策略メイドは当主さまを“やさしく監禁”したい(※お茶と灯りで)

星乃和花

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第4話 読書の囲い込み(距離が“当たり前”になる)

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 昼下がりの光は、優しい。

 屋敷の窓から差し込む陽射しは、床に薄い模様を描き、空気にほんの少しだけ温度を与えていた。

 ミレアは書庫の扉を開けて、静かに息を吸った。

 ——紙の匂い。

 この匂いは、人を落ち着かせる。
 呼吸を深くする。
 世界を少しだけ、ゆっくりにする。

(書庫は、帰れる場所になる)

 当主レオニスは、基本的に“書斎”に沈む人だ。
 けれど書斎は、仕事のための部屋であって、休むための場所ではない。

 だから作る。

 休んでもいい場所。
 何も生まなくていい場所。
 ただ“いる”だけが許される場所。

 その名目は、簡単だ。

 ——読書。

 誰も文句を言わない。
 誰も咎めない。
 真面目な人ほど、許可があれば休める。

 ミレアは棚の間を歩きながら、当主の好みを思い出す。

 難しい商談の資料に囲まれているくせに、息抜きに読むのは古い物語や随筆。
 現実を戦っている人ほど、夢に触れたがる。

(当主さま。あなた、癒されたいのよね)

 ミレアは一本の本を抜き取り、表紙を撫でた。

 それは長く愛されている物語。
 硬すぎず、軽すぎず、最後にちゃんと温かいものが残る。

(これで、導線を変える)



 夕方。

 当主の書斎にお茶を運ぶと、レオニスは机に向かったまま、やはり眠そうだった。

 それなのに、目だけはちゃんと働いている。
 気配を見ている。
 ミレアが近づくと、ほんの少しだけ肩の力が抜ける。

(もう“当たり前”になってる)

 嬉しい。
 でも少しだけ——危ない。

 当主にとって、ミレアが当たり前になることは、救いだ。
 しかし“当たり前”は、失った時に痛い。

 優しい人は、痛みを嫌う。
 だから、抱え込む。

 ミレアはまた、救いと痛みの境界線を踏むことになる。

 それでも、今日は踏む。

 彼女はカップを置き、静かに言った。

「当主さま。本日は書庫を少し整えました」

 当主が、ペンを止めた。

「……書庫?」

「はい。お仕事の合間に、少しだけ休めるように」

「……休む、ように」

 当主の声が、少しだけ小さくなる。
 自分が休むことを言われると、どう反応していいか分からなくなる人の声。

 ミレアは笑った。

「命令ではございません。提案です」

「……提案なら、断ってもいい?」

「はい。もちろん」

 逃げ道を用意した瞬間、当主は断れなくなる。

 それが、ミレアのやり方だ。

 当主はしばらく考えるように黙り、そしてぽやぽやした顔のまま呟いた。

「……行く」

 ミレアは心の中で、そっと頷いた。

(罠、成功)



 書庫。

 薄いカーテン越しの光が柔らかく、室内は静かで、空気が澄んでいる。
 整えられた棚は、すこしだけ“人がいていい”顔をしている。

 レオニスはその場に立ったまま、ぼんやりと周りを見た。

「……ここ、こんなに広かったんだね」

「広いですよ。屋敷ですので」

「……なんか、僕の屋敷じゃないみたい」

 ミレアは、その言葉に、少しだけ胸が締まった。

(分かる。あなた、この屋敷に“住んで”ない)

 彼はここで働いている。
 管理している。
 責任を背負っている。

 でも、休んでいない。

 ミレアは、本を一冊差し出した。

「こちらを。読みやすいものを選びました」

 当主は本を受け取って、表紙を撫でた。
 その仕草がとても丁寧で、ミレアは目を瞬いた。

「……君、僕の好み、分かってるね」

「メイドですので」

「……策士」

 ぽやぽやした声で、当主が言う。

 ミレアは、微笑みを崩さないまま内心で小さく驚いた。

(気づいてる)

 当主はぼんやりしているようで、観察眼だけは鋭い。
 要点だけは外さない。

 だからこそ、豹変した時が怖い。

 レオニスは本を持ったまま、窓際の椅子に座った。
 ミレアも少し離れた椅子に座り、自分の本を開く。

 同じ部屋で、別々の本。
 同じ灯りで、別々の世界。

 ——でも、同じ時間。

 ページをめくる音だけが、部屋に落ちる。

 当主が、少しだけ深く呼吸をした。

「……ここ、落ち着く」

 ミレアは本を見たまま答える。

「そうであれば、良かったです」

「……君が整えたから?」

「はい」

「……僕のために?」

 ミレアの指先が、ページの端で止まった。

 “僕のために”
 その言葉は、受け取る練習をしている人の、少し勇気のいる問いだ。

 だからミレアは、嘘をつかない。

「はい。当主さまのために」

 当主が、黙る。

 その沈黙は嫌な沈黙ではなく、
 “受け取っていいのか”を確認している沈黙だった。

 そして、レオニスはぽやぽやのまま、少しだけ視線を落として言った。

「……困る」

 ミレアは静かに目を上げる。

「何がでしょう」

「……僕、君に甘えたこと、ない」

 ミレアの胸の奥が、少しだけ熱くなった。

(甘えたこと、ない)

 それは、彼の弱点だ。
 そして、恋の入り口だ。

 ミレアは声を柔らかくする。

「今から覚えれば良いのです」

「……覚えたら、どうなる?」

 ぽやぽやした顔で、当主が聞く。

 ミレアは一秒だけ悩み、そして笑った。

「きっと、楽になります」

「……僕が?」

「はい。当主さまが」

 当主は本を閉じた。
 そして、こちらをじっと見た。

 その目は眠そうなのに、
 ほんの少しだけ鋭くて、
 刺すように真っ直ぐだった。

「……ミレアさん」

「はい」

「君、僕を囲ってるでしょ」

 ミレアの心臓が、軽く跳ねた。

(バレてる)

 彼女は笑顔を崩さずに答える。

「はい。囲っております」

「……なんで?」

 ミレアは、すぐに答えられなかった。

 孤独は悪化するから。
 放置厳禁だから。
 生活導線を整えれば、心が戻るから。

 全部、本当だ。

 でも。

(それだけじゃなくなってる)

 当主の袖をつまむ指先。
 灯りが好きと言った声。
 毛布を求めた言葉。

 それらはミレアの中で、少しずつ“作戦”ではない場所へ溜まっていく。

 ミレアは、逃げ道のある答えを選んだ。

「……当主さまが、ひとりで冷えていくのが、嫌だからです」

 当主の目が、すこしだけ丸くなる。

 そして、ぽやぽやとした声で言った。

「……それ、好きってこと?」

 ミレアは一瞬、呼吸を忘れた。

(早い!)

 当主さま。あなた、眠そうなのに急所を刺してくるのやめてください。

 ミレアは咳払いをしそうになり、なんとか平静を保つ。

「……そういう意味ではございません」

「……じゃあ、どういう意味?」

 ミレアは、今日初めて軽く負けた気がした。

 策士なのに。
 導線を整えて、空気を作る側なのに。

 彼の問いが、まっすぐすぎて、逃げ道がない。

 ミレアは本を持ち直し、少しだけ視線をそらして答えた。

「当主さまが、安心できるなら、それで良いという意味です」

「……僕が安心できたら、君は満足?」

 また刺してくる。

 ミレアは、微笑みながら降参した。

「はい。満足です」

 当主はまた本を開いて、ページをめくった。
 そして、ぽつりと落とす。

「……じゃあ僕、君を安心させる」

 ミレアは、思わず本から顔を上げた。

「え?」

 当主はぽやぽやのまま、淡々と言った。

「君だって、安心したいでしょ」

 その言葉は、柔らかいのに鋭い。

 ——優しい人が、優しさを返そうとするときの真剣さ。

 ミレアは、胸が少しだけ痛くなった。

(この人……本当に優しい)

 優しいからこそ、危ない。
 優しいからこそ、抱え込みやすい。

 そして優しい人は、
 好きになったら“決める”のが早い。

 ミレアは、ほんの少しだけ笑った。

「当主さま。今はまず、当主さまが休む練習を」

「……うん」

 当主は素直に頷く。

 その素直さが、今日のミレアには少しだけ怖かった。



 夜。

 ミレアは書斎の灯りをまた一つ落とし、ランプだけを残した。

 当主は机に向かい、仕事をしながら、時々こちらを見た。

 ミレアはその視線を、気づかないふりで受け取る。

 同じ部屋。
 同じ灯り。

 いつの間にか、それが“当たり前”になっている。

 当主が小さく呟いた。

「……ここ、好き」

「どちらですか」

「……君がいるところ」

 ミレアは、心の中で静かに頭を抱えた。

(当主さま。あなた、ぽやぽやのくせに直球すぎます)

 けれど顔は笑っている。

「それなら、良かったです」

 当主は満足げに頷いた。

 そして、毛布を求めるように肩を少しだけ預ける。

 ミレアは毛布を掛ける。

 当主の手が、袖をつまむ。

 もう、これが日常だ。

 “囲い込み”は完成しつつある。

 そしてミレアは気づいてしまう。

(私……囲ってるつもりで、囲われ始めてる)

 静かな書斎。
 柔らかい灯り。
 ページをめくる音。

 その中で当主の指先だけが、確かに離さない。

 ——当たり前の顔で。
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