今日の分を、あなたに

星乃和花

文字の大きさ
30 / 54
第十一話 「優先順位」

1/2

しおりを挟む


彼女が「合図、またして」と言ったあと、僕の中で何かが確定した。

“迎える”は、僕の仕事になった。
でもそれは制度じゃない。
僕が毎回、選ぶ。

そしてもう一つ――
彼女を止めるのも、僕が選びたい。

彼女は頑張る。
頑張っている自覚が薄い。
薄いから、限界が来る。

子どもの頃の僕は、誰にも止められなかった。
止められないまま、“いい子”を続けて、最後に息ができなくなる。

だから僕は、止める。
彼女が息を止める前に。

その決意が固まってから、僕は彼女の手元を見るようになった。
顔じゃなく、指先。肩。呼吸。
微細なズレで分かる。

そして今日、彼女は――
いつもより早いテンポで動いていた。

表の忙しさが引いたあとに奥へ来て、休憩を取る間もなく資料を開いた。
カップは半分残っている。飲む速度が遅い。
指先が少し冷たい。

“無理している”の合図。

僕は言うべき言葉を探した。
効率、と言えば通る。
共同作業、と言えば角が立たない。
でも今日は、それで逃げたくなかった。

僕はペンを置いて、淡々と言った。

「……今日は、ここまでにしましょう」

彼女の動きが止まる。

「え?まだ全然できるよ?」

できる。
その言葉が、彼女の癖だ。

僕は息を一つだけ整えて、言った。

「……できる、のは分かっています」

そして、続けた。

「でも――やめてほしいです」

言い切ってしまった。
言い訳がない。
点数の逃げ道がない。

彼女の目が少しだけ大きくなる。

「やめてほしい、って……」

僕は視線を逸らさずに言った。

「……あなたが、息を浅くするのが嫌です」

胸の奥が熱い。
こんな言い方は、僕らしくないかもしれない。
でも、今日は言わないといけない。

彼女は少し黙った。
黙ったまま、自分の呼吸を確かめるみたいに一度息を吐く。

「……ほんとだ」

小さく笑う。

「浅かった」

僕の胸の奥が、少しだけほどけた。
否定されなかった。

彼女が「じゃあ休憩する」と言ってくれれば、今日はそれでいい。
でも僕は欲が出た。

休憩だけじゃ足りない。
彼女の“優先順位”を、少しだけ変えたい。

僕は続けて言った。

「……あなたの休憩を、仕事より先にしてほしいです」

言った瞬間、怖くなる。
命令みたいに聞こえないか。
縛っていないか。

でも彼女は、困った顔をしなかった。
むしろ、少し驚いて、そして――嬉しそうだった。

「それ、命令?」

彼女が冗談めかして聞く。
僕は首を振る。

「……お願いです」

お願い。
最近、言えるようになった言葉。

彼女はカップを両手で包み直して、頷いた。

「うん。お願い、きく」

その返事に、僕の肩が少しだけ下がる。

――通った。

僕の主導が、彼女の中に入った。

僕はすぐに“次の行動”を用意した。
休憩は曖昧だと、彼女はすぐ仕事に戻る。

だから、形にする。

「……五分」

「え」

「五分だけ、何もしないでください」

五分。
短い。
でも枠があると、僕は落ち着く。
彼女も、戻りやすい。

彼女は笑って頷いた。

「はいはい。五分ね」

“はいはい”が可愛くて、胸の奥が少し甘くなる。
でも僕は、笑わない。笑うと照れて逃げるから。

僕はタイマー代わりに、砂時計を机に置いた。
前に買ったやつ。仕事用の、あまり可愛くない砂時計。

彼女が目を丸くする。

「なにそれ、用意してたの?」

僕は淡々と言った。

「……準備です」

準備。
迎えの準備。
止める準備。

彼女が砂時計を見つめて、少しだけ目を細めた。

「……優先順位、変えてくれるんだね」

変える、という言葉が、僕の胸に落ちた。
それは怖い。
変えるのは、責任が増える。

でも今日は、その責任が嬉しい。

「……変えたいです」

言ってしまった。
言い訳なし。

砂時計の砂が落ちていく音は聞こえないのに、
その時間が二人の間を静かに整えていくのが分かった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される

奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。 けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。 そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。 2人の出会いを描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630 2人の誓約の儀を描いた作品はこちら 「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」 https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041

いちばん好きな人…

麻実
恋愛
夫の裏切りを知った妻は 自分もまた・・・。

人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている

井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。 それはもう深く愛していた。 変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。 これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。 全3章、1日1章更新、完結済 ※特に物語と言う物語はありません ※オチもありません ※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。 ※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

愛しているなら拘束してほしい

守 秀斗
恋愛
会社員の美夜本理奈子(24才)。ある日、仕事が終わって会社の玄関まで行くと大雨が降っている。びしょ濡れになるのが嫌なので、地下の狭い通路を使って、隣の駅ビルまで行くことにした。すると、途中の部屋でいかがわしい行為をしている二人の男女を見てしまうのだが……。

処理中です...