『心読み令嬢の最適解は、きみのとなり』 – 数字にならない気持ちを、あなたと見つける –

星乃和花

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第4話 数字にない優しさ

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 図書館でのボランティアが始まって、数日が経った。

 アリアはもう、朝の空気の変化で「今日の図書館の機嫌」がだいたいわかるようになっていた。
 扉を開けた瞬間に流れ込んでくる、紙とインクと静けさの匂い。

 ——集中度65。
 ——穏やかさ72。

(今日も、いい感じ)

 そう判断するときの自分の数字は、決まってこうだ。

 ——安心度50。
 ——楽しみ度35。

 社交界では滅多に動かない「楽しみ度」が、図書館では毎回きちんと上昇する。
 そのことに気づいたとき、アリアはこっそり頬を緩ませた。

「アリア様、おはようございます」

 司書用カウンターの奥から、いつもの落ち着いた声が聞こえる。

「おはようございます、ユリウス様」

 今日は、書庫の奥で「分類不明」の古書たちの棚卸しをする予定だ。
 書名がかすれて読めない本や、いつからあるのかもわからない謎の冊子をひとつずつ確認して、目録を作り直す仕事。

(地味だけれど、嫌いじゃないわ)

 アリアがそう思っていると、ユリウスが何やら布の包みを手にして戻ってきた。

「これを、お使いください」

「これは……?」

「座布団です。昨日、アリア様が長時間椅子に座っておられたので。書庫の椅子は硬くて冷えますから」

 手渡されたのは、小さな薄いクッションだった。
 素朴な灰色の布地に、さりげなく星の刺繍がしてある。

「図書館の備品を、お借りしても?」

「僕の私物ですから、ご安心ください」

「私物……」

 アリアはほんの少し言葉を失った。

(自分のためのものを、当然みたいに人に差し出せるのね)

 ありがとう、と口にすると、自分の数字がふわりと跳ねる。

 ——嬉しさ42。
 ——戸惑い25。
 ——くすぐったさ30。

 ユリウスの頭上には、やはり何も浮かばない。
 けれど、彼の指先が少しだけ照れくさそうに布を整えているのを見て、「後悔していないのだけは確かだ」とわかった。

「では、書庫に参りましょうか」

 *

 書庫の奥は、閲覧室よりもひんやりとしていた。
 高くそびえる本棚の間を、ふたりで歩いていくと、足音が静かに吸い込まれていく。

「ここから先は、段差が多くなります。足元にお気をつけください」

「はい」

 ユリウスは先に歩きながら、何度もさりげなく振り返る。
 アリアが階段を上るときは歩幅を合わせ、狭い通路では自然と身体を少し横にして道を譲る。

 どれも「礼儀」と言ってしまえばそれまでの動作だが、そのどれもが過不足ない。

(計算じゃない“自然”って、本当にあるのね)

 そんなことを考えていると、ふたりの前方から別の司書の慌ただしい声が聞こえてきた。

「ユリウスさん!」

「どうしました?」

「先日ご予約のあった貴族様が、閲覧室でお待ちなんですが……その、例の本が見つからなくて」

 若手司書の頭上には、「焦り85」「自責60」が渦巻いている。

「昨晩、確かにこの棚に戻したはずなんですが、どこにも……。予約カードは残っているのに……!」

 アリアは、棚に貼られた古いラベルを見回した。
 書名はかすれて読みにくい。分類番号も、ところどころ剥がれている。

(これは……数字以前に、物理的な混乱ね)

 ユリウスはすぐに状況を把握したようだった。

「わかりました。一緒に探しましょう。アリア様、申し訳ありませんが、少しお待ちいただけますか?」

「わたくしも、お手伝いしてもよろしいでしょうか?」

「ですが——」

「本の背表紙を読むくらいなら、もう慣れましたわ。三人のほうが早く見つかるでしょう?」

 ユリウスは、ほんの少し迷うように瞳を揺らしてから、頷いた。

「……ありがとうございます。では、お願いします」

 三人で手分けして棚を確認し始める。
 アリアは、数字ではなく目を使って、本の様子をひとつずつ追っていった。

(タイトルの頭文字、“星印付き”のラベル……。ラナなら、“宝探しみたい”って喜びそうね)

 そんなことを思い出して、少しだけ口元が緩んだそのとき——。

「あった」

 ユリウスの低い声がした。

 彼の手には、問題の本がある。
 古びた表紙に、小さな銀の星型が刻印されていた。

「どうして、そんなところに……」

 若手司書が首をひねる。

「分類ラベルが剥がれかけていますね。別の棚の本と一緒に戻されてしまったのかもしれません」

 ユリウスは淡々と言いながら、本の背表紙を優しく撫でた。

「ひとまず、ご予約の方のもとへお持ちしましょう。説明はこちらでしますので、あなたは通常業務を」

「で、ですが、ミスをしたのは……!」

「どちらのミスかを確かめるより、お待たせしている方を安心させるほうが先です」

 きっぱりとした口調だった。

 アリアは、その言葉に小さく目を見張る。

(責任の所在より、“今必要なこと”を優先している)

 最適解だけを追い求めてきたアリアなら、きっと「誰のミスか」を確認してから対応していた。再発を防ぐためにも、そのほうが合理的だと考えるだろう。

 でもユリウスは、まず「待っている人」のほうを見ている。

(それは、数字としては“効率が悪い”かもしれないけれど——)

 きっと、「安心度」や「信頼度」のグラフに、じんわり効いてくるやり方だ。

「アリア様。申し訳ありませんが、こちらの本をお持ちいただいても?」

「えぇ、もちろんですわ」

 アリアは、本を大切に抱え、ユリウスとともに閲覧室へ向かった。

 閲覧室では、一人の気難しそうな貴族紳士が腕を組んで座っていた。
 頭上には、「苛立ち65」「見栄40」「退屈55」がくっきりと浮かぶ。

(怒りが大きくなる前に、“誠実さ”を見せるのが最適ね)

 そう判断したアリアが口を開こうとした瞬間、ユリウスが一歩前に出た。

「お待たせして申し訳ございません。お探しの本を、お持ちいたしました」

 彼は、深く頭を下げた。

「書庫の整理が行き届いておらず、すぐにお出しすることができませんでした。完全に、こちらの不手際です。今後はこのようなことのないよう、棚の見直しとラベルの修復を徹底いたします」

 ——責任を引き受ける度80。
 ——自分への厳しさ70。

 アリアは、その背中を見つめながら、胸の内で思う。

(本当は、あなた一人のせいではないのに)

 貴族紳士の怒りは、ユリウスの低く落ち着いた謝罪で、少しずつしぼんでいく。

「……ふむ。わかれば良い。今度からは気をつけたまえ」

「はい。重ねて、お詫び申し上げます」

 本を受け取った紳士の頭上には「満足度40」「許容度60」が浮かんでいた。
 ひとまず“大事”にはならなそうだ。

 閲覧室を離れたところで、アリアは口を開いた。

「ユリウス様。今の、本来なら——」

「えぇ。僕だけの責任ではないでしょう」

 ユリウスは、あっさりと認めた。

「でも、あの方が知りたいのは、“誰が悪いか”より、“ちゃんと本を扱ってもらえているかどうか”だと思ったので」

「……」

「それに、僕はこの図書館の顔のひとりですから。こういうときは、前に出る役目なんです」

 さらりと言うその声音に、無理をしている色はなかった。
 ただ、「そうすると決めている」人の強さだけがある。

(まったく。どうしてそんな、割に合わない役回りを)

 アリアの中の「最適解計算機」が、カタカタと抗議している。
 なのに、心の別の場所では——その選択を「美しい」と感じてしまっていた。

(この人を、数字で測ろうとするほうが間違いなのかもしれないわね)

 書庫へ戻る途中、アリアはふと、ユリウスを見上げた。

「ユリウス様」

「はい?」

「あなたは、いつも“誰かのそばにいる図書館”でいたいと仰っていましたわね」

「えぇ、そうですね」

「……その図書館の“司書”も、誰かのそばにいる人でありたい、と?」

 問いかけると、ユリウスは少しだけ驚いたように目を瞬いた。

 やがて、小さく笑う。

「そうかもしれません」

 数字にならない、その笑顔。
 でも今なら、その意味が少しだけわかる気がした。
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