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7話
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カトリーヌが華やかな風と共に去っていった翌朝、ロストック城の空気は妙に落ち着かなかった。
理由は明白だ。主であるアルヴィスが、朝から何度も中庭の方を気にしては、窓の外をじっと見つめているからである。
「閣下、書類が上下逆さまです」
「…………。……ああ」
副官リアムの指摘に、アルヴィスは無表情のまま書類を直した。だが、その手元はおぼつかない。
昨日の夕暮れ時、ユアンに見せた「自分だけの特別」という主張。あれは、自分でも驚くほど本音だった。本音すぎて、今さら猛烈に恥ずかしくなってきたのだ。
(私は一体何を口走ったのだ。「代わりはいない」などと……)
一方、そんな主の苦悩も知らず、ユアンは客室の掃除を手伝っていた。カトリーヌが使っていた部屋を整えていると、サイドテーブルの下に一冊の小さな手帳が落ちているのを見つける。
「あ、カトリーヌさんの忘れ物かな?」
中身を見るのは悪いと思いつつも、持ち主の名前を確認しようと開いたページには、大きな文字でこう記されていた。
『アル様攻略メモ:彼は褒められると耳が赤くなる。もっと素直に「好き」と言わせるには、嫉妬を煽るのが一番!』
「…………ええっ?」
ユアンは固まった。
洗練された都会の令嬢である彼女が、まさかこんな肉食系なメモを残していたなんて。しかも、アルヴィスの攻略法まで……。
「ユアン様、どうされました?」
そこへ、休憩がてらユアンの様子を見に来たリアムがひょっこりと顔を出した。ユアンは慌てて手帳を隠そうとしたが、運動神経抜群のリアムにひょいと取り上げられてしまう。
「あ、これ。カトリーヌ様がわざと置いていったんですよ」
「えっ、わざと?」
「ええ。『あの可愛いお飾り様に、ちょっとした勇気をあげてね』って。あの方はアルヴィス閣下の幸せを、親戚のお姉さんのような気持ちで応援しているんです」
リアムは手帳をユアンに返すと、いたずらっぽく笑った。
「ユアン様、閣下はああ見えて、今お前のことを考えて仕事が手についていないんですよ。試しに、今日の冷却の時に『閣下のことが一番好きです』とでも言ってみてください。きっと面白いことになりますから」
「そんな、言えるわけないですよ! 契約上の夫婦なんですから……っ」
ユアンは真っ赤になって首を振った。
けれど、カトリーヌのメモにあった「耳が赤くなる」という記述を思い出し、胸がトクンと鳴る。昨日の夕方、自分を真っ直ぐに見てくれたあの瞳。あの温かい言葉。
その日の午後。
ユアンは少しだけ緊張しながら執務室のドアを叩いた。
「し、失礼します……閣下」
「……入れ」
アルヴィスは椅子に深く腰掛け、眉間に皺を寄せていた。怒っているのではない。どうやってユアンと目を合わせればいいか、全力で迷走しているのだ。
ユアンはいつものように背後に回り、そっと風を送る。
ふわり、と室内にハニーベリーの甘い香りが混じった風が吹く。
「……閣下。あの、カトリーヌさんの忘れ物、リアムさんに託しましたから」
「そうか。……彼女が、お前に変なことを言わなかったか?」
「変なこと……。いえ、閣下はとっても素敵な人だって言ってました」
ユアンは一歩踏み出し、アルヴィスの横顔を覗き込んだ。
「僕も、そう思います。……閣下の隣は、すごく安心するから」
アルヴィスの動きが止まった。
そして、カトリーヌのメモの予言通り、彼の耳たぶがじわじわと鮮やかな赤色に染まっていく。
「……お前は、お世辞がうまいな」
「お世辞じゃないですよ。……契約が終わっても、またこうしてお茶を飲めたらいいなって、ちょっと思っちゃいました」
ユアンの小さな告白に、アルヴィスは堪らず顔を覆った。
この「お飾り」の番は、一体どれだけ無自覚に、自分の防衛線を壊していくつもりなのだろうか。
「……一年の契約が終わるまで、まだ時間はある。……そんな先の話をするな」
突き放すような言い方。けれど、その声はひどく震えていた。
ユアンは、この不器用な騎士王のことが、昨日よりもほんの少しだけ「好き」になっている自分を、認めざるを得なかった。
契約終了まで、残り315日。
城の至る所で、小さな「恋の芽」が土を押し上げようとしていた。
理由は明白だ。主であるアルヴィスが、朝から何度も中庭の方を気にしては、窓の外をじっと見つめているからである。
「閣下、書類が上下逆さまです」
「…………。……ああ」
副官リアムの指摘に、アルヴィスは無表情のまま書類を直した。だが、その手元はおぼつかない。
昨日の夕暮れ時、ユアンに見せた「自分だけの特別」という主張。あれは、自分でも驚くほど本音だった。本音すぎて、今さら猛烈に恥ずかしくなってきたのだ。
(私は一体何を口走ったのだ。「代わりはいない」などと……)
一方、そんな主の苦悩も知らず、ユアンは客室の掃除を手伝っていた。カトリーヌが使っていた部屋を整えていると、サイドテーブルの下に一冊の小さな手帳が落ちているのを見つける。
「あ、カトリーヌさんの忘れ物かな?」
中身を見るのは悪いと思いつつも、持ち主の名前を確認しようと開いたページには、大きな文字でこう記されていた。
『アル様攻略メモ:彼は褒められると耳が赤くなる。もっと素直に「好き」と言わせるには、嫉妬を煽るのが一番!』
「…………ええっ?」
ユアンは固まった。
洗練された都会の令嬢である彼女が、まさかこんな肉食系なメモを残していたなんて。しかも、アルヴィスの攻略法まで……。
「ユアン様、どうされました?」
そこへ、休憩がてらユアンの様子を見に来たリアムがひょっこりと顔を出した。ユアンは慌てて手帳を隠そうとしたが、運動神経抜群のリアムにひょいと取り上げられてしまう。
「あ、これ。カトリーヌ様がわざと置いていったんですよ」
「えっ、わざと?」
「ええ。『あの可愛いお飾り様に、ちょっとした勇気をあげてね』って。あの方はアルヴィス閣下の幸せを、親戚のお姉さんのような気持ちで応援しているんです」
リアムは手帳をユアンに返すと、いたずらっぽく笑った。
「ユアン様、閣下はああ見えて、今お前のことを考えて仕事が手についていないんですよ。試しに、今日の冷却の時に『閣下のことが一番好きです』とでも言ってみてください。きっと面白いことになりますから」
「そんな、言えるわけないですよ! 契約上の夫婦なんですから……っ」
ユアンは真っ赤になって首を振った。
けれど、カトリーヌのメモにあった「耳が赤くなる」という記述を思い出し、胸がトクンと鳴る。昨日の夕方、自分を真っ直ぐに見てくれたあの瞳。あの温かい言葉。
その日の午後。
ユアンは少しだけ緊張しながら執務室のドアを叩いた。
「し、失礼します……閣下」
「……入れ」
アルヴィスは椅子に深く腰掛け、眉間に皺を寄せていた。怒っているのではない。どうやってユアンと目を合わせればいいか、全力で迷走しているのだ。
ユアンはいつものように背後に回り、そっと風を送る。
ふわり、と室内にハニーベリーの甘い香りが混じった風が吹く。
「……閣下。あの、カトリーヌさんの忘れ物、リアムさんに託しましたから」
「そうか。……彼女が、お前に変なことを言わなかったか?」
「変なこと……。いえ、閣下はとっても素敵な人だって言ってました」
ユアンは一歩踏み出し、アルヴィスの横顔を覗き込んだ。
「僕も、そう思います。……閣下の隣は、すごく安心するから」
アルヴィスの動きが止まった。
そして、カトリーヌのメモの予言通り、彼の耳たぶがじわじわと鮮やかな赤色に染まっていく。
「……お前は、お世辞がうまいな」
「お世辞じゃないですよ。……契約が終わっても、またこうしてお茶を飲めたらいいなって、ちょっと思っちゃいました」
ユアンの小さな告白に、アルヴィスは堪らず顔を覆った。
この「お飾り」の番は、一体どれだけ無自覚に、自分の防衛線を壊していくつもりなのだろうか。
「……一年の契約が終わるまで、まだ時間はある。……そんな先の話をするな」
突き放すような言い方。けれど、その声はひどく震えていた。
ユアンは、この不器用な騎士王のことが、昨日よりもほんの少しだけ「好き」になっている自分を、認めざるを得なかった。
契約終了まで、残り315日。
城の至る所で、小さな「恋の芽」が土を押し上げようとしていた。
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