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11話
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ロストック城に、隣国セレンディアからの特使一行が到着した。
表向きは収穫祭の祝辞と親睦のための訪問だが、実情は「冷徹な黒騎士」と恐れられるアルヴィスの動向を探るための偵察である。
特使のリーダーを務めるのは、**シルヴェスター・ド・マルク伯爵**。
彼はセレンディア国でも有数の魔導鑑定士であり、物事の本質を見抜く「鋭い審美眼」を持っていることで有名だった。
「お久しぶりですね、ロストック公爵。相変わらず、その身に纏う魔力の熱量は凄まじい。……おや?」
謁見の間で挨拶を交わしていたシルヴェスターが、ふと足を止めた。
彼の視線の先には、アルヴィスの傍らで緊張した面持ちで控えているユアンの姿があった。
「そちらの可愛らしい方は? もしや、噂に聞くマクレーン家の令息……あなたの『番』ですか」
「……ユアンだ。私の公的な契約相手として、ここに置いている」
アルヴィスは短く、突き放すように答えた。
しかし、シルヴェスターの目は獲物を見つけた鷹のように細められる。彼は優雅な足取りでユアンに近づくと、その細い手を慇懃に取って唇を寄せようとした。
「素晴らしい。……失礼ながら、ユアン様。あなたの指先から、類まれなる『癒やしと成長の波動』を感じます。……もしや、あの中庭に咲き誇る、季節外れの雪どけ草を育てたのはあなたですか?」
「えっ、あ、はい。僕の魔法は、風を送るだけなんですけど……」
ユアンが戸惑いながら答えると、シルヴェスターは芝居がかった仕草で嘆息した。
「謙遜を! あの花がこれほど活力に満ちて咲くのは、ただの魔法ではありません。植物の魂を愛し、寄り添う『聖なる緑の指』を持つ者にしか成し得ない奇跡だ。……ロストック公爵、このような至宝を『お飾り』として辺境に埋もれさせておくのは、大陸全体の損失ではありませんか?」
シルヴェスターの言葉に、謁見の間の空気が一瞬で凍りついた。
アルヴィスの周囲の陽炎が、怒りに反応して激しく揺らめく。
「……何が言いたい、特使」
「我が国セレンディアには、王立の薬草研究所がございます。そこには世界中の希少な植物が集まっておりますが、管理に苦慮しているものも多い。……どうでしょう、ユアン様。公爵との契約が終わった暁には、ぜひ我が国へいらっしゃいませんか? 最高の待遇と、あなただけの広大な温室を約束しましょう」
それは、明らかな「引き抜き」の提案だった。
ユアンは驚きで目を丸くした。自分のような地味な魔法使いが、他国の研究所に招かれるなんて考えもしなかったからだ。
「僕、そんな立派なところへ行けるような人間じゃ……」
「いいえ、あなたこそが相応しい。冷たい戦士の側にいるよりも、美しい花々に囲まれている方が、あなたも幸せでしょう?」
シルヴェスターがさらにユアンの肩に手を置こうとした、その時だった。
ドォォォォォン……!
物理的な衝撃波が走ったわけではない。
だが、アルヴィスから放たれた圧倒的な「威圧の熱」が、シルヴェスターの動きを完全に封じ込めた。
「そこまでにしろ。……特使」
アルヴィスが、一歩、前に出る。
彼は無言でユアンの腰を抱き寄せると、自身の大きな体で隠すようにして、シルヴェスターを冷酷な眼差しで見下ろした。
「ユアンの将来を決めるのは、ユアン自身だ。……だが、今は私の『番』であり、この城の主(あるじ)の一部だ。他国の者が、安易に触れていい存在ではない」
「……くっ。……公爵、顔が怖いですよ」
シルヴェスターは額に汗を浮かべ、ようやく一歩後退した。
黒騎士の逆鱗に触れることがこれほど恐ろしいものかと、身をもって知ったようだった。
「ユアン、行くぞ」
「わっ、閣下!? まだ特使の方とのお話が……」
「……冷却の時間だ。それ以上に重要なことなどない」
アルヴィスはユアンの返事も待たず、半分抱き上げるような形で彼を謁見の間から連れ出した。
残された騎士団や特使一行は、あまりの剣幕に声を出すことさえできなかった。
――執務室に戻るなり、アルヴィスはユアンをソファに座らせると、自身もその前に膝をついた。
「閣下……。さっきのは、少しやりすぎですよ。特使の方、震えてました」
「…………うるさい」
アルヴィスはユアンの両手を包み込み、自身の額をそこに押し当てた。
その体温は、いつになく高い。怒りのせいか、それとも――。
「……お前は、あんな男について行きたいのか。大きな温室が欲しいのか」
「そんなわけないじゃないですか。僕は、ここがいいんです。閣下がいて、バルトさんがいて、みんながいるここが……」
ユアンが困ったように笑うと、アルヴィスはさらに力を込めて手を握った。
「……契約が終わっても、行かせない。……どこにもだ」
「閣下?」
「……お前が望むなら、城の庭すべてを温室にしてもいい。私の全財産を投げ打って、世界中の種を買い集めてやろう。……だから、あんな奴の言葉に耳を貸すな」
それは、もはや「契約」という枠組みを完全に壊してしまった、剥き出しの独占欲だった。
ユアンは、初めて見るアルヴィスの必死な表情に、胸が締め付けられるような愛おしさを感じた。
不器用なこの人は、こうして直接的な言葉でしか、自分の「寂しさ」を表現できないのだ。
「ふふ、温室なんていりませんよ。僕、閣下と一緒に、このお庭を少しずつ育てていきたいんです。……だから、安心してくださいね?」
ユアンが自由になった片手で、アルヴィスの黒髪を優しく撫でる。
その瞬間、猛り狂っていたアルヴィスの熱が、嘘のように静まっていく。
「……誓え」
「はい。誓います。僕は、ずっと閣下の側にいます」
契約終了まで、残り280日。
公爵としての「お飾り」という建前は、この日、一人の特使の出現によって完全に崩壊した。
冷徹な騎士王は、自分でも気づかないうちに、ユアンという「風」がなければ息もできないほど、彼に深く溺れ始めていた。
表向きは収穫祭の祝辞と親睦のための訪問だが、実情は「冷徹な黒騎士」と恐れられるアルヴィスの動向を探るための偵察である。
特使のリーダーを務めるのは、**シルヴェスター・ド・マルク伯爵**。
彼はセレンディア国でも有数の魔導鑑定士であり、物事の本質を見抜く「鋭い審美眼」を持っていることで有名だった。
「お久しぶりですね、ロストック公爵。相変わらず、その身に纏う魔力の熱量は凄まじい。……おや?」
謁見の間で挨拶を交わしていたシルヴェスターが、ふと足を止めた。
彼の視線の先には、アルヴィスの傍らで緊張した面持ちで控えているユアンの姿があった。
「そちらの可愛らしい方は? もしや、噂に聞くマクレーン家の令息……あなたの『番』ですか」
「……ユアンだ。私の公的な契約相手として、ここに置いている」
アルヴィスは短く、突き放すように答えた。
しかし、シルヴェスターの目は獲物を見つけた鷹のように細められる。彼は優雅な足取りでユアンに近づくと、その細い手を慇懃に取って唇を寄せようとした。
「素晴らしい。……失礼ながら、ユアン様。あなたの指先から、類まれなる『癒やしと成長の波動』を感じます。……もしや、あの中庭に咲き誇る、季節外れの雪どけ草を育てたのはあなたですか?」
「えっ、あ、はい。僕の魔法は、風を送るだけなんですけど……」
ユアンが戸惑いながら答えると、シルヴェスターは芝居がかった仕草で嘆息した。
「謙遜を! あの花がこれほど活力に満ちて咲くのは、ただの魔法ではありません。植物の魂を愛し、寄り添う『聖なる緑の指』を持つ者にしか成し得ない奇跡だ。……ロストック公爵、このような至宝を『お飾り』として辺境に埋もれさせておくのは、大陸全体の損失ではありませんか?」
シルヴェスターの言葉に、謁見の間の空気が一瞬で凍りついた。
アルヴィスの周囲の陽炎が、怒りに反応して激しく揺らめく。
「……何が言いたい、特使」
「我が国セレンディアには、王立の薬草研究所がございます。そこには世界中の希少な植物が集まっておりますが、管理に苦慮しているものも多い。……どうでしょう、ユアン様。公爵との契約が終わった暁には、ぜひ我が国へいらっしゃいませんか? 最高の待遇と、あなただけの広大な温室を約束しましょう」
それは、明らかな「引き抜き」の提案だった。
ユアンは驚きで目を丸くした。自分のような地味な魔法使いが、他国の研究所に招かれるなんて考えもしなかったからだ。
「僕、そんな立派なところへ行けるような人間じゃ……」
「いいえ、あなたこそが相応しい。冷たい戦士の側にいるよりも、美しい花々に囲まれている方が、あなたも幸せでしょう?」
シルヴェスターがさらにユアンの肩に手を置こうとした、その時だった。
ドォォォォォン……!
物理的な衝撃波が走ったわけではない。
だが、アルヴィスから放たれた圧倒的な「威圧の熱」が、シルヴェスターの動きを完全に封じ込めた。
「そこまでにしろ。……特使」
アルヴィスが、一歩、前に出る。
彼は無言でユアンの腰を抱き寄せると、自身の大きな体で隠すようにして、シルヴェスターを冷酷な眼差しで見下ろした。
「ユアンの将来を決めるのは、ユアン自身だ。……だが、今は私の『番』であり、この城の主(あるじ)の一部だ。他国の者が、安易に触れていい存在ではない」
「……くっ。……公爵、顔が怖いですよ」
シルヴェスターは額に汗を浮かべ、ようやく一歩後退した。
黒騎士の逆鱗に触れることがこれほど恐ろしいものかと、身をもって知ったようだった。
「ユアン、行くぞ」
「わっ、閣下!? まだ特使の方とのお話が……」
「……冷却の時間だ。それ以上に重要なことなどない」
アルヴィスはユアンの返事も待たず、半分抱き上げるような形で彼を謁見の間から連れ出した。
残された騎士団や特使一行は、あまりの剣幕に声を出すことさえできなかった。
――執務室に戻るなり、アルヴィスはユアンをソファに座らせると、自身もその前に膝をついた。
「閣下……。さっきのは、少しやりすぎですよ。特使の方、震えてました」
「…………うるさい」
アルヴィスはユアンの両手を包み込み、自身の額をそこに押し当てた。
その体温は、いつになく高い。怒りのせいか、それとも――。
「……お前は、あんな男について行きたいのか。大きな温室が欲しいのか」
「そんなわけないじゃないですか。僕は、ここがいいんです。閣下がいて、バルトさんがいて、みんながいるここが……」
ユアンが困ったように笑うと、アルヴィスはさらに力を込めて手を握った。
「……契約が終わっても、行かせない。……どこにもだ」
「閣下?」
「……お前が望むなら、城の庭すべてを温室にしてもいい。私の全財産を投げ打って、世界中の種を買い集めてやろう。……だから、あんな奴の言葉に耳を貸すな」
それは、もはや「契約」という枠組みを完全に壊してしまった、剥き出しの独占欲だった。
ユアンは、初めて見るアルヴィスの必死な表情に、胸が締め付けられるような愛おしさを感じた。
不器用なこの人は、こうして直接的な言葉でしか、自分の「寂しさ」を表現できないのだ。
「ふふ、温室なんていりませんよ。僕、閣下と一緒に、このお庭を少しずつ育てていきたいんです。……だから、安心してくださいね?」
ユアンが自由になった片手で、アルヴィスの黒髪を優しく撫でる。
その瞬間、猛り狂っていたアルヴィスの熱が、嘘のように静まっていく。
「……誓え」
「はい。誓います。僕は、ずっと閣下の側にいます」
契約終了まで、残り280日。
公爵としての「お飾り」という建前は、この日、一人の特使の出現によって完全に崩壊した。
冷徹な騎士王は、自分でも気づかないうちに、ユアンという「風」がなければ息もできないほど、彼に深く溺れ始めていた。
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