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第1話 毛布は武器(※優しい監禁、開始)
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その屋敷は、広いのに、静かすぎた。
廊下を歩くたび、足音が自分の胸に返ってくるみたいで——ミレアは、思わず背筋を伸ばした。
(空間が大きいって、孤独が増えるのよね)
窓は磨かれ、飾りは整えられ、どこにも埃なんてない。
それなのに、空気だけが少し冷たくて、いつも「ひとり用」みたいな顔をしている。
初出勤の朝。
ミレアはメイド服の襟を直し、執事に案内されて当主の書斎へ向かった。
「当主さまは……お優しい方です。ただ、少し……」
執事は言葉を選ぶように息を吸った。
「ご自分のことを、後回しになさいます」
ミレアはにこりと笑った。
ふわっと、害のない感じに。
相手が警戒心を抱かないような角度で。
「承知いたしました。……得意分野です」
「……得意分野、ですか」
「はい。生活を整えることも、放置されがちなものを救うことも」
執事が首を傾げるのを横目に、ミレアは扉の前で一礼した。
屋敷の空気が冷たいなら。
その冷たさに、やわらかい布を掛ければいい。
——それだけのことだ。
そして扉の向こうにいた当主、レオニスは。
「……おはようございます」
最初の印象からして、眠そうだった。
銀灰色の髪が少しだけ乱れていて、目元は柔らかく、睫毛が長い。
それでいて、姿勢は整っているのに、全体がふわりと重力に負けている。
眠い人特有の、「世界がまるごと優しい」みたいな顔。
(噂の“ぽやぽや当主さま”……)
ミレアは内心で頷いた。
優しい人ほど、ひとりで抱える。
そして抱えたまま、静かに疲れていく。
危ない。
「本日よりお世話をいたします、ミレアと申します」
「……うん。よろしくね」
声まで柔らかい。
芯がないわけじゃなく、棘がない、という感じだった。
「屋敷のこと、よく分からなくて……ミレアさん、困ったら執事に聞いて」
「はい。当主さまも、困ったら私にお申し付けくださいませ」
「僕は……困らないよ」
にこり、と笑ってから、レオニスはあくびを噛み殺した。
その“困らない”が、もう困っている証拠なのに。
ミレアは、微笑みを崩さないまま心の中で宣告した。
(孤独って、放置すると悪化するのよ。だから囲う。優しく)
それが、彼女のやり方だった。
◆
初日の仕事は、屋敷のルールを覚えることと、当主の生活導線を観察すること。
ミレアは仕事をしながら、さりげなく見ていた。
当主は、ひとりで歩く。
ひとりで考える。
ひとりで片づける。
そして、ひとりで、仕事を終わらせようとする。
昼過ぎ。
書斎にお茶を運ぶと、レオニスは書類の山の中で、まるで小さな舟みたいに漂っていた。
「当主さま。お茶でございます」
「……ありがとう」
礼儀正しい。
優しい。
でも、目は紙から離れない。
ミレアはカップを置く位置を、ほんの数ミリだけ調整した。
利き手の側。
手を伸ばしたときに、自然に届く場所。
疲れている人は、数ミリの努力すら、重いのだ。
「……ミレアさん、すごいね」
「何がでしょう」
「何も言ってないのに……ちょうどいいところに置く」
「メイドの仕事でございます」
嘘ではない。
でも半分は、本当の理由を言っていない。
——当主さまが、ひとりを続ける癖を、少しずつ折るためです。
そういう“囲い込み”は、手荒にやると壊れる。
だから甘く、さりげなく。
お茶。灯り。毛布。沈黙。
逃げ道のある優しさ。
それらで、相手の心が戻ってくる道を作るのだ。
◆
夜。
屋敷は昼よりも静かだった。
みんなが寝支度を始め、廊下の灯りが一つずつ落ちていく。
その中で、書斎だけがまだ、薄い光を保っている。
(……まだ起きてる)
ミレアはそっと、扉の前で呼吸を整えた。
初日から、踏み込みすぎるのは良くない。
けれど放置するのも、もっと良くない。
彼女は“過保護”を、自覚的に選ぶタイプだった。
扉を軽くノックする。
「当主さま。お茶をお持ちいたしました」
「……あ、うん。入って」
入ると、レオニスは机に突っ伏していた。
起きている、というより——起きていた、という感じだ。
書類の端に額がちょこんと乗っている。
その姿は、仕事が出来る当主というより、居眠りを叱られる前の少年みたいだった。
(可愛い……じゃない。危ない)
ミレアは静かにカップを置いた。
そして当主の呼吸を確認し、肩の力が抜けているのを見て、決断する。
毛布。
メイドの武器、第一段階。
ミレアは椅子の背に掛けてあった薄手のブランケットを手に取った。
音を立てないように、空気を含ませてふわっと広げる。
そして——当主の背に、優しく掛けた。
次の瞬間。
レオニスの手が、ミレアの手首を掴んだ。
ぎゅっ、と。
驚くほど強くはない。
でも、逃げられない力だった。
「……っ」
ミレアが息を止める。
レオニスは目を開けていない。
眠い顔のまま、まるで無意識に“確保”している。
(え……?)
彼の指先が、ミレアの手首の細いところに絡んでいる。
体温が伝わって、脈が勝手に跳ねた。
「当主さま……?」
小さく呼ぶと、レオニスは低く、眠そうな声を落とした。
「……行かないで」
脳が一瞬、止まる。
こんな言葉、当主が言うはずがない。
優しくて、穏やかで、ひとりで何でも抱える人が。
でも、彼は言った。
眠いまま。
無防備に。
ミレアは目を瞬いた。
(……あぁ。これは)
孤独が、出てきた。
頑張って押さえ込んでいたものが、ほんの少しだけ、外に漏れた。
ミレアは一歩引くのをやめた。
代わりに、毛布の端を整えて、落ち着いた声で答える。
「行きません。ここにおりますよ、当主さま」
レオニスの指が、少しだけ緩む。
でも離れない。
手だけは、離さない。
ミレアは、心の中でそっと笑った。
(……可愛い。いや、危ない。これは、囲いたくなる)
彼女はメイドとして完璧な微笑みを保ったまま、当主の隣に膝をついた。
「お茶はここに置いておきますね。飲まなくても大丈夫です」
「……うん」
眠い声が返る。
ミレアは、もう一度だけ毛布をふわりと撫でた。
この屋敷の冷たい空気に。
当主の長い夜に。
やわらかい布を掛ける。
それは、小さな監禁だった。
——優しさという名前の。
レオニスは、眠ったまま小さく呟く。
「……君、あったかいね」
ミレアの胸が、少しだけきゅっとなった。
「当主さまも、あたたかいですよ」
言いながら思う。
(大丈夫。囲うのは、悪いことじゃない)
孤独は放置すると悪化する。
だから、囲う。
優しく。
この手が離れないのなら。
今日だけは、離さなくてもいい。
ミレアは静かに目を伏せた。
初日の夜は、毛布の中で、始まってしまった。
彼女の作戦は。
そして——当主の“スイッチ”もまた。
廊下を歩くたび、足音が自分の胸に返ってくるみたいで——ミレアは、思わず背筋を伸ばした。
(空間が大きいって、孤独が増えるのよね)
窓は磨かれ、飾りは整えられ、どこにも埃なんてない。
それなのに、空気だけが少し冷たくて、いつも「ひとり用」みたいな顔をしている。
初出勤の朝。
ミレアはメイド服の襟を直し、執事に案内されて当主の書斎へ向かった。
「当主さまは……お優しい方です。ただ、少し……」
執事は言葉を選ぶように息を吸った。
「ご自分のことを、後回しになさいます」
ミレアはにこりと笑った。
ふわっと、害のない感じに。
相手が警戒心を抱かないような角度で。
「承知いたしました。……得意分野です」
「……得意分野、ですか」
「はい。生活を整えることも、放置されがちなものを救うことも」
執事が首を傾げるのを横目に、ミレアは扉の前で一礼した。
屋敷の空気が冷たいなら。
その冷たさに、やわらかい布を掛ければいい。
——それだけのことだ。
そして扉の向こうにいた当主、レオニスは。
「……おはようございます」
最初の印象からして、眠そうだった。
銀灰色の髪が少しだけ乱れていて、目元は柔らかく、睫毛が長い。
それでいて、姿勢は整っているのに、全体がふわりと重力に負けている。
眠い人特有の、「世界がまるごと優しい」みたいな顔。
(噂の“ぽやぽや当主さま”……)
ミレアは内心で頷いた。
優しい人ほど、ひとりで抱える。
そして抱えたまま、静かに疲れていく。
危ない。
「本日よりお世話をいたします、ミレアと申します」
「……うん。よろしくね」
声まで柔らかい。
芯がないわけじゃなく、棘がない、という感じだった。
「屋敷のこと、よく分からなくて……ミレアさん、困ったら執事に聞いて」
「はい。当主さまも、困ったら私にお申し付けくださいませ」
「僕は……困らないよ」
にこり、と笑ってから、レオニスはあくびを噛み殺した。
その“困らない”が、もう困っている証拠なのに。
ミレアは、微笑みを崩さないまま心の中で宣告した。
(孤独って、放置すると悪化するのよ。だから囲う。優しく)
それが、彼女のやり方だった。
◆
初日の仕事は、屋敷のルールを覚えることと、当主の生活導線を観察すること。
ミレアは仕事をしながら、さりげなく見ていた。
当主は、ひとりで歩く。
ひとりで考える。
ひとりで片づける。
そして、ひとりで、仕事を終わらせようとする。
昼過ぎ。
書斎にお茶を運ぶと、レオニスは書類の山の中で、まるで小さな舟みたいに漂っていた。
「当主さま。お茶でございます」
「……ありがとう」
礼儀正しい。
優しい。
でも、目は紙から離れない。
ミレアはカップを置く位置を、ほんの数ミリだけ調整した。
利き手の側。
手を伸ばしたときに、自然に届く場所。
疲れている人は、数ミリの努力すら、重いのだ。
「……ミレアさん、すごいね」
「何がでしょう」
「何も言ってないのに……ちょうどいいところに置く」
「メイドの仕事でございます」
嘘ではない。
でも半分は、本当の理由を言っていない。
——当主さまが、ひとりを続ける癖を、少しずつ折るためです。
そういう“囲い込み”は、手荒にやると壊れる。
だから甘く、さりげなく。
お茶。灯り。毛布。沈黙。
逃げ道のある優しさ。
それらで、相手の心が戻ってくる道を作るのだ。
◆
夜。
屋敷は昼よりも静かだった。
みんなが寝支度を始め、廊下の灯りが一つずつ落ちていく。
その中で、書斎だけがまだ、薄い光を保っている。
(……まだ起きてる)
ミレアはそっと、扉の前で呼吸を整えた。
初日から、踏み込みすぎるのは良くない。
けれど放置するのも、もっと良くない。
彼女は“過保護”を、自覚的に選ぶタイプだった。
扉を軽くノックする。
「当主さま。お茶をお持ちいたしました」
「……あ、うん。入って」
入ると、レオニスは机に突っ伏していた。
起きている、というより——起きていた、という感じだ。
書類の端に額がちょこんと乗っている。
その姿は、仕事が出来る当主というより、居眠りを叱られる前の少年みたいだった。
(可愛い……じゃない。危ない)
ミレアは静かにカップを置いた。
そして当主の呼吸を確認し、肩の力が抜けているのを見て、決断する。
毛布。
メイドの武器、第一段階。
ミレアは椅子の背に掛けてあった薄手のブランケットを手に取った。
音を立てないように、空気を含ませてふわっと広げる。
そして——当主の背に、優しく掛けた。
次の瞬間。
レオニスの手が、ミレアの手首を掴んだ。
ぎゅっ、と。
驚くほど強くはない。
でも、逃げられない力だった。
「……っ」
ミレアが息を止める。
レオニスは目を開けていない。
眠い顔のまま、まるで無意識に“確保”している。
(え……?)
彼の指先が、ミレアの手首の細いところに絡んでいる。
体温が伝わって、脈が勝手に跳ねた。
「当主さま……?」
小さく呼ぶと、レオニスは低く、眠そうな声を落とした。
「……行かないで」
脳が一瞬、止まる。
こんな言葉、当主が言うはずがない。
優しくて、穏やかで、ひとりで何でも抱える人が。
でも、彼は言った。
眠いまま。
無防備に。
ミレアは目を瞬いた。
(……あぁ。これは)
孤独が、出てきた。
頑張って押さえ込んでいたものが、ほんの少しだけ、外に漏れた。
ミレアは一歩引くのをやめた。
代わりに、毛布の端を整えて、落ち着いた声で答える。
「行きません。ここにおりますよ、当主さま」
レオニスの指が、少しだけ緩む。
でも離れない。
手だけは、離さない。
ミレアは、心の中でそっと笑った。
(……可愛い。いや、危ない。これは、囲いたくなる)
彼女はメイドとして完璧な微笑みを保ったまま、当主の隣に膝をついた。
「お茶はここに置いておきますね。飲まなくても大丈夫です」
「……うん」
眠い声が返る。
ミレアは、もう一度だけ毛布をふわりと撫でた。
この屋敷の冷たい空気に。
当主の長い夜に。
やわらかい布を掛ける。
それは、小さな監禁だった。
——優しさという名前の。
レオニスは、眠ったまま小さく呟く。
「……君、あったかいね」
ミレアの胸が、少しだけきゅっとなった。
「当主さまも、あたたかいですよ」
言いながら思う。
(大丈夫。囲うのは、悪いことじゃない)
孤独は放置すると悪化する。
だから、囲う。
優しく。
この手が離れないのなら。
今日だけは、離さなくてもいい。
ミレアは静かに目を伏せた。
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