Lilac

アカアシトカゲ

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Chapter 6. 距離

episode 17. 内通者

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ドックの騒音が、やけに遠い。

エルはその場に立ったまま、視線だけで、遠ざかる機影を追い続けた。
船体が小さくなるほど、胸の奥のどこかが、じわりと冷えていく。

――行け。

自分で言った。そうするしかないと分かっていた。
なのに、指先が遅れて反抗する。

ポケットの中で、拳が硬く握られていた。
掌に爪が食い込み、痛みが走って初めて、力が入っていたことに気づく。

「……」

息を吐き切る。
 
そして次の瞬間、顔から余計な温度を削ぎ落とすように、顎を引いた。

踵を返す。
歩き出した足音は、最初の三歩だけ、わずかに不揃いだった。


イージス・プライムの廊下を、エルは迷いのない足取りで進んでいった。

見慣れない顔に、隊員たちが振り返り、首を傾げる。
だが、その歩みに宿るただならぬ気配に、誰一人として声をかける者はいない。

艦橋区画を抜け、さらに奥へ。
一般隊員の立ち入りが制限されるフロア。
その最奥――重厚な扉の前で、ようやく二人の係員が立ちはだかった。

「ここから先へは、許可証のない者は――」

制止の声を無視し、エルは無言のまま扉の前に立つ。

天井から伸びたスキャナーが起動し、顔から足先まで、光のラインがゆっくりと彼の全身をなぞった。

赤かったランプが、カチリと音を立てて青に変わる。
続いて、重いロックが外れる低い音――ガコン、と扉が左右に開いた。

エルは一度も振り返らず、そのまま中へと足を踏み入れる。

背後で、スキャン結果のホログラムを見た係員が、揃って目を見開いた。

「そ、総司令官!?」
「今の人が……?」

驚愕の視線の先、廊下の終端に「総司令官室」の文字。
 
扉は静かに閉じ、外界との境界を遮断した。
 
 
片手で数えられるほどしか訪れたことのない部屋は、きちんと整えられていた。

余計なもののない、機能的すぎる空間。

エルはコートを無造作に脱ぎ捨て、壁面のクローゼットをスライドさせる。
中に並んだ隊服の中から、総司令官用の制服を引き抜き、慣れない手つきで袖を通した。

 ――そんなもの、お前が着る必要はない。

昔、オルカカにそう言われた時の声が、ふと脳裏をよぎる。

 ――自由にやりなさい、エリュシフォン。ここを守るのは、老兵の仕事だ。

その言葉に、甘え続けてきた。
この制服に袖を通したことなど、ほとんどない。

結局自分は、エデニアの「物」としてここに留まり続けるべきだったのかもしれない。

大きく息を吐き、思考を切り替える。
(感傷に浸っている場合じゃねぇ)

総司令官専用の回線を開く。
 
オルカカが調査を依頼していた、もうひとつの名前。
その行き先を探るために。

数秒ののち、回線が繋がった。

『ひ、秘匿情報局です』

「シグラはいるか」

問いかけると、少し頼りなさそうな声が返ってくる。

『あ、あの、今は皆、現場に出ておりまして。局内には私しかおらず……』

「チッ」
思わず舌打ちが漏れる。

『い、今の、この回線――もしかして、総司令官でしょうか?』

「ああ、そうだ。シグラが戻ったら――」
『あの!実は、お耳に入れたいことがありまして!』
 
遮るように飛び込んできた声。
だが、その必死さに、エルは言葉を飲み込む。

「……話せ」

『定期バックアップの照合作業中に、不審なログを見つけたんです。調べてみたら、シグラ局長のログが一部消えていて――消えている時間帯を追ったら、本来エデニアにいるはずの日の通信が、ヴァルガルドから送られていて……』

「何だと」

『局長が副司令官からの依頼で動いているのは知っていたので、最初は見なかったことにしようかと。でも、その日、副司令官が局長を探しに局に来たのを思い出して、どうしても引っかかって……』

エルは短く考え込み、低く問う。

「お前、名前は?」
 
『フィンと申します』
 
「フィン。今話したことは、誰にも漏らすな。……通話ログのデータは、復元できそうか?」

『……っ、やってみます!!』

「よし」
エルは短く息を吐いた。

「お前からの回線は、いつでも俺に直結するようにしておく。必ず復元しろ。それと――気をつけろ」

『承知いたしました!!』

通信が切れる。

エルは新たなホロを立ち上げ、隊員名簿を呼び出した。
秘匿情報局長――シグラのデータが空中に浮かび上がる。

「シグラ……」
その名を、忌々しげに噛み潰すように呟いた。

 
同じ頃。
銀河警備隊本部拠点《イージス・プライム》
――第五部隊詰所。

詰所の空気は、妙に重かった。

何をするでもなく、ただぼんやりと椅子に沈んでいる者。
訓練用ホロを惰性で眺めている者。
誰もが、突如途切れた指令に戸惑いを見せていた。

アリシアはといえば、デスクに肘をつきながらネイルをいじっていた。

「ねぇ。なんかさ、外めっちゃ騒がしくない?」

隣で端末をいじっているトートに、気怠そうに声をかける。

トートは神妙な顔で画面から目を離さずに答えた。
「なんか、艦橋区画の担当がさ。『総司令官が出た!』って騒いでるらしいよ」

アリシアはマニキュアを塗ったばかりの爪を眺めながら、くくっと笑う。
「なにそれ。お化けみたいじゃん。ウケるんだけど」

向かいの席で、ファルナンドが深いため息をついた。
「そんなわけないだろ。俺も長くいるが、総司令官なんて一度も見たことがない」

その一言に、周囲が少し盛り上がる。

「セリオン隊長は、見たことあるのかな」
「隊長、今なにしてるんだろ」
「会いたいよなぁ」

自然とセリオンの話題になっていくテーブル。
ここ最近はいつもそうだった。
ファルナンドは、気まずそうに視線を落とす。
その様子を、アリシアが眉を下げてちらりと見やる。

その時――ビビ、と短い通信音が鳴った。

ファルナンドの端末だ。
表示された宛先は、個人回線。
その上に――“秘匿通信”の文字。

「……っ!?」

ファルナンドは、思わず椅子から立ち上がっていた。

「なに? どうしたの」
アリシアが首を傾げる。

「いや……ちょっと、出てくる」
それだけ言い残し、ファルナンドは足早に詰所を出た。

通路に出るや否や、彼は壁際に身を寄せて通信を開く。

「はい。ファルナンドです」

『初めまして、ファルナンド隊長。私はシグラ。秘匿情報局の局長です』

ファルナンドは、耳を疑った。

秘匿情報局――存在だけは知られていても、その実態は一隊員には知らされない“影”の部署。

「私に、何のご用でしょうか」

かすかな警戒を滲ませた声で問う。

『我々は、あらゆる情報を集めるのが仕事でしてね。――セリオン隊長、そして“因子消失事件”。あなたは、この二つをどう見ていますか』

セリオンの名と、その事件の名に、ファルナンドは思わず息を呑んだ。

「どう、とは」

『調べでは、あなたは元・凄腕のスナイパーだ。因子が消える“前”までは、ですが』

ファルナンドの瞳が、揺れた。

『ヒューマンとエデニア人のハーフ。ヒューマン特有の因子を、あなたは通常よりも多く持っていたはずだ。因子はノードの性能を高める。それを失った今、あなたの戦闘能力は、地に落ちたと感じているのでは?』

「……」

喉がひくりと動く。
口が開くのに、言葉が出てこない。

シグラの声が、さらに深く入り込む。

『セリオン隊長――彼は、“エコー”と呼ばれる新時代の力を秘めている。我々の言葉で言うなら、“特別”だ』

囁くような声色。

『あなたも、“特別”になりたくはありませんか?』

その一言に、ファルナンドの喉が、ごくりと大きく鳴った。

――――

アストレイカーは、第七惑星を目指して静かに進んでいた。

セリオンは操縦席に拘束されたまま、勝手に動く操縦桿を、ただぼんやりと見つめていた。

――エリュシフォン・アルヴェリウス。

さっき、ストレイのシステム音声から聞かされた、エルの本当の名前。

「確かに、長いな」
自嘲気味に笑う。

隊長時代、全艦通信で何度か聞いたことのある声。
作戦開始の時、警備隊全体に飛ばされる、あの落ち着いたよく通る声。

今思い返せば――あれは、エルの声に似ていた気がする。

セリオンは頭をのけぞらせ、背もたれに預ける。

(……そりゃ、すげぇ重いもの、背負ってる顔にもなるか)

さっきの別れ際の横顔が、胸の奥を刺す。

(半分持ってやるどころか……荷物、増やしてたよな)

指先に力が入る。
握りしめた自分の手を、じっと見つめた。

総司令官だろうが、なんだろうが。
肩書きが何であろうと――エルが“エル”である限り、隣にいたい、そう思うのに。

拳の中から、薄い紫の光がじわりと滲む。

(これが、ガボンと同じ力だった、……ってことか)

(だからエルは――)

そこまで考えたところで。

カシャ、カシャ、と金属を引っかく音がした。

振り返ると、ガボンがケージの中でこちらを見上げながら、「出してくれ」と言わんばかりに前足で扉をかりかりしていた。

「ストレイ。もう暴れないって。こいつも、俺も」

セリオンがそう声をかけると、操縦席の拘束ベルトが、カシャン、と音を立てて静かに解除された。

立ち上がり、ガボンのもとへ歩いていく。
そっとケージを開けて抱き上げ、頭を撫でる。

ガボンはきょとんとした顔で、尻尾だけぱたぱたと揺らした。
さっき自分が暴れたことなんて、まるで覚えていないかのように。

その様子に、セリオンは眉を下げて、苦笑い混じりに微笑む。

(守るさ、ガボンは。何があっても)

(でも――)

ガボンを抱えたまま、視線を窓の外に向ける。

エデニアは、もう遥か遠く。
アストレイカーは、ゆっくりと、薄暗い外縁宙域へと滑っていく。

(エル……)

(お前を守るために、俺には一体、何ができるんだろうな)

胸の内に浮かんだ問いは、答えのないまま――
静かな宇宙の闇に、溶けていった。
 
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