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10話
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王都の喧騒が遠ざかり、馬車がクリュサオル伯爵邸の重厚な門を潜る頃には、空は濃紺のビロードに覆われていた。
車内には、先ほど噴水広場で見せた穏やかな空気の余韻が、微かな光の粒子となって漂っている。ニルスの周囲を舞うホタルのような光は、彼の落ち着かない心情を反映するように、点滅を繰り返しながら座席の間を泳いでいた。
ニルスは窓の外に流れる夜の庭園を眺めながら、膝の上で指をせわしなく動かす。
「……あの、ギデオン様」
「何だ」
隣に座るギデオンの声は、日中の峻烈なものとは異なり、どこか夜の静寂に溶け込むような柔らかさを帯びていた。ニルスはその響きに、胸の奥を熱い砂糖水で満たされるような、妙にむず痒い感覚を覚える。
「今日、その、色々とありがとうございました。宝石まで頂いちゃって……俺、本当に死なないですから。明日からは、あんなに無理して褒めなくても大丈夫ですよ」
ニルスの言葉に、ギデオンは瑠璃色の瞳を僅かに細めた。彼は無言で馬車の揺れに身を任せていたが、やがて静かに口を開いた。
「無理などしていない。……むしろ、逆だ」
「えっ?」
「君を見ていると、言葉が勝手に出てくるのだ。救命活動という義務を超えて、私自身の心が、君を言葉で繋ぎ止めたがっている……そんな錯覚すら覚える」
ドドォォォォォッ!!
馬車の狭い車内で、本日何度目か分からない特大の虹色の光が炸裂した。
ニルスの羞恥心は、ギデオンの無自覚かつストレートな言葉によって、もはや修復不可能なほどに粉砕されている。車内に充満した光の粉が、ギデオンの端正な顔立ちを眩しく照らし出した。
「あ、あわわわ!ダメですよ、そんな、錯覚とか!団長様、お疲れなんですよ、きっと!」
ニルスは真っ赤になって座席の隅へ逃げ込んだ。噴き出すラメが雪のようにギデオンの肩に降り積もるが、彼は避けるどころか、愛おしげにその光を指先でなぞった。
やがて馬車が止まり、二人は屋敷の玄関ホールへと降り立った。
そこには、冷え切った胃薬の瓶を片手に持った副官ヘンリックが、無表情の極地のような顔で待機していた。
「お帰りなさいませ、閣下。……ずいぶんと派手な戦果を挙げてこられたようで」
ヘンリックの視線は、ギデオンの銀髪に絡みついたピンクの花びらと、ニルスの服から溢れ出している光のホタルに向けられていた。もはやこの光景を見ても、彼は驚くことすら忘れている。
「ヘンリックか。ニルスの呪いは、環境を変えたことで新たな段階へと移行した。極めて繊細な光を放つようになったのだ」
「新たな段階、ですか。……私には、単に閣下がニルス殿を甘やかしすぎて、収拾がつかなくなっているようにしか見えませんが」
ヘンリックの鋭いツッコミを、ギデオンは平然と受け流した。
「明日の朝の定例訓練は、私が指揮を執る。ニルスも同行させる。彼の安全を確保するためだ」
「閣下、その格好で訓練場に立てば、部下たちの示威活動に支障が出ます。せめてその花びらを落としてからにしてください」
ギデオンは頷くと、ニルスの肩にそっと手を置いた。
「ニルス。今夜はゆっくり休め。扉は……約束通り、開けておく」
「あ、はい……おやすみなさい、ギデオン様」
ニルスは逃げるように自分の部屋へと駆け込んだ。
扉が全開の部屋に入り、ベッドに倒れ込む。顔が熱い。胸の鼓動がうるさくて、いつもの「パチパチ」というエフェクトの音が自分の心拍と重なって聞こえる。
ニルスは枕をぎゅっと抱きしめた。
「どうしよう……。嘘だって言わなきゃいけないのに。でも、あんな顔で言われたら、俺……」
罪悪感が、じわじわと甘い毒のように全身に回っていく。
ギデオンの氷のような心が、自分のついた馬鹿げた嘘のせいで溶け始めている。それは、ニルスにとってこの上なく嬉しいことであり、同時に恐ろしいことでもあった。
一方、ギデオンが居る場所では、背後の闇から、ひらひらと紫色の蝶が舞い降り、彼の肩に止まる。それはニルスのエフェクトではなく、より高度で、より禍々しい魔力を孕んだものだった。
「……おやおや。思ったよりも順調に『侵食』されているようだね、聖騎士様」
暗がりの中から、嘲弄を含んだ声が響く。
ギデオンは鋭い眼光で振り返ったが、そこには揺れる影と、夜風に運ばれてきた薄紫色の魔力の残滓があるだけだった。
「……カスパール閣下か」
ギデオンは独り言のように呟き、大剣の柄を強く握りしめた。
ニルスにかかった呪いは、単なる「キラキラ」で終わるような代物ではない。その真実を、ニルス自身も、そしてギデオンも、まだ知らない。
翌朝、アウロラ王国の空に再び朝日が昇る。
しかし、その光は昨日よりも少しだけ、怪しげな紫色の輝きを帯びているように見えた。
氷の騎士の心は、溶けるほどに脆くなり、風色の魔導師の嘘は、真実を飲み込むほどに深くなっていく。
車内には、先ほど噴水広場で見せた穏やかな空気の余韻が、微かな光の粒子となって漂っている。ニルスの周囲を舞うホタルのような光は、彼の落ち着かない心情を反映するように、点滅を繰り返しながら座席の間を泳いでいた。
ニルスは窓の外に流れる夜の庭園を眺めながら、膝の上で指をせわしなく動かす。
「……あの、ギデオン様」
「何だ」
隣に座るギデオンの声は、日中の峻烈なものとは異なり、どこか夜の静寂に溶け込むような柔らかさを帯びていた。ニルスはその響きに、胸の奥を熱い砂糖水で満たされるような、妙にむず痒い感覚を覚える。
「今日、その、色々とありがとうございました。宝石まで頂いちゃって……俺、本当に死なないですから。明日からは、あんなに無理して褒めなくても大丈夫ですよ」
ニルスの言葉に、ギデオンは瑠璃色の瞳を僅かに細めた。彼は無言で馬車の揺れに身を任せていたが、やがて静かに口を開いた。
「無理などしていない。……むしろ、逆だ」
「えっ?」
「君を見ていると、言葉が勝手に出てくるのだ。救命活動という義務を超えて、私自身の心が、君を言葉で繋ぎ止めたがっている……そんな錯覚すら覚える」
ドドォォォォォッ!!
馬車の狭い車内で、本日何度目か分からない特大の虹色の光が炸裂した。
ニルスの羞恥心は、ギデオンの無自覚かつストレートな言葉によって、もはや修復不可能なほどに粉砕されている。車内に充満した光の粉が、ギデオンの端正な顔立ちを眩しく照らし出した。
「あ、あわわわ!ダメですよ、そんな、錯覚とか!団長様、お疲れなんですよ、きっと!」
ニルスは真っ赤になって座席の隅へ逃げ込んだ。噴き出すラメが雪のようにギデオンの肩に降り積もるが、彼は避けるどころか、愛おしげにその光を指先でなぞった。
やがて馬車が止まり、二人は屋敷の玄関ホールへと降り立った。
そこには、冷え切った胃薬の瓶を片手に持った副官ヘンリックが、無表情の極地のような顔で待機していた。
「お帰りなさいませ、閣下。……ずいぶんと派手な戦果を挙げてこられたようで」
ヘンリックの視線は、ギデオンの銀髪に絡みついたピンクの花びらと、ニルスの服から溢れ出している光のホタルに向けられていた。もはやこの光景を見ても、彼は驚くことすら忘れている。
「ヘンリックか。ニルスの呪いは、環境を変えたことで新たな段階へと移行した。極めて繊細な光を放つようになったのだ」
「新たな段階、ですか。……私には、単に閣下がニルス殿を甘やかしすぎて、収拾がつかなくなっているようにしか見えませんが」
ヘンリックの鋭いツッコミを、ギデオンは平然と受け流した。
「明日の朝の定例訓練は、私が指揮を執る。ニルスも同行させる。彼の安全を確保するためだ」
「閣下、その格好で訓練場に立てば、部下たちの示威活動に支障が出ます。せめてその花びらを落としてからにしてください」
ギデオンは頷くと、ニルスの肩にそっと手を置いた。
「ニルス。今夜はゆっくり休め。扉は……約束通り、開けておく」
「あ、はい……おやすみなさい、ギデオン様」
ニルスは逃げるように自分の部屋へと駆け込んだ。
扉が全開の部屋に入り、ベッドに倒れ込む。顔が熱い。胸の鼓動がうるさくて、いつもの「パチパチ」というエフェクトの音が自分の心拍と重なって聞こえる。
ニルスは枕をぎゅっと抱きしめた。
「どうしよう……。嘘だって言わなきゃいけないのに。でも、あんな顔で言われたら、俺……」
罪悪感が、じわじわと甘い毒のように全身に回っていく。
ギデオンの氷のような心が、自分のついた馬鹿げた嘘のせいで溶け始めている。それは、ニルスにとってこの上なく嬉しいことであり、同時に恐ろしいことでもあった。
一方、ギデオンが居る場所では、背後の闇から、ひらひらと紫色の蝶が舞い降り、彼の肩に止まる。それはニルスのエフェクトではなく、より高度で、より禍々しい魔力を孕んだものだった。
「……おやおや。思ったよりも順調に『侵食』されているようだね、聖騎士様」
暗がりの中から、嘲弄を含んだ声が響く。
ギデオンは鋭い眼光で振り返ったが、そこには揺れる影と、夜風に運ばれてきた薄紫色の魔力の残滓があるだけだった。
「……カスパール閣下か」
ギデオンは独り言のように呟き、大剣の柄を強く握りしめた。
ニルスにかかった呪いは、単なる「キラキラ」で終わるような代物ではない。その真実を、ニルス自身も、そしてギデオンも、まだ知らない。
翌朝、アウロラ王国の空に再び朝日が昇る。
しかし、その光は昨日よりも少しだけ、怪しげな紫色の輝きを帯びているように見えた。
氷の騎士の心は、溶けるほどに脆くなり、風色の魔導師の嘘は、真実を飲み込むほどに深くなっていく。
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