策略メイドは当主さまを“やさしく監禁”したい(※お茶と灯りで)

星乃和花

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第3話 灯りの罠(沈黙を許可する夜)

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 夜の屋敷は、静かすぎて——ときどき怖い。

 誰かが歩けば音が響き、誰かがいなければ気配が消える。
 その差がはっきりしすぎていて、まるで屋敷自体が「ひとり」を強調してくるみたいだった。

 ミレアは廊下の端で、ひとつだけ灯る書斎の光を見た。

(今日も……戻ってる)

 当主レオニスは、ひとりで抱える癖がある。
 昼は紅茶で引き戻せても、夜はまた、深いところへ沈んでいく。

 ひとりで考える時間が必要な人はいる。
 でも“ひとりしか選べない人”は、危ない。

 ミレアはそれを、何度も見てきた。

 だから、今日も囲う。
 ただし、押しつけない。

 優しさは、追い詰めない距離で。
 灯りは、眩しすぎない温度で。

 ——それが、彼女の作戦だ。



 書斎の扉を、軽くノックする。

「当主さま。失礼いたします」

「……うん。入って」

 扉を開けると、まず目に入ったのは机の上の書類の山——と、当主の姿勢だった。

 レオニスは椅子に座っているのに、どこか“立ったまま寝ている”みたいな空気を纏っている。
 背筋は真っ直ぐ。
 でも、瞼は重い。

 真面目な人ほど、自分の限界を無視する。

 ミレアは紅茶のトレイを持ったまま、机の横へ進んだ。

「お茶をお持ちいたしました」

「……ありがとう。ミレアさん」

 そして当主は、少しだけ視線を上げる。

 昨日から変わったところがある。
 彼は“見る”ようになった。

 目はまだ眠そうなのに、視線だけはミレアを追う。
 追うくせに、すぐに逸らす。

(……受け取るのに慣れてない人、二日目)

 ミレアはカップを置く位置を、やはり“ちょうどいい”ところへ。
 そこはすでに、この部屋の中の“帰る場所”になり始めていた。

 当主がひと口飲む。

 ふっと息を吐く。

「……この時間に飲むと、落ち着くね」

「はい。夜は、空気が冷えますので」

 ミレアはそう言いながら、視線を部屋の隅へ滑らせた。

 書斎の照明は強い。
 仕事をするための灯りだ。
 でも、その灯りは“休むための灯り”ではない。

 目を覚まさせる光は、心を疲れさせる。

 ミレアは静かに、決める。

(灯り、変える)

 それは小さな支配だ。
 でも、必要な支配。

「当主さま。少し、灯りを落としてもよろしいでしょうか」

「……仕事、できなくならない?」

「大丈夫です。こちらを残しますので」

 ミレアは壁際のランプに手を伸ばし、天井の照明をひとつ落とした。

 ふわり、と部屋の空気が変わる。

 暗くなったわけではない。
 ただ、鋭さが消えた。

 代わりに残ったのは、温度のある光。
 誰かの気配が残る光。

 当主が、目を細めた。

「……静かだ」

「はい。静かです」

 ミレアは椅子を一つ引き、当主の斜め後ろに座った。

 近すぎない。
 遠すぎない。

 “仕事の邪魔をしない距離”という名目で、ちゃんと同じ部屋にいる。

 当主がペンを動かす。
 紙が擦れる。
 ページがめくられる。

 ミレアは、その音を“生活音”として部屋に溶かした。

(孤独に必要なのは、完璧な会話じゃない。
 ——誰かの気配よ)

 当主がまたひと口、紅茶を飲む。

 そして、小さく呟いた。

「……ミレアさんって、しゃべらないね」

 ミレアは瞬きをした。

「しゃべる必要がある時は、しゃべります」

「……必要ない時は?」

「沈黙を許します」

 当主のペンが止まった。

 少しだけ、こちらを振り返る。

「……沈黙って、許すものなの?」

「はい。許されると、安心する方もいらっしゃるので」

 当主は、ほんの少しだけ口元を緩めた。
 そしてまた、机に向き直る。

「……安心」

 その単語が、彼の口から出ることが、すでに珍しい。

 ミレアは、胸の内で静かに頷いた。

(この人、安心を知らないわけじゃない。
 ——思い出せないだけ)



 しばらく、言葉のない時間が続く。

 当主が書類に目を通し、ペンでサインをし、封筒に封をする。
 ミレアは本を開いて、ページをめくる。

 同じ部屋。
 同じ灯り。

 会話はなくても、そこには“ふたり”がいる。

 それだけで、この屋敷の冷たさが少しだけ溶けていく。

 当主が、小さく息を吐いた。

「……ねえ、ミレアさん」

「はい」

「僕、今まで……こういう時間、なかったかも」

 ぽやぽやの声だった。
 でも言っていることは、少しだけ刺さる。

 彼は今まで、誰かと同じ空間にいても、“一緒にいる”ことをしてこなかった。

 ミレアは、本を閉じないまま答えた。

「では、これから作りましょう」

「……作れる?」

「はい。作れます」

 当主が笑った。

 今度は、ちゃんと笑った。
 眠そうな顔の中に、子どもみたいな嬉しさが浮かぶ。

「……ミレアさん、強いね」

「当主さまよりは」

「……え」

「当主さまは、優しすぎますので」

 当主が息を止めた気配がした。

 優しすぎる、と言われる人は、だいたいそれを褒め言葉として受け取れない。

 “自分が弱いからだ”と変換してしまう。

 だからミレアは、すぐに続けた。

「優しい方は、ひとりで抱える癖がつきやすいです。
 それは悪いことではありません。……ただ」

「ただ?」

 当主が、少しだけこちらを見る。

 目が。
 眠そうなのに、ちゃんとこちらを見ている。

 ミレアは、息を吸って、柔らかい声で落とした。

「……囲われることも、覚えてください」

 当主の視線が止まった。

 その一瞬、部屋の空気が静まり返る。

 灯りがゆれる。
 湯気がほどける。

 当主はぽやぽやした顔のまま、すごく小さな声で言った。

「……君に?」

 ミレアは、笑ってしまいそうになった。

(出た。もう、囲い込みに自分を混ぜ始めてる)

 彼は“受け取る練習”をしている。
 でもそれは同時に、“欲しがる練習”でもある。

 ミレアは平静を保って答えた。

「はい。私に」

 当主の指先が、机の上でわずかに揺れた。

 それは、甘やかされ慣れていない人が、甘やかされそうになった時の反応。

 戸惑い。
 嬉しさ。
 怖さ。

 全部が混ざる。



 夜更け。

 当主はついにペンを置いた。

「……終わった」

 その声が、少しだけ誇らしげだったのが可笑しい。

「お疲れさまでございます」

 ミレアは立ち上がり、毛布を手に取った。

 この流れは、もう“当たり前”になりつつある。

 当主が何も言わないまま背中を少しだけ預けるのも、
 ミレアがふわっと囲うのも。

 毛布を掛ける。

 その瞬間——

 当主の手が、またミレアの袖をつまんだ。

 昨夜と同じ。

 でも今日は、動きが確信犯に近い。

「……ミレアさん」

「はい」

 当主はぽやぽやのまま、こちらを見上げた。

 眠そうな瞳の奥に、ほんの少しだけ鋭さがある。
 まるで、要点だけは逃さない人の目。

「……君がここにいると、安心する」

 ミレアの胸が、小さく鳴った。

 今までの当主なら、言わなかった。
 言えなかった。
 言う必要がないふりをしていた。

 ミレアは、いつもの無害な顔で答えた。

「それなら、良かったです」

 当主が、袖をつまんだまま、呟く。

「……良くないかも」

「……え?」

 ミレアが問い返すと、当主はふっと視線を逸らした。

 ぽやぽやの顔に戻る。

「……いや。何でもない」

 ——けれど、手は離さない。

 ミレアは思った。

(この人、ぽやぽやしてるのに……刺すところ刺してくる)

 決める時だけ、鋭い。
 嘘を見抜く。
 要点を外さない。

 そして今。

 “安心が増えること”を、どこかで危険だと思っている。

 それはつまり。

 安心を、欲しがり始めたということだ。

 ミレアは笑って、そっと袖を引いた。

 引いたけれど、抜けない程度に。

「当主さま。今日はもう、お休みくださいませ」

「……うん」

 当主は頷いた。

 そして、ぽつりと落とす。

「……灯り、好き」

 ミレアは、心の中で静かに息を吐いた。

(灯りの罠、成功)

 話さなくていい夜。
 静かで、あたたかい光。

 それが、当主の心を少しずつ“帰らせる”。

 そしてきっと——

 帰れる場所が増えた人は、いつか。
 そこを失うことを怖がって、決める。

 ミレアは、当主の袖をつまむ指先を見つめながら、そっと思った。

(……決める時が来たら、この人は、怖い)

 けれどその怖さは、きっと——優しさの形でもある。

 灯りの中で、ミレアはそれを静かに受け取った。
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