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6話
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買い出しから戻った数日後、ロストック城に華やかな馬車が到着した。
現れたのは、隣領を治める伯爵家の令嬢、カトリーヌだ。彼女はアルヴィスが士官学校に通っていた頃からの知人であり、この冷徹な騎士王を「アル様」と愛称で呼べる数少ない人物の一人だった。
ユアンはちょうど、中庭で芽吹いたばかりの雪どけ草に水をやっていた。そこへ、談笑しながら通りかかるアルヴィスとカトリーヌの姿が目に入る。
「アル様、相変わらずお顔が怖いわね。でも、以前より少しだけ雰囲気が柔らかくなったかしら?」
「……そうか。自覚はない」
アルヴィスはいつもの無愛想な態度だが、その表情はどこか穏やかだ。カトリーヌが彼の腕に軽く触れても、彼は不快そうに引き剥がすこともない。
ユアンは、持っていたジョウロの手を止めた。
(……なんだろう、今の。胸の奥が、ちくりとした)
それは、実家の父に冷たくされた時に感じる痛みとは、全く違う種類のものだった。喉の奥に何かが詰まったような、苦くて、少しだけ寂しい感覚。
「あ、ユアン様! こちらにおられましたか」
カトリーヌがユアンに気づき、優雅な仕草で近寄ってきた。アルヴィスもその後ろから、ユアンの様子を伺うように視線を送る。
「あなたがマクレーン家からいらした『番』の方ね。アル様を支えてくださって、感謝しているわ。彼は昔から無茶ばかりするから、私たち友人はいつも心配していたのよ」
カトリーヌの言葉に悪意は微塵もなかった。むしろ、心からアルヴィスを案じているのが伝わってくる。ユアンは慌てて頭を下げた。
「い、いえ。僕はただ、お飾りとして風を送っているだけですから……」
「お飾りなんて。アル様がこんなに落ち着いているのは、あなたのおかげでしょうに」
カトリーヌが笑うと、アルヴィスは気まずそうに咳払いをした。
「……カトリーヌ、話が長い。客室へ案内させよう」
「あら、照れなくてもいいのに。ではユアン様、また後でゆっくりお話ししましょうね」
去っていく二人の背中を、ユアンはぼんやりと見送った。
アルヴィスの広い背中。あの隣に並ぶのは、自分のような没落貴族ではなく、彼女のような美しくて気品のある女性が相応しい。そんな当たり前の事実に、今更ながらに気づかされる。
その日の午後。冷却の時間になっても、ユアンはどこか上の空だった。
「…………」
「…………」
いつもの執務室。沈黙が重い。ユアンはアルヴィスの背後に立ち、魔法を使おうとしたが、どうしても指先が震えてしまう。
「……ユアン。どうした」
アルヴィスが振り返った。その金色の瞳が、不安げなユアンを捉える。
「あ、すみません……。少し、考え事をしていて」
「……カトリーヌのことか」
図星を指され、ユアンの心臓が跳ねた。
「彼女とは、ただの古い付き合いだ。それ以上の意味はない。……お前に、不快な思いをさせたか?」
アルヴィスの声は驚くほど優しかった。彼は、ユアンが今日一日ずっと元気がないことに気づいていたのだ。
「不快なんて! そんな……。ただ、彼女の方が閣下のことをよく知っているんだなと思ったら、なんだか自分が、本当に『お飾り』なんだって……再確認しちゃっただけです」
ユアンは無理に笑おうとしたが、唇が少し震えた。
アルヴィスは無言で椅子から立ち上がり、ユアンとの距離を詰めた。大きな影がユアンを包み込む。
「……私は、彼女に髪を触らせたりはしない。茶を淹れさせることも、庭を見せることもない」
アルヴィスは、ユアンの柔らかな亜麻色の髪にそっと手を触れた。
「私にとって、この熱を鎮められるのはお前だけだ。……代わりなど、いない」
その言葉は、どんな魔法よりも温かく、ユアンの胸に染み渡った。
ちくりとした痛みは、いつの間にか消えていた。代わりに、心臓がトクトクと少しだけ速く脈打つのを感じる。
「……ありがとうございます、閣下。僕、もっといい風が送れるように頑張ります」
ユアンが顔を上げると、アルヴィスはふい、と顔を背けた。
その耳たぶが、夕焼けよりも赤くなっているのを、ユアンは今度こそはっきりと見つけた。
契約終了まで、残り320日。
二人の間に吹く風は、少しずつ、甘い温度を帯び始めていた。
現れたのは、隣領を治める伯爵家の令嬢、カトリーヌだ。彼女はアルヴィスが士官学校に通っていた頃からの知人であり、この冷徹な騎士王を「アル様」と愛称で呼べる数少ない人物の一人だった。
ユアンはちょうど、中庭で芽吹いたばかりの雪どけ草に水をやっていた。そこへ、談笑しながら通りかかるアルヴィスとカトリーヌの姿が目に入る。
「アル様、相変わらずお顔が怖いわね。でも、以前より少しだけ雰囲気が柔らかくなったかしら?」
「……そうか。自覚はない」
アルヴィスはいつもの無愛想な態度だが、その表情はどこか穏やかだ。カトリーヌが彼の腕に軽く触れても、彼は不快そうに引き剥がすこともない。
ユアンは、持っていたジョウロの手を止めた。
(……なんだろう、今の。胸の奥が、ちくりとした)
それは、実家の父に冷たくされた時に感じる痛みとは、全く違う種類のものだった。喉の奥に何かが詰まったような、苦くて、少しだけ寂しい感覚。
「あ、ユアン様! こちらにおられましたか」
カトリーヌがユアンに気づき、優雅な仕草で近寄ってきた。アルヴィスもその後ろから、ユアンの様子を伺うように視線を送る。
「あなたがマクレーン家からいらした『番』の方ね。アル様を支えてくださって、感謝しているわ。彼は昔から無茶ばかりするから、私たち友人はいつも心配していたのよ」
カトリーヌの言葉に悪意は微塵もなかった。むしろ、心からアルヴィスを案じているのが伝わってくる。ユアンは慌てて頭を下げた。
「い、いえ。僕はただ、お飾りとして風を送っているだけですから……」
「お飾りなんて。アル様がこんなに落ち着いているのは、あなたのおかげでしょうに」
カトリーヌが笑うと、アルヴィスは気まずそうに咳払いをした。
「……カトリーヌ、話が長い。客室へ案内させよう」
「あら、照れなくてもいいのに。ではユアン様、また後でゆっくりお話ししましょうね」
去っていく二人の背中を、ユアンはぼんやりと見送った。
アルヴィスの広い背中。あの隣に並ぶのは、自分のような没落貴族ではなく、彼女のような美しくて気品のある女性が相応しい。そんな当たり前の事実に、今更ながらに気づかされる。
その日の午後。冷却の時間になっても、ユアンはどこか上の空だった。
「…………」
「…………」
いつもの執務室。沈黙が重い。ユアンはアルヴィスの背後に立ち、魔法を使おうとしたが、どうしても指先が震えてしまう。
「……ユアン。どうした」
アルヴィスが振り返った。その金色の瞳が、不安げなユアンを捉える。
「あ、すみません……。少し、考え事をしていて」
「……カトリーヌのことか」
図星を指され、ユアンの心臓が跳ねた。
「彼女とは、ただの古い付き合いだ。それ以上の意味はない。……お前に、不快な思いをさせたか?」
アルヴィスの声は驚くほど優しかった。彼は、ユアンが今日一日ずっと元気がないことに気づいていたのだ。
「不快なんて! そんな……。ただ、彼女の方が閣下のことをよく知っているんだなと思ったら、なんだか自分が、本当に『お飾り』なんだって……再確認しちゃっただけです」
ユアンは無理に笑おうとしたが、唇が少し震えた。
アルヴィスは無言で椅子から立ち上がり、ユアンとの距離を詰めた。大きな影がユアンを包み込む。
「……私は、彼女に髪を触らせたりはしない。茶を淹れさせることも、庭を見せることもない」
アルヴィスは、ユアンの柔らかな亜麻色の髪にそっと手を触れた。
「私にとって、この熱を鎮められるのはお前だけだ。……代わりなど、いない」
その言葉は、どんな魔法よりも温かく、ユアンの胸に染み渡った。
ちくりとした痛みは、いつの間にか消えていた。代わりに、心臓がトクトクと少しだけ速く脈打つのを感じる。
「……ありがとうございます、閣下。僕、もっといい風が送れるように頑張ります」
ユアンが顔を上げると、アルヴィスはふい、と顔を背けた。
その耳たぶが、夕焼けよりも赤くなっているのを、ユアンは今度こそはっきりと見つけた。
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