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2話
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ロストック城での生活が始まって一週間。
ユアン・マクレーンは、広大な城の北側にある、半ば放置された中庭に立っていた。
そこは高い石壁に囲まれ、日当たりは良いものの、土は固く、ひょろひょろとした雑草が数本生えているだけの寂しい場所だ。
「うん、ここなら誰の邪魔にもならないし、風の通りも最高だね」
ユアンは満足げに頷き、持参した小さなスコップを地面に突き立てた。
彼に与えられた役割は、一日に数回、アルヴィス公爵の執務室を訪れて『微風の魔法』で彼の熱を冷ますことだけ。それ以外の時間は自由だ。使用人たちは、没落貴族の三男坊であるユアンを「お飾り」と割り切っているのか、過剰な干渉はしてこない。それがユアンにはたまらなく気楽だった。
「よし、『そよ風さん、土を解して』」
指先をくるりと動かすと、目に見えない小さな渦が地面に潜り込み、固い土をふかふかに耕していく。本来なら重労働な庭仕事も、ユアンの魔法にかかれば鼻歌まじりの軽作業だ。
その時、背後から重い足音が聞こえてきた。
「……何をしている」
低く、どこか抑揚のない声。振り返ると、そこには漆黒の執務服を纏ったアルヴィスが立っていた。相変わらずの目力の強さに、ユアンは「ひゃいっ」と変な声を出し、慌てて背筋を伸ばした。
「か、閣下! ええと、お約束通り庭のスペースをお借りして、薬草を植えようかと……」
「薬草か。……毒になるようなものは困るぞ」
「とんでもないです! これは『ハニーベリー』といって、お茶に入れると甘くて美味しいんです。それから、こっちは安眠効果のある『月見草』で……」
ユアンが夢中で説明し始めると、アルヴィスはわずかに眉を寄せた。
彼は戦いに明け暮れる日々の中で、植物の美しさや効能など考えたこともなかったのだ。だが、目の前で目を輝かせている青年を見ていると、不思議と悪い気はしなかった。
「……好きにしろ。ただし、体に毒を盛るつもりなら、即刻この城から叩き出す」
「もちろんです! あ、閣下、ちょうどいいところに。失礼します」
ユアンはスコップを置き、アルヴィスに歩み寄った。
至近距離になると、やはり彼からは熱気があふれている。ユアンは自然な動作で、アルヴィスの火照った頬に手を伸ばした。
「……!」
アルヴィスの体が微かに強張る。彼にとって、他人に触れられることは「攻撃」か「治療」のどちらかでしかなかったからだ。しかし、ユアンの手のひらは驚くほど柔らかく、そして涼しかった。
「『そよ風さん、森の冷気を連れてきて』」
ユアンの呟きとともに、アルヴィスの首筋をひんやりとした風がなぞる。
戦場での呪いがもたらす「熱」は、単なる物理的な温度ではない。それは神経を逆撫でし、思考を濁らせる忌まわしい重圧だ。それが、この青年の魔法に触れるたび、霧が晴れるように消えていく。
「ふぅ……。少しは楽になりましたか?」
「…………ああ」
アルヴィスは短く答えた。本当は「驚くほど体が軽い」と言いたかったが、そんな柄ではない。彼は不器用に視線を逸らし、ユアンが耕した土を見つめた。
「お前は……マクレーン家で虐げられていたと聞いたが」
「えっ、ああ、まあ……三男ですからね。魔法も地味ですし、あまり期待はされていませんでした。でも、こうして静かに庭仕事ができる今の方が、ずっと幸せですよ」
ユアンは屈託なく笑った。
その笑顔には、裏も表もない。アルヴィスは、自分を利用しようと近づく者たちの目とは全く違う、澄んだアイスブルーの瞳に気圧され、僅かに後退りした。
「……勝手な奴だ。城の食事に不満があれば、料理長に言え」
「いえ、とっても美味しいです! 特に昨日のポタージュは絶品でした。いつか僕が育てた野菜も使ってもらえたら嬉しいな、なんて」
「ふん。勝手にしろ」
アルヴィスは背を向け、大股で去っていった。
相変わらず冷たい態度に見えるが、ユアンには分かっていた。去り際の彼の耳たぶが、ほんの少し赤かったことに。
(怒られたのかな? でも、熱はちゃんと引いてたみたいだし、大丈夫だよね)
ユアンは再びスコップを手に取った。
彼にとって、この「契約結婚」は最高の隠居生活だった。怖いと思っていた旦那様も、案外、話せば分かる人のようだ。
一方、執務室に戻ったアルヴィスは、自分の机に座り、先ほどユアンが触れた頬に手を当てていた。
手のひらの涼しさが、まだ肌に残っている。
「……風、か」
彼はふと、窓の外を見た。
殺風景だった中庭で、一人の青年が楽しそうに土をいじっている。
その光景が、凍てついた城の空気を少しずつ変え始めていることに、不器用な騎士王はまだ気づいていなかった。
契約終了まで、残り358日。
二人の間には、初めて「美味しい」という、ささやかな共有事項が生まれた。
ユアン・マクレーンは、広大な城の北側にある、半ば放置された中庭に立っていた。
そこは高い石壁に囲まれ、日当たりは良いものの、土は固く、ひょろひょろとした雑草が数本生えているだけの寂しい場所だ。
「うん、ここなら誰の邪魔にもならないし、風の通りも最高だね」
ユアンは満足げに頷き、持参した小さなスコップを地面に突き立てた。
彼に与えられた役割は、一日に数回、アルヴィス公爵の執務室を訪れて『微風の魔法』で彼の熱を冷ますことだけ。それ以外の時間は自由だ。使用人たちは、没落貴族の三男坊であるユアンを「お飾り」と割り切っているのか、過剰な干渉はしてこない。それがユアンにはたまらなく気楽だった。
「よし、『そよ風さん、土を解して』」
指先をくるりと動かすと、目に見えない小さな渦が地面に潜り込み、固い土をふかふかに耕していく。本来なら重労働な庭仕事も、ユアンの魔法にかかれば鼻歌まじりの軽作業だ。
その時、背後から重い足音が聞こえてきた。
「……何をしている」
低く、どこか抑揚のない声。振り返ると、そこには漆黒の執務服を纏ったアルヴィスが立っていた。相変わらずの目力の強さに、ユアンは「ひゃいっ」と変な声を出し、慌てて背筋を伸ばした。
「か、閣下! ええと、お約束通り庭のスペースをお借りして、薬草を植えようかと……」
「薬草か。……毒になるようなものは困るぞ」
「とんでもないです! これは『ハニーベリー』といって、お茶に入れると甘くて美味しいんです。それから、こっちは安眠効果のある『月見草』で……」
ユアンが夢中で説明し始めると、アルヴィスはわずかに眉を寄せた。
彼は戦いに明け暮れる日々の中で、植物の美しさや効能など考えたこともなかったのだ。だが、目の前で目を輝かせている青年を見ていると、不思議と悪い気はしなかった。
「……好きにしろ。ただし、体に毒を盛るつもりなら、即刻この城から叩き出す」
「もちろんです! あ、閣下、ちょうどいいところに。失礼します」
ユアンはスコップを置き、アルヴィスに歩み寄った。
至近距離になると、やはり彼からは熱気があふれている。ユアンは自然な動作で、アルヴィスの火照った頬に手を伸ばした。
「……!」
アルヴィスの体が微かに強張る。彼にとって、他人に触れられることは「攻撃」か「治療」のどちらかでしかなかったからだ。しかし、ユアンの手のひらは驚くほど柔らかく、そして涼しかった。
「『そよ風さん、森の冷気を連れてきて』」
ユアンの呟きとともに、アルヴィスの首筋をひんやりとした風がなぞる。
戦場での呪いがもたらす「熱」は、単なる物理的な温度ではない。それは神経を逆撫でし、思考を濁らせる忌まわしい重圧だ。それが、この青年の魔法に触れるたび、霧が晴れるように消えていく。
「ふぅ……。少しは楽になりましたか?」
「…………ああ」
アルヴィスは短く答えた。本当は「驚くほど体が軽い」と言いたかったが、そんな柄ではない。彼は不器用に視線を逸らし、ユアンが耕した土を見つめた。
「お前は……マクレーン家で虐げられていたと聞いたが」
「えっ、ああ、まあ……三男ですからね。魔法も地味ですし、あまり期待はされていませんでした。でも、こうして静かに庭仕事ができる今の方が、ずっと幸せですよ」
ユアンは屈託なく笑った。
その笑顔には、裏も表もない。アルヴィスは、自分を利用しようと近づく者たちの目とは全く違う、澄んだアイスブルーの瞳に気圧され、僅かに後退りした。
「……勝手な奴だ。城の食事に不満があれば、料理長に言え」
「いえ、とっても美味しいです! 特に昨日のポタージュは絶品でした。いつか僕が育てた野菜も使ってもらえたら嬉しいな、なんて」
「ふん。勝手にしろ」
アルヴィスは背を向け、大股で去っていった。
相変わらず冷たい態度に見えるが、ユアンには分かっていた。去り際の彼の耳たぶが、ほんの少し赤かったことに。
(怒られたのかな? でも、熱はちゃんと引いてたみたいだし、大丈夫だよね)
ユアンは再びスコップを手に取った。
彼にとって、この「契約結婚」は最高の隠居生活だった。怖いと思っていた旦那様も、案外、話せば分かる人のようだ。
一方、執務室に戻ったアルヴィスは、自分の机に座り、先ほどユアンが触れた頬に手を当てていた。
手のひらの涼しさが、まだ肌に残っている。
「……風、か」
彼はふと、窓の外を見た。
殺風景だった中庭で、一人の青年が楽しそうに土をいじっている。
その光景が、凍てついた城の空気を少しずつ変え始めていることに、不器用な騎士王はまだ気づいていなかった。
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