契約妻のはずが、毎日“構って”条項で抱きしめられています

星乃和花

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第1話:契約結婚の条項が、だいぶおかしい

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「――契約結婚です」

静かな執務室で、公爵レオンハルトはそう言い切った。
声音は淡々としているのに、机の上に置かれた書類が、なぜか妙に威圧的だ。

フィアは椅子に腰を下ろしたまま、息だけを小さく吐く。

「……急ですね」
「合理的です。互いの利が一致しています」

利。合理。
その言葉だけで、彼が普段どれほど冷静に世界を見ているかがわかる。

フィアは書類の表紙を見た。
“婚姻契約書”と、端正な文字。

「形式だけ、ですか?」
「必要な範囲で」

必要な範囲、という言い方が、すでに怪しい。
しかし彼は公爵で、フィアはとある事情で後ろ盾がいる。
ここで拒否できる立場ではない――はずだった。

フィアがページをめくって、数行読んだところで、指が止まる。

「……第七条」

声に出した瞬間、レオンハルトの視線がわずかに鋭くなった。
いや、鋭いというより、期待だ。

「妻は夫に対し、1日1回以上の“構い”を実施すること」

フィアはゆっくり顔を上げた。

「……これ、なに?」

レオンハルトはまばたきすらせず答えた。

「必要事項です」
「必要の意味を辞書で引きます?」
「私に必要です」

さらっと言った。
さらっと。
顔は真面目だし、姿勢も完璧なのに、言っていることだけが幼い。

フィアは眉間を押さえる。

「ちょっと待ってください。契約結婚って、そういう……」
「生活の安定に必要です」
「“構い”が?」
「君が」

……やめて。
急に、心を殴らないで。

フィアは平然とした顔を作って、契約書を机に置いた。

「……わかりました。形式婚ですね。必要事項も理解しました」
「理解が早い」
「あなたが早すぎるんです」

レオンハルトはほんの少しだけ口元を緩めた。
信じられない、今この人――嬉しそうにした。

フィアは契約書の続きを読もうとして、さらに固まる。

「第八条……“疲労・ストレス増大時、妻は抱擁・撫で・褒めの処置を許可する”……処置?」
「治療に近い」
「近くないです。甘えです」
「甘えではありません。対策です」

それ、同じ意味だと思う。

フィアは紙をめくる手を止めて、深呼吸した。

「……この契約、誰が作ったんです?」
「私が作りました」
「でしょうね!!」

叫んだ自分に、フィアは遅れて気づいた。
執務室の外で待機していた使用人が、ノックもせずに扉の向こうで気配を消したのがわかった。
聞かなかったことにしてくれている。優しい。

フィアは咳払いして、改めて冷静に言う。

「じゃあ、ええと……確認しますけど。これって、毎日?」
「はい」
「最低一回?」
「不足した場合は繰り越しです」

恐ろしい言葉を、さらっと。

「……繰り越し?」
「休日にまとめて実施できます」

フィアは机に額を落とした。

「休日が死ぬ」

その呟きに、レオンハルトは静かに首をかしげた。

「死にません。回復します」
「誰が!?」
「私が」

……あ、だめだ。
この人、完全に“構ってほしい人”だ。
しかも、それを正当化する文章力まで持っている。終わっている。

フィアが項目を読み終え、最後の署名欄を見つめると、レオンハルトがペンを差し出した。

「署名を」
「……はいはい」

口ではやれやれ、と言いながら。
指先は、なぜか少しだけ震えていた。

――この契約、危険なのは“婚姻”じゃない。
自分の心だ。

フィアが名前を書き終えると、レオンハルトは受け取って一つ頷いた。

「契約成立です」
「成立しちゃいましたね……」

彼は椅子から立ち上がり、まっすぐフィアへ近づく。

「では」
「では?」

レオンハルトは真面目な顔のまま、当然のように告げた。

「第七条の実施を」
「いきなり!?」

フィアが立ち上がる間もなく、彼の腕がそっと伸びた。
逃げる隙を与えない速度ではない。
ただ――逃げないと、わかっている距離。

抱きしめられた瞬間、彼の呼吸が静かに整っていくのがわかった。

……え、回復してる。
本当に回復してる。

フィアは困り果てた声を出す。

「……やれやれです」
「ありがとう」
「まだ一回目ですからね」

そう言い返しながら、フィアの手は、彼の背を軽く叩いていた。
許可ではなく、たぶん――自分の意思で。

レオンハルトが小さく囁く。

「明日も、お願いします」
「……契約なので」

契約。
そう言えば安全だと思った。

でも心の中では、別の言葉が芽を出していた。

(……明日も、嬉しいかもしれない)



=======
(第2話予告)
契約履行。
レオンハルトは真顔で構ってくる。構ってほしがる。
朝、仕事に見送るまでも、その最中も、帰宅後も。
……やれやれ。
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