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第十話 「合図」
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僕
付箋に「落ち着いたら、来て」と書くまで、三回書き直した。
「待ってる」だと重い。
「来てほしい」だと急かす。
「時間ができたら」だと、遠すぎる。
“落ち着いたら”は、彼女の手の中に選択を残せる。
そして、僕の中の“待つ”を、罰じゃなく準備にできる。
表に出るのは、まだ苦手だ。
人の視線が多いと、身体が勝手に縮む。
――評価される。
――減点される。
古いルールが騒ぐ。
それでも今日は、騒ぎながらでも、何かしたかった。
迎えたい。
でも迎えられない。
だから、合図にした。
付箋を置いて戻る途中、心臓がずっと落ち着かなかった。
見えなかったらどうしよう。
忙しくて気づかれなかったら。
僕の“迎えたい”が、空振りになったら。
空振りは怖い。
昔、何度も経験した。
“待っている”と言って、何も来なかった。
“あとで”と言われて、永遠みたいに過ぎた。
だから僕は、今日の待ち方を変えた。
カップに粉だけ入れて、湯は注がない。
温度を、彼女の到着に合わせる。
これは効率じゃない。
迎える準備だ。
それでも、胸の奥がざわついた。
僕は何度も時計を見そうになって、やめた。
時計を見ると、点数の世界に戻る。
“何分待った”になる。
“待った分を返してほしい”になる。
僕はそれが嫌だった。
待つのは、罰じゃない。
迎えるための時間だ。
そう言い聞かせて、彼女が来るまで、呼吸を揃えた。
*
扉がノックされたとき、胸の奥が一気にほどけた。
――来た。
その事実だけで、今日の分の半分は満たされる。
でも僕は、そこで終わりたくなかった。
彼女が「合図、見たよ」と言った。
そして「嬉しかった」と言った。
僕の中の針が動く。返礼の癖が顔を出す。
でも今日は、制度にしない。
彼女が約束を守ってくれたなら、僕も一つだけ約束を守りたかった。
“隠さない”。
だから僕は言った。
「僕も、嬉しいです」
言った瞬間、怖くなった。
重いと思われないか。
困らせないか。
でも彼女は困った顔をしなかった。
ただ、静かに「そっか」と言った。
その「そっか」が、僕の身体の緊張をほどいた。
迎えに出られなかったことは事実だ。
でも、迎えたい気持ちは消さなかった。
それを伝えたかった。
「迎えたい気持ちは、消したくなかったので」
言ってしまったあと、僕は湯を注いだ。
手を動かすと落ち着く。
でも今日は逃げじゃない。
ちゃんと渡したいから、丁寧になる。
彼女はカップを受け取って、「迎え、受け取った」と言った。
受け取った。
受け取ってくれた。
僕は小さく頷いて、言った。
「迎え、できました」
言ったあと、胸の奥が少しだけあたたかくなる。
そして気づく。
僕はもう、迎えるだけじゃ足りない。
彼女の“頑張りすぎ”を、僕が止めたい。
その欲を、今日はまだ言い切れない。
でも、口の端にもう形がある。
だから、次の合図を心の中で決めた。
“終わり”を、僕が決める。
彼女を守るために。
そして、それを「効率」と言わずに言う。
付箋に「落ち着いたら、来て」と書くまで、三回書き直した。
「待ってる」だと重い。
「来てほしい」だと急かす。
「時間ができたら」だと、遠すぎる。
“落ち着いたら”は、彼女の手の中に選択を残せる。
そして、僕の中の“待つ”を、罰じゃなく準備にできる。
表に出るのは、まだ苦手だ。
人の視線が多いと、身体が勝手に縮む。
――評価される。
――減点される。
古いルールが騒ぐ。
それでも今日は、騒ぎながらでも、何かしたかった。
迎えたい。
でも迎えられない。
だから、合図にした。
付箋を置いて戻る途中、心臓がずっと落ち着かなかった。
見えなかったらどうしよう。
忙しくて気づかれなかったら。
僕の“迎えたい”が、空振りになったら。
空振りは怖い。
昔、何度も経験した。
“待っている”と言って、何も来なかった。
“あとで”と言われて、永遠みたいに過ぎた。
だから僕は、今日の待ち方を変えた。
カップに粉だけ入れて、湯は注がない。
温度を、彼女の到着に合わせる。
これは効率じゃない。
迎える準備だ。
それでも、胸の奥がざわついた。
僕は何度も時計を見そうになって、やめた。
時計を見ると、点数の世界に戻る。
“何分待った”になる。
“待った分を返してほしい”になる。
僕はそれが嫌だった。
待つのは、罰じゃない。
迎えるための時間だ。
そう言い聞かせて、彼女が来るまで、呼吸を揃えた。
*
扉がノックされたとき、胸の奥が一気にほどけた。
――来た。
その事実だけで、今日の分の半分は満たされる。
でも僕は、そこで終わりたくなかった。
彼女が「合図、見たよ」と言った。
そして「嬉しかった」と言った。
僕の中の針が動く。返礼の癖が顔を出す。
でも今日は、制度にしない。
彼女が約束を守ってくれたなら、僕も一つだけ約束を守りたかった。
“隠さない”。
だから僕は言った。
「僕も、嬉しいです」
言った瞬間、怖くなった。
重いと思われないか。
困らせないか。
でも彼女は困った顔をしなかった。
ただ、静かに「そっか」と言った。
その「そっか」が、僕の身体の緊張をほどいた。
迎えに出られなかったことは事実だ。
でも、迎えたい気持ちは消さなかった。
それを伝えたかった。
「迎えたい気持ちは、消したくなかったので」
言ってしまったあと、僕は湯を注いだ。
手を動かすと落ち着く。
でも今日は逃げじゃない。
ちゃんと渡したいから、丁寧になる。
彼女はカップを受け取って、「迎え、受け取った」と言った。
受け取った。
受け取ってくれた。
僕は小さく頷いて、言った。
「迎え、できました」
言ったあと、胸の奥が少しだけあたたかくなる。
そして気づく。
僕はもう、迎えるだけじゃ足りない。
彼女の“頑張りすぎ”を、僕が止めたい。
その欲を、今日はまだ言い切れない。
でも、口の端にもう形がある。
だから、次の合図を心の中で決めた。
“終わり”を、僕が決める。
彼女を守るために。
そして、それを「効率」と言わずに言う。
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