ひめごと

藤沢ひろみ

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二十五.再会

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 目を覚ますと、白い天井が見えた。
「兄さん!」
 呼ばれ大和が首を少し向けると、ベッドの傍に泣きそうな顔の弟がいた。

「………」
 自分がいるのが和室ではないことに気付き、大和はゆっくりと視線だけで周りを見回す。

 閉じられた大きい窓と、白いカーテン。白いシーツに白い掛布団。寝ているのは柔らかなベッドだった。そして、ベッドの右側に置かれた点滴スタンドに掛けられた血液バッグから伸びたチューブは、大和の右腕へと繋がっていた。

「病……院?」
「良かった、兄さん。本当に、良かった……」
 ぼんやりと大和が呟くと、布団から出した左手を悠仁が両手で包む。
 少し頭はぼうっとしていて、事態が呑み込めず大和は悠仁を見た。

「……俺、生きてる?」

 握られた手は温かい。そして、力強い。助かったのだと、実感させられる。
 途中から完全に意識がない。いったい何が起こったのだろう。
「あれから……どうなったんだ?」
 とにかく状況が知りたかった。大和が見ると、悠仁は頷いた。
「叔父さんと女の人は警察に捕まった。安全が確認できたから、少し前から抜かれた血の輸血をし始めたところ」


 悠仁が事の経緯を説明する。

 大和の帰宅が遅いのは時々あることだったが、いつもは朝帰りはせず夜中のうちに帰ってきていた。しかし、翌朝になっても帰宅せず、父から不穏な話を聞いていたこともあり悠仁が携帯に電話を掛けたところ、電源が切られている状態だった。
 不審に思った悠仁はすぐさま父に報告し、告が持つコネクションを最大限に使い、大和を捜索した。
 大和が行きそうな場所や、最後の位置情報をもとに警察が出動し、警察とともに探していた悠仁が、大和の居場所を見つけたのだという。
 警察官たちにしてみれば、上からの命令とはいえ、何故一般の高校生が捜索を先導しているのか不思議だっただろう。

「大きく立派な、鳳凰だったよ」
「………」
 悠仁に微笑まれ、大和は自分の右手の平を見る。それから、ゆっくりと天井を見上げる。そのさらに上に広がっているであろう空を。

 そうか、そんなところにいたのか―――。

 大和はてっきり霊獣を呼び出せる力がなくなったのだと思っていた。自分の部屋で出そうとした時も、捕らわれていた時も、姿を見せなかったから。
 まさか空にいるなんて、思いもしなかった。
 しかし、空き家の上空に飛び立ったおかげで、悠仁が大和を見つけることができたのだ。

「ボクノトリに、感謝しなきゃ……」
 大和は天井を見上げながら呟いた。
 悠仁のようにちゃんと気持ちを通わせていたら、目に見えずとも気配を感じれたかもしれない。ちゃんと傍に居てくれたのに、大和は気付くことができなかった。
 今度は、姿を現せない狭い部屋ではなく、広い場所で会いたい。そして、ちゃんとお礼を言いたい。

「……悠仁もありがとう」
 大和は悠仁を見た。心配してずっと探してくれたこと、そして見つけてくれたこと。
「もう、ダメかと思ってた……。死ぬんじゃ…ないかって」
 大和は声を震わせる。

 本当に、死ぬかと思った。もう会えないと思った。だから、今自分が生きてこうして悠仁と向き合っているのが夢みたいだ。
 二度とあんな経験はごめんだ。でも、目を付けられたのが悠仁ではなく大和で良かったとも思う。

「兄さんが意識を失ったのは、脱水症状のせいだったみたい。さっきまで点滴で治療してたんだよ。血は輸血し直してるけど、危険な量までは抜かれてなかったって」
「……」
 正常な判断がつきかねるような状況だったとはいえ、自分の勘違いに大和は恥ずかしくなる。てっきり血を抜かれすぎたことによる、命の危険だと思い込んでいた。

 だから、死ぬ覚悟で、悠仁に告白をしたのに―――。


 大和ははたと気付く。
 あれは現実だったのだろうか。
 自分に必死に呼び掛ける悠仁に、大和は好きだと告げた、ような気がする。それを最期の言葉にするつもりで。

 最期だと思ったからこそ、出た言葉だ。生きてこうしてまた一緒に過ごすことになるのであれば、言うつもりはなかった気持ちだ。
「……そうなのか。すげー勘違いした。はは」
 まるで下手な芝居のような喋り方になった。大和は悠仁から目を逸らし、壁や窓に交互に視線を泳がす。

 まずい、としか言いようがない。あの時の大和にとって、生きていることは想定外だった。まさか、早とちりだったなんて。しかし、意識が朦朧としていたから、ちゃんと言葉になっていたかも覚えていない。

「兄さん、急に挙動不審にならないでほしいんだけど」
 顔を逸らした大和の目の前に、座っていた椅子を近づけ悠仁が顔を寄せる。大和はそれ以上顔を背けられないように、両頬を悠仁の手で優しく挟まれた。

「思い出したんだよね? 男らしくないんじゃないかな? 兄さん」
 顔は微笑んでいるのに、悠仁は静かに怒っているようだ。
 大和は、やはり自分が口走っていたことを知る。

「何で逃げるの、兄さん。俺たち、両想いってことだよね」
「………」
 やはり、悠仁には前向きな思考しかない。大和とは違う。

 “告”だからと、兄弟だからと、拒絶していたのにどうすればいい。
 一度放った気持ちはなかったことにはできない。

 悠仁の手に挟まれたまま、大和は顔を小さく左右に振った。
「無理だ……。ダメなんだ、俺たちは……。“告”の血を残さなければならないんだから」
 悠仁が大和をじっと見つめる。その切ないまなざしに、耐えれなくて大和は瞼を伏せた。

「俺は嫌だよ、兄さん」
 しばらくして、大和の唇に悠仁の唇が触れた。大和は目を開け悠仁を見返す。
「“告”の血はちゃんと残す。それが、次期当主としての俺の責務だから」

 次期当主としての責務―――。大和はそれを弟に押し付けた。
 決して悠仁が非難のつもりで言っているわけではないことは分かるが、それでも責務を放り投げた身として、罪悪感を感じる。

「兄さんは俺が好き。俺は兄さんが好き。何の問題もない」
「ありまくりだ。そんな簡単な話じゃない」
 悠仁は大和の頬から手を離すと、椅子に座り直す。やれやれと言わんばかりに肩を竦めた。
「兄さんは、“告”のこととなると本当に頭が固いな」
 物心つく幼少期からそのように育っているのだから、仕方がない。大和は無意識に、“告”を第一に考えてしまうのだ。

「こないだからそればっかり。ずっとそこでループしてる」
「確かにな……」
 大和は自分の馬鹿さに苦笑した。

 ずっとそこで立ち止まっている。好きな気持ちを開放したいと思うとともに、封じなければと思っている。“告”だから、兄弟だからと踏み止まりたいのに、その先に進みたいとも思ってしまう。

 大和の左手を、悠仁が手に取る。大和は自然と悠仁を見返した。
「俺が、連れ出してあげる」
「……」
 大和の手を握る悠仁の手に、力が加わる。
 悠仁は大和の目を見つめ、ゆっくりともう一度口にした。
「兄さんを、そこから連れ出してあげる。ちゃんと自分の気持ちに向き合えるように」
「……。何言って……」

 簡単なことのように悠仁は言う。
 その無限ループから抜け出せるものならば、とっくに抜け出している。
 大和には、無理なのだ。誰に命じられたわけでもなく、幼い頃からの教育と体に流れる血がそうさせてしまう。
 むしろ大和はポジティブな考え方をする方だ。だが、このことに関しては先のない未来しかない。それなのに、どうして悠仁は気に留めないかのように言えるのだろう。

「兄さん、俺のこと好き?」
「……」
 すでに告白をしているのだから、今更好きじゃないとは言えない。しかし、好きだとも言いづらい。
 大和は黙りこむ。
「兄さんが考えてる厄介なこと、取っ払って素直な気持ちを聞かせて」
 それならば聞くまでもない。
 しかし、大和は言葉にするのを躊躇ってしまう。

「俺は兄さんが好きだよ。兄さんは?」
 悠仁は大和の左手を持ち上げた。自分の顔の前でそっと両手で包む。まるで祈るようにも見えた。
 大和はしばらく悠仁と視線を合わせ続けた。

「……俺も」
 ちゃんとした言葉にはできなかったが、ようやっと大和は小さく呟いた。
 悠仁の口許が綻ぶ。

 大和の指先に、悠仁の唇が触れた。
「兄さん。俺、兄さんともっといちゃいちゃしたいし、キスもセックスもしたい。誰よりも一番近くにいるのに、恋人じゃないなんてもったいないよ」
 悠仁が微笑む。その優しいまなざしに、大和は胸が苦しくなった。

 もう死んでしまうのだと思った時、大和は酷く後悔した。素直に自分の気持ちを認めていれば良かったと。好きだという気持ちを告げられなかったことを。
 後悔と、悠仁を好きな気持ちが溢れてきた。その気持ちからもう逃げたくないと思った。悠仁と愛し合いたいと、一緒にいたいと望んだはずだ。
 現実に戻り、また気持ちを抑えようとしたのに、あの瞬間に大和の中に溢れ出た感情が蘇る。
 思い出して、心が揺れた。
 大和の望みは―――。

「……でも」
「大丈夫」
 決心がつかない大和を、悠仁が遮った。

「“告”は俺が守っていくから。何とかなるよ。兄さんが心配することは何もない」
 だから、と悠仁は続ける。
「安心して、俺のものになってよ」
「―――…」
 悠仁のまっすぐなまなざしが大和を捉える。

 いいのだろうか。

 大和の気持ちの中に、ぽつっと小さく期待が灯る。
 悠仁に甘えて、大和の気持ちを委ねても。

 願望はあっても期待はしたことがなかった。しかし、一瞬でも生まれた期待は、待ちわびていたかのように一気に大きくなる。もう、大和にはそれを止めることはできなかった。

 大和は唇を震わせる。一度、息を吐き出した。
「……好き、だ。俺も、悠仁と……もっと」

 一緒にいたい、という言葉は悠仁に口を塞がれて言えなかった。
 触れるだけのキスにどうしようもなく幸せな気持ちになる。
 大和は目を閉じて、左腕で悠仁の体を引き寄せるように抱いた。

 悠仁はきっと、大学を卒業後、間もなくして結婚することになるだろう。例えそれまでの間だけでも、愛し愛されることができるのなら、大和はそれで充分幸せだ。
 だから今だけ、大和は自分の気持ちに素直になることを、ようやく決心した。
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