素直になれない君が好き

うり

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 十七時過ぎには会場から出た。穏やかな秋風が人の熱気で火照った顔を冷ましてくれて、ほっと息を撫で下ろす。やっぱり人が多いと疲れる。
 けれど今日は直帰でいいと許可をもらっているため、早めに家に帰れるのだ。そんなことをうきうきとしながら考えていると、一ノ瀬が振り返った。

「……疲れた?」
「え?」
「なんかそういう顔してる」

 一ノ瀬は意外と人のことよく見てくれているみたいだ。私はなんてことないように「平気」と返すと、一ノ瀬が微かに笑った気がして返答を間違えたのだと即座に察した。

「じゃ、行くか」

「どこに?」と首を傾げる。一ノ瀬もホワイトボードに直帰と書いていたはず。

「俺と飯を食いに行くって用事があるだろ」
「なにそれ初耳。こわい」
「知らないのか? これに参加して、俺と飯を食うってとこまでが今日のスケジュールだ」

 勝手なスケジュールを知らないうちに立てているなんて、相変わらず強引すぎる。断る理由を色々と模索してみたけれど、思いつかないのでオブラートは放り投げて正直に言おう。

「行きません」

 私は一ノ瀬と夜ご飯を食べに行くつもりなんてない。


「なんでだよ」
「仕事はここで終わりでしょ」
「心して聞け」
「……なに」
「行く予定の店、アヒージョと肉がうまいとこだぞ」

 ごくりと生唾を飲む。アヒージョ、肉……脳裏にふわふわと浮かんでくる。
 グツグツと煮立ったオリーブオイルからは、食欲をそそるにんにくの香り。そして、オリーブオイルを染み込ませたフランスパンにエビやマッシュルームを乗せて食べる。アヒージョは何回食べても飽きない。それと……焼きたての香ばしい肉にタレをつけて、ほかほかの白米と一緒に食べるのも最高だ。

 想像してしまったら、一気にお腹がすいてきた。けれど、一ノ瀬とご飯。


「い、行かない」

 言った直後にぎゅるるると大きなお腹の音が鳴ってしまった。なんて正直で嘘がつけないお腹なんだ。
 恥ずかしくって顔に熱が集まり、唇を噛み締める。

「お前のいいとこ見つけた。腹は素直でかわいい」
「一ノ瀬……それじゃあ、女は口説けないと思う」
「星野の腹は誘惑できたみたいだけど」
「ぐっ」

 片方の口角をつり上げて微笑んでいる一ノ瀬をキッと睨みつけた。食べ物で釣るなんて卑怯だ。わざとアヒージョと肉が美味しいところだと言ってきたに違いない。

「じゃ、決定だな」

 いつもよりも声を弾ませた上機嫌な一ノ瀬が、私の腕を掴んで歩き出す。

「っ、わかったから腕離して!」

 どうして一ノ瀬と食事に行かなきゃいけないのだ。そんなことを思いながらも、かなりの空腹な私は食べ物の誘惑には勝てそうもなかった。


***


 橙色のライトに照らされた薄暗い雰囲気のある店内をぐるりと眺める。女子会やデートによく使われそうなお洒落な空間だ。各テーブルに置いてあるステンドグラス風のキャンドルホルダー。その中で小さな灯りが、右へ左へとまるで本物のように揺らめいている。

 それに肉が美味しい。このタレはなんだろう。醤油っぽいけど、舌が僅かにピリッとして香辛料が含まれているようだった。うちでもこういう味付けをやってみたいな。なんて考えていると、自然と頬が緩む。

「すげー幸せそう」
「だって美味しいし」
「もっと食いたきゃ遠慮せず頼めよ」
「……うん」

 私の食べているところを嬉しそうに見られると、なんだか急に気恥ずかしくなってくる。そんなに見つめないでほしい。さっきから食べているのは私ばかり。一ノ瀬の本心が見えない。……私の前で発言している言葉が全て本心とは限らないし、こうしてデートに誘ってきたのだって恋愛感情とかではなく、ただの興味かもしれないのだ。

「星野、言っておくけどさ」

 肉を取ろうとする箸を止めて、視線を上げる。一ノ瀬は形のいい唇を片方だけ持ち上げて微笑んできた。

「これ、デートじゃないから。ノーカンだからな」
「……いいじゃんこれで」
「嫌だ。俺はちゃんとお前と出かけたい」

 急にこどもっぽく駄々を捏ねるので、目を丸くしてしまう。普段は余裕そうでなこの男が、拗ねたように視線を逸らしたまま口をへの字に曲げている。それがなんだか可愛らしく見えてしまい、私は自分の感情をかき消すようにワインを口内に流し込んだ。


「だから、また誘う」

 ずっと気になっていたことがある。

「なんで私なの?」

 結局はここにたどり着く。私じゃなくても他にもいる。彼には前世の記憶がないのなら、私たちの間に特別なことなんてなにひとつない。……いや、もしかしてあの一夜の過ちがきっかけなのだろうか。

「なんでだろうな」
「なにそれ」
「お前がいいって思うから」
「意味わかんないってば」

 聞きたいのはそういうのではない。もっとちゃんとした明確な言葉だ。目に見えなくても、見えてしまいそうなほどの説明がきちんとつく言葉が欲しい。じゃないと私は一ノ瀬の言動がからかっているようにしか感じられない。

「……もしもあの日の夜のこと責任感じてるなら、あれは忘れていいから」

 一ノ瀬と関係を一度持ったからって、それを言いふらすつもりもない。あの日は流されたのもあったけれど、途中から私も彼を求めていた。だから一ノ瀬が気にする必要はない。

「へぇ……星野にとっては忘れていいことなんだ?」

 ワイングラスを持っていた手に、一ノ瀬の手が伸びてくる。骨張った大きな手は体温が高くて、思わずどきりとしてしまう。私の動揺を伝えるようにグラスの中のワインが波打った。

「私、一ノ瀬がなに考えてるのかわかんない」
「俺がなに考えてるのか、言葉にしたほうがいい? したら引き戻せなくなるけど」

 彼の熱っぽくて真剣な眼差しは逸らしたくなってしまう。一ノ瀬のこの目は苦手だ。心の奥底を覗かれているみたいな気分になる。

「だって言葉にしないと、こっちだってよくわからないし」
「デートに誘う理由を、中学生でもわかるように一言一句丁寧に説明したほうがいいのか?」
「……ねえ、アヒージョ頼んでもいい?」
「おいこら、今いい雰囲気だっただろ」

 眉間にしわを寄せている一ノ瀬はかなり不機嫌そうだ。あんなこと言われて、どう返せばいいかわからず、つい話を逸らしてしまった。

「お前はなんで肝心なところでそうやって阿呆みたいに誤魔化すんだよ」
「だ、だって」
「天然ぶってんのか、可愛くねーぞ」

 目の前の肉が一ノ瀬のフォークによってグサリと刺される。それ、私が狙っていた肉。一ノ瀬の口に運ばれていく肉を恨めしく見つめながら、ため息を吐く。

「一ノ瀬こそ、いつも一言二言三言余計じゃん。そんな男、嫌だ」
「へえ、寡黙が好みなのか。残念だな、けどお前の好みはこれから一言二言三言余計な男になるからな」
「……一ノ瀬って恐ろしいくらいポジティブだね」

 こういうところはアルフォンスとそっくりで、遠い記憶の中の彼と一ノ瀬が重なる。一緒にいるべきではない。早く離れないと。そう思っているのに、どうして私は完全に突き放せないのだろう。

 目の前で笑う一ノ瀬を見ていると、心が刺されたみたいに痛い。子どもっぽく笑う顔、優しげな眼差し、耳に残る低音の声。この人と向き合うことが怖くてたまらない。


***

 早く帰るつもりだったのに、食べて飲んで、お喋りをしていたら時間はあっという間に過ぎていく。気がつけば、十一時を回っていた。

「わ~、風きもちいい」

 昼間よりも少し温度の下がった秋風が私の頬を撫でる。靡く自分の髪は黒い。もうあの頃の淡い桃色じゃないとわかっているのに確認してしまう。
 どうして私は……ソフィアは死んでしまったんだっけ。思い出したいのに詳細を思い出そうとすると、濃い霧がかかったように遮られて記憶が視えない。

「星野、中央線だっけ?」
「うん。一ノ瀬は地下鉄?」
「そう。……じゃあ、暗いしそっちの駅まで送ってく」

 前世で夜中にアルフォンスに脅かされたのを思い出す。だけど、あの頃のアルフォンスよりも一ノ瀬の方がずっと大人であんな脅かし方はしてこないだろうけど。

「大丈夫だよ。私、もう暗いの平気だから」

 私は暗いのが怖くてたまらなかったソフィアじゃない。あの頃から、かなりの時間が流れてしまっている。


「……誰と間違えてんの」
「え?」

 一ノ瀬が不機嫌そうな面持ちで、こちらに視線を流した。声も普段よりも低く聞こえる。

「俺、お前が暗いの苦手だったって初めて聞いたんだけど」
「あ……」

 そうだ。このことを知っているのは一ノ瀬じゃなくて、アルフォンスだ。
 一ノ瀬はやっぱり記憶がないようだ。そんな一ノ瀬からしたら、この話は聞き覚えのないことのはず。発言には気をつけないとと思っていたはずなのに、お酒が入っているからか軽はずみに言ってしまった。

「あの、一ノ瀬」
「あのさ」
「……ん?」
「今星野といるの俺だから。間違えんな」

 その言葉は私を一気に現実に引き戻した。
 頭ではわかっているつもりだった。アルフォンスと一ノ瀬は同じじゃない。生まれ変わりというだけで、同じ記憶を持っているわけではない。それなのに勝手に一ノ瀬にアルフォンスを重ねていた。


「……ごめん」
「やっぱ駅まで行く」

 彼は一ノ瀬晴翔だ。パルフィム王国の王子のアルフォンスじゃない。アルフォンスは、もう死んでいる。この世のどこにもいない。わかりきっていることなのに、それを認めることがずっと怖かった。


「星野、置いてくぞ」
「う、うん」

 だって、アルフォンスは死んだのは————私のせいだったはず。〝はず〟というのは、なにが起こったのか正確には思い出せないからだ。


『ソフィア』
 いつも揶揄ってばかりだった彼が、私の名前を優しい声音で呼んだのはいつだったのか。ぽたりと自然と涙が一筋頬に伝った。それを気づかれないようにそっと袖で拭う。

『あの女を殺せ!』
『裏切ったのよ!』
 無意識に記憶を拒んでしまう。その記憶は嫌だ……知りたくない。視たくない。それなのに大事に仕舞い込んだ箱の中から、ぽろぽろと少しずつ溢れ出す。

 アルフォンス、私は貴方になにをしてしまったの?



 その夜、懐かしい出来事を思い出した。よく晴れた日の昼間、クレールと一緒に庭で紅茶を飲んでいたときの記憶だ。


『兄上にね、縁談の話が来ていたんだ』
『……そう。もうアルフォンスも適齢期だものね』

 スコーンを一口食べてから、紅茶を一口飲む。この穏やかな時間が好きだった。

『相手はマリザネットの長女だって』
『そうなの』

 マリザネット。彼らの国の公爵令嬢だ。姿は見たことがないけれど、白銀の髪とアメジスト色の瞳で女神のように美しいという噂を耳にしたことがある。おそらく彼女の夫の座を狙っている殿方も多いだろう。けれど相手が王子となれば、誰もが納得するに違いない。けれど、あのアルフォンスが誰かの夫になるなんて想像がつかず、私は眉を寄せる。

『アルフォンスは、女性をエスコートできるのかしら』
『それが断ったみたいだよ』
『ええ! どうして?』

 断る理由が見当たらない。他国の私には知り得ない派閥の問題や、もっと良い縁談があったのだろうか。

『どうしてだと思う?』

 クレールがティーカップを静かにソーサーにおいて、視線を向けてきた。その眼差しに心臓が大きく跳ねる。
 その表情はアルフォンスとよく似ていた。普段は似ていないと思っていたけれど、ふとした瞬間に血を分けた兄弟なのだと感じる。

『わから、ない』

 どうしてだなんて私が知るはずない。けれど、クレールの表情は変わらない。

『本当に?』
『え……』
『ねえ、ソフィア』
『なに……っ!?』

 視界がぐにゃりと歪んで、声が反響して聴こえてくる。全身で感じるほど鼓動が速まり、呼吸がしづらい。苦しい。怖い。目をつぶり、耳を塞いでしまいたい。

『どうしてわからないの?』

 違う。クレールはこんなにしつこく聞いてこなかった。

『わからないフリを続けるんだ?』

 これは記憶がごちゃごちゃに入り混じった夢だろうか。

『ずるいね』
「やめて。こんなのクレールじゃない!」

 先ほどから私に話しかけているのは誰だろう。クレールだと思っていたけれど、声質がだんだんと変化していっている。

『そうやって逃げるのね』

 女の人の声だった。誰なのかわからず、私は身を震わせる。

『いつまで真実から目を逸らしていられるかしら』

 目の前に淡い桃色の髪が見えた。悲しげに私を見つめながら、頬には涙が伝っている。


「貴方、まさか————」


 アラームの音が鳴り響き、目を開けると見慣れた天井に安堵した。室内には日差しが差し込んでいる。隣を向くと、マシュマロのような柔らかい素材のクッション。それを思いっきり抱きしめて、私は心を落ち着かせるように深く息を吐く。

「……夢、か」

 クレールとアルフォンスの縁談話をしていた時の記憶を思い出していたはずなのに、途中から切り替わっていた。
 だんだんと夢の記憶が朧げになっていくけれど、私に言葉を投げかけてきた人物は……おそらくソフィアだった。どうして、ソフィアが私にあんな言葉を投げかけるのだろう。





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