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38.仕事の依頼 <衛士>
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遊華楼は、一日に朝と夕の二回、食事の時間がある。営業前の準備と夜に運動を行うため、夕食といっても少し早めの時間だ。
遊華楼で働く者はほとんどが貧しい出自なので、ちゃんとした食事に二回ありつけるだけでも最初は嬉しかったものだ。
不思議なもので、稼げるようになるとそれでは物足りなくなってくる。
夜街に菓子を売りに来る商人から菓子を買ったり、客から差し入れをもらったりして旨味を知ってしまうからだ。
朝食の後、衛士は音羽が客から差し入れてもらったという菓子を一緒に食べていた。
「ったく、健気なもんだな。予約が取れず次に会うまで忘れられたくねぇからって、ヤレもしねーのにこうして菓子だけ差し入れてくるとは」
「うわぁ。衛士から健気って言葉が出ると、変な感じ」
音羽が可笑しそうに笑った。
「相当、入れ込まれてるな」
「まあね」
音羽は微笑みながら長い髪を掻き上げた。
高級な人気菓子店で音羽の為に買われた宝石のように輝く洋菓子は、二個あったので一つが衛士の胃袋の中に入った。
「うん。一時間以上並んでまで食べたい意味はわかんねーが、美味い」
「美味しかったねぇ」
「いつ来るのか知らねぇが、オレの分もたっぷり礼をしといてくれよ」
礼というのは、つまりはご奉仕ということだ。
衛士は美味い蜜だけ吸っておいて、面倒なことは人任せである。音羽の客なので、正当な理由だ。
「はいはい」
音羽が返事を返したところで、二人揃って呼ばれた。
「衛士さん、音羽さん。オーナーが呼んでます」
二人は顔を見合わせた。
揃って呼ばれるなど、珍しい。個人ではなく、橘宮と桃宮のトップとして呼ばれたということだ。
衛士と音羽は、オーナーの部屋へ向かった。
「何か用っすか?」
せっかちな衛士は、ドアが閉まりきる前に尋ねた。
「まあ、座れ」
示されたソファに二人が並んで腰かけると、オーナーは向かい側のソファに座った。
「今度、出張遊華楼をする」
「出張遊華楼?」
初めて耳にする言葉に、音羽が首を傾げる。
「夜街を出て、外でもてなすんだ。選りすぐりの面子を揃えて、城へ行く」
まったく予想もしない行き先に驚き、衛士と音羽は揃ってぽかんとオーナーを見返した。
「城!? マジで言ってんのか?」
「嘘をついてどうする」
「どういうことですか?」
夜街の外に出るどころか、行き先は城だというから冗談としか思えない。
つまり、とオーナーは続けた。
「身分的に夜街に来ることのできないお城の方々をお慰めに行く、ということだ」
そんな雲の上のような場所から声がかかるなどとは、思いもしない。城にまで名が届いているとは、遊華楼もなかなかのものである。
「凄いね、衛士。お城だって!」
「ああ、ちょっと鳥肌立っちまった」
興奮を隠し切れず、衛士と音羽は顔を見合わせた。
「城へは、桃宮七名、橘宮三名で行く予定でいる。橘宮は上位の三人だが、桃宮については人選を相談したい。訪問は二週間後だ」
「分かりました」
音羽は頷いた。
随分と慌ただしいことから、急遽この話が降ってきたに違いない。
「予約の調整やらやることが山ほどあって大変だが、これは遊華楼を宣伝するいい機会だ。高官や大臣がいて固定客になってくれれば儲けものだ。オトコの良さを教えてやってきてくれ」
「はい!」
「任せな!」
予約調整はすべてオーナーが管理している。急に割り込んだ予定に、予約の振替えなど大変そうではある。
だがそれ以上に、遊華楼にメリットがあると考えているからこそ無理にでも引き受けたのだ。
衛士たちはいつも通りに、客が満足するように相手をすればいい。
意気込む二人を見て、オーナーは満足気に呟いた。
「これも、那岐のおかげかもしれないな」
懐かしい名に、思わずぴくりと体が反応する。
衛士はオーナーを見た。
「え……?」
何故その名が出てくるのかと、視線で問う。
オーナーは緩めていた口を引き締めた。
「本来、身請け先は教えないんだが、もしかしたら会うかもしれないからな……。那岐を身請けしたのは、王族なんだ。那岐は今、城で暮らしている」
衛士は瞠目した。
どこで過ごしているのかと、那岐の行方を気にしていた。
まさか、王族に身請けされていたなんて思いもしなかった。
音羽が珍しくはしゃいで両手を叩く。
「すっごい! さすが、“遊華楼の那岐”だね! まさか王族に身請けされていたなんて、皆知ったら驚くだろうなぁ。でも、秘密なんですよね」
「他には言うんじゃないぞ」
もちろんです、と音羽はオーナーに頷いた。
「出て行ってから、半年だよね。元気かなぁ。まぁ、元気じゃない那岐なんて想像つかないけど。会えたらいいね、衛士」
「お、おう。そうだな」
那岐に会えるかもしれない―――。
老人に身請けされてから、その先の境遇を心配していた。
もし会えたなら、ちゃんと元気にやっているのかと訊きたい。久しぶりにくだらない話もしたい。
もう二度と会えないと思っていた衛士は、妙にそわそわと落ち着かない気分になった。
旧友と久しぶりに会えるのは、こういうくすぐったい感覚なのかもしれない。
「那岐がいなくても十分上手くやってるって、教えてやらねぇとな」
「楽しみだね」
衛士と音羽は互いに顔を見合わせ、初めての出張遊華楼に胸を高鳴らせた。
遊華楼で働く者はほとんどが貧しい出自なので、ちゃんとした食事に二回ありつけるだけでも最初は嬉しかったものだ。
不思議なもので、稼げるようになるとそれでは物足りなくなってくる。
夜街に菓子を売りに来る商人から菓子を買ったり、客から差し入れをもらったりして旨味を知ってしまうからだ。
朝食の後、衛士は音羽が客から差し入れてもらったという菓子を一緒に食べていた。
「ったく、健気なもんだな。予約が取れず次に会うまで忘れられたくねぇからって、ヤレもしねーのにこうして菓子だけ差し入れてくるとは」
「うわぁ。衛士から健気って言葉が出ると、変な感じ」
音羽が可笑しそうに笑った。
「相当、入れ込まれてるな」
「まあね」
音羽は微笑みながら長い髪を掻き上げた。
高級な人気菓子店で音羽の為に買われた宝石のように輝く洋菓子は、二個あったので一つが衛士の胃袋の中に入った。
「うん。一時間以上並んでまで食べたい意味はわかんねーが、美味い」
「美味しかったねぇ」
「いつ来るのか知らねぇが、オレの分もたっぷり礼をしといてくれよ」
礼というのは、つまりはご奉仕ということだ。
衛士は美味い蜜だけ吸っておいて、面倒なことは人任せである。音羽の客なので、正当な理由だ。
「はいはい」
音羽が返事を返したところで、二人揃って呼ばれた。
「衛士さん、音羽さん。オーナーが呼んでます」
二人は顔を見合わせた。
揃って呼ばれるなど、珍しい。個人ではなく、橘宮と桃宮のトップとして呼ばれたということだ。
衛士と音羽は、オーナーの部屋へ向かった。
「何か用っすか?」
せっかちな衛士は、ドアが閉まりきる前に尋ねた。
「まあ、座れ」
示されたソファに二人が並んで腰かけると、オーナーは向かい側のソファに座った。
「今度、出張遊華楼をする」
「出張遊華楼?」
初めて耳にする言葉に、音羽が首を傾げる。
「夜街を出て、外でもてなすんだ。選りすぐりの面子を揃えて、城へ行く」
まったく予想もしない行き先に驚き、衛士と音羽は揃ってぽかんとオーナーを見返した。
「城!? マジで言ってんのか?」
「嘘をついてどうする」
「どういうことですか?」
夜街の外に出るどころか、行き先は城だというから冗談としか思えない。
つまり、とオーナーは続けた。
「身分的に夜街に来ることのできないお城の方々をお慰めに行く、ということだ」
そんな雲の上のような場所から声がかかるなどとは、思いもしない。城にまで名が届いているとは、遊華楼もなかなかのものである。
「凄いね、衛士。お城だって!」
「ああ、ちょっと鳥肌立っちまった」
興奮を隠し切れず、衛士と音羽は顔を見合わせた。
「城へは、桃宮七名、橘宮三名で行く予定でいる。橘宮は上位の三人だが、桃宮については人選を相談したい。訪問は二週間後だ」
「分かりました」
音羽は頷いた。
随分と慌ただしいことから、急遽この話が降ってきたに違いない。
「予約の調整やらやることが山ほどあって大変だが、これは遊華楼を宣伝するいい機会だ。高官や大臣がいて固定客になってくれれば儲けものだ。オトコの良さを教えてやってきてくれ」
「はい!」
「任せな!」
予約調整はすべてオーナーが管理している。急に割り込んだ予定に、予約の振替えなど大変そうではある。
だがそれ以上に、遊華楼にメリットがあると考えているからこそ無理にでも引き受けたのだ。
衛士たちはいつも通りに、客が満足するように相手をすればいい。
意気込む二人を見て、オーナーは満足気に呟いた。
「これも、那岐のおかげかもしれないな」
懐かしい名に、思わずぴくりと体が反応する。
衛士はオーナーを見た。
「え……?」
何故その名が出てくるのかと、視線で問う。
オーナーは緩めていた口を引き締めた。
「本来、身請け先は教えないんだが、もしかしたら会うかもしれないからな……。那岐を身請けしたのは、王族なんだ。那岐は今、城で暮らしている」
衛士は瞠目した。
どこで過ごしているのかと、那岐の行方を気にしていた。
まさか、王族に身請けされていたなんて思いもしなかった。
音羽が珍しくはしゃいで両手を叩く。
「すっごい! さすが、“遊華楼の那岐”だね! まさか王族に身請けされていたなんて、皆知ったら驚くだろうなぁ。でも、秘密なんですよね」
「他には言うんじゃないぞ」
もちろんです、と音羽はオーナーに頷いた。
「出て行ってから、半年だよね。元気かなぁ。まぁ、元気じゃない那岐なんて想像つかないけど。会えたらいいね、衛士」
「お、おう。そうだな」
那岐に会えるかもしれない―――。
老人に身請けされてから、その先の境遇を心配していた。
もし会えたなら、ちゃんと元気にやっているのかと訊きたい。久しぶりにくだらない話もしたい。
もう二度と会えないと思っていた衛士は、妙にそわそわと落ち着かない気分になった。
旧友と久しぶりに会えるのは、こういうくすぐったい感覚なのかもしれない。
「那岐がいなくても十分上手くやってるって、教えてやらねぇとな」
「楽しみだね」
衛士と音羽は互いに顔を見合わせ、初めての出張遊華楼に胸を高鳴らせた。
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