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12話
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隣国の特使、シルヴェスター伯爵が去った後、ロストック城には奇妙な「お土産」が残されていた。
それは、真珠のように白く輝く、小さな三粒の種だった。
「これは『心鏡花(しんきょうか)』という、我が国の秘宝の種です。育てた者の魔力を吸い、花が咲く瞬間に、その者の『一番大切に想っている存在』の姿を花びらに映し出すと言われています」
去り際、シルヴェスターは嫌味なほど優雅な微笑を浮かべてユアンにそれを託したのだ。
「公爵閣下の隣にいるのが、本当にあなたで良いのか。この花が証明してくれるでしょう」という、余計なお節介を添えて。
ユアンは、中庭の特等席にその種を植えた。
本来なら放っておけばいいような代物だが、城中の使用人や騎士たちが「閣下の心に映るのは誰か」と興味津々になってしまい、今さら後に引けなくなったのである。
「ユアン様、今日も水やりですか。……で、どうなんです? 芽は出ましたか?」
背後から声をかけてきたのは、安定の副官リアムだ。彼は手すりに寄りかかり、ユアンが丹念に手入れをしている小さな植木鉢を覗き込んだ。
「あ、リアムさん。はい、今朝やっと小さな芽が出たところです。でも、なんだかこの子、すごくたくさん魔力を食べるみたいで……」
「ほう。それは楽しみだ。もし花びらに、どこぞの国の令嬢の顔なんて映ったら、閣下は切腹ものですねぇ」
「も、もう! 変なこと言わないでください。閣下は契約で僕を側に置いているだけなんですから」
ユアンは慌てて否定したが、胸の奥では小さな期待と、それ以上の不安が渦巻いていた。
もし、本当に別の誰かの姿が映ったら?
自分は「お飾り」だと割り切っていたはずなのに、最近のアルヴィスの優しさに、いつの間にか欲が出てしまっている。
その日の夜。
冷却の時間に訪れた執務室で、アルヴィスはいつになく落ち着かない様子だった。
「……ユアン。例の種はどうなった」
「えっ? あ、はい。芽が出ましたよ。閣下も気になりますか?」
「…………別に。ただ、変な魔法生物が城内で繁殖しては困ると思っただけだ」
見え透いた嘘だった。アルヴィスの視線は、手元の書類ではなく、明らかにユアンの指先――土をいじった名残の、わずかに汚れた爪先――に向いている。
「ねえ、閣下。もし、花が咲いて……そこに知らない誰かが映ったら、僕、どうしたらいいでしょう?」
ユアンが冗談めかして、けれど少しだけ真剣な声で尋ねると、アルヴィスはガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。
「そんなことはありえん!」
「わっ、びっくりした……。どうして言い切れるんですか?」
「それは……っ。……とにかく、ありえんのだ。その花が何を映そうと、気にする必要はない」
アルヴィスは顔を真っ赤にして、窓の外を向いた。
彼にとって、この花は恐怖の対象でしかなかった。もし自分の想いが――「お飾り」どころか、ユアンを一生この城に閉じ込めておきたいという、独占欲に塗れた自分の顔が映ってしまったら。
ユアンは自分を恐れて、逃げ出してしまうのではないか。
「……明日から、その鉢は私の部屋で管理する」
「ええっ!? だめですよ、僕の魔法じゃないと綺麗に咲かないってシルヴェスターさんも言ってましたし」
「ならば、お前が私の部屋に通えばいい。……いいな、これは命令だ」
強引な論法のすり替えだったが、アルヴィスの必死さに、ユアンは思わず吹き出してしまった。
「ふふ、分かりました。じゃあ、明日からは閣下のお部屋でお世話しますね」
それから数日。
『心鏡花』は、ユアンの丁寧な魔力供給とアルヴィスの(監視という名の)熱烈な視線を浴びて、驚異的な速度で成長した。
そしてついに、つぼみが膨らみ、今にも開きそうな夜がやってきた。
アルヴィスの寝室。
暖炉の火が静かに爆ぜる音だけが響く中、二人はテーブルの上に置かれた鉢植えをじっと見守っていた。
「……咲きそうです、閣下」
ユアンが指先から微風を送ると、つぼみがゆっくりと震え、純白の花びらが一枚、また一枚と解けていく。
城の伝説通りなら、この花びらの表面に、持ち主の「最愛」が浮かび上がるはずだ。
アルヴィスは息を止め、拳を握りしめていた。
ユアンもまた、祈るような気持ちで見つめる。
やがて、花が完全に開いた。
中心部から淡い光が放たれ、花びらの表面に水面のような揺らぎが生じる。
そこには――。
「…………あれ?」
ユアンが首を傾げた。
花びらに映し出されたのは、特定の誰かの「顔」ではなかった。
そこには、豊かな緑に溢れた『小さな薬草園』と、そこで楽しそうに笑う二人の影――背の高い男と、小柄な青年が肩を並べている後ろ姿が、淡く映し出されていた。
「これって……」
「…………」
アルヴィスは言葉を失った。
鏡が映したのは、過去の思い出でも、特定の個人でもなかった。
「こうありたい」と願う、二人の穏やかな未来の断片だった。
「……閣下の心には、あのお庭があったんですね」
ユアンが嬉しそうに呟くと、アルヴィスは深く、深く溜息をついた。
そして、照れ隠しのようにユアンの頭を乱暴に撫でる。
「……庭だけではない。……まあ、いい。あのような特使の言葉に惑わされた私が愚かだった」
「ふふ、閣下の『大切』の中に、僕も入っててよかったです。あ、見てください、後ろ姿の僕、すごく楽しそう」
ユアンは無邪気に花びらを指差すが、アルヴィスには分かっていた。
自分の心の中に映った「庭」には、ユアンという存在が不可欠であることを。彼がいない庭など、アルヴィスにとってはただの荒野と同じだということを。
「ユアン。……もう一度、言うぞ」
「はい?」
「……契約終了の日、お前を自由にするなどという約束、守れる自信がなくなってきた」
アルヴィスの低い声が、夜の静寂に溶ける。
ユアンは驚いて顔を上げたが、そこにあったのはいつもの冷酷な仮面ではなく、情熱と迷いを孕んだ、一人の男の瞳だった。
「…………僕も、自由になんてなりたくないかもしれません」
ユアンの小さな、けれど確かな答えに、アルヴィスの耳は今夜一番の赤さに染まった。
契約終了まで、残り270日。
不思議な花が映し出したのは、二人がまだ気づいていない「永遠」の予感だった。
それは、真珠のように白く輝く、小さな三粒の種だった。
「これは『心鏡花(しんきょうか)』という、我が国の秘宝の種です。育てた者の魔力を吸い、花が咲く瞬間に、その者の『一番大切に想っている存在』の姿を花びらに映し出すと言われています」
去り際、シルヴェスターは嫌味なほど優雅な微笑を浮かべてユアンにそれを託したのだ。
「公爵閣下の隣にいるのが、本当にあなたで良いのか。この花が証明してくれるでしょう」という、余計なお節介を添えて。
ユアンは、中庭の特等席にその種を植えた。
本来なら放っておけばいいような代物だが、城中の使用人や騎士たちが「閣下の心に映るのは誰か」と興味津々になってしまい、今さら後に引けなくなったのである。
「ユアン様、今日も水やりですか。……で、どうなんです? 芽は出ましたか?」
背後から声をかけてきたのは、安定の副官リアムだ。彼は手すりに寄りかかり、ユアンが丹念に手入れをしている小さな植木鉢を覗き込んだ。
「あ、リアムさん。はい、今朝やっと小さな芽が出たところです。でも、なんだかこの子、すごくたくさん魔力を食べるみたいで……」
「ほう。それは楽しみだ。もし花びらに、どこぞの国の令嬢の顔なんて映ったら、閣下は切腹ものですねぇ」
「も、もう! 変なこと言わないでください。閣下は契約で僕を側に置いているだけなんですから」
ユアンは慌てて否定したが、胸の奥では小さな期待と、それ以上の不安が渦巻いていた。
もし、本当に別の誰かの姿が映ったら?
自分は「お飾り」だと割り切っていたはずなのに、最近のアルヴィスの優しさに、いつの間にか欲が出てしまっている。
その日の夜。
冷却の時間に訪れた執務室で、アルヴィスはいつになく落ち着かない様子だった。
「……ユアン。例の種はどうなった」
「えっ? あ、はい。芽が出ましたよ。閣下も気になりますか?」
「…………別に。ただ、変な魔法生物が城内で繁殖しては困ると思っただけだ」
見え透いた嘘だった。アルヴィスの視線は、手元の書類ではなく、明らかにユアンの指先――土をいじった名残の、わずかに汚れた爪先――に向いている。
「ねえ、閣下。もし、花が咲いて……そこに知らない誰かが映ったら、僕、どうしたらいいでしょう?」
ユアンが冗談めかして、けれど少しだけ真剣な声で尋ねると、アルヴィスはガタッと椅子を鳴らして立ち上がった。
「そんなことはありえん!」
「わっ、びっくりした……。どうして言い切れるんですか?」
「それは……っ。……とにかく、ありえんのだ。その花が何を映そうと、気にする必要はない」
アルヴィスは顔を真っ赤にして、窓の外を向いた。
彼にとって、この花は恐怖の対象でしかなかった。もし自分の想いが――「お飾り」どころか、ユアンを一生この城に閉じ込めておきたいという、独占欲に塗れた自分の顔が映ってしまったら。
ユアンは自分を恐れて、逃げ出してしまうのではないか。
「……明日から、その鉢は私の部屋で管理する」
「ええっ!? だめですよ、僕の魔法じゃないと綺麗に咲かないってシルヴェスターさんも言ってましたし」
「ならば、お前が私の部屋に通えばいい。……いいな、これは命令だ」
強引な論法のすり替えだったが、アルヴィスの必死さに、ユアンは思わず吹き出してしまった。
「ふふ、分かりました。じゃあ、明日からは閣下のお部屋でお世話しますね」
それから数日。
『心鏡花』は、ユアンの丁寧な魔力供給とアルヴィスの(監視という名の)熱烈な視線を浴びて、驚異的な速度で成長した。
そしてついに、つぼみが膨らみ、今にも開きそうな夜がやってきた。
アルヴィスの寝室。
暖炉の火が静かに爆ぜる音だけが響く中、二人はテーブルの上に置かれた鉢植えをじっと見守っていた。
「……咲きそうです、閣下」
ユアンが指先から微風を送ると、つぼみがゆっくりと震え、純白の花びらが一枚、また一枚と解けていく。
城の伝説通りなら、この花びらの表面に、持ち主の「最愛」が浮かび上がるはずだ。
アルヴィスは息を止め、拳を握りしめていた。
ユアンもまた、祈るような気持ちで見つめる。
やがて、花が完全に開いた。
中心部から淡い光が放たれ、花びらの表面に水面のような揺らぎが生じる。
そこには――。
「…………あれ?」
ユアンが首を傾げた。
花びらに映し出されたのは、特定の誰かの「顔」ではなかった。
そこには、豊かな緑に溢れた『小さな薬草園』と、そこで楽しそうに笑う二人の影――背の高い男と、小柄な青年が肩を並べている後ろ姿が、淡く映し出されていた。
「これって……」
「…………」
アルヴィスは言葉を失った。
鏡が映したのは、過去の思い出でも、特定の個人でもなかった。
「こうありたい」と願う、二人の穏やかな未来の断片だった。
「……閣下の心には、あのお庭があったんですね」
ユアンが嬉しそうに呟くと、アルヴィスは深く、深く溜息をついた。
そして、照れ隠しのようにユアンの頭を乱暴に撫でる。
「……庭だけではない。……まあ、いい。あのような特使の言葉に惑わされた私が愚かだった」
「ふふ、閣下の『大切』の中に、僕も入っててよかったです。あ、見てください、後ろ姿の僕、すごく楽しそう」
ユアンは無邪気に花びらを指差すが、アルヴィスには分かっていた。
自分の心の中に映った「庭」には、ユアンという存在が不可欠であることを。彼がいない庭など、アルヴィスにとってはただの荒野と同じだということを。
「ユアン。……もう一度、言うぞ」
「はい?」
「……契約終了の日、お前を自由にするなどという約束、守れる自信がなくなってきた」
アルヴィスの低い声が、夜の静寂に溶ける。
ユアンは驚いて顔を上げたが、そこにあったのはいつもの冷酷な仮面ではなく、情熱と迷いを孕んだ、一人の男の瞳だった。
「…………僕も、自由になんてなりたくないかもしれません」
ユアンの小さな、けれど確かな答えに、アルヴィスの耳は今夜一番の赤さに染まった。
契約終了まで、残り270日。
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