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第6話 孤独の発熱(囲いすぎた、と気づく)
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夜の屋敷は静かで、静かすぎて——温度が分からなくなる。
ミレアは廊下を歩きながら、胸の奥の違和感を指でなぞっていた。
(最近、当主さまの“戻り方”が早い)
灯りを落とせば落ち着く。
紅茶を置けば呼吸が深くなる。
毛布を掛ければ安心する。
それらは全部、作戦通りだ。
でも。
(作戦通りすぎるのは……危ない)
人が誰かを“必要”とする瞬間は、優しくて甘い。
けれどその甘さは、ときどき痛みに変わる。
必要の形が、依存に傾いた時。
失う恐れが、独占に変わった時。
ミレアはそれを知っている。
だからこそ、囲い込みは“逃げ道付き”でやってきた。
——はずなのに。
(最近、逃げ道が薄くなってる気がする)
当主の袖をつまむ指先。
「君がいると戻れる」という声。
「君がいるところが好き」という言葉。
受け取る練習は、もう練習じゃない。
彼の生活の一部になり始めている。
ミレアは足を止めた。
書斎の前。
灯りがまだ消えていない。
(今日も……)
ミレアは深呼吸をして、軽くノックした。
「当主さま。お茶をお持ちいたしました」
「……うん。入って」
扉を開けた瞬間。
ミレアは、空気の異変に気づいた。
——熱い。
いつもより、少しだけ。
部屋の中が温かすぎる。
レオニスは机に向かっていた。
背中は真っ直ぐ。
でも、肩が少しだけ浮いている。
呼吸が浅い。
(……熱?)
ミレアはトレイを置くより先に、当主の顔を見た。
眠そうな目元が、いつもより赤い。
頬がほんのり熱を帯びている。
そして——
目が、冴えている。
怖い。
当主は普段ぽやぽやしている。
でも今の目は、ぽやぽやの皮を薄くして、内側の何かが透けている。
ミレアは声を柔らかく保った。
「当主さま。お顔が赤いようですが」
「……うん」
レオニスは短く答えた。
それだけで、ミレアの背筋がぞくりとした。
(短い返事。余計なものがない)
これは“決める時”に近い。
ミレアはゆっくりカップを置いた。
利き手側。
いつもの位置。
当主は紅茶に手を伸ばさない。
代わりに、ミレアの指先を見ている。
その視線は、優しいのに逃がさない。
「……ミレアさん」
「はい」
「君、最近……ずっとここにいる」
ミレアは瞬きをした。
ここにいる。
その言葉は、肯定にも否定にも取れる。
ミレアは逃げ道のある返事を用意する。
「はい。当主さまの生活が整うまでは」
「……整ってる」
当主が、即答した。
眠そうな声なのに、断定が鋭い。
ミレアの胸が小さく鳴る。
(整った……って、あなたが言うの)
それは作戦の成功のはずなのに、なぜか怖い。
ミレアはゆっくり言葉を継いだ。
「……整ったのであれば、私は——」
その続きを言う前に。
レオニスが、静かに笑った。
微笑みは柔らかい。
でも、目は冴えている。
「……君は僕の生活に入りすぎた」
ミレアは一瞬、音を失った。
言葉が胸に刺さって、体温が落ちる。
(入りすぎた)
それは、拒絶にも聞こえる。
でも当主の声は拒絶の温度じゃない。
むしろ——
怖いくらい優しい。
ミレアは、慎重に息を吸った。
「……申し訳ございません」
声が少しだけ、かすれる。
「出過ぎたのであれば、距離を」
言いながら、足を半歩だけ引いた。
逃げ道。
いつもの癖。
——でも、その半歩が。
当主にとっての“引き金”だった。
レオニスの手が、ミレアの手首を掴んだ。
ぎゅっ。
同じ。
でも今回は、眠っていない。
目が冴えたまま。
確信のある力で。
「……やめて」
ミレアは息を止めた。
「当主さま……?」
「君が引くの、やめて」
声は低い。
静かで、落ち着いていて、怖い。
ミレアは思った。
(来た……)
当主の“決める時”が、足音もなく来た。
ミレアは手首を掴まれたまま、視線を当主に向けた。
レオニスは椅子から立ち上がった。
背が高い。
いつもはその高さが優しいのに、今は壁みたいに感じる。
当主は、ぽやぽやの顔のまま、言った。
「……入りすぎたって言ったのは」
ミレアの鼓動が、耳の奥で鳴る。
「……僕が、もう戻れなくなったから」
ミレアは目を丸くした。
(戻れなくなった)
灯り。お茶。毛布。沈黙。
その全部が、当主の“帰る場所”になっていた。
でも今、その帰る場所は——
ミレアそのものになっている。
ミレアは、胸の奥が少しだけ痛くなった。
そして、ほんの少しだけ嬉しいのが、もっと怖かった。
「当主さま……それは」
「……君がいると、呼吸が戻る」
当主の声は淡々としている。
でも言葉は、熱い。
「君がいないと、また“ひとり”に戻る」
その言い方は、弱さの告白だった。
でも同時に——
危うい宣言でもある。
ミレアは、逃げ道を探した。
「当主さま。私はメイドです」
「……知ってる」
「屋敷にいる限り、当主さまをお支えします。
でも——」
でも、私が“あなたの全部”になったら、危ない。
そう言うつもりだった。
けれど当主は、その続きを許さなかった。
レオニスはミレアの手首を掴んだまま、ほんの少しだけ距離を詰めた。
視線がまっすぐ落ちる。
「でも、なに?」
ミレアの喉が鳴る。
(怖い)
この人、ぽやぽやの仮面をしているのに、核心だけを刺してくる。
ミレアは苦笑した。
「……当主さまは、今までぽやぽやだったではありませんか」
「うん」
「急に、鋭くならないでください」
当主はそこで、少しだけ笑った。
その笑いは、柔らかい。
けれど、決めた人の笑いだった。
「……僕は、ずっとこうだよ」
ぞくり。
ミレアの背筋を、冷たいものが走る。
「……眠そうにしてただけ」
当主は淡々と言う。
「君がいれば、ぼんやりできるから」
ミレアは、何も言えなくなった。
(あなた……)
ミレアが囲い込んでいたつもりで。
彼は最初から、“囲われる場所”を探していたのかもしれない。
そして見つけた場所が——ミレア。
当主は、手首を掴んだまま、静かに言った。
「……君は僕の生活に入りすぎた」
さっきと同じ言葉。
でも今度は、意味が違う。
「だから——出ていかないで」
ミレアの胸が、ぎゅっと掴まれた。
その声は、弱い。
でも手は強い。
優しい監禁。
その完成形が、今ここにある。
ミレアは、自分の作戦が自分に返ってきたのを感じた。
(囲ったのは私なのに)
(捕まったのは……私のほう?)
ミレアは、ゆっくり息を吐いた。
「……分かりました」
答えた瞬間、当主の指がほんの少し緩む。
その緩みが、苦しいほど愛おしかった。
「当主さま。今夜は、お休みくださいませ」
「……うん」
レオニスは頷いた。
そして、ぽやぽやの顔に少しだけ戻る。
けれど手は、まだ離さない。
ミレアは笑った。
「……囲いますね」
「……うん。囲って」
当主は、まるで当たり前みたいに言った。
ミレアは毛布を広げ、当主の肩に掛けた。
灯りをひとつ落とした。
紅茶をそっと近くに置いた。
いつものセット。
いつもの囲い込み。
でも今夜は違う。
当主の“熱”が、言葉に溶けている。
「……ミレアさん」
「はい」
「君がいるの、偶然じゃない」
ミレアの心臓が跳ねる。
——次の扉が、そこに見えた。
当主はまだ、完全には言わない。
でも、もう決めている。
ミレアは微笑んで、優しい声を落とした。
「当主さま。今は眠ってくださいませ」
当主は頷き、瞳を閉じた。
でも、手だけは離さない。
熱を帯びた夜は、静かに次の瞬間へ滑っていく。
——当主が“決める日”へ。
ミレアは廊下を歩きながら、胸の奥の違和感を指でなぞっていた。
(最近、当主さまの“戻り方”が早い)
灯りを落とせば落ち着く。
紅茶を置けば呼吸が深くなる。
毛布を掛ければ安心する。
それらは全部、作戦通りだ。
でも。
(作戦通りすぎるのは……危ない)
人が誰かを“必要”とする瞬間は、優しくて甘い。
けれどその甘さは、ときどき痛みに変わる。
必要の形が、依存に傾いた時。
失う恐れが、独占に変わった時。
ミレアはそれを知っている。
だからこそ、囲い込みは“逃げ道付き”でやってきた。
——はずなのに。
(最近、逃げ道が薄くなってる気がする)
当主の袖をつまむ指先。
「君がいると戻れる」という声。
「君がいるところが好き」という言葉。
受け取る練習は、もう練習じゃない。
彼の生活の一部になり始めている。
ミレアは足を止めた。
書斎の前。
灯りがまだ消えていない。
(今日も……)
ミレアは深呼吸をして、軽くノックした。
「当主さま。お茶をお持ちいたしました」
「……うん。入って」
扉を開けた瞬間。
ミレアは、空気の異変に気づいた。
——熱い。
いつもより、少しだけ。
部屋の中が温かすぎる。
レオニスは机に向かっていた。
背中は真っ直ぐ。
でも、肩が少しだけ浮いている。
呼吸が浅い。
(……熱?)
ミレアはトレイを置くより先に、当主の顔を見た。
眠そうな目元が、いつもより赤い。
頬がほんのり熱を帯びている。
そして——
目が、冴えている。
怖い。
当主は普段ぽやぽやしている。
でも今の目は、ぽやぽやの皮を薄くして、内側の何かが透けている。
ミレアは声を柔らかく保った。
「当主さま。お顔が赤いようですが」
「……うん」
レオニスは短く答えた。
それだけで、ミレアの背筋がぞくりとした。
(短い返事。余計なものがない)
これは“決める時”に近い。
ミレアはゆっくりカップを置いた。
利き手側。
いつもの位置。
当主は紅茶に手を伸ばさない。
代わりに、ミレアの指先を見ている。
その視線は、優しいのに逃がさない。
「……ミレアさん」
「はい」
「君、最近……ずっとここにいる」
ミレアは瞬きをした。
ここにいる。
その言葉は、肯定にも否定にも取れる。
ミレアは逃げ道のある返事を用意する。
「はい。当主さまの生活が整うまでは」
「……整ってる」
当主が、即答した。
眠そうな声なのに、断定が鋭い。
ミレアの胸が小さく鳴る。
(整った……って、あなたが言うの)
それは作戦の成功のはずなのに、なぜか怖い。
ミレアはゆっくり言葉を継いだ。
「……整ったのであれば、私は——」
その続きを言う前に。
レオニスが、静かに笑った。
微笑みは柔らかい。
でも、目は冴えている。
「……君は僕の生活に入りすぎた」
ミレアは一瞬、音を失った。
言葉が胸に刺さって、体温が落ちる。
(入りすぎた)
それは、拒絶にも聞こえる。
でも当主の声は拒絶の温度じゃない。
むしろ——
怖いくらい優しい。
ミレアは、慎重に息を吸った。
「……申し訳ございません」
声が少しだけ、かすれる。
「出過ぎたのであれば、距離を」
言いながら、足を半歩だけ引いた。
逃げ道。
いつもの癖。
——でも、その半歩が。
当主にとっての“引き金”だった。
レオニスの手が、ミレアの手首を掴んだ。
ぎゅっ。
同じ。
でも今回は、眠っていない。
目が冴えたまま。
確信のある力で。
「……やめて」
ミレアは息を止めた。
「当主さま……?」
「君が引くの、やめて」
声は低い。
静かで、落ち着いていて、怖い。
ミレアは思った。
(来た……)
当主の“決める時”が、足音もなく来た。
ミレアは手首を掴まれたまま、視線を当主に向けた。
レオニスは椅子から立ち上がった。
背が高い。
いつもはその高さが優しいのに、今は壁みたいに感じる。
当主は、ぽやぽやの顔のまま、言った。
「……入りすぎたって言ったのは」
ミレアの鼓動が、耳の奥で鳴る。
「……僕が、もう戻れなくなったから」
ミレアは目を丸くした。
(戻れなくなった)
灯り。お茶。毛布。沈黙。
その全部が、当主の“帰る場所”になっていた。
でも今、その帰る場所は——
ミレアそのものになっている。
ミレアは、胸の奥が少しだけ痛くなった。
そして、ほんの少しだけ嬉しいのが、もっと怖かった。
「当主さま……それは」
「……君がいると、呼吸が戻る」
当主の声は淡々としている。
でも言葉は、熱い。
「君がいないと、また“ひとり”に戻る」
その言い方は、弱さの告白だった。
でも同時に——
危うい宣言でもある。
ミレアは、逃げ道を探した。
「当主さま。私はメイドです」
「……知ってる」
「屋敷にいる限り、当主さまをお支えします。
でも——」
でも、私が“あなたの全部”になったら、危ない。
そう言うつもりだった。
けれど当主は、その続きを許さなかった。
レオニスはミレアの手首を掴んだまま、ほんの少しだけ距離を詰めた。
視線がまっすぐ落ちる。
「でも、なに?」
ミレアの喉が鳴る。
(怖い)
この人、ぽやぽやの仮面をしているのに、核心だけを刺してくる。
ミレアは苦笑した。
「……当主さまは、今までぽやぽやだったではありませんか」
「うん」
「急に、鋭くならないでください」
当主はそこで、少しだけ笑った。
その笑いは、柔らかい。
けれど、決めた人の笑いだった。
「……僕は、ずっとこうだよ」
ぞくり。
ミレアの背筋を、冷たいものが走る。
「……眠そうにしてただけ」
当主は淡々と言う。
「君がいれば、ぼんやりできるから」
ミレアは、何も言えなくなった。
(あなた……)
ミレアが囲い込んでいたつもりで。
彼は最初から、“囲われる場所”を探していたのかもしれない。
そして見つけた場所が——ミレア。
当主は、手首を掴んだまま、静かに言った。
「……君は僕の生活に入りすぎた」
さっきと同じ言葉。
でも今度は、意味が違う。
「だから——出ていかないで」
ミレアの胸が、ぎゅっと掴まれた。
その声は、弱い。
でも手は強い。
優しい監禁。
その完成形が、今ここにある。
ミレアは、自分の作戦が自分に返ってきたのを感じた。
(囲ったのは私なのに)
(捕まったのは……私のほう?)
ミレアは、ゆっくり息を吐いた。
「……分かりました」
答えた瞬間、当主の指がほんの少し緩む。
その緩みが、苦しいほど愛おしかった。
「当主さま。今夜は、お休みくださいませ」
「……うん」
レオニスは頷いた。
そして、ぽやぽやの顔に少しだけ戻る。
けれど手は、まだ離さない。
ミレアは笑った。
「……囲いますね」
「……うん。囲って」
当主は、まるで当たり前みたいに言った。
ミレアは毛布を広げ、当主の肩に掛けた。
灯りをひとつ落とした。
紅茶をそっと近くに置いた。
いつものセット。
いつもの囲い込み。
でも今夜は違う。
当主の“熱”が、言葉に溶けている。
「……ミレアさん」
「はい」
「君がいるの、偶然じゃない」
ミレアの心臓が跳ねる。
——次の扉が、そこに見えた。
当主はまだ、完全には言わない。
でも、もう決めている。
ミレアは微笑んで、優しい声を落とした。
「当主さま。今は眠ってくださいませ」
当主は頷き、瞳を閉じた。
でも、手だけは離さない。
熱を帯びた夜は、静かに次の瞬間へ滑っていく。
——当主が“決める日”へ。
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