氷の参謀、うっかり拾った天使に勝てない——おやつと陽だまりで国が回る恋。

星乃和花

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第7話 嫉妬の温室

 午前の鐘が二つ。東の回廊に「ソラナ嬢、少々!」が重なった。
 式典課、文芸局、医務局、さらには蔵書院の書記官まで——首札の葉印を見つけるなり、次々に差し出される**“ちょっとだけ”**の相談。

「声枯れに効く蜂蜜塩の濃度は」「祝詞の前に甘すぎない温度は」「蔵書の虫除けに相性のいいハーブは」……。

 呼び止めた者たちは、ソラナの返事に頷きながらも視線は首札を気にしていた。作戦室付。
 “作戦室の人”を取り合っている空気が、薄く漂う。

「——窓口は私だ、と何度言えば」

 アークトが回廊の角に現れた。声は冷たいが、歩幅が速い。
 ヨナスが半歩後ろで書類を抱え、心底楽しそうに欄外メモを増やす。

「参謀、人気の温度、上がってます」
「不必要な上昇だ。散れ」

 散った。人影が蜘蛛の子のように。
 残されたソラナは、困った笑顔で首札を押さえる。

「ごめんなさい。首札、軽いのに、私が重くしちゃってる気がして」
「重いのは札ではない。割り込みだ」

 自分でも言葉が固いとわかる。固さは、嫉妬という名の温度に触れると脆い。
 アークトは一拍だけ目を伏せ、短く加えた。

「……安全のためだ。動線が乱れる。君の“居場所”が曖昧になる」

「居場所……はい」

 ソラナは素直に頷いた。けれど、去り際に彼を見上げた目が、どこか確かめるみたいに揺れた。



 温室。硝子に朝の薄雲が流れ、葉は光を刻んでいる。
 ソラナは調合台に“猫舌温”の器を並べ、柑橘蜜の量を計った。

「今日は軽議題なので、柑橘ちょっと弱め。参謀の分は——第0順で」

 アークトが目を瞬く。「来賓はない。……いいのか」
「はい。参謀の“待て”は別枠って言ってました」

 彼女は最初の一杯をそっと差し出した。湯気は低く、香りはやわらかい。
 アークトは黙って受け取り、一口。喉がすうと落ちる。最初に落ちる。

「——悪くない」
「ふふ、顔が柔らかくなりました」

 その瞬間、温室の扉が小さく開いて、細身の書記官が顔を出した。「あの、蔵書院からのご相談を一つ——」
 アークトの視線が真っ直ぐ飛ぶ。書記官は肩をすくめ、「後ほど参謀窓口へ」と撤退した。

 ソラナは、困り笑いで眉を寄せる。「みんな、悪気はないんです」
「悪気は要件に含まれない。手順が要件だ」

「……はい」

 返事は素直でも、声に少し影が差した。
 アークトはその影を見て、遅れて己の語尾を悔やむ。嫉妬の熱が、理屈の衣を焦がすことがある。

「ソラナ・ベル」
「はい」

「——すまない。言い方が悪かった。君が断る必要はない。断るのは私の職務だ」

 ソラナの目が一瞬だけ見開かれ、すぐに和らぐ。「参謀が守ってくれる、ってことですか」
「職務だ」

「職務、ですね」

 “職務”という堅い言葉の奥に、彼女は何を読むのだろう。
 読まれてしまうのが怖いのは、参謀にしては珍しい“私情”だ。



 その後の作戦室。議題は滑らかに進み、猫舌温は軽い配合がよく効いた。
 会議が散り、器を重ねるソラナのところへ、医務局の青年が駆け寄る。

「ソラナ嬢、その手首の赤み——冷湿布を」
「大丈夫です。朝の紐の跡で」

 青年が気遣う手を伸ばしかけた、その刹那。
 アークトの手が、先にソラナの手首を取った。軽く持ち上げ、結び目の位置を直すような、合理的な角度で。

「私の補佐に、無断で触れるな。医務の所掌なら、手順で申請しろ」

 青年は顔を赤くして下がる。「失礼しました、参謀」
 ソラナは一瞬ぽかんとして、すぐに苦笑した。

「参謀。……ちょっと、かっこよかったです」
「手順を守らせただけだ」

 ヨナスが欄外メモをひらり。「議事録追記:“局所的な温度上昇、参謀の周囲に観測”」
「削除しろ」
「“叙情の削除”として記録します」

 軽口が過ぎたところで、ソラナが彼の袖を摘む。
 彼の顔へ、両手がすっと伸びる。今日のむにっは、いつもより短い。けれど、効き目は同じだ。

「難しい顔、禁止です。——その、嬉しかったので」

「何がだ」
「“断るのは私の職務”って。守られてる感じがして」

 言われた本人のほうが、守られている。
 アークトは内心で苦笑し、こめかみに残る温度を黙って受け入れた。



 午後の温室。ディルク侯がふらりと現れ、首札を一瞥して口角を上げる。

「招待状、撤回の件は伝えた。代わりに費用だけ負担する。猫舌温の器、もう少し大きいものを港へ回せ」
「助かる」
「ただ、アークト。君の顔、難しいぞ」
「禁止されている」

 ディルクは笑い、去り際にソラナへ小声で囁く。「嫉妬は、悪くない。温度があると、港はよく動く」

 ソラナは目を丸くし、アークトのほうを見る。
 アークトはわずかに首を振り、視線で「聞かなかったことにしろ」と伝える。彼女は素直に頷いて、猫舌温・港用の器配備表を書き始めた。

「参謀、他部署の相談が多いの、どうしましょう」
「時間を作る。毎月一度、温室で“公開十五分”。他部署の温度相談はその枠で聞け。——それ以外は、窓口に回す」

「わぁ、いい。居場所は守られたまま、会いに来てもらえる」

 ソラナの声に、影が完全に消えた。
 アークトは胸の奥で、ひとつ息を吐く。嫉妬を構造に変える。参謀にできる唯一の“私情の処理”だ。

「公開十五分、名前は?」とヨナス。
「“温度井戸端”」とソラナ。
「かわいすぎる。……が、覚えやすい。採用」



 夕刻。日差しが斜めになり、温室の影が長く伸びた。
 ソラナは片付けを終え、首札を指で弾く。「今日、参謀に第0順で渡せて、嬉しかったです」
「効果はあった」

「はい。参謀の“待て”も、ちゃんと別枠で」

 言いながら、彼女は彼の前に立つ。人差し指と中指をそろえ、こめかみに置くだけ。

「予告むにっ。——忘れてません?」

 アークトは目を閉じ、一秒間だけ、その温度を受け止めた。
 開けた目に、陶器の白が映る。猫舌温の空いた器。今日も最短で合意へ辿り着いた証。

「忘れていない」
「よかった」

 彼は、心の議事録に小さく追記する。

 「嫉妬は資源。構造に変えれば、居場所を守る力になる」。
 ——そして、彼女の掌は、今日も計画という名の氷を、ちょうどいい温度へ戻した。
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