策略メイドは当主さまを“やさしく監禁”したい(※お茶と灯りで)

星乃和花

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第2話 お茶の導線(“帰る場所”を作る)

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 翌朝。

 ミレアは、自分の部屋で目を覚まして——まず最初に思い出した。

(……手、離さなかった……)

 昨夜の当主、レオニス。
 机に突っ伏したまま眠って、毛布を掛けられて、手首を掴んで。

「行かないで」

 あの声は、いまだに耳の奥に残っている。

 ミレアは、軽く頬を叩いた。

(だめよ。可愛いとか、危ないとか、感情で動いたら負ける。私はメイド)

 メイドは、生活を整える存在。
 当主の心を整える、なんて言ったら、それは仕事の範囲を超えてしまう。

 でも。

(……範囲って、誰が決めるのかしらね)

 ミレアは鏡に向かって、ふわっと微笑んだ。
 いつもの“無害な顔”。
 波風を立てない、丸い目元。

 そして、その内側で、静かに宣言する。

(孤独は放置厳禁。今日も囲う。優しく)



 朝食の時間。

 屋敷のダイニングは広くて、音が吸われる。
 椅子の引く音も、カトラリーの触れ合う音も、遠くの出来事みたいだった。

 当主はもう席についていた。

「おはようございます、当主さま」

「……おはよう。ミレアさん」

 眠そう。相変わらず。

 けれど——ミレアは見逃さなかった。

 当主の指に、ほんの少しだけ力が入っている。
 机の端を撫でる癖。
 なにかを考えすぎて、戻ってこれていない手つき。

(眠いんじゃない。“ひとりに戻ってる”のよ)

 優しい人の眠そうは、だいたい心の“省エネ”だ。
 自分を守るための、静かな防御。

 ミレアは当主の斜め後ろに回って、そっとコーヒーの代わりに紅茶を置いた。

「紅茶でございます」

「……僕、頼んだっけ」

「いいえ。今朝は、紅茶が似合いそうでしたので」

「……そっか」

 当主は否定しない。
 受け取ってしまう。
 そしてその受け取り方が、少しだけぎこちない。

(甘やかされ慣れてない人の受け取り方)

 ミレアは内心で頷く。

 こういう人は、何かを差し出すと、必ず“対価”を探そうとする。
 申し訳なさそうに。
 礼儀正しく。
 優しさを、自分の負担に変えてしまう。

 だから——

 ミレアは最初から、逃げ道を用意する。

「飲まなくても大丈夫です。置いておくだけで」

 当主はカップを見つめて、眉を少しだけ動かした。

「……置いておくだけ?」

「はい。“ある”ってだけで、心が落ち着くこともありますので」

 当主は、ふっと笑った。

 小さな笑いだった。
 でもミレアの胸の内では、鐘が鳴る。

(効いてる)

 囲い込みの第一歩は、“存在”を許可すること。
 飲むかどうか、役に立つかどうか、そういう判断を外してあげる。

 ただ、そこにある。
 ただ、そこにいていい。

 当主は、しばらくカップを眺めてから——小さく口をつけた。

 ひと口。

 それだけで、少し目元が柔らかくなる。

「……美味しい」

「ありがとうございます」

 ミレアはにこりと笑った。
 その笑顔の下で、策士は淡々と次の工程へ進む。

(よし。“受け取る練習”、一回目)



 午前中。

 ミレアは屋敷の中を回りながら、当主の動きを観察した。

 書斎。廊下。寝室。書庫。庭。
 当主は、どこにでも“ひとり”でいる。

 けれど昨日と違う点がひとつある。

 当主は、書斎に入る前に一度、廊下で止まって、ダイニングの方向を見た。

 ほんの一瞬。
 まるで、あそこに何かがあると確認するみたいに。

(帰れる場所の確認)

 ミレアは気づかないふりをした。
 気づいてしまうと、当主が引っ込めてしまうから。

 人は、見られると恥ずかしくなる。
 恥ずかしいと、またひとりに戻る。

 囲い込みは、見えないくらいがちょうどいい。



 昼過ぎ。

 書斎にお茶を運ぶと、当主は机に向かったまま、書類の間に沈んでいた。
 眠そうな顔で、文字を追いかけている。

 ミレアはそっと近づいた。

「当主さま。お茶でございます」

「……ありがとう」

 昨日と同じ言葉。
 でも今日は、昨日より少しだけ声が軽い。

 ミレアはカップを置く位置を、また“ちょうどいいところ”に調整した。
 当主の利き手の側。
 机の端から少しだけ内側。
 手を伸ばしたとき、紙の山にぶつからない距離。

 当主はカップを見て、ぽつりと言った。

「……ミレアさんって、魔法みたいだね」

 ミレアは瞬きをした。

(魔法……)

 その言葉は、彼女の心の中で静かに点いた。
 灯りみたいに。

 でも、顔には出さない。
 メイドは、あくまで無害でなければならない。

「魔法ではございません。慣れているだけで」

「……慣れてる、ってことは……今までにも、こういう人を?」

 当主が、言いかけて止まる。
 珍しい。

 ミレアはすぐに答えない。
 沈黙を少しだけ置いて、“会話の圧”を弱める。

 そして、ふわっと柔らかく返した。

「……ええ。ひとりで頑張りすぎる人は、珍しくありませんので」

 当主の指先が、ペンを回す。
 目線が一度落ちる。

「……僕、頑張りすぎてる?」

 来た。

 この問いは、当主が自分で自分を見始めた証拠だ。
 今までなら、「困らない」「大丈夫」で終わっていたはず。

 ミレアは、甘い答えを用意する。

「はい」

 即答。

 当主の目が少し丸くなる。

「……即答なんだ」

「はい。即答です」

「……怒られた」

「怒っておりません。……ただ、囲いたいだけです」

 ミレアは言ってから、しまったと思った。

(いま、言葉が素直すぎた)

 囲いたい、なんて。
 メイドが当主に言う言葉ではない。

 けれど当主は、怒らなかった。
 むしろ——少しだけ、困った顔をした。

 眠そうな顔のまま。

「……囲うって、なに?」

「……毛布とか、お茶とか、灯りとかで」

「それ、監禁じゃない?」

 当主の声は穏やかだった。
 でも内容は、妙に鋭い。

 ミレアは内心で感心する。

(出た。決める時だけ鋭い)

 そして、微笑んで答える。

「はい。優しい監禁です」

「……こわいね、ミレアさん」

「こわくありません。逃げ道もございますので」

 当主がカップを持つ。
 少しだけ飲んで、そして、また机に戻る。

 でもその動作は、昨日よりゆっくりだった。

 急いでいない。
 自分を削っていない。

 ミレアは、心の中で小さく拍手した。

(受け取る練習、二回目)



 夜。

 ミレアは書斎の前で足を止めた。

 昨日と同じ時間。
 同じ薄い光。

 でも今日は、扉の向こうから聞こえるのは紙の音だけではなかった。

 ——湯気の音。

 当主が、ポットを使っている。

(え……)

 ミレアは思わず扉に耳を近づけた。
 カップを置く音。
 そして、ふっと息をつく音。

 当主が自分でお茶を淹れている。

 それは、ただの行動の変化ではない。

 “ひとりで抱える癖”を、少しだけ変えた証拠。
 自分に優しさを許した証拠。

 ミレアはそっと息を吐いた。

(やっと、帰る導線ができた)

 自分が淹れたお茶じゃなくてもいい。
 自分が掛けた毛布じゃなくてもいい。

 当主が“自分を守る方法”を覚えるなら。

 それが、ミレアの望みだ。

 ——望みのはずだった。

 でも、扉の向こうから、当主の眠そうな声が聞こえた。

「……ミレアさん」

 呼ばれている。

 ミレアは扉を開けた。

「はい。当主さま」

 レオニスは机に向かったまま、こちらを振り返らずに言う。

「……昨日の毛布、今日も、ある?」

 ミレアの胸が、きゅっとなる。

 それは、欲しいと言ったのと同じだ。
 甘やかしてほしい、と言ったのと同じだ。

 受け取る練習は、もう練習じゃなくなり始めている。

 ミレアは、いつもの無害な笑みで答えた。

「もちろんでございます。……囲いますね」

 毛布を手に取る。
 ふわっと広げる。

 当主の背中に、優しく掛ける。

 そして——

 やっぱり、手だけは離さなかった。

 今度は、眠っていないのに。

 当主の指先が、ミレアの袖を、そっとつまんだ。

「……行かないで、って言ったら、困る?」

 ミレアは、少しだけ目を丸くしてから、笑った。

「困りません」

 すぐに答えると、当主の肩がふっと緩んだ。

 まるで、許されたみたいに。

 ミレアは思う。

(……あぁ。もう囲い込みは、作戦じゃなくなってる)

 この人を冷たい空気から守りたい。
 孤独を増やしたくない。
 ただ、それだけ。

 でも、当主の手が袖をつまむたびに。

 ミレアの心は、少しずつ捕まっていく。

 囲っているのは自分のはずなのに。
 囲われているのは、どちらなのか。

 その答えはまだ、夜の灯りの中に隠れていた。
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