『ちいさな呪われ雑貨店のゆる解呪マニュアルーーなんだかんだ生存中のあなたへ』可愛いシリアスコメディ

星乃和花

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第1話 ──「自己否定仕分け係、募集中?」

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 翌朝、目覚ましのベルより先に、スマホのバイブ音で目が覚めた。

 いつものように、仕事のチャット通知。
 寝ぼけた視界のまま画面を開くと、「昨日の件、こっちでフォローしといたから気にしないで」の文字が並んでいる。

(気にしないで、ね……)

 ありがたい。けど、やっぱり胸のどこかがぎゅっとなる。

 布団の中で小さく息を吐いてから、勢いをつけて起き上がった。
 洗面台の前で顔を洗い、鏡に映る自分と目が合う。

「……どうせ今日も、何かしらやらかすんだろうなあ」

 習慣みたいになっている独り言を口にして、ふと手が止まった。

(あ)

 昨日のことが、急に鮮やかに蘇る。

 路地裏の、小さな雑貨店。
 しゃべる花瓶と、おっとりした店主。
 「自己否定、お持ち込みください」と書かれた看板。

(夢じゃ、なかったよね)

 半信半疑のまま、制服に着替え、
 通勤バッグの中身を確認する。

 社員証、財布、折りたたみ傘。
 そして――マグカップ。

 恐る恐る取り出すと、
 昨日と違うことに、すぐ気づいた。

「……え」

 白い陶器の側面。
 黒いマジックで殴り書きされた『どうせ私、またやらかします』の文字が、
 薄くなっていたのだ。

 完全に消えているわけじゃない。
 だけど、上から新しい文字が、同じく黒で、追記されている。

『どうせ私、またやらかします(けど、とりあえず今日も生きて帰る)』

 括弧の中が、店主の字だと、なぜか直感した。

(勝手に追記してる……)

 ツッコむ相手がいないキッチンで、思わず眉をひそめる。
 でも、声に出して読んでみると。

「……今日も生きて帰る、か」

 なんだか、ちょっとだけ笑えてしまった。

 大げさなくらいに聞こえるのに、
 その大げささが、今の自分にはちょうどよかった。

 だって、ほんとうは。
 「ミスしないように」よりも前に、
 「今日もちゃんと一日を終えたい」と思っている自分が、たしかにいるから。

「……しょうがない。責任、取りに行くか」

 マグカップをバッグに戻しながら、小さく呟く。

 あの店主が勝手に追記したのだとしたら、
 クレームのひとつでも言いに行く権利は、わたしにあるはずだ。

 そう思っている時点で、
 もう行く気になっていることには、まだ気づかないふりをした。

 ◇

 会社では、予想通り……と言うべきか、
 いつもと大して変わらない一日が過ぎていった。

 書類を三回チェックしても、小さな誤字がひとつ見つかる。
 電話を取れば、相手の名前を一度で聞き取れない。
 上司に報告へ行くタイミングを逃し、
 「次からは早めに相談してね」と注意される。

(ほら、やっぱり)

 マグカップに追記された括弧内の文言――
 「とりあえず今日も生きて帰る」が、
 頭の片隅で、ちいさく点滅しているような感覚があった。

 昼休みにデスクでカップにお茶を注いだとき、
 同僚が興味深そうに覗き込む。

「なにそれ、またやらかします……? あー、○○(わたし)、自虐キャラ路線で行くことにした?」

「……路線変更のつもりはないんだけど」

「でもまあ、そうやって笑いに変えられるの、強いよね~。尊敬するわ」

 軽い調子のその言葉に、
 反射的に「いやいや」と笑ってみせながら、
 心のどこかで、少しだけ寂しくなる。

(笑いに変えられるから、強い?)

 本当にそうだろうか。

 強がっているだけじゃないかと、
 誰かひとりくらい疑ってくれてもいいのに。

 そんな子どもみたいな願いが、
 自分の中にあることが、また恥ずかしかった。

(……やっぱり、あの店に行こう)

 結局のところ、わたしの背中を押したのは、
 「責任」ではなく、「誰かにちゃんと突っ込んでほしい」という、
 よくわからない欲求だったのかもしれない。

 ◇

 仕事を終えて、昨日と同じ路地に足を踏み入れる。

 電灯の少ない細道は、やっぱり心持ち暗い。
 けれど、一番奥で灯る小さな明かりが、
 昨日よりも早く目に飛び込んできた。

 看板も、ちゃんとぶらさがっている。

『自己否定、お持ち込みください
 本日、軽めのやつからセール中』

「……セールってなに」

 思わず声に出してしまう。

 誰が書き足したのか、
 昨日はなかった「セール中」の一文が、やけにゆるい。

 半笑いのまま扉を押すと、あのベルがちりんと鳴った。

「いらっしゃい。昨日の“初診さん”だね」

 カウンターの向こうには、変わらず店主。
 ゆるいニットにエプロン姿のまま、
 古そうな分厚い本をぱたんと閉じて、こちらを見る。

「あの、その呼び方やめてもらえます?」

「不評か。じゃあ、“マグカップさん”?」

「もっとひどくなってますけど」

 店に入った瞬間からこの調子だ。

 なのに、会話のテンポが、妙に心地いい。
 じんわりと緊張がほどけていく。

 ふと横を見ると、
 昨日の欠けた花瓶が、棚の上からこちらを眺めていた。

「あら、昨日の人」

 花瓶が、嬉しそうに(そう見える)声を上げる。

「あなたのマグカップさん、とっても賑やかなのよ。“またやらかしましたー!”って、何回も叫んでるわ」

「やめてください、その報告」

 たしかに、今日もいくつか小さなミスはしたけれど。

 心の中の自虐が、雑貨を通して外に筒抜けになっているような気がして、
 なんとも言えない居心地の悪さと、笑いが同時にこみ上げる。

 店主が、ひらりと手を振った。

「まあまあ。君が来たってことは、そのマグカップも連れてきてくれたわけでしょ?」

「あ、はい。これ……」

 バッグから例のマグカップを取り出し、カウンターに置く。
 店主はそれを覗き込み、にやりと笑った。

「お、追記、ちゃんと読んでくれた?」

「読みましたけど……勝手に書き足すの、どうかと思います」

「勝手にっていうか、あれ、うちの標準サービスなんだよね。“初回お試しタグ付けキャンペーン”」

「キャンペーン……」

 ここまでくると、もはや感心したくなってくる。

「で。読んでみてどうだった?」

 問われて、少しだけ迷う。
 言葉にするのが、恥ずかしかったからだ。

「……なんか、大げさだなって思いました」

「ふむふむ」

「でも、その、大げさなくらいでちょうどよかった、かも……です」

 最後のほうは、小さな声になった。

 店主は「うん」と相槌を打ち、
 カウンターの下から、何かを取り出した。

 A5サイズくらいの、白い冊子。
 手書きのタイトルが表紙に躍っている。

『ゆる解呪マニュアル(仮)』

「仮って付いてますけど」

「いつでも改訂できるようにね」

 店主はそれを、ぱらぱらとめくった。

「第一条。“今日を終えることは、大事件である”」

「いきなり重いですね?」

「第二条。“大事件を、できれば何回も起こしてほしい”」

「……それ、ちょっと好きかもしれません」

 思わず漏らした本音に、
 店主が嬉しそうに目を細めた。

「よかった。じゃあ君は、うちのマニュアルと相性がいい」

「マニュアルと相性がいい?」

「そう。というわけで、昨日の続きなんだけどさ」

 店主は冊子を閉じ、こちらに向き直る。

「本気で考えてみてくれた? うちで働く話」

 ド直球だ。

 昨日、なんとなく聞き流していた一言が、
 改めて目の前に差し出される。

「えっと……そんな急に言われても」

「急にじゃないよ。君、もう半分くらいは決めてる顔してる」

「してません」

「してる。少なくとも、“また来る”ことは迷わなかったでしょ?」

 図星だった。

 路地に入るとき、足は自然にあの扉を目指していた。
 迷う隙間もなかった。

「……でも、わたし、人と話すのあまり得意じゃないですし」

「うちの主なお客様は雑貨だから、問題ないよ」

「それはそれで問題あるような」

「それに、自己否定を真に受けやすい人のほうが、この仕事には向いてる」

 店主は、カウンターのマグカップを指でつつきながら言う。

「“そんなことないですよ”って、軽く言い返せる人だけだと、
 ここに来る雑貨たちの話は、たぶん最後まで聞いてもらえない」

 言いながら、彼の視線が、棚の上の花瓶や、
 奥のほうのレースハンカチに向かう。

「あの子たち、自分で自分を下げることにかけてはプロだからね。
 適当に笑い飛ばされちゃうと、逆に拗ねる」

「……拗ねるんですか」

「うん。“どうせそんなふうに扱われると思ってた”って」

 それは、どこかで聞いた台詞だった。

 胸の奥が、きゅっと縮む。

 わたしだって。
 自虐に、笑いで返されるだけのとき、
 「そうだよね、そのくらい軽い話だよね」と笑いながら、
 同時に少しだけ拗ねていた。

(わかってほしい、なんて、言えないけど)

 店主は、わたしの顔色をちらりと見て、
 わざとらしく肩をすくめてみせた。

「まあ、無理にとは言わないよ。
 ただ、もし君がうちで働くなら――」

 そこで一拍置く。

「“自分の自己否定の扱い方”を、実地で一緒に勉強できる。
 これは、かなりお得な福利厚生だと思うんだけどなあ」

「福利厚生の説明でそんなこと言う会社、聞いたことないです」

「ここ、会社じゃなくて店だし」

 さらっと言い返されて、笑いが漏れる。

 でも、その「実地で一緒に勉強できる」という言葉が、
 妙に心に引っかかっていた。

(誰かと一緒に、勉強する……)

 自己啓発本や心理学のコラムを読むたびに、
 「頭ではわかるけど、実践できない」と落ち込んできた。

 それを、「一緒にやってみる」と言ってくれる人が現れるなんて、
 ちょっと反則だ。

「ちなみに、勤務条件は?」

 気づけば、具体的な質問をしていた。

 店主は「来た」と言いたげに、口角を上げる。

「基本、夕方から閉店まで。君の本業が終わってから、三時間くらい。
 時給はそこそこ。自己否定の回収量に応じて、店長からのおやつ支給あり」

「最後の項目が一番それっぽいです」

「あと、従業員割引で、自分の呪いをちょっとだけ安く預けられる」

「……それ、だいぶ魅力的かもしれません」

 わざと真面目な顔で返すと、
 店主も同じく真面目な顔で頷いた。

「だろうね」

 カウンターの上に、A4サイズの紙が一枚置かれる。
 手書きの字で「アルバイト募集要項」と書かれている。

 その下に並ぶ条件は、どれも少しおかしかった。

 ――自己否定を他人より多く持っている人、歓迎。
 ――「どうせ」「わたしなんて」を、日常語として使ったことがある人、優遇。
 ――他人の失敗や弱音で、引いたり笑ったりしない人。

「……ずるいですね、これ」

「どのへんが?」

「ぜんぶ、自分に当てはまるので」

 読みながら、苦笑いを浮かべる。

 店主は、にこにこしながらペンを差し出した。

「じゃあ、名前を書いてくれたら、それで採用」

「面接とか、履歴書とかは?」

「ここまで来た時点で、面接は合格。
 履歴書は、そのうち君の自己否定が勝手に語ってくれる」

「それ、聞くの怖いんですけど」

「怖いときは、“ゆる解呪マニュアル”片手に一緒に見るから大丈夫」

 その言い方が、ひどく自然だった。

 「大丈夫」と言われて、本当に大丈夫だろうかと疑う前に、
 「あ、たぶん大丈夫かも」と思ってしまうような、不思議な声音。

 わたしはペンを受け取り、
 アルバイト募集用紙の「氏名」の欄に、そっと名前を書いた。

 カウンターの上で、インクが乾いていく。

 それを見届けてから、店主が小さく拍手をした。

「ようこそ、“ちいさな呪われ雑貨店のゆる解呪部”へ」

「そんな部署名でしたっけ」

「今つけた」

 気まぐれにもほどがある。

 でも、嫌じゃなかった。

 店主が、さっそくとばかりに冊子を開く。

「じゃ、初出勤の記念に、“ゆる解呪マニュアル”の第三条まで読み合わせしようか」

「まだ第一条と第二条しか聞いてないんですけど」

「第三条は、今から君に考えてもらうから」

「……え?」

 唐突に回ってきた無茶振りに、思わず固まる。

 店主は楽しそうに笑った。

「だってマニュアルって、現場の声が大事だからね。
 “自己否定仕分け係”としての、君の第一声。
 第三条に採用します」

 自己否定仕分け係――。

 そんな役割を、自分にあてがわれる日が来るとは、思いもしなかった。

 でも、悪くない響きだ。

(第三条、か……)

 何を書くべきか、すぐには浮かばない。
 けれど、ゆっくり考えてもいい気がした。

 だってここは、そういうスピードを許してくれる場所だから。

 マグカップの側面の文字――
 『とりあえず今日も生きて帰る』が、
 目の端で、少し照れくさそうに笑っているように見えた。

 ――こうしてわたしは、
 ちいさな呪われ雑貨店の“新人ゆる解呪係”として、
 初めての一歩を踏み出したのだった。
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