ひめごと

藤沢ひろみ

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三十.それから(最終話)

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 悠仁は、大学を卒業して一年後に予定通りに結婚した。

 大和は変わらず、マンションで一人暮らしをしている。
 こんな広い部屋にするんじゃなかったと時折思うこともあるが、最近は寺田が訪れて部屋で呑むこともあり、寂しさを紛らわしてくれている。

 仕事も充実していて、二十八歳の大和は現在、秘書室の主任として毎日忙しく働いていた。
 “告”はまだ父が現役で、告の家は両親と悠仁たち家族が住まっている。家族が増えたのを機に、執事の木村は年齢的なこともあり執事を辞した。今は君江が“告”の事務的な仕事をしている。

 まだ二十五歳の悠仁は、公に次期当主として名乗り、関係者との挨拶や作法など覚えることが多々あり、頑張っているようだ。



 小雨の降る中、大和は告の門をくぐった。
 今は実家へは月に二回程度、仕事の時くらいしか帰ってこない。

「ただいまー」
 大和は玄関の引き戸を開け、いつものように声を掛ける。
 傘立てに濡れた傘を入れ、上がり框に座り靴を脱いでいると、奥から廊下をドタドタと走る足音と甲高い声が聞こえる。

「やーちゃぁぁぁん!」
 靴を脱ぐために俯いていた大和は、背中に全力で体当たりされ、思わず前のめりになる。
「やーちゃんっ、やーちゃん!」
「ちょ、ちょっと待って、雛」

 子供は力加減に遠慮がなく、全力で体当たりしてくる。その威力に大和は毎回驚かされてしまう。
 体当たりされて前のめりになった大和の背中に、雛がよじ登る。首が苦しくなって、大和はその小さな体を引き寄せた。

「おいで、雛」
 上がり框に座ったまま、大和が優しく笑い両手を広げると、まだ二歳の小さな少女は腕の中に飛び込んでくる。大和は左腕に雛を座らせ、抱っこした。

 雛は、悠仁と奈津子の子供だ。結婚して一年後に授かった。

 子供特有の柔らかな髪を撫でると、雛は嬉しそうに大和を見つめる。
 眉の上で切り揃えられた前髪に、丸みのあるふっくらとした顔、むちむちとした桃色の頬、そして少し垂れた目―――。
 大和は複雑な気持ちで、雛の笑顔を見返す。

「おかえりなさい、大和さん」
 廊下から奈津子が姿を現し、大和は顔を上げた。そのおなかはふっくらと膨らんでいる。
「ごめんなさいね。雛が大和さんに会いたいって言うものだから」
「いや、別に休みで暇してたし構わない」

 普段、“告”の仕事がある時は、来客中に子供が泣き騒ぐのを避けるため、奈津子は雛を連れて実家へと戻っている。
 疲労の具合によって大和は泊まって帰ることもあるが、大和が実家を出るより奈津子たちが帰ってくるのが遅いため、なかなか会うこともない。

 雛が会いたがっていると言われ、大和は今日はいつもより早めに実家へと帰ってきた。
 奈津子に会うのは、正月に集まった時以来、半年ぶりだった。二人目を授かったとは聞いていたが、見ない間におなかも随分膨らんでいた。

「だいぶ大きくなったでしょう。この子は、待ちに待った男の子なの」
 奈津子がうっとりとした表情で、おなかを撫でた。目の細い奈津子は、笑うとより一層目が細くなる。
 “告”の跡継ぎは、男子の方が喜ばれる。奈津子は本当に、心の底から嬉しそうだ。

 大和は雛の髪を撫でながら、その腹の中の子の父親はいったいどちらなのだろうと憂鬱になった。
 明らかに両親のどちらにも似ていない雛の目元を、大和はそっと撫でる。

「兄さん、おかえり」
 悠仁が姿を現し、大和は思わずほっとした。
 悠仁は大和に抱っこされている雛の頭を撫でる。
「雛。大好きなやーちゃんに抱っこしてもらえて良かったな」
「ん」
 悠仁を振り返り、雛が大きく頷く。

「とりあえず、いったん荷物置きに行こう、兄さん」
「雛、おいで」
 後でね、と大和がそっと上がり框に雛の足を下ろすと、雛は大和に手を振って奈津子とリビングへと歩いていく。二人の後ろ姿を見送ってから、ようやく大和は靴を脱いだ。


 大和の部屋はそのままにしてあった。家を出ているのだから客間を利用すると大和は言ったのだが、“告”の仕事で帰ることも多いのだからと、そのまま残されている。
 大和は二階へ上がり、自分の部屋へ向かう。後ろをいつものように悠仁がついてくる。

 部屋の扉を閉めると同時に、背中から悠仁に抱き締められた。
「おかえり、兄さん」
 もう一度言われ、自分を抱き締める悠仁の腕に、大和はそっと触れる。

「うん。ただいま」
 清めのため、キスも出来ない。その代わりに、うなじにキスをされた。

 大和は悠仁から離れ、ショルダーバッグを机の上に置くと、雨で湿気た上着をハンガーに掛ける。
「子供は成長が早いな。正月に会った時より重くなった気がする」

「女の子を体重で表現するのはどうかな。雛も俺と同じで、兄さんが大好きみたい」
 くすりと悠仁が笑い、思い出したように呟いた。
「そういえば、来週は病院だったよな」
「あ、ああ」

 病院とは、大和が凍結精子を預かってもらっている病院への提出日ということだ。
「来週の金曜、兄さんとこ行くから」
「……別に、自分で採取するし」
 憂鬱な気持ちを引きずっていたせいで、思わず拗ねた言い方をしてしまう。
 子供が小さいうちは、夜に出歩かない方がいい。今も悠仁は、時間を縫って大和の部屋へ訪れ、短いながらも二人の時間を作っている。

「何か機嫌悪い?」
「……」
 悠仁は相変わらずだ。結婚してもなお、変わらずに大和を愛してくれる。
 奈津子に会うと申し訳ない気持ちになり、“告”の仕事で帰っても会わずに済むのは、正直助かっていた。

 奈津子は、“告”の血のこととなるとこだわりの強い女だ。悠仁が奈津子相手に勃たなかったのかどうかは分からないが、奈津子は望んで大和の凍結精子を利用したのだろう。

 精子の提出は今なお続いている。
 そもそも、精子の使用にあたり、当の大和本人には一言もなかった。まるでそうすることが当然のような二人は、未だに大和に何も言わない。言われたところで、返す言葉もないのだが。
 次期当主を辞める条件として父から命じられたものの、まさか本当に使われることがあるとは思いもしていない。だから最近、凍結精子の提出日が近づくと、大和は憂鬱だった。

 悠仁が大和に近づく。
「まあ、兄さんが自分でするって言うなら、それはそれでいいけど。大きく足を広げて俺は見ててあげる」
「…ッ。そういうことを言ってんじゃ…っ」

 以前、悠仁に足をめいっぱいに広げられ、至近距離でじっくり見られながら自慰をさせられたことを思い出し、顔が熱くなった。
 大和は、そういった羞恥プレイのようなことは好きではない。

「お前、悪趣味……」
 大和はぼやいた。
 悠仁は、わざと大和を辱めるようなことを言う。それは言葉だけでは済まない。大和と関わりの少なかった期間の間に、随分変わってしまったものだ。

「兄さん、ホント可愛いな」
 大和の反応に、悠仁が嬉しそうに口元を緩ませた。
「可愛いとか言うな」

 二十八歳にもなる男に、いつまでも可愛いなんて言うものではない。見た目のことを言われているのではないと分かっている。いちいち照れたりしなければいいのだが、つい反応してしまう。こういうところが、ケンジにも揶揄われる原因なのだ。
 三歳も年下の弟に頻繁に言われると、カッコいい兄として頼られていたいとも思うだけに複雑極まりない。

「先週も、清めが入ったせいで兄さんに触れられてない。早く、触れたい」
 悠仁に正面から抱き締められる。腰に腕を回され、大和も悠仁の背中に腕を回す。
 身長は少し大和が低いだけなので、すぐにでも唇が触れそうな距離なのにキスができないのがもどかしい。

 大和は悠仁の肩に顔を埋め、悠仁のにおいを嗅いだ。
「うん。俺も、早く触れたい」
 悠仁の鼻先が、大和の髪をくすぐる。

「今日は一緒に寝よう」
 神呼びの後はとんでもなく体力を消耗するため、ただ本当に一緒に寝るだけだ。それでも、一緒に過ごせる時間が幸せだった。
「悠仁は本当に変わらないな」
 大和は思わず笑った。二十五歳にもなるのに、子供の頃の姿が被る。
 もちろん、一緒に寝るのは大和も嬉しいから大賛成だ。

「俺の方が、兄さんのことたくさん考えてるってだけだよ」
 悠仁は少し体を離して、大和の顔を見つめる。
「好きって気持ちは、兄さんよりも強いから。何せ、俺の方がずっと長く兄さんのこと好きなんだから。どれだけ片想いしてたと思ってんの?」
「……」
 勝負事ではないが、まるで自分の方が勝っていると言わんばかりの悠仁に、大和はまた笑う。

 それを言うなら、大和の方が先に悠仁に恋をしていたから、大和の勝ちだ。

 じつは、大和が高校生の頃から悠仁のことを好きだったということは、悠仁には教えていなかった。
 今更な話だとも思うし、これからも言うつもりはない。大和がじつは悠仁を抱きたかったと言ったらどんな顔をするか、少し見てみたい気もするけれど。

 何がおかしいのだろうと悠仁は首を傾げる。それから思い出したように呟いた。
「そろそろ階下に行かないと」
 そうだな、と大和は答える。

 悠仁は右手を大和に差し出した。
「行こう。俺たちの雛が待ってる」
 まるで自分たち二人の子とでもいうように悠仁は微笑む。
 大和は少し呆れたように笑った。
「うん」
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