何故かこの時間に合わせて帰ってきたらしい。
(……合わせたんだ)
ティールームに入ると、レオンが当然のように椅子を引いた。
――隣の椅子を。
「外部では不可能でも、ここでは可能です」
淡々とした言い方。
でも、そこに“戻ってきた”という温度がある。
エマは座って、隣の距離に息を吸う。
「……さっき、恥ずかしかった」
「はい」
「あなたが、椅子を回転させようとするからよ」
「回転は有効策でした」
「だめ」
エマがそう言うと、レオンは一拍置いて――
「承知しました。回転案は破棄します」
エマは笑ってしまった。
笑った勢いで、紅茶を飲む。
もう一口飲む。
さらに飲む。
レオンが真顔で言った。
「お嬢様。飲み過ぎです」
「だって……照れるもの」
言ってしまった。
猫被りが薄い声で。
レオンが止まった。
そして、小さく――本当に小さく、頷いた。
「……承知しました」
今日は、たくさん“承知”が増える日だ。
エマはカップを持ったまま、隣の人をちらりと見た。
「……向かいでも、見ててくれる?」
レオンは、今度は手帳を開かずに答えた。
「はい。数えずに」
エマは、照れて、また紅茶を飲んでしまった。
(飲み過ぎって言われるの、嫌じゃないのよね)
隣席は屋敷で死守される。
外では、目で繋がる。
それだけで、今日は十分だった。
――エマの指輪のサイズ直し。
――紅茶の器具を扱う店の視察。
――帰りに、軽く休憩。
レオンはそれを「効率的な導線」と呼び、メイド長マリアは「デートよ」と呼んだ。
当のエマは、呼び方を決められずにいた。
(デートって言葉は、まだ……早い気がする)
でも、胸の奥が少し浮つくのは否定できない。
街は賑やかで、屋敷より音が多い。
人の声、車輪の音、風が運ぶパンの匂い。
エマは上品に歩きながらも、時々、きゅっと手袋の指先を握りしめてしまう。
隣ではなく、半歩後ろ。
レオンは“外の距離”を守っている。
(……外だものね)
そう納得しようとしても、胸が少しだけ寂しい。
用事を終え、二人は小さなカフェへ入った。
上品で、静かで、木の香りがする。
けれど――席が、思った以上に小さい。
案内されたテーブルは二人掛け。
椅子と椅子の間隔が近い。
そして“隣”に座ると、通路を塞いでしまうタイプだ。
エマは、いつも通りに微笑んだ。
「素敵なお店ね」
「はい。採光と騒音レベルが適切です」
(採光と騒音レベル……)
エマが内心で笑いそうになった、その瞬間。
レオンが椅子を見て、真顔で止まった。
「……お嬢様」
「なに?」
「この席では、隣席が成立しません」
成立しません。
その言い方が、なぜか可笑しくて、胸がちくりとする。
(成立しなくても、いいのに)
(でも、成立してほしい……)
エマが何も言えないでいると、レオンは淡々と動いた。
椅子を、少し引く。
テーブルを、ほんの数センチずらす。
通路の幅を確認し――
「配置換えを行います」
「え?」
エマが声を上げるより早く、店員が慌てて近づいてきた。
「す、すみません! お席の移動でしょうか?」
レオンは真顔で丁寧に言った。
「移動ではありません。最適化です」
店員の表情が「なにを言っているのかわからない」に変わる。
「……最適化、ですか」
「はい。隣席の確保が必要です」
エマは、顔が熱くなった。
“隣席”って、店内で言わないで……!
「レオン……っ」
小声で止めようとするが、レオンは既に“作業モード”だ。
「通路確保には最低幅が必要です。椅子を三度――」
「お客様、あの……」
店員が困惑している。
周囲のお客さんも、ちらっと見ている。
エマは上品に微笑みながら、心の中で頭を抱えた。
(どうしてこうなるの。どうしてこうなるの)
レオンはさらに真顔で言った。
「こちらの椅子を壁側へ、テーブルを十五度回転し――」
「回転……?」
店員の声が小さくなる。
エマは、もう限界だった。
勇気を出すしかない。
エマは、レオンの袖をほんの少しだけ引いた。
触れていないようで触れている、ギリギリの動き。
「……レオン」
「はい」
レオンが止まる。
視線がエマへ。
エマは、上品に微笑む“猫被り”を一瞬だけ緩めて、囁いた。
「今日は……向かいでも、いいの」
レオンの眉が、ほんのわずかに動く。
エマは、言い切るのが怖くて、でも言わないと止まらないから、続けた。
「向かいでも……あなたが見ててくれれば」
言った瞬間、胸がきゅっと縮んだ。
恥ずかしくて、逃げたくて、でも――言えた自分に少しだけ安心する。
レオンが固まった。
手が止まる。
計算が止まる。
“最適化”が止まる。
店員が、その沈黙を勘違いしたらしく、ふっと笑った。
「……仲良しですね」
エマの顔が一気に熱くなる。
「ち、違……っ」
言いかけて、飲み込んだ。
違わない。
少なくとも、昔よりずっと。
レオンは真顔のまま、ゆっくり頷いた。
「……承知しました。向かい席を採用します」
採用って言い方が、また可笑しい。
エマは急いでカップのメニューを見て、顔を隠した。
「……紅茶にするわ」
「はい。私も同様に」
店員がオーダーを取りに行く。
静かになったテーブルで、エマはようやく息をついた。
向かい席でも、レオンの目は自分を見ている。
数えないで、ただ見ている。
それだけで、少しだけ胸が温かい。
(……外でも、こうやって“見てる”って言ってくれるんだ)
紅茶が運ばれてくる。
香りが立ち上る。
レオンがふいに言った。
「お嬢様」
「なに?」
「“見ててくれればいい”は、代替案ではありません」
エマの心臓が跳ねた。
「……じゃあ、なに?」
レオンは一拍置いて、真顔で言う。
「……指示です」
エマは、咳き込みそうになった。
「し、指示……!」
「はい。受領しました」
真面目な声が、余計にずるい。
エマは紅茶を一口飲んだ。
熱い。
頬が熱い。
心も熱い。
向かい席。
でも、目は繋がっている。
それが今日は、十分だった。
・♢ー♢ー♢・
帰宅後。
時計は、きっちり15:00を指していた。
外出の予定は“効率的な導線”だったはずなのに、レオンは何故かこの時間に合わせて帰ってきたらしい。
(……合わせたんだ)
ティールームに入ると、レオンが当然のように椅子を引いた。
――隣の椅子を。
「外部では不可能でも、ここでは可能です」
淡々とした言い方。
でも、そこに“戻ってきた”という温度がある。
エマは座って、隣の距離に息を吸う。
「……さっき、恥ずかしかった」
「はい」
「あなたが、椅子を回転させようとするからよ」
「回転は有効策でした」
「だめ」
エマがそう言うと、レオンは一拍置いて――
「承知しました。回転案は破棄します」
エマは笑ってしまった。
笑った勢いで、紅茶を飲む。
もう一口飲む。
さらに飲む。
レオンが真顔で言った。
「お嬢様。飲み過ぎです」
「だって……照れるもの」
言ってしまった。
猫被りが薄い声で。
レオンが止まった。
そして、小さく――本当に小さく、頷いた。
「……承知しました」
今日は、たくさん“承知”が増える日だ。
エマはカップを持ったまま、隣の人をちらりと見た。
「……向かいでも、見ててくれる?」
レオンは、今度は手帳を開かずに答えた。
「はい。数えずに」
エマは、照れて、また紅茶を飲んでしまった。
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外では、目で繋がる。
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