愛を知らずに愛を乞う

藤沢ひろみ

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41.再会 <衛士>

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 衛士の言葉に那岐が瞠目した。
「えっ?」
 驚いた顔で那岐が見下ろす。

 衛士も勝手に口をついて出た言葉に驚いた。
 そんなことを話そうなどとは、まったく考えていなかった。

 しかし、口は勝手にすらすらと動く。
「また、皆で楽しく暮らそうぜ」

「……、衛……士?」
 那岐が戸惑った顔になるのも当然だ。那岐は身請けされてここにいるのだから、帰れるはずもない。

 衛士はさらに一歩近づこうとした。

 だがそれを阻むように、男の声が聞こえた。
「誰かいるのか?」

 突然聞こえた男の声に、踏み出そうとした足が強張る。
 窓から覗いていた那岐の後ろに、若い男が立った。

 月明かりのせいで顔も見える。美人と表現できる音羽とはまた違うタイプの、綺麗な顔立ちの男だ。
 小波が言っていた男だと、すぐに分かった。

 つまり、那岐を身請けした王族というのは、この若い男―――王子だったのだ。

「侵入者か。すぐに衛兵を……」
「ま、待って下さい!」
 那岐が慌てて王子を引き留めた。

「勝手に入ってきたことは謝ります。でも、知り合いなんです。赦して下さい」
「知り合いだと?」

 訝しむ顔が窓から見下ろす。
 放たれる威圧感に、これが王族なのかと衛士ですら緊張した。

 王子がガウンを着ているのが目に入った。
 那岐はバスローブを着ている。それが意味することに、衛士は嫌でも気付かされた。

「俺の元同僚で……」
 那岐は王子に説明をしようとする。

 衛士を庇おうとしてくれているのだと分かっているが、そんな格好で二人並んでいるのを見せつけられ、頭に血が上った。

「オレは、那岐の初めてのオトコだ!」

 王子を睨みつけ、衛士は宣言した。
 那岐がぎょっとして衛士を見た。

 那岐に向けられていた王子の視線が、ゆっくりと衛士の方を向く。まるで蔑むような冷ややかな視線に、背筋が凍りそうになった。

 しかし、そうではないとすぐ気付く。それはまるで、怒りのようだ。
 王子に背を向けている那岐は、その変化にまったく気付いていない。

 衛士は、挑むように続けた。
「残念だったな。身請けの時、初モノに拘ってたようだが、オレが先に食ったんだよ」

「……」
 衛士の挑発に対し、王子は冷静だった。怒りを見せたと思ったのは、気のせいだったようだ。

 王子は視線を那岐に移し、静かに問うた。
「未使用だと、聞いていたが?」
 尋ねられ、那岐の顔が強張る。
「嘘をついていたのか?」

 那岐は怯えるように、ゆっくりと王子を振り返った。

「……う、嘘……ついてたって……いうか、言い出すきっかけが……なかったっていうか……」

 咎める言葉に、王子に向き合うも那岐は視線を下げた。隠していたことがばれて、顔が見れないのだ。

 だが、覚悟を決めたように那岐は苦い笑みを浮かべ顔を上げた。
「だ……騙してたから、追い出し……ますか?」

「………」
 王子の無言の圧に、那岐はまるで押し潰されそうな顔をする。

 衛士は黙って二人の様子を窺った。
 これが理由で出て行けと言われるなら、願ってもない。

 淡い期待で王子の次の言葉を待つが、王子は言葉を発せず強い視線を衛士に向けた。

「わっ」
 那岐が驚いた声を上げた。体を窓辺に押し付けるように、方向転換させられた。
「え!? ちょ……っ」

 慌てた声を出す那岐に、どうしたのかと見ると目が合った。

 那岐が目を見開く。
「えっ? や……っ、嘘、ここで!? う……、あっ」

 那岐の苦しげな声に、衛士は驚愕した。那岐の背後に立った王子が、貫いたのだと分かった。
 まさか目の前で行為を繰り広げられるなどとは思いもしなかった。

「那岐!」
 衛士が名を呼ぶと、那岐は顔を隠すように窓辺で身を丸めた。

「く……っ、い……てぇっ」
 ゆさゆさと、那岐の頭が揺れる。
「う……、やめ……っ」

 那岐が抵抗を口にしても、王子は那岐の体を支配することを止めない。

 衛士はその様子を見上げることしかできなかった。
 王子の鋭い視線が衛士に落ちる。

 まるで、ここまで来れるものならば来いと言われているように感じた。

「んっ、う」
 那岐は腕で声を抑えようとする。
 後ろから伸びた手がその腕を掴んだ。

 嫌がるように首を後ろを向けた那岐は、顎を掴まれ唇を塞がれた。
 目の前で唇を奪われた那岐に、衛士は動揺を隠せなかった。

 両腕を後ろで掴まれ、見せつけられるように那岐の体が正面に向けられる。バスローブが開け、肩から落ちた。衛士に見せまいとしていた那岐の情事の姿が、月明かりに照らされた。

「ふ……っ、ん、あ」
「声を抑えて、どうした? いつものように、小鳥みたいに囀ってみよ」

「あっ、や……っめ、あ、あ」
 揺さぶられ、那岐の露わになった胸が反る。
「や、だっ。あ……あ」

 その声は、過去に衛士が聞いたものよりも、艶を含んでいた。衛士の知らない那岐だ。

 那岐、と震える声で呼ぶ。

 王子に貫かれる那岐に、衛士の声はもう届かない。

「那岐……!」
 大きな声で呼ぶと、那岐が衛士を見た。

「……み、見ん……なっ、衛士……っ」

 衛士は立ち尽くした。
「見……でくれ」
 懇願するように那岐が頭を振る。

「ん……っ、あ、衛……っ」

 色香を含んだ声で衛士の名を呼ぶくせに、抱いているのは別の男だ。
 那岐の背後で、王子は冷たく衛士を見下ろした。

 衛士は言葉を失った。
 自分がどれほど絶望的な顔をしているか、衛士は分かっていなかった。

「………」

 酷く悲しい気持ちにさせられた。

 あれは、衛士を抑えて長年橘宮のトップに立った男の姿ではない。橘宮のトップとして皆に憧れられた男とも思えない姿に、がっかりした。

 衛士の知る那岐はもういない。ここにいるのは、王子の愛人になり下がった男だ。

 ふらりと足が動く。前ではなく、後ろに一歩下がった。
 もう、館に近付こうとは思わなかった。もう一歩、後ろに下がる。そして衛士は、館に背中を向けた。

 来るのではなかったと、後悔した。

 こんなはずではなかった。あんな姿を見たくはなかった。
 怒りのような、悔しいような、裏切られたような、もどかしいような、泣きたくなるような、様々な感情が入り乱れた。

 今後、二度と那岐と会うことはない。
 会おうとも思わない。

 衛士は後ろを振り返ることはしなかった。
 男に抱かれる姿が、衛士が見た、那岐の最後の姿だった。
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