『心読み令嬢の最適解は、きみのとなり』 – 数字にならない気持ちを、あなたと見つける –

星乃和花

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第3話 ボランティア令嬢、書庫に入る

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「図書館の、お手伝い……でございますか?」

 老司書長の眉が、もともと細い線をさらに細くした。

 アリアは、応接室の椅子の端に品よく腰掛けながら、こくりと頷く。

「はい。もともと読書は好きですし、先日伺ったとき、蔵書のお手入れが大変そうでしたから。もしお役に立てるのなら、少しでも力になりたくて」

 ——好印象40。
 ——警戒度22。
 ——戸惑い33。

 司書長の頭上には、そんな数字が並んでいる。

(慎重にいかないと)

 アリアは、にっこりと笑顔を深めた。

「もちろん、正式な職員としてではなく、あくまでボランティアとして。わたくしがこちらにいられるのは限られた時間ですし、図書館の規則も尊重いたします」

「は、はぁ……しかし、エルネル家のご令嬢に、そんな雑務をお願いするわけには……」

「雑務だなんて、とんでもない。知識の保管は、この国の宝を守ることですもの。とても崇高なお仕事だと思いますわ」

 さらりと甘い言葉を乗せると、司書長の頭上の数字が、少しだけ変化する。

 ——誇り度+15。
 ——受け入れ傾き45。

 そこへ、控えていたユリウスが口を開いた。

「司書長。蔵書の修復や整理に、人手が必要なのは事実です」

 落ち着いた声だが、その中に、ほんの少しだけ真剣な響きが混ざっている。
 アリアは横目で彼を見た。

(あら、擁護してくれるの?)

 ユリウスの頭上には相変わらず何も浮かばないが、その言葉選びからは、彼なりの意志が見て取れる。

「もちろん、安全面には十分配慮いたします。高いところの本の出し入れや、重い荷物の運搬は僕たちが行いますし、アリア様には、机上での目録整理や、紙の状態確認などをお願いできればと」

「……ふむ」

 司書長は白い顎ひげを撫でながら、じっとアリアを見つめた。

 数字では測れない沈黙。
 けれど、アリアにはその間に、司書長があれこれと思考をめぐらせているのがわかった。

 ——「貴族の令嬢を受け入れたときの責任」。
 ——「図書館にとってのメリットとリスク」。
 ——「若い司書たちの負担が減ること」。

 それらは数字よりもむしろ、重さや温度として伝わってくる。

(ここで、背中を押すひと言)

 アリアは、ほんの少しだけ姿勢を正した。

「わたくしも、もう子どもではありません。もし何かあれば、自己責任であることも理解しておりますわ。……それに」

 一呼吸おいて、ぽつりと本音を混ぜる。

「この場所が、とても好きになってしまったのです。昨日、初めて足を踏み入れたばかりなのに、不思議なくらい落ち着いて……。もし許されるなら、この静けさの中で、少しでもお役に立ちたいのです」

 司書長の目が、わずかに柔らかくなった。

 ——信頼度40。
 ——受け入れ決定85。

「……そこまで仰るのであれば」

 やがて、司書長は深く息を吐いた。

「条件付きで、お受けしましょう。ただし、本格的な修復作業や、危険な薬品を扱う仕事はお任せできません。あくまで補助的な作業に限る。それでよろしいですか?」

「はい、十分ですわ」

 アリアは、花がほころぶような笑顔を浮かべた。
 ふと横を見ると、ユリウスがほんの少しだけ表情を和らげているのが見える。

 やっぱり、数字は出ない。
 でも、不思議と「良かったですね」と言われたような気がした。

 *

 こうして、「心読み令嬢のボランティア勤務」は、翌日から始まった。

 最初の仕事は、「紙の状態確認」だった。

「こちらが、状態を見ていただきたい本です」

 書庫の一角で、ユリウスが机の上に数冊の本を並べる。
 古びた革の装丁、色あせた背表紙。
 ページの端は、ところどころ黄ばんだり、欠けたりしている。

「表紙の傷み具合、ページの破れ、インクの滲み。気になる箇所があれば、この表に印をつけてください。修復が必要なものから優先して対応します」

「わかりましたわ」

 アリアは袖を少し捲り、慎重に本を開いた。
 紙の触り心地は、想像以上に繊細だった。
 指先に、ほんの少しざらりとした感触と、薄い粉のようなものが残る。

「力を入れすぎると破れてしまうので、ゆっくりめくってくださいね」

「はい」

 素直に頷きながらも、アリアの頭上には小さな数字が浮かんでいる。

 ——緊張度45。
 ——慎重度70。
 ——楽しみ度25。

(数字にしたら、意外と悪くないわね)

 やがて、彼女は紙の表面のかすかな波を見分けられるようになっていった。
 湿気を含んでいるもの、乾燥しすぎてひび割れかけているもの。

(これって、人の心と同じだわ)

 そう気づいたとき、ふと笑いがこみあげた。

「何か、おかしかったでしょうか?」

 いつの間にか隣に来ていたユリウスが、首を傾げている。
 アリアは慌てて首を横に振った。

「いいえ。ただ、紙の状態を見ているのに、気づけば“誰かの心”のことを考えていて。……わたくし、やっぱり少し変なのかもしれませんわね」

「変、でしょうか」

 ユリウスは、少しの間考えてから、静かに言った。

「僕には、とても自然なことのように思えます。言葉も、本も、人の心から生まれたものですから。似ていて当たり前だと思いますよ」

(……この人、本当に“天然”なの?)

 思わず、疑いたくなるほどの言葉の選び方だ。

 褒めるでもなく、慰めるでもなく。
 ただ、そこにある事実を丁寧に言葉にしているだけ。

 それなのに、アリアの胸のどこかが、じんわりと温かくなる。

「それに」

 ユリウスは、机の上の本を一冊手にとった。

「紙は、傷んでいても修復できます。……人の心は、もっと難しいのかもしれませんが」

「えぇ。とても」

「でも、誰かがそばで見ていてくれるだけで、少し持ちこたえられることもあると思います」

 さりげなく添えられた一文に、アリアは言葉を失った。

 ——支えられた感覚45。
 ——涙腺刺激25。

 普段なら、こんな数字は即座に切り捨てる。
 弱さを自覚した瞬間、そこに蓋をしてしまうのが、アリアのやり方だった。

 けれど今は、不思議と、蓋を閉めるのが惜しい。

「……ユリウス様は、どなたかの“そばで見ている人”でいたいのですか?」

 つい、そんなことを訊いてしまう。

 ユリウスは、少し驚いたように目を瞬き、それから視線を落とした。

「そう、ですね。できれば、そうありたいとは思っています」

「その“誰か”は、もう決まっているのかしら?」

 思わず、一歩踏み込んでしまった。
 自分でも意外なほど、胸がざわりと揺れる。

 ユリウスは、しばらく無言のまま本の背表紙を撫でていた。
 沈黙のあいだ、アリアの頭上に、ぐるぐると数字が動き回る。

 ——後悔度?
 ——迷い度?
 ——照れくささ?

 けれど結局、そのどれも確かめられないまま——ユリウスは、ごく簡潔に答えた。

「今は、図書館そのものかもしれません」

「図書館?」

「はい。この場所は、色々な人の“居場所”になりますから。誰にとっても、変わらずそこにあってほしいと思うんです」

 期待していたような答えではなかったのに、妙に腑に落ちる返事だった。

 ——誠実度80。
 ——嘘の気配0。

(わたくしを“特別な誰か”だと言ってほしいなんて……)

 そんなの、傲慢だ。
 そう言い聞かせながらも、どこかで物足りなさを感じる自分がいる。

(やっぱり、わたくし、少しずつおかしくなっているのかもしれないわ)

 最適解からはずれた感情が、じわじわと増えている。
 数字に置き換えられない部分が、胸の中で領土を広げている。

 *

 昼下がり。
 アリアが状態確認の仕事にひと区切りつけた頃、閲覧室から小さな騒ぎが聞こえてきた。

「お、おい、泣かせちゃまずいって……!」

「だって、この子、勝手に——」

 ユリウスとアリアが顔を見合わせ、そのまま足早に廊下を戻る。

 閲覧室の一角では、小さな男の子が目に涙を溜めて立っており、その前で若手司書がオロオロしていた。
 男の子の頭上には、「悲しみ60」「恥ずかしさ70」「怒り25」の数字がびっしり。

「ごめんね? ここは走っちゃいけない場所なんだよ」

「……でも」

 男の子は、ぎゅっと本を抱きしめたまま、つん、と唇を尖らせる。

 ——言い分を聞いてほしい度85。
 ——怒られたショック40。

(あぁ、これは——)

 アリアは、息を吸うタイミングも忘れずに、すっと男の子の前にしゃがみ込んだ。

「こんにちは、坊や。わたくし、アリアと申します。お名前を伺ってもいいかしら?」

 男の子は鼻をすすりながら、こくんと頷いた。

「……レオン」

「レオン様ね。素敵なお名前ですわ。……レオン様は、どうして走ってしまったのかしら?」

 怒るのではなく、理由を訊く。
 それだけで、「聞いてもらえた」ことが数字に表れる。

 ——安心度+20。
 ——自己主張したい度80。

「だって……」

 レオンと名乗った少年は、ぎゅっと胸元の本を抱きしめた。

「この本、続きを早く読みたかったから……。昨日、途中で帰らなきゃいけなくなって、ここで終わってて。だから、はやくここに来たくて……!」

 アリアは思わず、ふふ、と笑ってしまいそうになる。
 その肩越しに、若手司書の頭上に「困惑70」「罪悪感45」が浮かんでいるのが見えた。

「読みたかったのね、その続き」

「……うん」

「それなら、とっても素敵な理由ですわね」

 アリアはそっとレオンの目線に合わせ、にこりと微笑んだ。

「図書館は、走る場所ではないけれど——本を好きでいてくれることを、きっと喜ぶ場所ですわ。だから、次からは“本に会いに来るときの歩き方”で来てくださる?」

「……“本に会いに来るときの歩き方”?」

「えぇ。背筋を伸ばして、胸を少しだけ張って。大切なお友だちに会いに行くみたいに、丁寧に一歩ずつ歩くのですわ」

 レオンの頭上の数字が、くるりと形を変える。

 ——想像してみたい度50。
 ——素直度65。

「……やってみる」

「ありがとうございます、レオン様。きっと、本も喜びますわ」

 アリアが立ち上がると、若手司書の数字も少し落ち着いていた。

「す、すみません、アリア様……」

「いいえ。レオン様の足が速すぎたのでしょう。次からは、ここに小さな目印を置いて、“ここからは静かな歩き方でお願いします”と書いてみては?」

「……なるほど!」

 若手司書の頭上に、「学び度75」「助かった度80」が弾ける。

(よし)

 アリアは内心で軽くガッツポーズを取った。
 数字の流れは、きれいに整った。

 そのとき。

「アリア様」

 すぐ横から、ユリウスの声がした。

「はい?」

「今の……どうして、あそこまで上手く収められたんですか?」

「え?」

 アリアは瞬きをした。

「どうして、と仰いますと?」

「レオンくんが“怒られた”のではなく、“わかってもらえた”と感じているのが、顔を見ていてわかりました。……僕には、そこまでうまく言葉を選べないので」

 謙遜ではない、本気の声音だった。

 アリアは、「どうして」と言われてしまうと、それが「当然」だった自分とのギャップに戸惑う。

(どうしてって……)

 数字が見えるから。
 相手が何を求めているのか、どんな言葉であれば一番傷が少なく済むのか、なんとなくわかってしまうから。

 でも、それをそのまま言うわけにはいかない。

「少し……人の表情を見ているのが、好きなだけですわ」

 アリアは、やんわりと微笑んだ。

「それに、単純ですわね。怒るよりも、“理由を聞く”ほうが、たいていはうまくいきますもの」

「……そうかもしれません」

 ユリウスは納得したように頷いた。
 でも、その瞳の奥には、まだ何か考え込むような影が宿っている。

(あ)

 気づいたときには、遅かった。
 彼の頭上には数字が見えない代わりに、その沈黙の濃度だけがはっきりと感じ取れる。

「ユリウス様?」

「いえ……」

 ユリウスは少しだけ視線を落とし、それから言った。

「やっぱり、アリア様はすごい方だなと、思いました」

「すごい、だなんて」

 アリアは笑って受け流す。
 けれど内心では、むず痒いものを感じていた。

(すごいのは、この力よ。わたくしじゃない)

 数字がなければ、こんなふうに立ち回ることはできない。
 だから、褒められるたびに、ほんの少しだけ罪悪感が生まれる。

(本当は、ずるいのに)

 最適解を知っているから選んでいるだけ。
 それを、「優しさ」と呼ばれたくはなかった。

 しかし、その胸のもやもやをどう言葉にすればいいのか、アリアにはまだわからない。

「……わたくしは、“最適解”を知っているだけですわ」

 ぽつりと、かろうじて絞り出した言葉は、それくらいだった。

「最適解、ですか」

「えぇ。もっとも丸くおさまる選択。誰も大きく傷つかずに済むような。人生なんて、それを選び続けていけば、おおむね楽勝ですもの」

 自嘲を隠しながら言うと、ユリウスは少しだけ黙り込んだ。

「……僕は」

 やがて、彼は静かに口を開いた。

「最適解、というものが、まだよくわかりません」

「まぁ」

「本を守ることも、人を守ることも、全部“正しく”やろうとすると、何かがこぼれ落ちてしまう気がして。だから、つい、自分の中の“これがしたい”を優先してしまうんです」

 それは「非効率宣言」のようにも聞こえた。

 アリアは思わず、言葉を詰まらせる。

「……それで、困ったことにはなりませんの?」

「なっているのかもしれませんね」

 ユリウスは、少し照れたように笑った。

「でも、後悔はしていません」

 その笑みは、数字にできないほどまっすぐだった。

(最適解より、“後悔しない”を選ぶ人)

 アリアは、初めてそこに、ユリウスという人の輪郭を見た気がした。

(わたくしは、“傷つかない”を選んできたのに)

 自分との違いが、くっきりと浮かび上がる。
 それは、不思議なほど眩しくて、少し、羨ましい。

 閲覧室の喧騒が再び静かになっていく中で、アリアは胸の中で、そっとひとつの数字を書き換えた。

 ——ユリウス・ノア:
  「興味」から「もっと知りたい」へ。

 最適解の外側にある、その人の選択を。
 これから、もっと見ていたいと思ってしまったのだ。

 それが、またひとつの誤差を生むことを知りながら。
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