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9話
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収穫祭の夜、村は黄金色のランタンの光で埋め尽くされていた。
昼間の活気とは打って変わり、夜の祭りはどこか幻想的で、大人びた空気を纏っている。広場では民族楽器の陽気なリズムに合わせて人々が踊り、家々の窓からは焼きたてのパンやスパイスの効いた肉料理の香りが溢れ出していた。
そんな喧騒の中に、深くフードを被った大柄な男と、その隣を楽しそうに歩く小柄な青年の姿があった。
アルヴィスとユアンだ。
「わあ、閣下、見てください! あっちの木には全部ランタンが飾られていますよ。まるでお星様が降りてきたみたいです」
ユアンは子供のように瞳を輝かせ、指をさした。
普段、城の中で植物と向き合っている時も穏やかで可愛いが、こうして外の世界に触れてはしゃいでいる姿は、アルヴィスの目にはさらに眩しく映る。
「……そうだな。だが、あまり前ばかり見て歩くな。足元が暗いぞ」
アルヴィスは低く落ち着いた声で窘めるが、その視線はユアンから片時も離れない。
彼は不器用ながらも、人混みがユアンにぶつからないよう、さりげなく自身の広い背中で波を遮っていた。フードで顔を隠してはいるものの、その隙間から覗く鋭い金色の瞳と圧倒的な存在感は、無意識に周囲の人々を遠ざける「道標」の役割を果たしている。
「あ、そうだ。閣下、お腹空いてませんか? さっきジーノさんが『祭りの串焼きは絶品だ』って言ってたんです」
「……またジーノか」
アルヴィスは僅かに眉を寄せた。厨房での「ひとり占め」から数日経つが、いまだにあの副料理長の名が出ると胸の奥がチリりと焼ける。
ユアンはそんな主の機嫌の変化に気づいているのかいないのか、「あはは」と笑いながら屋台へと駆け寄った。
「おじさん、このお肉二本ください! あ、それとそっちの木の実のジュースも!」
「はいよ、お兄さん! 仲の良い兄弟だねぇ。こっちはサービスしとくよ!」
恰幅の良い屋台の主人は、ユアンの屈託のない笑顔につられたのか、大盛りにした串焼きを差し出した。
ユアンは「ありがとうございます!」と元気よく受け取ると、一本をアルヴィスに手渡した。
「ほら、閣下。あーん……は恥ずかしいでしょうから、どうぞ!」
「…………」
アルヴィスは一瞬、周囲を気にするように視線を泳がせたが、ユアンの期待に満ちたアイスブルーの瞳に抗う術を持たなかった。
覚悟を決めてフードを僅かに上げ、串焼きを一口齧る。
「……美味いな」
「でしょう? 外で食べると、もっと美味しく感じますね」
ユアンは自分の分を頬張りながら、満足そうに目を細めた。
アルヴィスの体に宿る宿命的な熱は、この涼やかな夜風と、目の前の青年が放つ魔法のような多幸感によって、静かに凪いでいく。
かつて戦場で感じていた、焼け付くような渇き。それを潤してくれるのは、高位の治癒魔法でも契約による魔力供給でもなく、こうした「なんでもない時間」の共有なのだと、彼は知らず知らずのうちに理解し始めていた。
やがて、祭りのクライマックスである大舞踏が広場で始まった。
人々が手を取り合い、大きな輪になって踊り出す。人混みは一層激しさを増し、ユアンの体が揉まれそうになった、その時。
「わっ……!」
「危ないと言っただろう」
強い力で、腕を引かれた。
気づけばユアンの体は、アルヴィスの厚い胸板の中にすっぽりと収まっていた。
トクン、と大きな心臓の音が耳に届く。それは自分の音なのか、それともアルヴィスの音なのか、判別がつかない。
「……閣下?」
「はぐれたら面倒だ。……このままでいろ」
アルヴィスはユアンの手を、大きな手のひらで包み込んだ。
それは「冷却」のために触れる指先とは違う、強く、熱い、確かな意志を持った「握り方」だった。
「…………はい」
ユアンは小さく頷き、握り返した。
指先から伝わるアルヴィスの体温は、いつもより少しだけ高かった。けれど、不思議と不快ではない。むしろ、この熱がずっと続いてほしいとさえ願ってしまう。
二人はそのまま、踊りの輪から少し離れた静かな場所まで歩いた。
夜風がユアンの亜麻色の髪を揺らす。
「閣下、あの……」
「なんだ」
「僕、自分でお飾りの番だって思ってここに来ましたけど。……今のこの手、なんだかお飾りじゃないみたいで、嬉しいです」
ユアンが顔を赤らめて呟くと、アルヴィスは繋いだ手にギュッと力を込めた。
「……もう、そんな言葉は使うな。契約がどうあろうと、お前は私の……」
「私のものだ」と言いかけて、アルヴィスは言葉を飲み込んだ。
それは、執着を排すると決めていた彼にとって、踏み越えてはならない一線のような気がしたからだ。
だが、その代わりに彼は、ユアンの手を自身の頬へと持っていった。
「冷たいな、お前の手は。……ずっと、こうしていてくれ」
それは騎士王としてではなく、ただ一人の孤独な男としての、切実な願いだった。
ユアンは微笑み、空いた方の手で、優しくアルヴィスの頬を撫でた。
「『そよ風さん、閣下の夢を優しく守って』」
小さな魔法が二人を包み込む。
契約終了まで、残り300日。
「お飾り」という言葉は、秋の夜風に吹かれて、どこか遠くへと消えていった。
二人はその後、祭りが終わるまで一度も手を離すことはなかった。
城へ戻る馬車の中でも、重なった体温だけが、静かな夜の暗闇を温めていた。
昼間の活気とは打って変わり、夜の祭りはどこか幻想的で、大人びた空気を纏っている。広場では民族楽器の陽気なリズムに合わせて人々が踊り、家々の窓からは焼きたてのパンやスパイスの効いた肉料理の香りが溢れ出していた。
そんな喧騒の中に、深くフードを被った大柄な男と、その隣を楽しそうに歩く小柄な青年の姿があった。
アルヴィスとユアンだ。
「わあ、閣下、見てください! あっちの木には全部ランタンが飾られていますよ。まるでお星様が降りてきたみたいです」
ユアンは子供のように瞳を輝かせ、指をさした。
普段、城の中で植物と向き合っている時も穏やかで可愛いが、こうして外の世界に触れてはしゃいでいる姿は、アルヴィスの目にはさらに眩しく映る。
「……そうだな。だが、あまり前ばかり見て歩くな。足元が暗いぞ」
アルヴィスは低く落ち着いた声で窘めるが、その視線はユアンから片時も離れない。
彼は不器用ながらも、人混みがユアンにぶつからないよう、さりげなく自身の広い背中で波を遮っていた。フードで顔を隠してはいるものの、その隙間から覗く鋭い金色の瞳と圧倒的な存在感は、無意識に周囲の人々を遠ざける「道標」の役割を果たしている。
「あ、そうだ。閣下、お腹空いてませんか? さっきジーノさんが『祭りの串焼きは絶品だ』って言ってたんです」
「……またジーノか」
アルヴィスは僅かに眉を寄せた。厨房での「ひとり占め」から数日経つが、いまだにあの副料理長の名が出ると胸の奥がチリりと焼ける。
ユアンはそんな主の機嫌の変化に気づいているのかいないのか、「あはは」と笑いながら屋台へと駆け寄った。
「おじさん、このお肉二本ください! あ、それとそっちの木の実のジュースも!」
「はいよ、お兄さん! 仲の良い兄弟だねぇ。こっちはサービスしとくよ!」
恰幅の良い屋台の主人は、ユアンの屈託のない笑顔につられたのか、大盛りにした串焼きを差し出した。
ユアンは「ありがとうございます!」と元気よく受け取ると、一本をアルヴィスに手渡した。
「ほら、閣下。あーん……は恥ずかしいでしょうから、どうぞ!」
「…………」
アルヴィスは一瞬、周囲を気にするように視線を泳がせたが、ユアンの期待に満ちたアイスブルーの瞳に抗う術を持たなかった。
覚悟を決めてフードを僅かに上げ、串焼きを一口齧る。
「……美味いな」
「でしょう? 外で食べると、もっと美味しく感じますね」
ユアンは自分の分を頬張りながら、満足そうに目を細めた。
アルヴィスの体に宿る宿命的な熱は、この涼やかな夜風と、目の前の青年が放つ魔法のような多幸感によって、静かに凪いでいく。
かつて戦場で感じていた、焼け付くような渇き。それを潤してくれるのは、高位の治癒魔法でも契約による魔力供給でもなく、こうした「なんでもない時間」の共有なのだと、彼は知らず知らずのうちに理解し始めていた。
やがて、祭りのクライマックスである大舞踏が広場で始まった。
人々が手を取り合い、大きな輪になって踊り出す。人混みは一層激しさを増し、ユアンの体が揉まれそうになった、その時。
「わっ……!」
「危ないと言っただろう」
強い力で、腕を引かれた。
気づけばユアンの体は、アルヴィスの厚い胸板の中にすっぽりと収まっていた。
トクン、と大きな心臓の音が耳に届く。それは自分の音なのか、それともアルヴィスの音なのか、判別がつかない。
「……閣下?」
「はぐれたら面倒だ。……このままでいろ」
アルヴィスはユアンの手を、大きな手のひらで包み込んだ。
それは「冷却」のために触れる指先とは違う、強く、熱い、確かな意志を持った「握り方」だった。
「…………はい」
ユアンは小さく頷き、握り返した。
指先から伝わるアルヴィスの体温は、いつもより少しだけ高かった。けれど、不思議と不快ではない。むしろ、この熱がずっと続いてほしいとさえ願ってしまう。
二人はそのまま、踊りの輪から少し離れた静かな場所まで歩いた。
夜風がユアンの亜麻色の髪を揺らす。
「閣下、あの……」
「なんだ」
「僕、自分でお飾りの番だって思ってここに来ましたけど。……今のこの手、なんだかお飾りじゃないみたいで、嬉しいです」
ユアンが顔を赤らめて呟くと、アルヴィスは繋いだ手にギュッと力を込めた。
「……もう、そんな言葉は使うな。契約がどうあろうと、お前は私の……」
「私のものだ」と言いかけて、アルヴィスは言葉を飲み込んだ。
それは、執着を排すると決めていた彼にとって、踏み越えてはならない一線のような気がしたからだ。
だが、その代わりに彼は、ユアンの手を自身の頬へと持っていった。
「冷たいな、お前の手は。……ずっと、こうしていてくれ」
それは騎士王としてではなく、ただ一人の孤独な男としての、切実な願いだった。
ユアンは微笑み、空いた方の手で、優しくアルヴィスの頬を撫でた。
「『そよ風さん、閣下の夢を優しく守って』」
小さな魔法が二人を包み込む。
契約終了まで、残り300日。
「お飾り」という言葉は、秋の夜風に吹かれて、どこか遠くへと消えていった。
二人はその後、祭りが終わるまで一度も手を離すことはなかった。
城へ戻る馬車の中でも、重なった体温だけが、静かな夜の暗闇を温めていた。
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