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1.遊華楼の那岐
しおりを挟むここは遊華楼―――。
夜街の中でも男を専門に扱う店。
きっと、一度試せばやみつきになることでしょう。
お気に入りができましたならば、一晩コースでごゆるりとどうぞ―――。
「あ……っ、那岐、またイク……!」
背中に回された腕がぎゅっとしがみつき、那岐の体の下で細い男の体が震えた。
口付けると那岐はしっとりと囁いた。
「可愛かったよ、光也」
「はぁ……那岐……。大好き……」
たっぷり可愛がられ満足そうな光也と、濃厚なキスを交わす。
これだけ愛せば、今夜はもう終わりだ。那岐もようやく達することができる。
中に出して欲しいという光也の望みに応え、那岐は光也の中に熱を放った。
光也は一晩コースの客だ。シーツをぐしゃぐしゃにした後は二人で浴室へ移動した。中に出したものを洗いつつ、湯の中でもたっぷりと可愛がった。
背中から光也を抱き締めながら湯船に一緒に浸かっていると、光也は溜め息をついた。
「もっと那岐に会いたいのに、次に会えるのはひと月後かぁ……」
これも来るたびに口にするので、もう慣れたものである。
「ひと月なんて、あっという間だ。また会いに来てくれるのを待ってるから。むしろ、毎月俺に会いに来てくれるんだから嬉しいよ」
ちゅっと光也の後頭部に口付けた。光也は那岐の膝の間で、もじもじと体を動かした。
「本当は、僕だけのものにしたいのに。僕に、那岐を身請けできるほどお金があればいいのに……。那岐ってば、手が出ないくらい高いんだもん」
「ありがとう。その気持ちだけで嬉しいよ。でもだからこそ、誰も俺を身請けできずに今こうして一緒にいれる。この時間は、光也のものだから」
ね?と那岐は光也の耳朶に囁き、優しく口付けた。
「うん……」
後ろを振り返った光也に微笑むと、那岐は恋人のように甘いキスをした。
―――那岐は遊華楼の橘宮のトップだ。
常連客は何度も来たがるが、優先していては一見の客が受け入れられない。那岐との一晩の為に、数ヶ月待つ者もいるほどだ。
なかなか予約が取れないことで、それは那岐の価値をさらに高め、那岐に抱かれた客に優越感を与えた。
だがその実、オーナーの采配により優遇して予約のできる客もいる。所詮は、裏で金が動いているということである。
月に一度予約を取っている光也も、そんな客の一人だった。家は貴族ではあるが、坊ちゃんの光也自身が金を持っているわけではないので、身請けするほどの金はないと言う。
だが、遊華楼のトップに毎月通えるほどの小遣いがあるのならば、それだけでも那岐からしてみれば羨ましい限りだった。
いつもより遅めの九時を過ぎて、那岐は起床した。
トップの那岐は個室を与えられているので、寝たい時は思う存分に寝ることができる。
襦袢の上から羽織を肩に掛けると那岐は部屋を出た。
営業用は黒の襦袢を着るが、それ以外でも部屋着も兼ねて遊華楼内では襦袢の着用が定められていた。淫靡な雰囲気を出したいからという、オーナーの意向だ。ここへ来るまで着物など着たことがなかったが、今はすっかり着慣れた。
那岐は少し長く伸びた前髪を掻き上げながら、朝食を摂るために食堂に向かった。
食堂は半分くらい席が埋まっていたが、ほとんど食事を終えて歓談している。
衛士と音羽が向かい合って座っている隣が空いているのを見つけ、那岐は朝食トレイを受け取ると音羽の隣の席に座った。
「はよ」
あくびをしながら挨拶すると、音羽はくすりと笑った。
「凄い寝癖。かっこいいオトナの男がウリの、“遊華楼の那岐”とは思えぬ姿だね」
「どうせ営業前に風呂入って直すんだから、プライベートはいいんだよ」
頭の後ろに手をやり寝癖の具合を確かめると、確かに重力とは反対に髪が向いていた。
「すげー間抜け」
向かいの席の衛士が、那岐を見てくっと笑った。
衛士は、遊華楼の橘宮のナンバー2である。
仕事でのみ大人のかっこいい男を演じている那岐と違い、仕事でも素でも荒っぽさのある男だ。
強引なところが、衛士の常連客には魅力らしい。マゾっ気があったり言葉責めが好きな客は衛士につくことが多い。
那岐も客の嗜好に合わせることもあるが、苦手な分野だ。
どうせ抱かれるなら一夜といえども恋人のように優しく抱かれたいだろうと思うから、那岐はそのようにする。そうやってトップにまで上り詰めた。
トップとナンバー2という立場のせいもあって突っかかってくることもある衛士だが、同じ遊華楼で働く仲間であり良きライバルでもある。
だが、トップになれば桁違いに手取り額も上がる。そう簡単にトップの座を譲る気はない。
対して音羽は、桃宮のトップだ。
もう少しで腰まで届きそうな黒髪は、美人な音羽によく似合う。那岐よりも三歳若い二十二歳だというのに、すでにトップに上り詰めたやり手だ。
―――遊華楼は、男を相手に体を売る男性遊郭である。
夜街の一角にある三階建ての洋館は、抱かれる側の桃宮と、抱く側の橘宮に分かれており、事務所や居住スペースのある中央棟で繋がっていた。遊華楼で働く者たちは皆、ここで暮らしている。
トップの那岐や音羽は個室が与えられているが、他は桃宮と橘宮ごとに共同だ。
遊華楼で働く者たちがここへ来た理由は、大抵は身売りされたからだ。那岐もそうだった。
最初は男を相手にすることに戸惑ったが、それも繰り返すうちに慣れた。何しろ、指名を貰えるようになるまでには数をこなすしかないからだ。
遊華楼は、時間コースと一晩コースに分かれている。
一晩コースなら一日に一人の客を相手にするだけで済むが、それほどの金を払う価値があるほどに気に入ってもらうまでには時間も実力も必要だ。
最初のうちは一日に時間コースの客を何度も相手にして稼ぐ。勃たなくなったら、商売にならない。
まずは持久力をつけることが、ここで生きていく為に必要なことだった。
那岐は、十八歳の頃に遊華楼へ売られた。
努力の末、固定客と人気をつけトップになり、今では一晩コースを求める客しか相手にすることがない。
人気のあるうちは、トップを譲らせずに稼がせてもらうつもりだ。いつか遊華楼を出るその日の為に―――。
那岐には、夢がある。遊華楼を出て、自由になるという夢だ。
遊華楼を出るには、身請けされる必要がある。だが、その身請け額を自分で支払うことができれば出ることもできる。
那岐は自由になりたかった。
だが、ここを出ても実家に戻るつもりはない。これまでの営業で身につけたことを活かし、町でごく普通の仕事に就くつもりだ。
そして、金での繋がりではなく心から愛し合えるたった一人の女性とだけ体を重ね、平凡でも幸せに暮らすのだ。
その為に、那岐はずっと資金を貯めていた。目標までは、あと三年。
年齢的にも引き際だ。その頃には若い者にトップの座を奪われていることを考えると、今のうちに稼ぎたかった。
「ところで、何人かで芝居を見に行こうかって話をしてたんだけど、那岐はどう?」
音羽の誘いに那岐は箸を止めた。
「俺はいい。この前オーナーが買ってくれた本を読むつもりだ」
「勉強熱心だねえ」
「だから言っただろ。どうせ那岐は来やしないって」
ふん、と衛士はそっぽを向いた。
性欲の発散の為に来る客ならまだしも、一晩過ごす客とは色々な話をする。
客の種類は、ただの金持ちの坊ちゃんに始まり、商売人や医者、身分の高い者など様々だ。どんな話題にも応えられるように、知識をつけておかねばならない。
恵まれた外見と男を抱くテクニックもあってこその今の地位だが、水面下で努力もしているのだ。
「その点、私は甘えるだけだから楽だな。教えてと凄いねで、だいたいいけるからね」
音羽が少し自慢げな笑みを浮かべる。
「衛士の客層も、単純さでいえばちょっと似てるよね」
茶色に染めた髪を弄っていた衛士は、音羽ににやりと笑った。
「オレの客は、そんなお堅い話を求めてないからな。男に抱かれたい男なんて、ケツをめちゃくちゃに掘ってほしいって奴らなんだよ。お望み通りガンガン攻めてたまに優しくしてやりゃ、ころりとオチる。那岐みたいにいつも優しく抱いてるだけじゃ、そのうち飽きられるぜ」
衛士は視線を那岐に移した。
要するに、那岐の営業は生温いというわけだ。
「好き好んで男に抱かれたがる気がしれないぜ。特にオレの客は、激しいのや言葉責めだのが好きな変態ばっかだ。仕事じゃなけりゃ、男を抱くなんてごめんだね」
そう言いながらも上がった口角は、衛士の性格的に楽しんでいることが分かる。
「まあ、でも、音羽とだったら一回くらいはやってみてもいいかな」
衛士は桃宮トップをちらりと見た。音羽はにこりと微笑み返した。
「そういうことは、橘宮のトップになってから言ってね」
おい、と那岐は口を挟む。
「そもそも禁止行為だ。冗談でも口にするな」
遊華楼は体を売る店だ。
勃ってどれだけ稼げるかが勝負なので、プライベートでの行為は元より、遊華楼内での恋愛も行為も禁止だ。
男を相手に恋愛なんてと思ってしまうが、長年男を相手にしていると感覚が麻痺し、生活を共にしているうちに仲間同士で惹かれ合う者たちも出てくる為だ。
「ったく、本気なわけねーだろ。那岐は小舅かよ」
衛士は唇を尖らせた。
那岐より二歳年下なだけなのに、音羽よりも子供に見えた。
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