愛を知らずに愛を乞う

藤沢ひろみ

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61.関係

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「ごちそうさま!」
 昼食を食べ終え、那岐は傍に控えていたメイドに声を掛けた。

「鶏肉のグリルのサンドイッチ、美味かったよ。特にバジルソースの方が好みだったな。また食べたいって伝えといてよ」
「シェフも喜びますわ。お伝えしておきますね」

 館での食事は、いつも一人だ。穂香とも、同じ時間になることはない。
 それは意図してそう決められているらしい。お茶会に参加するまで他の愛人と顔を合わすことがなかったのはそのせいだと、後から知った。

 遊華楼では食堂に大勢が集まり食事をしていた。食事の世話のためにメイドが付いているものの、ぽつんと一人きりでの食事は寂しい。だから那岐はいつも、食事の感想をメイドに伝えることにしていた。

「お食事が終わられましたら、談話室までお越し下さいませ」
「分かった」

 今日は勤めの日である。

 勤めの前には、安住が爪にヤスリをかけてくれる。勤めの回数が増えた今は、穂香の次の回でヤスリをかけるということになっていた。今日がその回である。

 那岐は安住が待つ談話室へと向かった。

 たった数日で伸びるわけもないが、毎回安住は丁寧に爪にヤスリをかける。少し爪が当たったところで怪我をするはずもない。相手が王族だからといって、やりすぎなほどの過保護さである。

 道具を準備して待っていた安住の傍の椅子に腰掛けると、那岐は指先を差し出した。安住は丁寧に爪にヤスリをかけ始めた。

「安住は、なんでこの仕事してるんだ?」
 ヤスリがけしてもらいながら、何となく気になり那岐は訊ねた。館へ来て初めて知ったが、メイドの仕事は幅広い。

「改めて考えたことはございませんが、人のお世話をしたりすることが好きだからでしょうか。この仕事をするのが当たり前なくらい長くしておりますので、改めて訊かれるとそのように思います」

「へえ。いつからやってんの?」
「もう二十年にはなるでしょうか」

「うわ。俺、ベテランメイドさんにお世話してもらってたんだな。いつもありがとう」
 那岐が驚くと、安住は手を止めて微笑んだ。
「恐れ入ります」

「メイドって、色んな仕事をこなして凄いよ。いつも気配りしてくれてありがたいし。毎日ぐうたら過ごしてるのが申し訳なくてさ」

 それが彼女たちの仕事で給金をもらっているのだから当然ではあるが、那岐は一日自由に過ごし、彼女たちに世話をしてもらい、あまつさえ小遣いまで支給されている。

「那岐様には、那岐様にしか出来ないお仕事がございます」
「……ん」
 那岐は小さく苦笑いした。

「俺さ、こういう仕事じゃなくって……。いつか、商売人とかになりたいって思ってるんだよな」
「あら。素敵でございますね。何を売られるのですか?」
「まだそこまでは考えてないんだ」
 那岐は大きく笑った。

 遊華楼で覚えた駆け引きで、商売をしてみたいと漠然と考えているだけだ。時間はたっぷりあるのだからいつでも考えられると、具体的に考えようとしたこともない。

「私が買いに行っても、売って下さいませね」
 ヤスリをかけ終わり、安住は道具を片付けながら笑った。

「もちろん! いつでも歓迎するよ!」
 何も具体的に決まっていないのに、那岐は自信満々の笑顔で応じた。

 ただ、実家には帰らずに王都で暮らすつもりだったが、近くにいれば祥月のことを忘れたくても色々と思い出してしまいそうだ。
 いっそのこと、のんびりとした地方へ行くのもいいかもしれないと思えた。

「でも、これもまだ決めてないんだけど、もしかしたら遠くへ行くかも……。南の方へ行くのも悪くないかな。視察に同行した時の雰囲気も良かったし」

 思い付きを口にしたことで、ぼんやりとしていたものが一つ形になりそうな気がした。

「田舎で可愛い嫁でも見つけて……。あ、その前に、恋人だな」
 順番を間違え、那岐は笑った。

 突然、隣に座っていた安住が椅子から立ち上がった。つられて顔を上げると、談話室の入り口を向き頭を下げている。視線を向けると、入り口に祥月が立っていた。

 祥月が談話室に入ってくると、会釈して安住は出て行った。

「お仕事、お疲れ様です」
 恐らく仙波の元へ来ていたのだろう。那岐は挨拶したが、何故か祥月は口を結んだままだった。

「……何を勝手なことを言っている?」
「え?」
 低い声で訊ねられ、機嫌が良くないのだと気付いた。

「遠くへ行って嫁を見つける? お前は愛人の自覚があるのか?」
「え……。あっ」

 安住との会話を聞かれていたのだと理解した。談話室には扉がないので、通りすがりに聞こえたのだ。

「例え話ですよ。夢を語るくらい、いいでしょう。別に今すぐの話じゃないんですから。ここを出た時の話をしていただけです」

 愛人でいる間は、勤めはしっかり果たす。館を追い出された後のことなのだから、迷惑はかけない。

 祥月の黒い瞳が、那岐を刺すように見た。
「勝手に終わることを進めるのではない。お前は私のものなのだから。出て行くなど許していない」

 那岐は数回瞬きした。
 言葉の意味を考え、頬が少し熱くなった。小さな声で、しどろもどろに口にする。

「か、勘違い……させるようなこと言わないで下さいよ」

 ただの主人としての主張だと分かっているのに、まるで違う意味合いを持つような言葉だ。あり得ない考えをしそうになり、後悔するように那岐は唇をきゅっと結んだ。

「勘違い? お前は私に買われたのだぞ」
 祥月は眉をひそめた。

 その悪気のない言葉に、那岐は即座にがっかりとさせられる。
 何の希望も抱いていないくせに、がっかりしてしまうのもおかしなことだ。

 所詮、金で買われた愛人という関係である。
 那岐の主人は祥月だ。祥月には、那岐の所有権がある。

 現実を突きつけられ、那岐の気分は沈む。
「それは、そうですが……」

 まるで物のように、扱われた。

 最初の頃は、祥月にとって自分はただの性処理人形としてしか思われていないと考えていた。けれど、今はそうではないと自信を持てる。
 告げられた言葉はそれを否定するようで、那岐の胸に痛みが走った。

 自惚れていたようだ。

 親しく話をしたからと、楽しい時間を共有したからと、熱い夜を過ごしたからと、たかが愛人の分際で身の程をわきまえず本来の立場を忘れていた。

 どれほど密な時間を過ごそうと、互いの関係は何一つ変わってはいない。

 分かっていたのに、那岐は時折そのことを都合よく忘れてしまう。そして改めて思い知らされ傷付いているなんて、馬鹿馬鹿しいことだった。
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