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2話
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王宮の地下牢。
そこは、冷たく湿った石壁に囲まれ、わずかな松明の光だけが揺れる絶望の場所――のはずだった。
「……はぁ、尊い。空気が美味い。アルス様がさっきまでここに立っていたという事実だけで、この牢獄はもはや聖域(サンクチュアリ)だ」
俺、セシル・フォン・ローゼンバーグは、鉄格子の内側で床に転がりながら、天を仰いでいた。
本来なら、今頃俺の首と胴体は「さよならバイバイ」していたはずだ。
だが、土壇場での「推しへの愛の告白(物理)」が功を奏したのか、なぜか処刑は延期。
現在は『精神鑑定を含めた一時拘留』という、よくわからないステータスになっている。
前世の知識によれば、このゲームでのセシルは、この地下牢で絶望し、さらにアルスを呪う言葉を吐き散らして、最後は無惨に処刑される。
しかし、今の俺には呪う理由など微塵もない。
(むしろ、あのアルス様の困惑した顔……。レアすぎる。運営、神アプデありがとう……!)
俺が牢獄の中で「グフフ」と不審な笑みを漏らしていると、カツ、カツと硬い靴音が響いてきた。
この足音、リズム、適度な重み。間違いない。
「……セシル。生きているか」
鉄格子の向こう側に、光を背負って立つ長身の影。
アルス・ヴァン・クロムウェルその人だ。
彼は、先ほどまでの殺気立った鎧姿ではなく、少しだけ着崩した軍服姿だった。
(ぎゃああああ! オフモードの軍服アルス様だ! 第3章のイベントスチルでしか拝めなかった幻の姿!)
俺はバネ仕掛けのように跳ね起き、鉄格子に顔を押し付けた。
「アルス様! わざわざ僕に会いに来てくださるなんて……! もしかして、僕を殺す準備が整ったのですか? それとも、あまりの僕の美しさに、独房で一晩中愛でたくなったとか!?」
「……黙れ。貴様に食事を運ばせに来ただけだ」
アルスが冷たく言い放つ。
その後ろから、震える手でトレイを持った若い兵士がおずおずと差し出してきた。
中身は、硬そうなパンとスープ。いかにも罪人用の食事だ。
だが、俺の目はパンではなく、アルスの指先に釘付けだった。
「アルス様……その指、どうされたのですか?」
アルスの白い手袋の隙間、人差し指に小さな赤い切り傷があるのを見逃さなかった。
アルスは一瞬、眉をひそめて自分の手を見た。
「……訓練中に、部下の剣がかすっただけだ。貴様には関係ない」
「関係なくないです! 大事です! 世界の損失です! その傷からこぼれた血の滴で、新種の薔薇が咲くレベルですよ!? 誰ですか、そんな不敬なことをした部下は! 今すぐ僕と代わってください、僕が盾になります!」
「……貴様、本気で何を言っているんだ?」
アルスの銀色の瞳に、再び「理解不能」という色が混じる。
冷酷な騎士として、数々の戦場を潜り抜けてきた彼にとって、死を目前にして自分の小さな傷を案じる男など、未知との遭遇でしかないのだろう。
俺は鉄格子の隙間から手を伸ばし、祈るように胸の前で組んだ。
「アルス様、お願いです。その傷、僕に舐めさせて……じゃなくて、手当をさせてください! この地下牢の隅に、僕のシャツを裂いた布があります。洗濯してないのでちょっとアレですが、心はこもっています!」
「断る。不潔だ」
「ひどい! でもその拒絶、ゾクゾクします!」
アルスは、大きなため息をついた。
彼は鉄格子に近づくと、低い声で囁いた。
「……セシル。貴様は、死が怖くないのか? 演技にしては、度が過ぎているぞ」
その声は、先ほどまでの蔑みとは少し違っていた。
わずかな好奇心、あるいは、計り知れないものに対する警戒心。
俺は、一瞬だけ「オタク」の顔を捨て、元営業職の真剣な顔で彼を見つめた。
「怖いですよ、アルス様。でも、あなたに嫌われたまま死ぬのは、死ぬよりも何万倍も怖いんです。だから、僕が決めたんです。あなたに愛されるまで、死ぬのをやめることにしました」
「…………」
アルスは絶句した。
頬が、松明の明かりのせいか、わずかに赤く染まっているように見える。
(お? これ、フラグ立ったんじゃない? 攻略サイトに載ってないルート突入したんじゃない!?)
「勝手にしろ。……明日の朝まで、その首がつながっていることを祈るんだな」
アルスは背を向け、足早に去っていった。
その後ろ姿は、心なしかいつもより歩幅が広い気がする。
俺は、冷めきったスープを飲み干しながら、確かな手応えを感じていた。
アルファポリスのランキングを駆け上がるなら、まずは攻めの心を揺さぶってナンボだ。
「よし、次は『毒見』と称してアルス様の食事を奪い取るイベントを発生させよう……」
地下牢の夜は、意外にも希望に満ちていた。
そこは、冷たく湿った石壁に囲まれ、わずかな松明の光だけが揺れる絶望の場所――のはずだった。
「……はぁ、尊い。空気が美味い。アルス様がさっきまでここに立っていたという事実だけで、この牢獄はもはや聖域(サンクチュアリ)だ」
俺、セシル・フォン・ローゼンバーグは、鉄格子の内側で床に転がりながら、天を仰いでいた。
本来なら、今頃俺の首と胴体は「さよならバイバイ」していたはずだ。
だが、土壇場での「推しへの愛の告白(物理)」が功を奏したのか、なぜか処刑は延期。
現在は『精神鑑定を含めた一時拘留』という、よくわからないステータスになっている。
前世の知識によれば、このゲームでのセシルは、この地下牢で絶望し、さらにアルスを呪う言葉を吐き散らして、最後は無惨に処刑される。
しかし、今の俺には呪う理由など微塵もない。
(むしろ、あのアルス様の困惑した顔……。レアすぎる。運営、神アプデありがとう……!)
俺が牢獄の中で「グフフ」と不審な笑みを漏らしていると、カツ、カツと硬い靴音が響いてきた。
この足音、リズム、適度な重み。間違いない。
「……セシル。生きているか」
鉄格子の向こう側に、光を背負って立つ長身の影。
アルス・ヴァン・クロムウェルその人だ。
彼は、先ほどまでの殺気立った鎧姿ではなく、少しだけ着崩した軍服姿だった。
(ぎゃああああ! オフモードの軍服アルス様だ! 第3章のイベントスチルでしか拝めなかった幻の姿!)
俺はバネ仕掛けのように跳ね起き、鉄格子に顔を押し付けた。
「アルス様! わざわざ僕に会いに来てくださるなんて……! もしかして、僕を殺す準備が整ったのですか? それとも、あまりの僕の美しさに、独房で一晩中愛でたくなったとか!?」
「……黙れ。貴様に食事を運ばせに来ただけだ」
アルスが冷たく言い放つ。
その後ろから、震える手でトレイを持った若い兵士がおずおずと差し出してきた。
中身は、硬そうなパンとスープ。いかにも罪人用の食事だ。
だが、俺の目はパンではなく、アルスの指先に釘付けだった。
「アルス様……その指、どうされたのですか?」
アルスの白い手袋の隙間、人差し指に小さな赤い切り傷があるのを見逃さなかった。
アルスは一瞬、眉をひそめて自分の手を見た。
「……訓練中に、部下の剣がかすっただけだ。貴様には関係ない」
「関係なくないです! 大事です! 世界の損失です! その傷からこぼれた血の滴で、新種の薔薇が咲くレベルですよ!? 誰ですか、そんな不敬なことをした部下は! 今すぐ僕と代わってください、僕が盾になります!」
「……貴様、本気で何を言っているんだ?」
アルスの銀色の瞳に、再び「理解不能」という色が混じる。
冷酷な騎士として、数々の戦場を潜り抜けてきた彼にとって、死を目前にして自分の小さな傷を案じる男など、未知との遭遇でしかないのだろう。
俺は鉄格子の隙間から手を伸ばし、祈るように胸の前で組んだ。
「アルス様、お願いです。その傷、僕に舐めさせて……じゃなくて、手当をさせてください! この地下牢の隅に、僕のシャツを裂いた布があります。洗濯してないのでちょっとアレですが、心はこもっています!」
「断る。不潔だ」
「ひどい! でもその拒絶、ゾクゾクします!」
アルスは、大きなため息をついた。
彼は鉄格子に近づくと、低い声で囁いた。
「……セシル。貴様は、死が怖くないのか? 演技にしては、度が過ぎているぞ」
その声は、先ほどまでの蔑みとは少し違っていた。
わずかな好奇心、あるいは、計り知れないものに対する警戒心。
俺は、一瞬だけ「オタク」の顔を捨て、元営業職の真剣な顔で彼を見つめた。
「怖いですよ、アルス様。でも、あなたに嫌われたまま死ぬのは、死ぬよりも何万倍も怖いんです。だから、僕が決めたんです。あなたに愛されるまで、死ぬのをやめることにしました」
「…………」
アルスは絶句した。
頬が、松明の明かりのせいか、わずかに赤く染まっているように見える。
(お? これ、フラグ立ったんじゃない? 攻略サイトに載ってないルート突入したんじゃない!?)
「勝手にしろ。……明日の朝まで、その首がつながっていることを祈るんだな」
アルスは背を向け、足早に去っていった。
その後ろ姿は、心なしかいつもより歩幅が広い気がする。
俺は、冷めきったスープを飲み干しながら、確かな手応えを感じていた。
アルファポリスのランキングを駆け上がるなら、まずは攻めの心を揺さぶってナンボだ。
「よし、次は『毒見』と称してアルス様の食事を奪い取るイベントを発生させよう……」
地下牢の夜は、意外にも希望に満ちていた。
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