策略メイドは当主さまを“やさしく監禁”したい(※お茶と灯りで)

星乃和花

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第7話 豹変(決める当主/もう離さない)

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 夜は、静かに人を本音へ連れていく。

 昼間なら笑って誤魔化せることも、
 夜の灯りの下では、輪郭を持ってしまう。

 ミレアは、書斎の扉の前で立ち止まった。

 中からは、紙をめくる音。
 ペン先が走る音。
 そして、ときどき——浅い呼吸。

(まだ熱が残ってる)

 当主レオニスは、休む練習を始めた。
 受け取る練習も始めた。

 でも一度“帰れる場所”を見つけた人は、
 そこを失うことが怖くなる。

 そして怖さが強くなると、
 優しい人ほど——静かに決める。

 ミレアは息を吸って、軽くノックをした。

「当主さま。失礼いたします」

「……うん。入って」

 扉を開ける。

 部屋の灯りは、すでにひとつ落ちていた。
 ランプだけが残っている。

 ——当主が、自分で落とした。

 それが、ミレアの胸に小さな安堵を落とす。

(覚えてる)

 優しさを受け取るだけじゃなく、
 優しさを自分で作る練習もしている。

 当主は机に向かったまま、少しだけこちらを見た。

 眠そうなのに、目が冴えている。
 昨日の“熱”が、まだ内側で燃えている。

 ミレアはいつも通り、紅茶を置いた。

 利き手側。
 いつもの位置。

 そして、いつも通り逃げ道を残す。

「飲まなくても大丈夫です。置いておくだけで」

 当主は一度カップに触れた。
 でも飲まない。

 代わりに、ミレアを見た。

「……ミレアさん」

「はい」

「君、今日は、どこにいる予定?」

 ミレアの指先が、ほんの少し止まった。

(来た)

 この問いは、ただの確認じゃない。
 “把握”だ。

 ミレアは柔らかく答える。

「屋敷におります。必要があれば、すぐに」

「……必要がなくても?」

 ミレアは瞬きをした。

「……必要がなくても、私は屋敷におります」

 当主は、ふっと笑った。

 ぽやぽやの微笑み。
 でも目の奥は鋭い。

「……じゃあ、ここ」

「え?」

「ここにいて」

 ミレアは思わず息を止めた。

(命令……?)

 いつもは提案。
 逃げ道付き。
 当主は強く言わない。

 でも今日は違う。

 ミレアは、メイドとしての言葉を探した。

「当主さま。私はお仕事が」

「……終わってる」

 当主が即答する。

 その一言で、ミレアの逃げ道が一つ閉じる。

(鋭い……)

 当主は、ぽやぽやした顔のまま淡々と言った。

「君が今、やろうとしてるのは
 “距離を取る準備”でしょ」

 ミレアは固まった。

(バレてる)

 バレたくなかった。
 昨日の夜から、ミレアは一度、距離を取ろうとしていた。

 囲い込みすぎた。
 当主が戻れなくなった。

 その危うさに気づいたから。

 だから、少しだけ離れようとした。

 でも当主は、それを見逃さない。

 ミレアは笑顔を崩さずに言った。

「……当主さま。私はメイドです」

「うん」

「当主さまが休めるように整えるのが仕事です。
 ですので、距離を——」

 取ります、と言いかけた瞬間。

 レオニスは椅子から立ち上がった。

 静かに。
 無駄なく。

 その動作だけで、空気の密度が上がる。

 ミレアは思った。

(怖い)

 この人、本当は最初からこうだった。
 眠そうにしていただけ。
 ぼんやりしていただけ。

 “安心できる時だけ”ぽやぽやになっていただけ。

 当主はミレアの前まで歩いてきた。
 距離は近い。
 でも触れない。

 触れないのに、逃げられない。

 レオニスは低い声で言った。

「……君は僕の生活に入りすぎた」

 またその言葉。

 でも今日は、昨日より深い。

 ミレアは小さく頷いた。

「はい。申し訳ございません」

 そして、半歩引いた。

 逃げ道。
 いつもの癖。

 その半歩が——

 当主の決断を確定させた。

 レオニスの手が、ミレアの手首を掴む。

 ぎゅっ。

 痛くない。
 でも絶対に離れない力。

「……だめ」

 ミレアは目を上げた。

 当主は、ぽやぽやしていない。

 けれど怖い顔もしていない。

 優しいまま、決めている。

「当主さま……?」

「君が引くの、だめ」

 言い方が、静かすぎた。

 怒っていない。
 責めてもいない。

 ただ、決めた。

 ミレアは喉が鳴った。

「……当主さま。これは」

 優しい監禁、ですか。

 そう言いかけた時。

 当主が、少しだけ目を細めた。

 それは笑みだった。
 でも、甘い笑みじゃない。

 “確信”の笑み。

「……そう。監禁」

 ミレアの心臓が跳ねる。

 当主は淡々と言う。

「君が始めたんだよ、ミレアさん」

 ミレアは息を吸い損ねた。

(返された)

 毛布。
 お茶。
 灯り。
 沈黙の許可。

 彼女が“囲う”ことで作ってきた空気を、
 当主がそのまま“鍵”にしてしまった。

 ミレアは、かすれた声で言った。

「……私は、当主さまの孤独を減らしたかっただけです」

「うん」

「当主さまが休めるようにしたかっただけです」

「うん」

 当主は全部、受け取る。

 そして、その上で言う。

「……減ったよ」

 ミレアは、唇を噛んだ。

「……だから、私は——」

 距離を取ります、と言うはずだった。

 でも当主は、そこを許さない。

 レオニスはミレアの手首を掴んだまま、
 ほんの少しだけ近づいた。

 声が低くなる。

「……君がここにいるのは偶然じゃない」

 ミレアの呼吸が止まる。

 当主の瞳が、まっすぐ刺さる。

 眠そうじゃない。
 でも鋭すぎない。

 ただ、真剣。

「僕が望んだからだよ」

 その一言で、部屋の空気が変わる。

 ミレアの中で、何かが崩れて、
 同時に、何かが固定された。

(望んだ)

 望んでいいのだ、と当主が知ってしまった。

 優しい人が“望む”ことを覚える瞬間は、
 とても甘くて、危うい。

 ミレアは小さく笑った。

「……当主さま。急に怖い方にならないでください」

 当主は、少しだけ首を傾けた。

「……怖い?」

「はい。……でも」

 ミレアは、視線を落とす。

「……少し、嬉しいです」

 言った瞬間、当主の指先がほんの少し緩んだ。

 緩んだのに、離さない。

 その矛盾が、当主らしい。

 レオニスは、静かに言った。

「……嬉しいなら、離さない」

 ミレアは思わず目を見開いた。

(直球)

 当主はぽやぽやに戻りかけているのに、
 決めたことだけは撤回しない。

 ミレアは苦笑した。

「当主さま。私はメイドです」

「……うん」

「当主さまの命令で、この部屋に留まるなら」

 ミレアは息を吸って、笑った。

「“仕事”として囲われます」

 当主は少しだけ目を丸くした後、
 ぽやぽやと笑った。

「……仕事でもいいよ」

 そして、ふっと声を落とす。

「……でも、僕は本気」

 ミレアの胸の奥が、熱くなる。

 当主はミレアの手首を引き、
 机の横にある椅子へ導いた。

「座って」

 命令は短い。
 優しいのに逆らえない。

 ミレアは椅子に座る。

 当主は隣の椅子に腰掛ける。
 距離は近い。

 同じ灯り。
 同じ空気。

 ふたりの間に、毛布がふわりと落ちる。

 当主が自分で、毛布を引き寄せた。

 ミレアの作戦が、当主の習慣になっている。

 当主は毛布の端を整えて、ぽつりと言った。

「……僕、君に慣れた」

 ミレアは小さく息を吐いた。

(それが一番怖いのよ)

 慣れると、人は戻れなくなる。

 当主は眠そうに瞬きをして、
 でも目だけはしっかりしている。

「……慣れたから、離したくない」

 ミレアは笑った。

「……当主さま。ずるいです」

「……君ほどじゃない」

 ミレアは声を立てずに笑った。

(策略メイド vs ぽやぽや当主)

 勝っていると思っていた。
 囲っていると思っていた。

 でも今は。

(勝ったのは、当主さまね)

 レオニスはふっと息を吐いた。

「……今日、すごく眠い」

「お休みくださいませ」

「……君がここにいるなら」

 ミレアの胸が、きゅっとする。

 当主はミレアの袖をつまんだ。

 いつもの癖。
 でも今日は、“許可”じゃない。

 確保だ。

 ミレアはその指先を見つめて、
 小さく頷いた。

「……はい。ここにおります」

 当主の肩が、ふっと落ちた。

 安心した人の身体の緩み。

 それを見て、ミレアは思った。

(この人は、こんなふうに休みたかったのね)

 優しさを受け取る練習。
 甘える練習。

 そして今——望む練習。

 当主は眠そうに目を閉じた。

 でも手だけは、離さない。

 ミレアは毛布を整え、灯りを落とした。

 優しい監禁の夜。

 鍵は、扉ではなく——心。
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