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8話
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収穫祭を目前に控えたロストック城は、お祭りムード一色に染まっていた。
特に熱を帯びているのが、城の地下にある広大な厨房だ。ここでは料理長バルトの提案により、騎士団と使用人たちの士気を高めるための「第一回・ロストック城料理コンテスト」が開催されることになったのである。
「いいか野郎ども! 優勝者には閣下から特別休暇が与えられる。気合を入れろ!」
「「「おおーっ!!」」」
バルトの野太い声に、若手料理人たちが気勢を上げる。その熱気の中に、なぜかエプロンをきっちりと締めたユアンの姿もあった。
「ユアン様、準備はよろしいですか? あんたが作ってくれる『魔法のシロップ』がなきゃ、俺の新作デザートは完成しませんからね」
そう言ってユアンの肩を叩いたのは、今回バルトの助手兼ライバルとして名乗りを上げた副料理長の**ジーノ**だ。ジーノは二十代半ばの快活な青年で、ユアンの植物魔法が育てるハーブの質の高さに惚れ込み、最近では事あるごとにユアンを厨房へ誘い出していた。
「はい、ジーノさん。ハニーベリーを煮詰めて、微風の魔法で香りを閉じ込めておきました。これなら冷めても香りが飛ばないはずです」
「最高だ! さすがは俺たちの『お飾り……じゃなかった、女神様』だ!」
厨房は活気に満ち、笑い声が絶えない。ユアンはこの賑やかな空間が大好きだった。実家では「役立たず」と蔑まれていた自分の魔法が、ここでは誰かを笑顔にするための大切なスパイスになっている。それが何よりも嬉しかった。
だが、その賑わいから遠く離れた執務室では、一人の男が恐ろしいほどに不機嫌なオーラを放っていた。
「…………」
アルヴィスは、手元の書類に目を落としながらも、その意識は完全に別の場所にあった。
ここ数日、ユアンが執務室に来る時間が目に見えて減っている。来ても「冷却」が終われば「厨房で試作があるんです!」と、風のように去ってしまうのだ。
「閣下、ペンが止まっていますよ。……ああ、また厨房のジーノくんたちに嫉妬しているんですね?」
横からひょいと顔を出したリアムが、呆れたように肩をすくめる。
「嫉妬などしていない。……ただ、城の規律が乱れるのを懸念しているだけだ」
「へぇ。じゃあ、ユアン様がジーノくんと楽しそうに新作タルトの味見をしているのも、規律の問題なんですね。……おや、閣下? どこへ行かれるんですか?」
アルヴィスは答えず、椅子を蹴るようにして立ち上がると、大股で部屋を出ていった。
厨房の扉が開かれた瞬間、それまでの喧騒が嘘のように静まり返った。
冷徹な騎士王の突然の降臨。しかも、その表情は戦場へ向かう時よりも険しい。
「……閣下!? どうされました、こんな油まみれの場所に」
バルトが慌てて歩み寄るが、アルヴィスの視線は一点――ジーノと仲良く鍋を覗き込んでいたユアンだけを射抜いていた。
「ユアン。冷却の時間だ」
「あ、閣下! すみません、夢中になっていて……。でも、今日はまだ予定の時間より早いですし、あと少しでこのソースが完成するんです」
ユアンは悪びれもせず、木べらを持ったまま微笑んだ。その頬には、少しだけ白い小麦粉がついている。
それを見たアルヴィスの胸の奥で、じりじりとした熱が跳ねた。自分にだけ見せていたはずの無防備な姿が、他の男たちの前で晒されている。
「……後回しだ。今すぐ来い」
アルヴィスはユアンの腕を掴むと、周囲の視線も構わず、彼を厨房の外へと連れ出した。
「わっ、閣下、引っ張らないでください! ジーノさん、続きお願いします!」
「あ、ああ……。お熱いねぇ、全く」
ジーノの苦笑いを背に、ユアンは城の裏庭にある、今は使われていない東屋へと連れて行かれた。
そこはユアンが普段手入れをしている場所で、秋の柔らかな日差しが差し込んでいる。
「閣下、どうしたんですか? あんなに急に……」
「…………」
アルヴィスはユアンを離すと、バツが悪そうに顔を背けた。
自分でも分かっている。これは子供じみた我儘だ。けれど、ユアンが他人と楽しそうにしている姿を見るだけで、体内の魔力が暴走しそうなほど熱くなるのだ。
「……お前は、誰にでもあんな風に笑うのか」
「えっ?」
「料理長や、あの副料理長にも。……私以外にも、あの魔法を使うのか」
低い、絞り出すような声。
ユアンは驚いて目を丸くした。そして、目の前の大きな男が、自分に対して「拗ねている」のだということに気づき、ふふっと吹き出した。
「笑うな」
「すみません……。でも、閣下。僕が魔法を使って、みんなが美味しいって言ってくれるのは、閣下が僕をこの城に置いてくれたからです。だから、僕にとって一番大切なのは、いつだって閣下なんですよ?」
ユアンはつま先立ちになり、アルヴィスの乱れた襟元を整えた。
「今日のコンテストに出すデザートは、みんなで食べる用です。……でもね、閣下のために、特別なものを一つだけ作っておきました」
ユアンはエプロンのポケットから、小さなワックスペーパーに包まれたものを取り出した。
中には、ユアンの魔法で極限まで甘みを凝縮させた、ハニーベリーのドライフルーツが入っている。
「これ、まだ誰にも食べさせてないんです。閣下は甘いのが苦手だって言ってたから、酸味を強めにして、少しだけ『安らぎの風』を込めておきました」
アルヴィスは、差し出された小さな粒をじっと見つめた。
そして、おずおずとそれを口に運ぶ。
舌の上で弾ける爽やかな酸味と、心に直接届くような、ユアンの優しい魔法の温度。
「…………。……悪くない」
ようやくアルヴィスの眉間の皺が解けた。
彼は無言でユアンの頭に手を置くと、その柔らかな髪をごしごしと撫でた。
「……一粒では足りん。夜、私の部屋に持ってこい」
「ふふ、はい。承知いたしました、閣下」
独占欲という名前の熱は、ユアンが与えてくれた小さな一粒で、甘く静かに溶けていった。
コンテストの結果など、もうどうでもよかった。自分だけが知っている味がある。それだけで、騎士王の心は満たされていた。
契約終了まで、残り308日。
二人の「特別」は、少しずつ、けれど確実に増えていく。
特に熱を帯びているのが、城の地下にある広大な厨房だ。ここでは料理長バルトの提案により、騎士団と使用人たちの士気を高めるための「第一回・ロストック城料理コンテスト」が開催されることになったのである。
「いいか野郎ども! 優勝者には閣下から特別休暇が与えられる。気合を入れろ!」
「「「おおーっ!!」」」
バルトの野太い声に、若手料理人たちが気勢を上げる。その熱気の中に、なぜかエプロンをきっちりと締めたユアンの姿もあった。
「ユアン様、準備はよろしいですか? あんたが作ってくれる『魔法のシロップ』がなきゃ、俺の新作デザートは完成しませんからね」
そう言ってユアンの肩を叩いたのは、今回バルトの助手兼ライバルとして名乗りを上げた副料理長の**ジーノ**だ。ジーノは二十代半ばの快活な青年で、ユアンの植物魔法が育てるハーブの質の高さに惚れ込み、最近では事あるごとにユアンを厨房へ誘い出していた。
「はい、ジーノさん。ハニーベリーを煮詰めて、微風の魔法で香りを閉じ込めておきました。これなら冷めても香りが飛ばないはずです」
「最高だ! さすがは俺たちの『お飾り……じゃなかった、女神様』だ!」
厨房は活気に満ち、笑い声が絶えない。ユアンはこの賑やかな空間が大好きだった。実家では「役立たず」と蔑まれていた自分の魔法が、ここでは誰かを笑顔にするための大切なスパイスになっている。それが何よりも嬉しかった。
だが、その賑わいから遠く離れた執務室では、一人の男が恐ろしいほどに不機嫌なオーラを放っていた。
「…………」
アルヴィスは、手元の書類に目を落としながらも、その意識は完全に別の場所にあった。
ここ数日、ユアンが執務室に来る時間が目に見えて減っている。来ても「冷却」が終われば「厨房で試作があるんです!」と、風のように去ってしまうのだ。
「閣下、ペンが止まっていますよ。……ああ、また厨房のジーノくんたちに嫉妬しているんですね?」
横からひょいと顔を出したリアムが、呆れたように肩をすくめる。
「嫉妬などしていない。……ただ、城の規律が乱れるのを懸念しているだけだ」
「へぇ。じゃあ、ユアン様がジーノくんと楽しそうに新作タルトの味見をしているのも、規律の問題なんですね。……おや、閣下? どこへ行かれるんですか?」
アルヴィスは答えず、椅子を蹴るようにして立ち上がると、大股で部屋を出ていった。
厨房の扉が開かれた瞬間、それまでの喧騒が嘘のように静まり返った。
冷徹な騎士王の突然の降臨。しかも、その表情は戦場へ向かう時よりも険しい。
「……閣下!? どうされました、こんな油まみれの場所に」
バルトが慌てて歩み寄るが、アルヴィスの視線は一点――ジーノと仲良く鍋を覗き込んでいたユアンだけを射抜いていた。
「ユアン。冷却の時間だ」
「あ、閣下! すみません、夢中になっていて……。でも、今日はまだ予定の時間より早いですし、あと少しでこのソースが完成するんです」
ユアンは悪びれもせず、木べらを持ったまま微笑んだ。その頬には、少しだけ白い小麦粉がついている。
それを見たアルヴィスの胸の奥で、じりじりとした熱が跳ねた。自分にだけ見せていたはずの無防備な姿が、他の男たちの前で晒されている。
「……後回しだ。今すぐ来い」
アルヴィスはユアンの腕を掴むと、周囲の視線も構わず、彼を厨房の外へと連れ出した。
「わっ、閣下、引っ張らないでください! ジーノさん、続きお願いします!」
「あ、ああ……。お熱いねぇ、全く」
ジーノの苦笑いを背に、ユアンは城の裏庭にある、今は使われていない東屋へと連れて行かれた。
そこはユアンが普段手入れをしている場所で、秋の柔らかな日差しが差し込んでいる。
「閣下、どうしたんですか? あんなに急に……」
「…………」
アルヴィスはユアンを離すと、バツが悪そうに顔を背けた。
自分でも分かっている。これは子供じみた我儘だ。けれど、ユアンが他人と楽しそうにしている姿を見るだけで、体内の魔力が暴走しそうなほど熱くなるのだ。
「……お前は、誰にでもあんな風に笑うのか」
「えっ?」
「料理長や、あの副料理長にも。……私以外にも、あの魔法を使うのか」
低い、絞り出すような声。
ユアンは驚いて目を丸くした。そして、目の前の大きな男が、自分に対して「拗ねている」のだということに気づき、ふふっと吹き出した。
「笑うな」
「すみません……。でも、閣下。僕が魔法を使って、みんなが美味しいって言ってくれるのは、閣下が僕をこの城に置いてくれたからです。だから、僕にとって一番大切なのは、いつだって閣下なんですよ?」
ユアンはつま先立ちになり、アルヴィスの乱れた襟元を整えた。
「今日のコンテストに出すデザートは、みんなで食べる用です。……でもね、閣下のために、特別なものを一つだけ作っておきました」
ユアンはエプロンのポケットから、小さなワックスペーパーに包まれたものを取り出した。
中には、ユアンの魔法で極限まで甘みを凝縮させた、ハニーベリーのドライフルーツが入っている。
「これ、まだ誰にも食べさせてないんです。閣下は甘いのが苦手だって言ってたから、酸味を強めにして、少しだけ『安らぎの風』を込めておきました」
アルヴィスは、差し出された小さな粒をじっと見つめた。
そして、おずおずとそれを口に運ぶ。
舌の上で弾ける爽やかな酸味と、心に直接届くような、ユアンの優しい魔法の温度。
「…………。……悪くない」
ようやくアルヴィスの眉間の皺が解けた。
彼は無言でユアンの頭に手を置くと、その柔らかな髪をごしごしと撫でた。
「……一粒では足りん。夜、私の部屋に持ってこい」
「ふふ、はい。承知いたしました、閣下」
独占欲という名前の熱は、ユアンが与えてくれた小さな一粒で、甘く静かに溶けていった。
コンテストの結果など、もうどうでもよかった。自分だけが知っている味がある。それだけで、騎士王の心は満たされていた。
契約終了まで、残り308日。
二人の「特別」は、少しずつ、けれど確実に増えていく。
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