執事はお嬢様の午後三時のティータイムだけは死守したい (告白は未着手ですが、隣の席だけは確定です)

星乃和花

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第15話『屋敷が“隣席儀式”を神聖視し始めたせいで大騒ぎ――お嬢様が「隣は私とあなたのだけ」と宣言してしまう15:00』

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 屋敷の空気が、なんだか変だった。

 朝から使用人たちがやけに小声で、やけに真剣で、やけに……目が輝いている。
 しかも、その視線が微妙にエマの方へ集まっている気がする。

(……私、何かしたかしら)

 エマは廊下を優雅に歩きながら、内心で首を傾げた。
 猫被りの微笑みは崩さない。
 崩さないが――背中がむずむずする。

 曲がり角で、ふと耳に入る囁き。

「……15:00は聖域だって」

「椅子の角度が重要らしいわ」

「今日こそ“成功”を……」

 エマの足が、ぴたりと止まった。

(せ、聖域?)
(成功?)

 胸がひゅっと縮む。
 嫌な予感が、する。

 エマは何事もなかったふりで歩き出したが、通り過ぎた後で、背中の方から声が漏れる。

「隣席儀式……」

 ――隣席儀式。

 その単語が脳内で反芻され、エマは危うく転びそうになった。

(やめて……!!)

 頬が熱い。
 熱すぎる。
 顔面が舞踏会のシャンデリアみたいになっている気がする。

(何を、どこまで、誰が、どうして……!)

 エマはとにかく冷静を装い、最初に頼れる相手――メイド長マリアを探した。

 ・♢ー♢ー♢・

 マリアは洗濯室の前で腕を組み、肩を震わせていた。
 笑いを堪えている顔だ。
 あ、犯人だ。多分。

「マリア」

「はい、お嬢様」

「……何が起きているの?」

 エマが小声で訊くと、マリアは一瞬だけ真面目な顔を作った。

「屋敷が平和です」

「違う意味で平和じゃないわ」

 マリアが吹き出しそうになるのを堪え、言った。

「……あのね、お嬢様。
 隣席が定着したでしょ?」

 エマは顔を覆いたくなった。

「……したわね」

「それで使用人たちが、勝手に“儀式”にしてるの」

「なぜ!?」

「尊いから」

 即答だった。
 迷いが一切ない。

 エマは小さく呻いた。

「……やめて」

「無理。もう育ってる」

「育ってるって何……」

 その時、遠くから真面目な声が聞こえた。

「15:00の廊下は静粛に。
 話し声は控え、足音は小さく」

 エマが振り向くと、レオンがそこにいた。
 いつもの真顔。いつもの姿勢。
 ――そして、いつも通りの“やばいことを淡々と言う”気配。

 エマは、喉の奥がひゅっと鳴るのを感じた。

「レオン……?」

 レオンは手帳を開き、淡々と続ける。

「本日の運用確認です。
 “隣席の椅子は磨き専任”が設置されました。
 “廊下静粛化”も実施されます。
 成功条件は“お嬢様の笑顔”とのこと」

 エマは、固まった。

「成功条件……?」

 マリアが横で肩を震わせている。
 笑いを堪えきれていない。

「レオン、あなた……何言ってるの?」

 エマの声が震える。
 レオンは真顔で言った。

「安定運用に資すると判断しました」

 判断!?
 判断って、あなたが判断したの!?

 エマは心の中で頭を抱えた。
 そして、言葉が出た。

「それは、安定運用じゃなくて――」

 マリアが割り込む。

「煽ってるのよ」

「煽っていません」

「煽ってるの。あなたの真顔が一番煽るの」

 マリアはレオンの肩をぽんと叩いて、エマへ向き直った。

「お嬢様、落ち着いて。
 使用人たち、悪気はないの。
 ただ……隣に座った瞬間のお嬢様の顔、柔らかいから」

 その言葉が、胸に刺さった。

(……見られてた)

 恥ずかしい。
 でも、少しだけ――嬉しい。

 エマは唇をきゅっと結んだ。

「……私は、儀式にしたいわけじゃないの」

「うん」

「隣は……もっと、私的なものなの」

 言いながら、頬が熱くなる。
 言えるの?
 言ってしまって大丈夫?

 エマは視線を落とし、息を整えた。

(大丈夫。
 これは、私のための“勇気”)

 ・♢ー♢ー♢・

 15:00が近づくにつれ、屋敷は異様な静けさに包まれた。

 廊下から足音が消える。
 扉がそっと閉まる。
 誰かがくしゃみをしても、すぐに「しっ」と止める音がする。

(なにこれ……神殿?)

 エマはティールームへ向かう途中、使用人が“隣席の椅子”を磨いているのを見かけた。

 磨き方が丁寧すぎる。
 鏡面みたいになっている。

「……やめて……」

 エマが小声で呟いた瞬間、磨いていた子がぱっと顔を上げ、目を輝かせた。

「お嬢様! 本日も儀式、成功させます!」

(成功って言わないで!)

 エマは上品に微笑み、何事もないふりで通り過ぎた。
 通り過ぎながら、心の中で叫ぶ。

(私の人生で一番恥ずかしい儀式……!)

 ・♢ー♢ー♢・

 ティールーム。

 15:00の光。
 花。
 紅茶の香り。
 そして、隣の椅子。

 レオンが、いつも通り――いや、今日はいつも以上に“当然のように”椅子を引いた。

「お嬢様。こちらへ」

 その一言で胸がほどけるのに、今日は背中がむずむずする。
 廊下の向こうに“儀式を見守る気配”があるからだ。

 エマは座った。
 レオンも隣に座る。

 その瞬間。

 ――廊下の奥で、微かな拍手が聞こえた気がした。

「……」

 エマは無言でカップを持ち上げた。
 紅茶の湯気に顔を隠す。
 隠しきれない。

 レオンが淡々と紅茶を注ぎ、言った。

「本日は椅子の磨耗が減少しています」

「……何を報告しているの」

「磨き専任により、摩擦係数が――」

「報告しないで」

 エマの声が、少しだけ強くなった。
 レオンが止まる。

「承知しました」

 マリアが、扉の隙間から顔を出した。
 にやにやしている。

「お嬢様、今日も良い湯気ね」

「マリア」

「はいはい、失礼。儀式の邪魔はしない」

「儀式って言わないで」

 マリアが肩を震わせながら去っていく。

 エマは、深呼吸をした。

(言うなら今しかない)

 隣の人は、真顔で紅茶を見ている。
 数えていない。
 でも、きっと“守り方”がズレたままだと、儀式は続く。

 エマはカップを置いた。
 小さな音がした。
 合図じゃない。
 覚悟の音。

「レオン」

「はい」

 エマは、視線をレオンへ向けた。
 頬が熱い。
 手が少し震える。

 小声で言う。
 誰にも聞かれないように。
 でも、隣の人には届くように。

「隣は……皆の儀式じゃなくて」

 レオンが瞬きを止める。

 エマは続けた。

「私とあなたのだけにして」

 言った瞬間、胸が痛いほど跳ねた。
 言ってしまった。
 言えた。

 レオンは一拍、動かなかった。
 そして、真顔のまま頷いた。

「承知しました」

 いつもの言葉。
 でも、今日は“救い”だ。

 レオンは淡々と付け加える。

「秘匿化します」

「……秘匿化?」

「はい。情報の拡散を抑制し、当該事象を私的領域へ戻します」

 エマは、耐えきれず――小さく笑ってしまった。

「……あなた、それ、言い方」

「適切です」

「適切すぎて……もう」

 笑ってしまう。
 笑ったら、胸が温かい。

 レオンが、ほんの少しだけ声を落とした。

「お嬢様の望む形で、守ります」

 “守る”が、今日は数字じゃなく、ちゃんとエマに向いている。

 エマは、紅茶を一口飲んだ。
 香りが優しい。
 隣の気配が、優しい。

 廊下の向こうで、誰かが「秘匿化……」と呟いた気配がして、エマは思わず目を丸くした。

「……聞こえてる」

「秘匿化が必要です」

「今すぐね」

「承知しました」

 エマはまた笑ってしまった。

 隣は、儀式じゃない。
 でも、隣の時間が“特別”なのは確かだ。

 それを、私とあなたのだけにする。
 今日、そう決められた。
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