25 / 28
25話
しおりを挟む
深紅と黄金の光を放った『共鳴の恋蓮』の余韻が残る翌朝、ロストック城の厨房裏にある広大な実験農場では、シリル教授の絶叫に近い歓声が響き渡っていた。
「見たまえ、アルヴィス! 奇跡だ、歴史が動いたぞ! 雪の下で凍りついていたはずの『大地の恵み(カブラ)』が、ユアン君の微風を受けただけで、まるで春の陽光を浴びたように丸々と太り、栄養価も通常の五倍を記録している!」
シリルが泥だらけの手で掲げたのは、冬の北国ではお目にかかれないほど瑞々しく輝く野菜だった。ユアンは傍らで照れくさそうに笑いながら、指先からふわりと温かな風を放ち、次々と土を持ち上げて収穫を助けていく。
「シリルさんの研究のおかげです。僕はただ、土の中の種たちが『寒いよ』って言っているのを、アルヴィス様の魔力を借りて温めてあげただけですから」
「その『だけ』が国家予算レベルの価値なんだよ、ユアン君! さあ、これを今日、城下の広場で領民たちに配ろう。冬の食糧不足に喘ぐ彼らにとって、君はまさに救いの天使だ」
シリルの提案に、アルヴィスは不機嫌そうに鼻を鳴らした。彼は収穫作業には一切加わらず、ただひたすらにユアンの背後に立ち、その細い腰に手を添えて、飛んでくる土の粒さえもマントで遮断している。
「……天使だと? 冗談ではない。ユアンを衆目に晒すなど、本来であれば許しがたい暴挙だ。あのような慈愛に満ちた表情を不特定多数に向けさせるのは、私の精神衛生上よろしくない」
「閣下、またそうやって独占欲をこじらせないでください。領民たちは飢えているんです。奥様の慈悲を見せる絶好の機会ですよ」
背後で収穫袋を運んでいたリアムの冷静な指摘に、アルヴィスは「……一時間だけだ」と苦々しく同意した。
数時間後。ロストック城下の広場は、これまでにない熱気に包まれていた。
中央に設置された特設の配布台に、ユアンが白い毛皮の襟巻きを巻いて現れると、集まった領民たちから、どよめきのような感嘆の声が上がった。
「ああ……なんてお綺麗な方だ。あの方が、閣下の呪いを解いたという『風の番』様か」
「見てくれ、あの野菜を! 冬なのに、あんなに青々としているなんて……」
ユアンは一人一人の領民と目を合わせ、丁寧に野菜を手渡していく。
「大丈夫ですよ、ゆっくり食べてくださいね。このお野菜には、ロストックの冬を乗り越えるための力がたっぷり詰まっていますから」
その微笑み、その声、そして彼が動くたびに周囲に漂う清々しいハーブの香り。寒さに凍えていた領民たちにとって、ユアンはもはやただの公爵夫人ではなく、天から舞い降りた『冬の聖者』そのものに見えていた。
「聖者様……! ありがとうございます、これで子供たちに腹一杯食べさせてやれます!」
一人の老婆が感極まり、ユアンの手に縋り付こうとした。
その瞬間、広場の気温が物理的に五度ほど下がったかのような錯覚を誰もが覚えた。
「……私の妻に触れるな」
一歩、地を震わせるような足取りでアルヴィスが前に出た。
彼はユアンを背後に隠すと、漆黒の外套を広げ、領民たちを射抜くような鋭い金色の瞳で睥睨した。その姿は、最愛の宝物を守るために牙を剥く凶暴な守護龍そのものだ。
「ひ、ひぃっ……! 閣下、申し訳ございません!」
「アルヴィス! 怖がらせちゃダメですよ。皆さんは喜んでくれているんですから」
ユアンが慌ててアルヴィスの腕を掴んで宥めるが、アルヴィスの独占欲は一度火がつくと止まらない。
「喜ぶのは勝手だが、崇めるのは私の許可がいる。……ユアン、もう十分だろう。これ以上お前の笑顔を他人に安売りされては、私の忍耐が限界を迎える」
「安売りだなんて……。皆さん、困っていたんですよ?」
「困っているなら野菜をやればいい。……だが、お前の視線も、言葉も、その温かな風も、本来は私一人のために捧げられるべきものだ」
アルヴィスは衆人環視の中、ユアンをひょいと横抱きにした。広場からは「おおお……!」という、畏怖と羨望が混ざり合ったようなどよめきが上がる。
「あ、アルヴィス! 恥ずかしいです、降ろしてください!」
「断る。……リアム、残りの配布は任せた。私はユアンを連れて城へ戻る。……こいつが今、他人に向けた微笑みの分だけ、私の部屋で『埋め合わせ』をしてもらう必要があるからな」
「はいはい、了解しましたよ。お熱いことで」
リアムが溜息をつきながら野菜の袋を捌き始めるのを尻目に、アルヴィスはユアンを抱えたまま、迷いのない足取りで馬車へと向かった。
城へ戻る馬車の中で、アルヴィスはユアンを自分の膝の上に座らせ、逃げられないようにしっかりと腕を回した。
「……アルヴィス。今日のは少し横暴ですよ。領民の皆さんに申し訳ないです」
「……お前が聖者のように美しすぎるのが悪い。……あの場にいた男たちの半分以上が、お前に見惚れていた。……その事実だけで、私はあの広場ごと焼き尽くしたい衝動を抑えていたのだぞ」
アルヴィスはユアンの首筋に顔を埋め、深く、低く唸った。
ユアンは、その独占欲の重さに溜息をつきつつも、自分に向けられるこの強烈な執着が、心地よい安らぎに変わり始めていることに気づいていた。
「……ふふ。分かりました。……そんなに怖がらなくても、僕の風は、いつでもアルヴィスと一緒にいたいって言っていますよ」
ユアンがアルヴィスの頬を両手で包み、そっと口づけを落とすと、最強の騎士王は一瞬にして毒気を抜かれたように大人しくなった。
「…………今夜は、一歩も部屋から出さない。いいな」
「……はい。約束します、僕の旦那様」
冬の夕闇が迫るロストック城。
領民に希望を届けた聖者と、その聖者を誰にも渡したくないと願う守護龍は、今日も甘やかな熱に浮かされながら、二人の時間を刻んでいく。
「見たまえ、アルヴィス! 奇跡だ、歴史が動いたぞ! 雪の下で凍りついていたはずの『大地の恵み(カブラ)』が、ユアン君の微風を受けただけで、まるで春の陽光を浴びたように丸々と太り、栄養価も通常の五倍を記録している!」
シリルが泥だらけの手で掲げたのは、冬の北国ではお目にかかれないほど瑞々しく輝く野菜だった。ユアンは傍らで照れくさそうに笑いながら、指先からふわりと温かな風を放ち、次々と土を持ち上げて収穫を助けていく。
「シリルさんの研究のおかげです。僕はただ、土の中の種たちが『寒いよ』って言っているのを、アルヴィス様の魔力を借りて温めてあげただけですから」
「その『だけ』が国家予算レベルの価値なんだよ、ユアン君! さあ、これを今日、城下の広場で領民たちに配ろう。冬の食糧不足に喘ぐ彼らにとって、君はまさに救いの天使だ」
シリルの提案に、アルヴィスは不機嫌そうに鼻を鳴らした。彼は収穫作業には一切加わらず、ただひたすらにユアンの背後に立ち、その細い腰に手を添えて、飛んでくる土の粒さえもマントで遮断している。
「……天使だと? 冗談ではない。ユアンを衆目に晒すなど、本来であれば許しがたい暴挙だ。あのような慈愛に満ちた表情を不特定多数に向けさせるのは、私の精神衛生上よろしくない」
「閣下、またそうやって独占欲をこじらせないでください。領民たちは飢えているんです。奥様の慈悲を見せる絶好の機会ですよ」
背後で収穫袋を運んでいたリアムの冷静な指摘に、アルヴィスは「……一時間だけだ」と苦々しく同意した。
数時間後。ロストック城下の広場は、これまでにない熱気に包まれていた。
中央に設置された特設の配布台に、ユアンが白い毛皮の襟巻きを巻いて現れると、集まった領民たちから、どよめきのような感嘆の声が上がった。
「ああ……なんてお綺麗な方だ。あの方が、閣下の呪いを解いたという『風の番』様か」
「見てくれ、あの野菜を! 冬なのに、あんなに青々としているなんて……」
ユアンは一人一人の領民と目を合わせ、丁寧に野菜を手渡していく。
「大丈夫ですよ、ゆっくり食べてくださいね。このお野菜には、ロストックの冬を乗り越えるための力がたっぷり詰まっていますから」
その微笑み、その声、そして彼が動くたびに周囲に漂う清々しいハーブの香り。寒さに凍えていた領民たちにとって、ユアンはもはやただの公爵夫人ではなく、天から舞い降りた『冬の聖者』そのものに見えていた。
「聖者様……! ありがとうございます、これで子供たちに腹一杯食べさせてやれます!」
一人の老婆が感極まり、ユアンの手に縋り付こうとした。
その瞬間、広場の気温が物理的に五度ほど下がったかのような錯覚を誰もが覚えた。
「……私の妻に触れるな」
一歩、地を震わせるような足取りでアルヴィスが前に出た。
彼はユアンを背後に隠すと、漆黒の外套を広げ、領民たちを射抜くような鋭い金色の瞳で睥睨した。その姿は、最愛の宝物を守るために牙を剥く凶暴な守護龍そのものだ。
「ひ、ひぃっ……! 閣下、申し訳ございません!」
「アルヴィス! 怖がらせちゃダメですよ。皆さんは喜んでくれているんですから」
ユアンが慌ててアルヴィスの腕を掴んで宥めるが、アルヴィスの独占欲は一度火がつくと止まらない。
「喜ぶのは勝手だが、崇めるのは私の許可がいる。……ユアン、もう十分だろう。これ以上お前の笑顔を他人に安売りされては、私の忍耐が限界を迎える」
「安売りだなんて……。皆さん、困っていたんですよ?」
「困っているなら野菜をやればいい。……だが、お前の視線も、言葉も、その温かな風も、本来は私一人のために捧げられるべきものだ」
アルヴィスは衆人環視の中、ユアンをひょいと横抱きにした。広場からは「おおお……!」という、畏怖と羨望が混ざり合ったようなどよめきが上がる。
「あ、アルヴィス! 恥ずかしいです、降ろしてください!」
「断る。……リアム、残りの配布は任せた。私はユアンを連れて城へ戻る。……こいつが今、他人に向けた微笑みの分だけ、私の部屋で『埋め合わせ』をしてもらう必要があるからな」
「はいはい、了解しましたよ。お熱いことで」
リアムが溜息をつきながら野菜の袋を捌き始めるのを尻目に、アルヴィスはユアンを抱えたまま、迷いのない足取りで馬車へと向かった。
城へ戻る馬車の中で、アルヴィスはユアンを自分の膝の上に座らせ、逃げられないようにしっかりと腕を回した。
「……アルヴィス。今日のは少し横暴ですよ。領民の皆さんに申し訳ないです」
「……お前が聖者のように美しすぎるのが悪い。……あの場にいた男たちの半分以上が、お前に見惚れていた。……その事実だけで、私はあの広場ごと焼き尽くしたい衝動を抑えていたのだぞ」
アルヴィスはユアンの首筋に顔を埋め、深く、低く唸った。
ユアンは、その独占欲の重さに溜息をつきつつも、自分に向けられるこの強烈な執着が、心地よい安らぎに変わり始めていることに気づいていた。
「……ふふ。分かりました。……そんなに怖がらなくても、僕の風は、いつでもアルヴィスと一緒にいたいって言っていますよ」
ユアンがアルヴィスの頬を両手で包み、そっと口づけを落とすと、最強の騎士王は一瞬にして毒気を抜かれたように大人しくなった。
「…………今夜は、一歩も部屋から出さない。いいな」
「……はい。約束します、僕の旦那様」
冬の夕闇が迫るロストック城。
領民に希望を届けた聖者と、その聖者を誰にも渡したくないと願う守護龍は、今日も甘やかな熱に浮かされながら、二人の時間を刻んでいく。
0
あなたにおすすめの小説
【16話完結】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている
キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。
今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。
魔法と剣が支配するリオセルト大陸。
平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。
過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。
すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。
――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。
切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。
お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /チャッピー
AI比較企画作品
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
BL
「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
王命で第二王子と婚姻だそうです(王子目線追加)
かのこkanoko
BL
第二王子と婚姻せよ。
はい?
自分、末端貴族の冴えない魔法使いですが?
しかも、男なんですが?
BL初挑戦!
ヌルイです。
王子目線追加しました。
沢山の方に読んでいただき、感謝します!!
6月3日、BL部門日間1位になりました。
ありがとうございます!!!
君に望むは僕の弔辞
爺誤
BL
僕は生まれつき身体が弱かった。父の期待に応えられなかった僕は屋敷のなかで打ち捨てられて、早く死んでしまいたいばかりだった。姉の成人で賑わう屋敷のなか、鍵のかけられた部屋で悲しみに押しつぶされかけた僕は、迷い込んだ客人に外に出してもらった。そこで自分の可能性を知り、希望を抱いた……。
全9話
匂わせBL(エ◻︎なし)。死ネタ注意
表紙はあいえだ様!!
小説家になろうにも投稿
オメガはオメガらしく生きろなんて耐えられない
子犬一 はぁて
BL
「オメガはオメガらしく生きろ」
家を追われオメガ寮で育ったΩは、見合いの席で名家の年上αに身請けされる。
無骨だが優しく、Ωとしてではなく一人の人間として扱ってくれる彼に初めて恋をした。
しかし幸せな日々は突然終わり、二人は別れることになる。
5年後、雪の夜。彼と再会する。
「もう離さない」
再び抱きしめられたら、僕はもうこの人の傍にいることが自分の幸せなんだと気づいた。
彼は温かい手のひらを持つ人だった。
身分差×年上アルファ×溺愛再会BL短編。
黄色い水仙を君に贈る
えんがわ
BL
──────────
「ねぇ、別れよっか……俺たち……。」
「ああ、そうだな」
「っ……ばいばい……」
俺は……ただっ……
「うわああああああああ!」
君に愛して欲しかっただけなのに……
いい加減観念して結婚してください
彩根梨愛
BL
平凡なオメガが成り行きで決まった婚約解消予定のアルファに結婚を迫られる話
元々ショートショートでしたが、続編を書きましたので短編になりました。
2025/05/05時点でBL18位ありがとうございます。
作者自身驚いていますが、お楽しみ頂き光栄です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる