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6話
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クロム様に胃袋を掴まれてから数日。
神殿の生活は、甘やかされる僕と、それを悦びとするクロム様、そして僕の足元を走り回るテトという、不思議な安定を保っていた。
けれど、その静寂は不意に破られた。
「……何者だ」
神殿の重厚な玄関ホール。
クロム様の低く、地を這うような声が響いた。
僕が彼の後ろからおそるおそる覗き込むと、そこには黒亜鉛の床に、血塗れの男が倒れ込んでいた。
「ひっ……! クロム様、大変です! 怪我をしてる……っ」
「ナギ、近づいてはいけない。……ただの人間ではないな。この気配……古の魔狼の生き残りか」
クロム様は僕を庇うように背後に押しやり、冷徹な瞳で男を見下ろした。
男はボロボロの鎧を纏い、全身に深い斬り傷を負っていた。
その隙間から覗く褐色の肌には、痛々しい火傷の跡もある。
「……う、ぐ……。龍神、……殿……か……」
男は、掠れた声で必死に顔を上げた。
片方の瞳は血で塞がっているが、もう片方の瞳は鋭く、誇り高い獣の輝きを失っていない。
「追手に……敗れ、……死に場所を、求めて……ここまで……」
「死に場所か。ならば外で朽ち果てればいい。僕の神殿を汚すな」
クロム様の言葉は氷のように冷たかった。
僕に向けてくれる優しさが嘘のように、今の彼は残酷な「神」の顔をしている。
「待ってください、クロム様! このままじゃ、本当に死んじゃいます!」
「ナギ。不必要な慈悲は毒だ。この男が牙を剥く可能性もある」
「でも、助けを求めてここに来たんです。……お願いです、僕に手当てをさせてください。……ダメ、ですか?」
僕はクロム様の服の裾をぎゅっと掴み、潤んだ瞳で見上げた。
クロム様は一瞬、苦々しげに顔を歪めたが、僕の「お願い」にはどうしても勝てないようだった。
「…………。はぁ。君は本当に、僕を困らせるのが上手いね」
クロム様はため息をつくと、倒れた男の前にしゃがみ込んだ。
「おい、魔狼。本来なら今すぐ首を跳ねて外の雪原に捨てるところだが、僕の愛しい番が君を助けたいと言っている」
「……番、……だと?」
「そうだ。命を救われたければ、今この場で、僕の番であるこの少年に、永遠の忠誠を誓え。死ぬまで彼の剣となり、盾となり、僕がいない間も彼を守り抜く『番犬』になると……血の誓約を結べ」
それは、慈悲というよりは過酷な契約だった。
クロム様は、僕がこの男を助ける代わりに、男を僕専用の「駒」として縛り付けようとしているのだ。
男は震える手でクロム様の差し出した指を握り、血に濡れた唇を開いた。
「……承知、した。……わが命……その少年に……捧げよう……」
その瞬間、男の胸元に黒い紋章が浮かび上がり、消えた。
「契約完了だ。……ヴォルグ。今日からお前は、ナギの守護騎士だ」
クロム様はそう言うと、僕を軽々と抱き上げた。
「ナギ。手当てはエマ……いや、薬師を呼んでやらせる。君は、その汚れた手で直接触れたりしてはいけないよ。わかったね?」
結局、僕は自分での介抱を禁じられてしまった。
クロム様はヴォルグを助けることに同意したけれど、その目は「新しいおもちゃ(テト)の次に、また別の邪魔者(ヴォルグ)が現れた」と言わんばかりの嫉妬に満ちていた。
「クロム様、ありがとうございます」
「礼はいらないよ。その代わり、後でたっぷりお返しをしてもらうから。……あの男に、見惚れたりしてはいけないよ?」
耳元で噛み付くように囁かれた声に、僕は身を震わせた。
新しい仲間、ヴォルグ。
けれどそれは、クロム様の独占欲という鎖が、また一つ重くなる前触れでもあった。
神殿の生活は、甘やかされる僕と、それを悦びとするクロム様、そして僕の足元を走り回るテトという、不思議な安定を保っていた。
けれど、その静寂は不意に破られた。
「……何者だ」
神殿の重厚な玄関ホール。
クロム様の低く、地を這うような声が響いた。
僕が彼の後ろからおそるおそる覗き込むと、そこには黒亜鉛の床に、血塗れの男が倒れ込んでいた。
「ひっ……! クロム様、大変です! 怪我をしてる……っ」
「ナギ、近づいてはいけない。……ただの人間ではないな。この気配……古の魔狼の生き残りか」
クロム様は僕を庇うように背後に押しやり、冷徹な瞳で男を見下ろした。
男はボロボロの鎧を纏い、全身に深い斬り傷を負っていた。
その隙間から覗く褐色の肌には、痛々しい火傷の跡もある。
「……う、ぐ……。龍神、……殿……か……」
男は、掠れた声で必死に顔を上げた。
片方の瞳は血で塞がっているが、もう片方の瞳は鋭く、誇り高い獣の輝きを失っていない。
「追手に……敗れ、……死に場所を、求めて……ここまで……」
「死に場所か。ならば外で朽ち果てればいい。僕の神殿を汚すな」
クロム様の言葉は氷のように冷たかった。
僕に向けてくれる優しさが嘘のように、今の彼は残酷な「神」の顔をしている。
「待ってください、クロム様! このままじゃ、本当に死んじゃいます!」
「ナギ。不必要な慈悲は毒だ。この男が牙を剥く可能性もある」
「でも、助けを求めてここに来たんです。……お願いです、僕に手当てをさせてください。……ダメ、ですか?」
僕はクロム様の服の裾をぎゅっと掴み、潤んだ瞳で見上げた。
クロム様は一瞬、苦々しげに顔を歪めたが、僕の「お願い」にはどうしても勝てないようだった。
「…………。はぁ。君は本当に、僕を困らせるのが上手いね」
クロム様はため息をつくと、倒れた男の前にしゃがみ込んだ。
「おい、魔狼。本来なら今すぐ首を跳ねて外の雪原に捨てるところだが、僕の愛しい番が君を助けたいと言っている」
「……番、……だと?」
「そうだ。命を救われたければ、今この場で、僕の番であるこの少年に、永遠の忠誠を誓え。死ぬまで彼の剣となり、盾となり、僕がいない間も彼を守り抜く『番犬』になると……血の誓約を結べ」
それは、慈悲というよりは過酷な契約だった。
クロム様は、僕がこの男を助ける代わりに、男を僕専用の「駒」として縛り付けようとしているのだ。
男は震える手でクロム様の差し出した指を握り、血に濡れた唇を開いた。
「……承知、した。……わが命……その少年に……捧げよう……」
その瞬間、男の胸元に黒い紋章が浮かび上がり、消えた。
「契約完了だ。……ヴォルグ。今日からお前は、ナギの守護騎士だ」
クロム様はそう言うと、僕を軽々と抱き上げた。
「ナギ。手当てはエマ……いや、薬師を呼んでやらせる。君は、その汚れた手で直接触れたりしてはいけないよ。わかったね?」
結局、僕は自分での介抱を禁じられてしまった。
クロム様はヴォルグを助けることに同意したけれど、その目は「新しいおもちゃ(テト)の次に、また別の邪魔者(ヴォルグ)が現れた」と言わんばかりの嫉妬に満ちていた。
「クロム様、ありがとうございます」
「礼はいらないよ。その代わり、後でたっぷりお返しをしてもらうから。……あの男に、見惚れたりしてはいけないよ?」
耳元で噛み付くように囁かれた声に、僕は身を震わせた。
新しい仲間、ヴォルグ。
けれどそれは、クロム様の独占欲という鎖が、また一つ重くなる前触れでもあった。
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