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2話
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目を開けると、そこは僕の知っている「世界」ではなかった。
高い天井には、夜空を模したかのような煌びやかな宝石が埋め込まれ、淡い光を放っている。
僕が寝かされているのは、雲のように柔らかい絹の寝台。
地下室の硬い床で寝るのが当たり前だった僕にとって、それはあまりにも非現実的な心地よさだった。
「……夢、なのかな」
ぽつりと呟いた瞬間、すぐ傍で柔らかな衣擦れの音がした。
「おはよう、ナギ。気分はどうだい?」
視線を向ければ、そこには漆黒の髪を流したクロム様が座っていた。
昨夜の冷たい外気の中でも美しかったけれど、神殿の灯りに照らされた彼は、さらに神々しく、恐ろしいほどに綺麗だった。
「クロム、様……」
「まだ動かなくていいよ。君の体はひどく冷え切っていたし、栄養も足りていない。……僕が今、栄養をつけてあげるからね」
クロム様が合図を送ると、どこからかいい香りが漂ってきた。
運ばれてきたのは、見たこともないほど豪華な食事だった。
湯気が立つスープに、柔らかそうなパン、瑞々しい果実。
お腹が鳴るのを必死に堪えて起き上がろうとしたけれど、クロム様の手が優しく僕の肩を押さえた。
「寝たままでいい。僕が食べさせてあげるから」
「えっ、あ、あの、自分で食べられます!」
「だめだよ。君の手はこんなに細い。スプーンを持つことさえ、僕には心配なんだ」
クロム様はそう言うと、真顔でスープを掬い、ふーふーと息を吹きかけて冷まし始めた。
そして、僕の口元にそっとスプーンを差し出す。
「さあ、あーんして」
「…………っ」
恥ずかしさで顔が燃えるように熱くなる。
でも、クロム様の真紅の瞳は真剣そのもので、断る隙なんて一ミリもなかった。
僕は震える唇を小さく開け、差し出されたスープを口に含んだ。
「……っ、おいしい……」
「そうだろう? 君のために、僕が厳選した食材を使わせたんだ。もっと食べて」
次から次へと運ばれてくる食事。
クロム様は、僕が一口飲み込むたびに、愛おしくてたまらないというように目を細め、僕の口元を指先で優しく拭ってくれる。
村では、残飯のようなものしか与えられなかった。
それなのに、この人は、まるで僕がこの世で一番尊い存在であるかのように扱ってくれる。
「クロム様……どうして、僕なんかに、こんなに優しくしてくれるんですか?」
不安になって問いかけると、クロム様の手が止まった。
彼はスプーンを置くと、僕の頬を両手で包み込み、そのまま額を僕の額にそっと合わせた。
触れ合う肌から、彼の熱い体温が伝わってくる。
「ナギ。君はまだ、自分がどれほど価値のある存在か分かっていないんだね」
「価値なんて……。僕は、ただのオメガで……」
「違うよ。君は僕の『運命の番』だ。数百年の間、この神殿で凍りついていた僕の心を溶かしてくれたのは、君の存在そのものなんだよ」
クロム様の指が、僕のうなじをゆっくりとなぞった。
そこは、オメガにとって最も敏感で、番に噛まれることで永遠の誓いを立てる「うなじの項(うなじ)」だ。
「……っ、あ……」
「ここに僕の刻印を刻む日が待ち遠しいな。そうすれば、誰にも君を渡さずに済む。君の体も、心も、一滴の血に至るまで僕のものだ」
その声は、優しさに満ちていた。
けれど、同時に逃げ場をすべて塞ぐような、昏(くら)い執着が滲んでいる。
普通の人間なら恐怖を感じるはずなのに、ずっと孤独だった僕は、その「重さ」が堪らなく嬉しかった。
「クロム様、僕は……」
「ナギ。今日からは僕のことだけを見て、僕のことだけを考えていればいい。他のことは、僕がすべて排除してあげるからね」
クロム様は僕の唇に、羽が触れるような軽い、けれど独占欲の籠もったキスを落とした。
外の世界では、僕は不必要な存在だった。
けれど、この神殿という名の鳥籠の中では、僕は彼にとっての世界のすべてなのだ。
「……はい、クロム様」
僕は、彼の大きな胸の中に自分から顔を埋めた。
甘い毒のような彼の愛に、僕はゆっくりと、けれど確実に沈んでいく。
それがどんなに歪な関係だとしても、今の僕には、この場所だけが唯一の救いだった。
高い天井には、夜空を模したかのような煌びやかな宝石が埋め込まれ、淡い光を放っている。
僕が寝かされているのは、雲のように柔らかい絹の寝台。
地下室の硬い床で寝るのが当たり前だった僕にとって、それはあまりにも非現実的な心地よさだった。
「……夢、なのかな」
ぽつりと呟いた瞬間、すぐ傍で柔らかな衣擦れの音がした。
「おはよう、ナギ。気分はどうだい?」
視線を向ければ、そこには漆黒の髪を流したクロム様が座っていた。
昨夜の冷たい外気の中でも美しかったけれど、神殿の灯りに照らされた彼は、さらに神々しく、恐ろしいほどに綺麗だった。
「クロム、様……」
「まだ動かなくていいよ。君の体はひどく冷え切っていたし、栄養も足りていない。……僕が今、栄養をつけてあげるからね」
クロム様が合図を送ると、どこからかいい香りが漂ってきた。
運ばれてきたのは、見たこともないほど豪華な食事だった。
湯気が立つスープに、柔らかそうなパン、瑞々しい果実。
お腹が鳴るのを必死に堪えて起き上がろうとしたけれど、クロム様の手が優しく僕の肩を押さえた。
「寝たままでいい。僕が食べさせてあげるから」
「えっ、あ、あの、自分で食べられます!」
「だめだよ。君の手はこんなに細い。スプーンを持つことさえ、僕には心配なんだ」
クロム様はそう言うと、真顔でスープを掬い、ふーふーと息を吹きかけて冷まし始めた。
そして、僕の口元にそっとスプーンを差し出す。
「さあ、あーんして」
「…………っ」
恥ずかしさで顔が燃えるように熱くなる。
でも、クロム様の真紅の瞳は真剣そのもので、断る隙なんて一ミリもなかった。
僕は震える唇を小さく開け、差し出されたスープを口に含んだ。
「……っ、おいしい……」
「そうだろう? 君のために、僕が厳選した食材を使わせたんだ。もっと食べて」
次から次へと運ばれてくる食事。
クロム様は、僕が一口飲み込むたびに、愛おしくてたまらないというように目を細め、僕の口元を指先で優しく拭ってくれる。
村では、残飯のようなものしか与えられなかった。
それなのに、この人は、まるで僕がこの世で一番尊い存在であるかのように扱ってくれる。
「クロム様……どうして、僕なんかに、こんなに優しくしてくれるんですか?」
不安になって問いかけると、クロム様の手が止まった。
彼はスプーンを置くと、僕の頬を両手で包み込み、そのまま額を僕の額にそっと合わせた。
触れ合う肌から、彼の熱い体温が伝わってくる。
「ナギ。君はまだ、自分がどれほど価値のある存在か分かっていないんだね」
「価値なんて……。僕は、ただのオメガで……」
「違うよ。君は僕の『運命の番』だ。数百年の間、この神殿で凍りついていた僕の心を溶かしてくれたのは、君の存在そのものなんだよ」
クロム様の指が、僕のうなじをゆっくりとなぞった。
そこは、オメガにとって最も敏感で、番に噛まれることで永遠の誓いを立てる「うなじの項(うなじ)」だ。
「……っ、あ……」
「ここに僕の刻印を刻む日が待ち遠しいな。そうすれば、誰にも君を渡さずに済む。君の体も、心も、一滴の血に至るまで僕のものだ」
その声は、優しさに満ちていた。
けれど、同時に逃げ場をすべて塞ぐような、昏(くら)い執着が滲んでいる。
普通の人間なら恐怖を感じるはずなのに、ずっと孤独だった僕は、その「重さ」が堪らなく嬉しかった。
「クロム様、僕は……」
「ナギ。今日からは僕のことだけを見て、僕のことだけを考えていればいい。他のことは、僕がすべて排除してあげるからね」
クロム様は僕の唇に、羽が触れるような軽い、けれど独占欲の籠もったキスを落とした。
外の世界では、僕は不必要な存在だった。
けれど、この神殿という名の鳥籠の中では、僕は彼にとっての世界のすべてなのだ。
「……はい、クロム様」
僕は、彼の大きな胸の中に自分から顔を埋めた。
甘い毒のような彼の愛に、僕はゆっくりと、けれど確実に沈んでいく。
それがどんなに歪な関係だとしても、今の僕には、この場所だけが唯一の救いだった。
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