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3話
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地下牢での二日目の朝。
カビ臭い空気にも慣れ、推しの足音を聞き分ける修行に励んでいた俺の前に、再び「彼」が現れた。
ただし、今日は一人ではない。
王宮の文官数名を連れ、何やら分厚い書類を手にしている。
「セシル・フォン・ローゼンバーグ。貴様の処刑は、無期限で延期された」
アルスの冷徹な声が地下牢に響く。
俺は鉄格子に食らいつき、潤んだ瞳で彼を見上げた。
「無期限延期……! つまり、僕はこれからもアルス様と同じ空気を吸い続けても良いということですか!? ありがとうございます、神様、仏様、アルス様!」
「勘違いするな。貴様の精神状態に異常が見られるため、即時の処刑は『騎士道の慈悲に反する』との判断が下されただけだ。……全くだ、貴様のせいで余計な手間が増えた」
アルスは心底忌々しそうに吐き捨てたが、その耳たぶがほんのりと赤い。
(おや? もしかしてアルス様、上層部に掛け合ってくれたんじゃないの? 「あいつは狂ってるから殺す価値もない」とか適当な理由をつけて。……尊い。ツンデレの極みだ)
「そこでだ。貴様の身元は、我がクロムウェル家が預かることになった。王都から出すわけにはいかないからな。今日から貴様は、近衛騎士団の『特別雑用係』として、俺の監視下で働く。……異論はあるか?」
「異論なんてあるわけないじゃないですか! むしろ給料を払わせてください! 推しの職場で職住接近、福利厚生がアルス様とか、どんな前世の徳を積めばそんなボーナスステージに突入できるんですか!?」
「……相変わらず、何を言っているのかさっぱりわからん」
アルスはこめかみを押さえ、重い鉄格子の鍵を開けた。
ガチャン、という音が、俺の破滅フラグが折れた音に聞こえた。
地下牢を出て、数日ぶりに浴びる太陽の光。
眩しさに目を細める俺の隣で、アルスが不意に足を止めた。
「おい、セシル」
「はい、何でしょう、我が主君(マイ・ロード)!」
「……その、ボロボロの格好で歩くな。騎士団の品位に関わる。これを使え」
そう言ってアルスが差し出してきたのは、彼がいつも羽織っているものと同じ、深い紺色の騎士団用マントだった。
しかも、今さっきまで彼が身につけていた形跡がある。……つまり、温かい。
(……待って。これ、実質的にアルス様に包まれていると言っても過言ではないのでは? むしろこれは『俺の女(男)だ』というマーキングでは!?)
俺は震える手でマントを受け取ると、迷わず顔を埋めて深呼吸した。
「ふはぁ……アルス様の香りがする……。白銀の雪山と、わずかな革製品の匂い……これ、香水にして売ったら国庫が潤いますよ……」
「貴様ッ!! 嗅ぐなと言っているだろうが! 変態か!」
「変態ではありません、ファンです! 狂信的なタイプの!」
「同じことだ!」
アルスの怒号が王宮の中庭に響き渡る。
通りすがりの騎士たちが「あの氷のアルス副団長があんなに感情を露わにするなんて……」と驚愕の表情でこちらを見ている。
こうして、俺の「騎士団雑用係」としての生活が始まった。
仕事内容は、アルスの執務室の掃除、防具の手入れ、そして――。
「セシル、茶を淹れろ。……昨日の、あの妙に美味い茶だ」
執務机に向かいながら、アルスが顔も上げずに命じる。
本来、貴族の令息である俺に茶を淹れさせるなどあり得ない話だが、俺は前世の社畜スキルをフル活用し、最高の一杯を差し出した。
「はい、アルス様。お疲れのようですから、リラックス効果のあるハーブをブレンドしておきました。どうぞ、僕の愛もたっぷり注いでおきましたので」
「……愛は要らんと言ったはずだ」
文句を言いつつも、アルスは茶を口にする。
その瞬間、彼の険しい眉間の皺が、ふっと緩んだ。
その無防備な表情を見た瞬間、俺の胸がドクンと跳ねた。
(いけない……。推しを愛でるだけのつもりだったのに。この人、近くで見ると破壊力が強すぎる……)
「……どうした、セシル。俺の顔に何かついているか?」
アルスが不審そうにこちらを覗き込んでくる。
長い睫毛、銀色の瞳。
その距離、わずか20センチ。
「……いえ。アルス様の顔が、あまりにも良すぎて、視神経が焼き切れそうになっただけです」
「……もういい。掃除に戻れ」
アルスは顔を背けたが、赤くなった首筋までは隠せていなかった。
どうやら、彼の方も少しずつ、俺の「異常な距離感」に毒され始めているらしい。
その日の夜。
俺に与えられた部屋は、なんとアルスの自室のすぐ隣だった。
壁一枚隔てた向こう側に推しが寝ている。
そんな状況で、安眠できるはずがない。
俺は壁に耳を当て、「……今日、あいつに茶を淹れさせたのは間違いだったか……? いや、だが……」というアルスの独り言をキャッチし、ガッツポーズを決めた。
「よし。次は『アルス様の入浴中にお背中流しに参上しました』イベントだな。命のスペア、何個あっても足りないけど、やるしかない!」
セシルの勘違いと、アルスの無自覚な執着。
二人の奇妙な共同生活は、まだ始まったばかりだった。
カビ臭い空気にも慣れ、推しの足音を聞き分ける修行に励んでいた俺の前に、再び「彼」が現れた。
ただし、今日は一人ではない。
王宮の文官数名を連れ、何やら分厚い書類を手にしている。
「セシル・フォン・ローゼンバーグ。貴様の処刑は、無期限で延期された」
アルスの冷徹な声が地下牢に響く。
俺は鉄格子に食らいつき、潤んだ瞳で彼を見上げた。
「無期限延期……! つまり、僕はこれからもアルス様と同じ空気を吸い続けても良いということですか!? ありがとうございます、神様、仏様、アルス様!」
「勘違いするな。貴様の精神状態に異常が見られるため、即時の処刑は『騎士道の慈悲に反する』との判断が下されただけだ。……全くだ、貴様のせいで余計な手間が増えた」
アルスは心底忌々しそうに吐き捨てたが、その耳たぶがほんのりと赤い。
(おや? もしかしてアルス様、上層部に掛け合ってくれたんじゃないの? 「あいつは狂ってるから殺す価値もない」とか適当な理由をつけて。……尊い。ツンデレの極みだ)
「そこでだ。貴様の身元は、我がクロムウェル家が預かることになった。王都から出すわけにはいかないからな。今日から貴様は、近衛騎士団の『特別雑用係』として、俺の監視下で働く。……異論はあるか?」
「異論なんてあるわけないじゃないですか! むしろ給料を払わせてください! 推しの職場で職住接近、福利厚生がアルス様とか、どんな前世の徳を積めばそんなボーナスステージに突入できるんですか!?」
「……相変わらず、何を言っているのかさっぱりわからん」
アルスはこめかみを押さえ、重い鉄格子の鍵を開けた。
ガチャン、という音が、俺の破滅フラグが折れた音に聞こえた。
地下牢を出て、数日ぶりに浴びる太陽の光。
眩しさに目を細める俺の隣で、アルスが不意に足を止めた。
「おい、セシル」
「はい、何でしょう、我が主君(マイ・ロード)!」
「……その、ボロボロの格好で歩くな。騎士団の品位に関わる。これを使え」
そう言ってアルスが差し出してきたのは、彼がいつも羽織っているものと同じ、深い紺色の騎士団用マントだった。
しかも、今さっきまで彼が身につけていた形跡がある。……つまり、温かい。
(……待って。これ、実質的にアルス様に包まれていると言っても過言ではないのでは? むしろこれは『俺の女(男)だ』というマーキングでは!?)
俺は震える手でマントを受け取ると、迷わず顔を埋めて深呼吸した。
「ふはぁ……アルス様の香りがする……。白銀の雪山と、わずかな革製品の匂い……これ、香水にして売ったら国庫が潤いますよ……」
「貴様ッ!! 嗅ぐなと言っているだろうが! 変態か!」
「変態ではありません、ファンです! 狂信的なタイプの!」
「同じことだ!」
アルスの怒号が王宮の中庭に響き渡る。
通りすがりの騎士たちが「あの氷のアルス副団長があんなに感情を露わにするなんて……」と驚愕の表情でこちらを見ている。
こうして、俺の「騎士団雑用係」としての生活が始まった。
仕事内容は、アルスの執務室の掃除、防具の手入れ、そして――。
「セシル、茶を淹れろ。……昨日の、あの妙に美味い茶だ」
執務机に向かいながら、アルスが顔も上げずに命じる。
本来、貴族の令息である俺に茶を淹れさせるなどあり得ない話だが、俺は前世の社畜スキルをフル活用し、最高の一杯を差し出した。
「はい、アルス様。お疲れのようですから、リラックス効果のあるハーブをブレンドしておきました。どうぞ、僕の愛もたっぷり注いでおきましたので」
「……愛は要らんと言ったはずだ」
文句を言いつつも、アルスは茶を口にする。
その瞬間、彼の険しい眉間の皺が、ふっと緩んだ。
その無防備な表情を見た瞬間、俺の胸がドクンと跳ねた。
(いけない……。推しを愛でるだけのつもりだったのに。この人、近くで見ると破壊力が強すぎる……)
「……どうした、セシル。俺の顔に何かついているか?」
アルスが不審そうにこちらを覗き込んでくる。
長い睫毛、銀色の瞳。
その距離、わずか20センチ。
「……いえ。アルス様の顔が、あまりにも良すぎて、視神経が焼き切れそうになっただけです」
「……もういい。掃除に戻れ」
アルスは顔を背けたが、赤くなった首筋までは隠せていなかった。
どうやら、彼の方も少しずつ、俺の「異常な距離感」に毒され始めているらしい。
その日の夜。
俺に与えられた部屋は、なんとアルスの自室のすぐ隣だった。
壁一枚隔てた向こう側に推しが寝ている。
そんな状況で、安眠できるはずがない。
俺は壁に耳を当て、「……今日、あいつに茶を淹れさせたのは間違いだったか……? いや、だが……」というアルスの独り言をキャッチし、ガッツポーズを決めた。
「よし。次は『アルス様の入浴中にお背中流しに参上しました』イベントだな。命のスペア、何個あっても足りないけど、やるしかない!」
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二人の奇妙な共同生活は、まだ始まったばかりだった。
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