契約妻のはずが、毎日“構って”条項で抱きしめられています

星乃和花

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第3話:社交界デビューは“妻の役目”らしい(抱きしめ含む)

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王都の社交界は、香水と笑顔と噂でできている。

そして今夜――その中心に立たされるのは、フィアだった。

鏡の前で、ドレスの裾を整える。
落ち着いた色味なのに、刺繍がきらりと光る。上品で、隙がない。

「……これ、私が着る必要あります?」
「ある」

背後から、即答。

レオンハルトは鏡越しにフィアを見ていた。
いつもより少しだけ、視線が熱い。

いや、熱いのは気のせい。
この人は何でも合理的に処理する人間だ。
妻が美しいから見惚れる、なんて非効率なことは――

「美しい」
「……は?」

言った。

言ったぞ今。

フィアが振り返ると、レオンハルトは平然としている。

「事実です」
「……口に出す必要あります?」
「必要です」
「なにが」
「君が照れるのを確認する必要がある」

確認。
また確認。

フィアは手で顔を隠しそうになって、ぐっと堪えた。

「……はいはい。契約チェックお疲れ様です」
「ありがとう」

ありがとう、って言うな。
その“ありがとう”が一番ずるい。

執事がタイミング良く近づいてくる。

「公爵さま、馬車の準備が整いました」
「行こう」

レオンハルトが手を差し出す。
まるで当然のように。

フィアは一瞬だけ迷った。
契約書には「手を繋ぐ」条項はないはずだ。

しかし彼は、さらっと言った。

「転倒防止です」
「……転ばないですけど」
「君が転ばなくても、世界が転ぶ可能性があります」
「何の世界ですか」
「私の」

……やめて。

フィアはやれやれと言いながら、その手を取った。
ひんやりした指先が、すぐに温まる。

(……やっぱり、嬉しい)

悔しいので、表情は平常運転にした。

 ◆

会場は眩しかった。

金のシャンデリア。
滑らかな床。
花の香りと、笑い声。

そして――視線。視線。視線。

フィアは一歩踏み出した瞬間、理解した。

(あ、これ…全員、私を見てる)

公爵の“契約妻”。
社交界に突然現れた存在。
噂が回らないはずがない。

フィアが硬くならないように背筋を伸ばした、その横で――
レオンハルトは恐ろしいほど自然に微笑んでいた。

完璧な公爵の顔。

周囲がざわつく。

「公爵さま…お久しぶりですわ」
「まあ…奥さまって、あの方?」
「聞いて?結婚されたのに発表が…」

聞こえる。
全部、聞こえる。

フィアが「やれやれ…」と内心で呟いた瞬間、
レオンハルトの手がそっとフィアの腰に添えられた。

近い。

近すぎる。

「……公爵さま?」
「配置です」
「配置?」
「君が安全に立てる位置」

配置という名の、囲い。

フィアは息を吐いた。

「……やれやれです」
「そう言いながら逃げないのは、協力的です」
「協力って言うな」

レオンハルトの腕は緩まない。

周囲の視線がまた強まる。

「奥さま、とてもお似合いですわ」
「公爵さまが、あんなふうに笑うなんて…」

誰かが近づいて挨拶をし、フィアもそれに合わせて微笑む。
礼儀正しく。無難に。

なのに――妙に距離が縮まる。

フィアが一歩下がろうとすると、
レオンハルトの手が軽く引き戻した。

「……?」
「近い方が効率的です」
「何の効率!?」
「守れる効率」

効率で包囲しないでほしい。

そこへ、ひとりの貴族の青年が近づいてきた。
爽やかな笑顔。優しい声。

「初めてお目にかかります。公爵夫人殿下――」
「殿下ではありません」
「失礼。奥さま。素敵なドレスです。お名前を伺っても?」

フィアは反射で答えそうになった。
だが――その瞬間。

レオンハルトが、静かに一歩前へ出た。

笑顔はそのまま。
ただし、温度がない。

「必要ありません」

青年が固まる。

「え?」
「彼女の名前は、公爵家が管理します」

管理。

管理!?
人間を!?

フィアは咳払いでツッコミを入れる。

「……管理って言い方が怖いです」
「安心してください。君は自由です」
「自由の言い方も怖いです」

青年が苦笑いしながら距離を取った。
逃げた。賢い。

フィアはレオンハルトを小声で呼ぶ。

「……今の、やりすぎです」
「合理的です」
「どこが」
「君が見られるのは非効率」

非効率、っていう言葉に、嫉妬を詰めないでほしい。

フィアはやれやれと肩を落とす。

「……嫉妬ですか」
「違います」
「じゃあ何ですか」
「危険管理です」

危険管理。
社交界が危険なのではない。

危険なのは、あなたの独占欲の正当化である。

フィアが口を開こうとした瞬間――

また誰かが近づいてきた。

今度は、王族関係の女性。
目が合った瞬間わかる。強い。すごく強い。

「――まあ。公爵さま」

女性は扇子を軽く振り、にこりと笑った。

「その方が噂の奥さまね?」
「ええ」
「可愛いじゃない。良いわ。気に入った」

フィアは固まった。

(誰!?え、怖い!?でも綺麗!!)

レオンハルトは平然としている。
つまり、この女性は――かなり上の立場。

女性はフィアの手を取り、軽く握った。

「今夜、あなたにひとつ質問するわ」
「……はい」

フィアの声が小さくなる。

女性は笑みを深めた。

「公爵さまって、家でもこんなに落ち着いてる?」
「……え?」

フィアが言葉を失っていると、
レオンハルトが即答した。

「落ち着いています」
「嘘ね」
「嘘ではありません」
「じゃあ、奥さま。答えて?」

扇子が、すっとフィアへ向けられる。

社交界の視線が集まる。
今この瞬間、会場全体が“答え待ち”になった。

フィアは口を開いた。

「……公爵さまは、家では――」
(抱きしめ待機のプロです)

言いかけて、飲み込む。

ここで言ったら終わる。
社交界が燃える。

フィアは精一杯、上品な笑みを作った。

「……とても、お優しいです」
「まあ。良いわね」

女性は満足そうに頷き、今度はレオンハルトを見る。

「公爵さま。奥さまを困らせない程度に、可愛がりなさい」

可愛がり。

その言葉に、会場がどっと笑った。

レオンハルトは真顔で頷く。

「承知しました」
「承知しなくていいです!」

フィアが小声で叫ぶと、
レオンハルトはほんの少しだけ口角を上げた。

「困らせない程度に、という条件が追加されました」
「条件を増やすな!!」

女性は扇子で口元を隠して笑う。

「面白い夫婦ね」

社交界のざわめきが“微笑ましい”に変わっていくのがわかった。
噂の方向が、確実に変わっていく。

――危険だ。
このままでは“仲良し夫婦”として固定される。

(いや、仲良しなんだけど…!)

フィアは心の中で頭を抱えた。

 ◆

会場の中ほどで、ダンスが始まった。
音楽が流れる。人々が踊る。

フィアが端へ避難しようとしたそのとき、
レオンハルトが静かに言った。

「踊ろう」
「……え」
「必要です」
「何が必要なんですか」
「夫婦の体裁」
「……それはまあ…」

フィアが渋々頷くと、レオンハルトの手が腰へ。
もう一方の手が、フィアの手を取る。

距離が近い。
息がかかるくらい近い。

フィアが目を逸らすと、レオンハルトが低い声で言った。

「逃げるな」
「逃げてません」
「逃げたい顔をしている」
「してません」
「している。可愛い」

やめろ。

フィアは小さく歯を噛みしめた。

「……公爵さま」
「なに」
「今、社交界です」
「知っている」
「なら、普通にしてください」
「普通です」

普通の公爵は、妻を見つめながら「可愛い」とか言わない。

フィアがそう言い返せないのは、
胸の奥がきゅっと鳴ってしまうからだ。

悔しい。

ダンスの最中、ひとりの紳士が近づいてきた。
笑顔で、フィアに声をかける。

「奥さま、次はぜひ――」

その瞬間。

レオンハルトが、フィアの腰をさらに引き寄せた。

近い。
限界まで近い。

フィアの心が、危ない。

「彼女は疲れています」
「え?」

フィアは元気だ。
むしろ心が元気になりすぎて困っている。

レオンハルトは淡々と続ける。

「必要な休息を取らせます」
「休息…?」
「はい。私の腕の中で」

社交界が、静かに爆発した。

「――――っ!」

笑い声。
拍手。
「公爵さまったら!」という黄色い声。

フィアは顔が熱くなって、死にそうになる。

「……あなた!!」
「合理的です」
「合理的じゃない!!」
「君が可愛いから」
「理由が可愛くない!!」

フィアはもう駄目だった。
扇子が欲しい。床に埋まりたい。

レオンハルトはそんなフィアの表情を見て、
満足そうに目を細めた。

「可愛い」
「やめてください……!」
「やめない」

やめない宣言。

フィアの心が、完全に追い詰められる。

(これ、契約結婚じゃなくて――ただの溺愛では!?)

 ◆

帰りの馬車。

フィアは座席の端に寄って、ぐったりしていた。

「……社交界、疲れました」
「そうだろう」
「あなたのせいです」
「君の安全のためです」

レオンハルトはさらっと言い、
フィアの肩に自分の上着をかけた。

「寒い」
「寒くないです」
「君が震えている」
「それは恥ずかしさです」

レオンハルトは小さく息を吐いた。

「……可愛い」
「また言った!」

フィアが顔を覆うと、レオンハルトの声が少し低くなる。

「君が注目されるのは、落ち着かない」
「……嫉妬じゃないって言ってましたよね」
「嫉妬ではない」
「じゃあ何ですか」
「……不安だ」

不意打ちだった。

彼が“不安”なんて言うのは。
合理性で武装している人が。

フィアの胸が、きゅっと締まる。

「……あなたでも、不安になるんですね」
「なる」
「……やれやれ」

フィアは小さく笑って、
そっと、彼の袖をつまんだ。

いつもの癖みたいに。

レオンハルトの体が、わずかに固まる。
次の瞬間、腕が伸びてフィアを抱き寄せた。

「……ありがとう」
「……契約なので」
「うん」
「それしか言えないんですか」
「君が好きだから」

フィアは黙った。
黙るしかなかった。

心が、嬉しすぎてうるさい。

馬車の窓の外には夜の街。
灯りが遠く流れていく。

フィアは、レオンハルトの胸に額を寄せたまま小さく呟いた。

「……今日の“構い”は、もう十分です」
「不足している」
「どこが!?」
「社交界で君が頑張った分、追加が必要」
「繰り越し条項やめてって言ったのに!」
「必要です」
「必要って便利な言葉ですね!!」

レオンハルトは静かに笑った。

「君がいるから、私は大丈夫だ」

……ずるい。

フィアはやれやれと息を吐いて、
でもそのまま彼の腕の中にいた。

(契約じゃなくても、ここにいたい)

そんな言葉が喉元まで来て、
まだ言えずに、胸の中に落ちていった。



=======
(第4話予告)
次回はフィアがついに言います。
「甘やかし禁止です!」
しかし、レオンハルトは真顔で返します。
「契約違反です」
そして、1日で破られます(甘)。
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